3月15日 街道好きの受難

いよいよ観光できるのもあと2日である。固いパンの食べ過ぎでヨーロッパに飽きかけた前回に比べると、短い。パンで思い出したが、イタリアのパンはまずい。というか水分が少なく、固くて素朴だ。風土なのかもしれないが。
今日は昨日綿密にチェックした休館日・開館時間表をチェックしながら行動するはずである。何しろ観光最終日は月曜日だからだ。
まずは、という感じでフォロ・ロマーノに向かう。地下鉄駅で降りるとすぐ目の前にコロッセオがある。小学生の頃に絵に描いたことがあったものが眼前にあると感慨深いが、本物はそれほど神々しさはない。もちろん僕のロマンチックな夢よりも実用的だったということだろう。
フォロ・ロマーノはまさにピラネージの世界だ。ガウディ以来の「マジ?」という感覚が襲う。丘に住んでいたローマ人が、紀元前6世紀頃から湿地の低地を干潟して作ったもので、古代人がこれだけのボリューム、これだけのシンボリズムのなかに暮らしていたと思うととてつもない。そして、エブラールやらジュリアン・ガデやらプロストやら、20世紀はじめのヨーロッパの都市計画家がローマ賞として滞在して復原を行い、それを後の都市計画に活かそうとしていたことを思い出すと、都市に関わろうとするものとしてここを見れたことは非常に感慨深い。
フォロ・ロマーノを歩いていると、小学生の団体がサッカーをしている。どうしてここでサッカーをしなきゃいけないのだと頭に来るが、生徒がアホなら先生もアホで、ヘラヘラ笑って注意しない。見た目からして欧米人だが、こいつらにはアホが蔓延しているのだなと差別してやる。パンテオンでもギャーギャー騒ぐ馬鹿学生がいたが、外部の人に注意されるまで先生は止めなかった。「軽率にローマに来るな!」とでも言ってやりたかった。
パラティノの丘、ドムス・アウグスタナなどを見て結局2時間ぐらいそこにいたことになる。
次はフォロ・トライアーノへ。言わずもがな、トラヤヌスの戦勝記念柱があるところだが、記念中にはあまり近づけず、肝心の碑文は見れなかった。

ホテルのあったLaurentina駅

フォロ・ロマーノ

フォロ・トライアーノ、トラヤヌス帝のマーケット

地下鉄でテルミニに戻り、カラカラ浴場へ。浴槽が2,000から3,000設置できたというからそのボリューム感覚や恐ろしい。当時のタイルが少し残っていた。

カラカラ浴場

カラカラ浴場からは、「アッピア旧街道」と呼ばれる、紀元前4世紀に作られた道が残っていると言う。旧街道と聞いて僕の食指が動かないはずは無く、今日の予定はそこだけに定めて歩くことにする。しかし道の途中までは新しく舗装された石畳で、5キロ程歩かないと本来の光景には達せないという。

アッピア旧街道へ

街道を1時間ほど歩くと、「サン・カリストのカタコンベ」がある。初期キリスト教徒の共同墓地で、深さ4レベル、長さ20kmに渡る、周辺で最大のものである。アジア顔のガイドさんの話を聞きながら回る。ここは火山岩だから彫りやすく、埋めても無臭だそうだ。まず部屋を作りそこに棚状に穴を掘って埋葬し、フロアの部屋がいっぱいになると、どんどん地下へと掘り下げていったという。当時の碑文や埋葬品のかけらを見ながら思いを馳せる。
カタコンベを出た後、また街道を南下する。しばらくすると舗装が荒くなり、道脇にはローマの象徴であるマツが並び始め、突如として紀元前・紀元数世紀のレンガや石の量塊が出現する。ピラネージだと思いながら合計2、3時間歩く。どうせバスの駅か何かにぶつかるだろうと思って歩いていたが、一向に見つからない。日も暮れかけてきたのでやばいと思って引き返す。途中でバス停があったがいつ来るかわからないし、この際歩いてしまおうと思って結局カラカラ浴場まで引き返す。合計で5時間ほど歩いたのではないだろうか。靴が合わなかったのか、膝裏の筋肉が痛み始め、最後は引きずるようにして歩く。翌日にも響いた。

サン・カリストのカタコンベ

テルミニ駅に戻り、旧市街のスーパーでピザを買い、ホテルに帰って食べる。いつも通り写真を転送しながら寝る。