3月10日 唯「影」的な修道院 Couvent de La Tourette

この日は朝からコルビュジエのラ・トゥーレット修道院を見に行く予定である。
その朝からいきなりハプニングがあったが、とりあえず着けたので今となってはどうでもよいことだ。全てはフランス国鉄が悪い。つくづくJRはがんばっていると思う。
朝10時過ぎ、最寄り駅のラルブレール駅に到着する。しかし今回、地図も何も持ってきていない我々は、とりあえず進行方向を決めなくてはならない。フランス国鉄は最低でも、フランスの田舎の人達は本当に優しい。ツーリスト・インフォメーションの場所を教えてもらい、町の中心にいくと、ラ・トゥーレットは今来た道を戻ってひと町越えた2km先にある言う。この2kmというのが曲者で、山道をおそらく直線距離で2kmである。「ラ・トゥーレット修道院」と書いた矢印のある聖像で曲がったが、そこがまだ中間地点で、実際45分ぐらいは歩いたんじゃないかと思う。
ようやく着いて、レセプションで入り口のキーを貰う。修道院には今の時期、誰もいないという。

研究室ではない。

写真にいちいちコメントを入れようと思っていたが、こうしてアップロードしてみると言葉はほとんど必要なく、宗教性の無い、唯光的(あるいは唯影的)な修道院である。モデュロール、コルビュジアン・カーブ、数列、カラー・コンポジション、ブルータリズム、闇と採光といったあらゆるコルビュジエ的建築言語をコラージュしたかのような建築。外観はほとんど宗教建築に見えず、ひたすらファンクショナルであり、伝統的審美眼によるファサード配慮はほとんどされていないように思える。修道僧の住居部分はほとんどユニテ・ダビタシオン、あるいはシテ・ユニヴェルシテールのようなユニットである。それに対し、宗教建築にとって重要な螺旋階段部分は絵画的・彫刻的なカーブを用い、野蛮である。最重要部のクリプトはロンシャンで使った彩色採光窓(「光の大砲」)を使いながら、より瞑想的、しかしファンクショナルである(ドアはほとんど潜水艦のそれである)。
それぞれが矛盾しあっているようで、調和とギリギリの間を保っている。コルビュジエの求めた個人的生活と共同生活の調和がそれだったのだろうか。微妙に判断しかねるものを残した建物だった。
ラ・トゥーレットを見た後は、リヨンに戻り荷物を取って、その日のうちにTGVでパリ入りする。
しかしこのカメラは「曇り」のホワイトバランスが悪い。