7/16-7/20 ナンシー、クロワ

7/16
風邪が治らないため Studio Visit を延期にしてもらう。借りてたプルーヴェの本を返すためにフラ語に顔を出したら「寝てていいのに」と言われる。「se coucher」を覚える。
寝てるわけにもいかず、友人に勧められた喉スプレーを買って、暑さと微熱に朦朧としながら終日作業。

7/17
朝起きたら割とよくなっていて、だからというわけではないがもともとの予定でナンシー行きのTGVに乗り込む。セール特割の一級席を買ったのに、売れ行きが悪かったからか車両が小さいのに交換されたようで、自分の番号の席がない。スタッフに聞くと「どこでもいいから座れ」と言われる。なんで一級車を予約したのにそわそわしながら乗らなきゃならんのか。
ナンシーに着いて、次から次にやってくる駅の物乞いの多さにおののくが、街に出てみればそこはまるでブリュッセルのようにアールヌーヴォーの街並みが続く。なんだろう、パリ以外の街に来た時のこの安心感……。本当にパリって異常なんだな。そんなことを思いながらナンシー美術館(Musée des Beaux-Arts de Nancy)の方面に歩くと突然ロココ調の貴族趣味の広場が現れる。ナンシー美術館にはジャン・プルーヴェのコレクションを見に行ったのだが、特別展でオルセー所蔵の自画像展がやっていたせいか、展示場は狭め。目新しいものはペリアンとの協働である Les Arcs の円形ホテルの模型。しかしジャン・プルーヴェのお父さんであるヴィクトル・プルーヴェの絵に思いがけず出会い、父親がナンシー派の芸術家だと知らなかった私には目から鱗が出る思いであった。
その後、ホテルに荷物を置くのに失敗したり(アパートホテルのため昼間はレセプション不在)、韓国の友人に電話したりしながら駅の東から西に移動してナンシー派美術館(Musée de l’École de Nancy)へ。途中ルイ・マジョレル邸を通ったが今日は訪問できなかった。ナンシー派美術館はとても小さい美術館だが、ガレ、マジョレル、ヴィクトル・プルーヴェらの作品があくまで空間全体を作り上げる総合芸術の一環として、作り上げられた部屋として展示されている。そのため美術館はいくつかの幾つかの部屋=生活空間に分割され、部屋から部屋に移動すると別の人の家に入り込んだかのようだ。私は父プルーヴェの絵に見惚れるばかりで、受付で図録の有無を聞くも、無いとのこと。ナンシー美術館にもジャン・プルーヴェの良本が無いし、絵葉書すら無いし、君たち商売根性無いのかね。
ホテルに戻ってチェックインしたが、部屋が灼熱のためシャワーを浴び、外へ。貸自転車で Porte de la Craffe(14世紀の城門) 近くまで行って、ビール飲んで帰って寝る。風邪引いてるのも忘れる暑さですっかりよくわからなくなって、ホテルにて12時間爆睡。

