9/7 エクサンプロヴァンス到着

マルセイユから小一時間電車に乗り、エクサンプロヴァンスへ。泉の街、セザンヌの街。思い返せば10年前に水道橋の語学学校に通ってた頃の先生がここの出身であり、いつしかここが憧れの町になっていたように思える。とても小さな片田舎の町を想像していたのだが、ホテルをネットで探している時、既にここが決して小さくはなく、街の中心はかなり観光地ナイズされていることを知った。車を運転しない我々にとって、公共交通機関で行ける憧れの片田舎なんてものはほとんどないのだろう。ここに行けば静かな暮らしがあるという想像は甘いのである。

しかしマルセイユから来た我々にとっては、町は小綺麗で、駅前でランチに適当に入った店も美味しく、かなりの好印象である。宿にチェックインし、セザンヌのアトリエに歩いて向かう。

セザンヌのアトリエに着くと、とてつもない人でごった返している。見れば皆、無線レシーバーのようなものを耳につけ、大学名の書いた名札をつけたご老人ばかりである。どうやらアメリカの高学歴の大学OBを対象としたバスツアーのようだ。こんな人ごみの中でアトリエを見たくなかった我々は、座って彼らが去るのをしばし待っていたが、やってきたバスに一団が乗り込んだはいいが、また別のバスがやってきてずらずらと人が降りてきた。これではまるでテロである。人はなぜ集団で旅行をするのか。とりあえずここは後回しにして、セザンヌがサント=ヴィクトワール山を描いた場所へと向かう。

サント=ヴィクトワール山を描いた場所(Terrain des peintres)は、アトリエから20分ほど丘を上がったところにある。数年前のセザンヌ没後100年の際に整備されたらしく、周りは新興住宅地、そこだけ散策路と見晴台になっている。ここにはテロリストがおらずホッとしたが、なぜか一番いい場所で雑誌を読み続けているおばさんがおり、何もここで読まなくても……と思うのだが、観光客の邪魔をするのが趣味なのか、セザンヌの気持ちで雑誌を読むのが趣味なのか、どっちかであろう。誰がどこで何をしようと勝手だから、我々が正直心の中で「おばさん、めっちゃ邪魔や……」と思っても詮無きことであるが。あと、植栽に問題があると思う。

小一時間経ったので、アトリエへ戻る。今度はアメリカン・テロリスト達はいなくなっていて、我々もゆっくり見ることができた。ここは1902年の最晩年に新築されたアトリエであるが、別段すばらしい建築ではないものの、絵を描いたり運んだりするために機能的にできていて、ここを買い取ったセザンヌ研究者のおかげで当時使われていた道具も残されている。天井まで届くような脚立。彼が着ていたマントやパラソル。静物画に使われた机や椅子、皿、壺。外からキャンバスを出し入れできるように空けられた縦長の窓。庭では『大水浴図 Les Baigneuses』を描いたという。

ショップにてセザンヌの書簡集(仏語)を買おうかどうか迷っているところに今度はコリアン・テロリスト達がやってきたため、押し出されるように私は外へ。世の中の人たちはそんなにセザンヌが好きなのだろうか。どちらかというと激渋だと思うのだが、価値がわかっていらっしゃるのか、と訝しみながらアトリエを後にする。