Quarantaine

3月19日(木)自主待機2日目。
起きたら夕方。窓から外を見ると桜らしきものが満開。あんなところに桜はあっただろうか?しかし確かめにいくのも憚られる。同時期に帰国した日本の友人たち、逆に現地に残ることを決めた日本の友人たちに連絡を取る。またフランス、スイス、ドイツの友人たちにも消息を知らせ、状況を聞く。日本にいる友人にも帰国を知らせ、自宅待機をする旨報告をする。とにかく食欲がすごい。
朝方ジム・シェリダンの『ドリーム・ハウス』と『イン・アメリカ』を見る。前者はダニエル・クレイグ映画を見ようと検索したらシェリダンの映画が引っかかったという経緯だったが、アメリカ映画によくあるような郊外住宅のスプラッターものかと思いきや、心理学的な主題へと急変し、そこからはもう釘付け。『父の祈りを』もそうだったが、「間違えられた者」が誤解を解き、自らを解放する過程に寄り添って描いていく。燃えさかる家の中に残された妻の幽霊を救いに行くところで涙腺決壊。打ちのめされるようなショットの連続などどこにもないが、練り込まれた脚本と細かい演出、俳優の演技を正確に捉えることにによって、見るものの感情を確かに揺さぶっていく。この人はどのくらい評価されているのだろうか。
監督の半自伝でもある『イン・アメリカ』は何しろ長女が素晴らしい。主人公家族がようやく定住先を見つけたニューヨークのジャンキー・スクアットで、ハロウィンの子供たちの訪問をきっかけに開かずの間である「叫ぶ男」の部屋の扉が開き、その住人マテオとの交流を通して失くした長男に別れを告げるところで再び滂沱の涙。清き涙を流して朝方床に着く。

3月20日(金)自主待機3日目。
起きたら夕方。朝食を食べた後また睡魔に襲われる。深夜に焼ビーフンを食べ、荷物の整理とメールなどする。ベルギー在住の日本人の友人Kも帰国したとのこと。あちらはオランダまで国境を超えての買い占めが発生したらしい。しかしまだ人々は楽天的に近所を出歩いているとのこと。
衛生上の配慮で炊事洗濯ゴミ出しなどは妻がやってくれるので、私はあれが食べたいとかこれが飲みたいとか言っていればいいが、調子に乗っていると「軟禁が明けたら全部お前がやれ」と通告される。今から恐ろしい。

3月21日(土)自主待機4日目。
まんまと夕方起床。帰国報告のメールをしておいたTさんから朝方心配の電話があったものの、全く起きられなかった。寝てばかりもいられないので緩々と仕事再開。今日も焼ビーフン。明らかに機内食のベジタリアンオリエンタルミールの影響である。妻が買っておいてくれた蓮實さんの連載を読むなど。

3月23日(月)自主待機6日目。
小池百合子の緊急会見を見る。すっかり影を潜めていたこの人にとってこの状況はチャンス以外の何物でもないであろう。ここからショーが始まるのは目に見えている。この差別主義の歴史修正主義者に騙されるつもりはない。しかし「よどみなくスピーチができる」「記者の質問に答えられる」というあたりまえのことだけで真っ当な統治者に見えてしまう状況は一体なんなのか。そこまで評価基準が低下してしまっていることに絶望混じりの苦笑を禁じえない。これでは若者が希望を持てないのも無理ない。

3月24日(火)自主待機7日目。
オリンピックの延期決定の報道。誰の目にも明らかだったのにここまで引き延ばしたのは罪としか言いようがない。

3月25日〜28日
日付を思い出そうとするが覚えていない。時差ボケが全く治らず、朦朧としながら仕事を進めた。治そうとすると体調が悪くなるのでもう抗うのをやめ、そのうち治るのに任せることにする。突然中断されてしまったことに対して消化も切り替えもできず、そのせいか精神も身体も調子が優れない。しかし目前に積み重なった火急の課題を粛々とこなしていかなければ次の一手は見えてこない。
いずれ日本も感染が広がることは目に見えているので備蓄を貯えるためにネットで買い物をする。2度目なので心の準備だけは万端だ。そんな頃義理の親から精米機を贈ってもらった。古くなった玄米を精米してみたら驚くほど美味しかった。これは良い。
ヴェルコール『海の沈黙』を読み、フォード『リバティ・バランスを撃った男』『リオ・グランデの砦』を見たはず。オーソン・ウェルズの『フォルスタッフ』を観るためにMUBIという映画配信サービスに加入したが、見始めてみると素材が悪く、断念。
政府が和牛の「消費」を促す和牛券の配布を検討しているという。欧米各国が現金配布による支援を打ち出しているのに対し、伝染病多発の理由の一つであろう家畜の飼育を全く反省せず、単に商品としてダブついているからという理由で殺戮することを促す、呆れるほど愚かな案。さらに少なからぬ菜食主義者がいることを想像すらできないとは。人類は、狂牛病で、鳥インフルエンザで、豚コレラで何百万の家畜を殺傷しようがやめることはない。その上今回のパンデミックで人間を「家畜扱い」することに対しては警鐘を鳴らす。今更「科学者はこの事態を予言していた」とか「あの映画はコロナウイルス流行を既に描いていた」とか言われても、そんなこと何百年と前からわかっていたことで、全く耳を貸そうとしなかっただけだ。少しでも状況が変わることを祈るが、人類は果たしてそこまで「賢い」かどうか。ポジティブな未来の方に賭けるしかない。

3月29日(日)自主待機12日目。
志村けんが死んだ。つい先日の陽性の報道からの速さにまず驚く。私が志村けんを好きだったかどうかはわからない。私が見ていたドリフは再放送だったので—昔音響スタッフをやっていた父が現場でのいかりやの厳しさについていつも語っていたが—、リアルタイムでやっていたのは『加トちゃんケンちゃんごきげんテレビ』や『バカ殿様』、『だいじょうぶだぁ』だった。人並みに、あるいはそれ以上に好んで見ていたし、私が保育園で描いた自画像は志村けんそっくりだったから(私は意識的にそうしたのだ)、影響を受けていたのだと思う。今思えば「マッタケマン」などはしょうもなさすぎるし、クレージーキャッツの「ウンジャラゲ」をあんな形にしたのはいかがなものかと思う。その下品さ、下半身性はあるいは視聴者が求めたものだったのかもしれない。いずれ彼と肩を並べ、あるいは制御する人はいなくなってしまい、深夜枠でコント番組を始めた頃は流石に見ていられなくなった。私はそこで追うのをやめてしまった。ただ、こんな形で亡くなるとは思わなかった。いつまでもしょうがないコントをやっているんだと思った。入院する前はコロナでお客が減った馴染みの店に出かけていってお金を落とそうとしていたらしい。「一番いい人たちが行っちまうんだ」ってやつだ。言葉を失う。いまわの時に再会することも許されず、火葬されて骨さえ拾えない。あまりにも、あまりにもだ。

3月30日(水)自主待機13日目。
再び小池百合子の緊急会見。都知事はさておき、周りの専門家から定量的で論理的な話が出る。なぜ国からはこういう話し方をする人が出てこないのか。精神論とごまかしだけであとは自己責任というのか。

4月1日(水)
暦は四月になりようやく自主待機が明ける。しかし東京も感染が進んでおり遊ぶどころではない。それにもかかわらず駅前の雰囲気はさほど変わらなかった。スーパーでお籠り用品を揃えて帰る。