7/18
本当はメッスまで行きたいところだったが風邪っぴきだし遅起きのため諦める。Yelp で調べたレストランに行ってみたら観光客向けじゃないところのようで安くておいしかったのだが、何にでも時間がかかるフランスらしく早く出ることができなかったため、タクシーでプルーヴェ邸に行くことに。しかしタクシーも15分近く来ず(店員に「なんで?」と言ったら「怠け者なんだろ fainéant」と言われたが)、5分遅刻でプルーヴェ邸に到着。しかし「満員だから次の回の16時まで待て(現在14時40分)」と断られる。しかしそこは中心部から外れた高台にある住宅地で、見渡しても Google Maps で見ても周りに何もない。ぶらっとその辺りを一周するも何も発見できないので住宅へのアプローチで腰掛けて待つことに。同じく断られて帰ってきた人たちと話したら「次は16時半だって言われた」という人と「15時半だって言われた」という人がおり、私は16時だと言われたしパンフレットにもそう書いてあると言うと、彼らは「じゃあもう一回聞いてくる」と言って聞きに行った。すると「公式情報が間違っている。16時半だ。」と言われたらしく、「ああ、フランスではありえるわね。じゃあ我々は一回帰るわ」といってみんなわらわらと帰って行ってしまった。私は帰る手段もないので待つよ、と言って腰掛けて待っていると、16時前頃に別の人々がわらわらとやってきて、どうせ断られて引き返してくるんだろうと思って待っていたが一向に帰ってくる気配がない。不安になって行ってみると16時にツアーが始まった。もはやフランス人なんて誰も信じられない。しかしグループが2つに分けられ、後発組になった私はエントランスで30分説明を聞く羽目に。そうこうしているうちに帰って行ってしまった人たちも戻ってきて結果オーライ。全くこの「情報が間違ってる」「自分の言うことに責任を持たない」「言ったやつが悪いから組織の責任ではない」(ついでに「機械が動かない」)「時間通りに何もできない」の悪循環はなんとかしようと思わんのかね。
プルーヴェ邸は住人がいる為土曜日の2回しか訪問できず、内部は撮影不可。ペリアン作の本棚、コルビュジエ調のタイルがあしらわれた暖炉、1mごとにユニット化された建材、ナンシー美術館にあったのと同じ穿孔パネル壁。初めて訪れることのできたプルーヴェ建築にコルビュジエ、ペリアン、ジャンヌレとの比較を考えさせられながら帰路に着いた。

7/19
寮をチェックアウト後、うちに荷物を預けて3週間のフランス旅行に行っていた階上の住人HとJが帰ってきたのでそれを引き渡し、夜Jのライブがあるとのことで観に行く。会場はバーの地下で、聴きたい人だけ聴きに行く仕組み(料金はお皿に5ユーロ置くだけ)。今日はジャズインプロといった風情だったがそれはそれとしてとてもよかった。いつも違う顔をみせるな彼は。ネズミが外から入ってくるバーの中で遅くまで喋り、今夜は寮の別の部屋に泊めてもらうというので一緒に帰ってきてお別れ。勝手に私の精神的な支柱にしていた2人がいなくなるのは自分の一部が喪失するかのようで、部屋で落ち込む。しょうがないので飲む。

7/20
早朝ベルシー駅に向かい、初めて乗るIDBusでリールへ。片道9ユーロ〜15ユーロの安さ。リールくんだりまでTGVなんか乗るのがバカバカしい。
リールに着いたらトラムに乗ってクロワ(Croix)のカヴロワ邸へ行く。ここは6月に新しく公開されたところで、ロベール・マレ=ステヴァンによる富豪向けの邸宅である。ナチの占領、スクワット(不法占拠)によりインテリアの85%が破壊されていたところをほとんど考古学の域の修復によってピカピカになって公開された。フランス語の先生の勧めによってやってきたのだが(彼女にとってコルビュジエはファシストで、プルーヴェとペリアンとマレ=ステヴァンは素晴らしい、という。後者3人の評価が不当に低いのは認める。)、地べたに張り付いたようなそのマッスはヨーゼフ・ホフマンのストックレー邸に類似し、内装は分離派とアール・デコの折衷、それにフランス式庭園が付いているといった風情で、良くも悪くもフランスっぽい。外光とその色に気遣うように作られた照明周りの窪みや内壁の色使いは受動的で素晴らしいと思う。建設当時言われていたようにヴィラというよりシャトー。だがブルジョワ趣味の現代ホテルのようになってしまっている内装は、オリジナルの忠実な復元と考えてよいのか、修復の限界なのか、ちょっと私には判断不能。それよりも興味深いのは地下空間で、当時のまま残されている機械類はこの家がとても機能的にできていたことを想起させられるし、面白いのは当時の建材がガラスケースに入れられて展示されていて、さながら考古学博物館の展示のようだ。ガレージで上映されていたドキュメンタリーを含め、修復されたものはあくまでオリジナルとは別物として考える必要があることを考えさせられる場所だった。なぜか餃子を食べて再び IDBus で帰宅。