7/10-7/12

7/10
昼、ウェブサイトの作業。
夜、シネマテーク・フランセーズのオーソン・ウェルズ特集にて、晩年の『F for Fake / Vérités et Mensonges』を見にいく。ピカソやマティスの贋作画家 エルミア・デ・ホリー(Elmyr de Hory)、彼についての伝記を書いたクリフォード・アーヴィング(Clifford Irving)、アーヴィングが偽の伝記を書きウェルズが『市民ケーン』でモデルにしたハワード・ヒューズ、デ・ホリーが贋作を描いたピカソとウェルズの愛人オヤ・コダー、そして他ならぬ嘘の魔術師ウェルズ、という全員人を食ったような人たちによる、インタビュイーを捉えた映像と決して同じ画面に収まることのないインタビュアーの映像、「リアルな」映像と「フィクションな」映像が映画的編集テクニックによってひとつの確からしい映像となり、それが確からしくなった瞬間に嘘だとばらしてしまう宙吊りの世界(言うまでもなくこれは映画についての映画でもある)。その辺の現代美術を見に行くより面白いこのデ・ホリーというおじさん。マティスは数秒で大金を稼ぐんだ、ロックフェラーでもできないよ、とか言いながらマティスらしいドローイングを描きあげ、そのそばから「バイバイ、マティス」と言って暖炉で燃やしてしまう。このおじさんがピカソ風とかマティス風とかの絵を描いているのを見てると美術史なんか所詮はスタイルの問題でしかないのかと思わされてしまう。字幕付きで見直したいがDVD高いな……。

7/11
朝、なぜだか疲労が溜まっている体に鞭打ってマルシェ(マルシェかよ)。一週間分の食料を買い込む。
昼、グラン・パレのベラスケス展に会期終了間際の滑り込みで入る。パリに着いた頃からやってたのに、混んでるなあと思いながらいつの間にか忘却の彼方にあったのだ。勝手に『ラス・メニーナス』が見られると思い込んでた私はずっとそれを頭の片隅に置きながら見ていたため、あれ、ひょっとして無いのか、とがっくりきてしまったが(まあよく考えればそう簡単にプラド美術館から持ち出すわけがないだろうが)、これはこれで宮廷の肖像画家としての概要が見られて良かった。各地の美術館から借りた絵で参照関係を比較検証しているところが最近のヨーロッパのキュレーションの流儀なのだろうか。バルタサール・カルロスやマルガリータ・テレサの肖像画、『教皇インノケンティウス10世』、『鏡のヴィーナス』など。
夜、再びシネマテーク・フランセーズに行ってリチャード・フライシャー監督の『強迫/ロープ殺人事件 Compulsion / Le Génie du Mal』を見る。勝手に『絞殺魔』と勘違いしてて(最近多いな)全然猟奇殺人じゃないじゃないかと思ってた……。キメキメのショットの連続、突然狂人へと豹変する若者の顔、暴力的なドライブのオープニング・クレジット、緊張感の組み立てに冒頭から戦慄する。最後に突然オーソン・ウェルズが登場して全部持って行ってしまうオーソン・ウェルズ映画ではあるけど。
帰って夜中に大量のジェノベーゼペースト作る。うるさくてごめんなさい。

7/12
昼、三たびシネマテーク・フランセーズ。ジョン・ヒューストンによる『白鯨』の映画化。ヒューストンのロマンティシズムには割と同情的だけどこれはちょっと痛々しい。小説にあった「語り」の異常さが全く失われ、完全にコミック化してしまっている(もちろんコミックを馬鹿にしているわけではない。コミックとコミック化は全く違う)。ひどい天気の中たどり着くニュー・ベッドフォードのボロ宿屋で異教徒の銛打ちとベッドを共にするところから、完全にコミック。うまく撮れているとは思えない船、全く恐ろしくない鯨、狂気を感じない C-3PO みたいなエイハブ、これは『白鯨』ではない、これは全く別物なのだと自分に言い聞かせながら見たが全く乗れないまま白鯨との最終決戦へと至る。この時代に海上でのモンスター映画を撮った苦労は痛いほどよく伝わるし、モービィ・ディックを追うエイハブの執念のように『白鯨』の映画化に対するヒューストンの狂気は伝わってくるが、その狂気はあくまで妄執として、画面へと定着しないまま終わったように思える。メルヴィルのテクストを映画にするなら、相当な知的戦略を持って臨まないとエイハブのように海中に沈むことになるんだろうな。脚本のブラッドベリが全く生かされてないように思える(ヒューストンはエイハブを演じたかったんだ!と言う彼の動画が面白い。)。
夜、K原さんのお宅でアペロディナトワール(軽夕食会)にお呼ばれする。ワインもお食事も大変おいしくてつい飲み過ぎる。息子さんのK君(3歳)との銃撃戦で何度死んだことか。