8/21 チューリヒ国立博物館

何やかんや11時ぐらいまで作業してしまい、ホテルを出たのは昼時。トラムで中央駅まで行き、チューリヒ国立博物館(Landesmuseum Zürich)へ。スイスでは有名だという『ウルスリのすず』という絵本を書いた画家・絵本作家アロイス・カリジェ(Alois Carigiet)の特別展。映画版『ウルスリ』の撮影風景を記録した白黒写真を見て、思うことあり。常設展はタペストリーを中心とした中世美術、服飾の歴史、スイスの銀行、インテリアデザイン、人文主義と宗教改革(エラスムス、ゲスナー、ヴェサリウス、セバスティアン・ミュンスター、クリストフ・フロシャウアー……)、それにハンス・エルニ(Hans Erni)のスイス国家博覧会のための巨大な壁画、等々。ここまで来ないとわからない地元ならではのものが沢山あってとても良かったが、中でも人となりは不明のKarl Mitzkatという人の巨大な旅の写真帖が素晴らしかった。全ページがデジタルアーカイブ化されていて、写真、切符、地図等をレイアウトした上に地名が大きくレタリングされているもの。
しかし今度新しく建てられる拡張部分の建築が酷くて、今さらリベスキンドにでもなりたいのですかと問いたくなるジグザグした外見で、現状の19世紀の旧館の展示什器も既に一部そうなってしまっており、ここにも現代建築の悪しきスペクタクル主義がふりかかっているのだと思うと辛くなる。展示の方法を色々工夫していて新しいメディアもうまく取り入れているのはとても好感が持てるのだけど。こういう機械は某F国には無いよなあ、あっても壊れるしなあ、と呟く。

見終わると既に夕方なので、広場や教会、湖などを散策し、ギャラリーにてMと合流して湖畔の元スクワット倉庫街に出かける。そこで食事したり(とにかく高いので一番安いパスタ)昔Mがアトリエにしていた場所を教えてもらったりして、その後映画の野外上映を見に近くの駅までバスで移動。『学校への道』とかいうタイトルの、インド辺りのドキュメンタリー風短編で、映画自体はちょっとあれだったので早く終わってくれてよかったのだけど、駅前の広場にこれだけ多くの人が集まって夜映画を見るのは素晴らしいなあ、と思う。それにしても物価の高さが異常なのでどうやって暮らしているのか不思議だったので、Mに「もしマックで働いたら時給いくらぐらいなの?」と聞いたら「働いたことないからわからないけど、20〜25 CHF(2,600円〜3,200円)ぐらいじゃない?」と言われ、「でも他の国の人達は私たちがお金持ちだと思ってるけど、うちの家賃は30万円ぐらいで、医療費なんかも高いから副業しないと路上生活することになる。家賃は若い子とルームシェアしてなんとかなってるけど。」とのこと。どおりで物価が高いわけだ。つまりこの国で働いていない我々は、バイトしている学生より貧乏だということだ。

8/20 チューリヒへ

出発1時間前に仕事が終わり、パッキングは全て人任せにしてなんとかチューリヒ行き7時半の列車に乗り込む。車中では夜中の作業の覚醒状態が続いてあまり眠れず。バーゼルを過ぎると駅の風景は途端にフランスの流線形好み(なのかただユルいだけなのか)からカッチリとしたドイツ寄り(というべきかスイス的と言うべきか、私がスイスより先にドイツに来たことがあるというだけだが)のデザインとなり、書体はヘルベチカ系のグロテスク体一色、時計はMondaine、時刻表から何からちゃんとデザインされていて、ああ、そうだったよね、と安堵感に包まれる。

そうこうしているうちに出発から4時間経ち、チューリヒ駅に着いたが、「駅で」としか待ち合わせ場所を決めていなかった友人Mと無事にホームで落ち合うことができた。パリの寮でフランス語教室に最初に行った時から一緒だったが、3ヶ月後に先に帰ってしまった彼女は私にとって「スイスの母」であり、勝手に親近感を覚えていた。今回リヨン、マルセイユ方面への旅を考えていたところ彼女の展覧会がチューリヒであるとのことで、ちょうどよい機会だしスイスには足を踏み入れたことがなかったので今回やってきたのだった。駅のカフェで四方山話をし、中央駅からトラムでたった2、3駅の彼女のアトリエ兼住居まで案内してもらった。日本から妻が持ってきたお茶やら匂い袋やら折り紙やらをお土産に渡す。家にブロイヤーの「ワシリー・チェア」があったが、「買ったんだけど長時間座ると疲れるからあんまり座ってない」とのこと。しかし駅からトラムで数駅のアトリエを借りるなんて、家賃はどうなっているのか。

今日のオープニングのために準備があるMは買い出しに行くため、彼女と別れて我々はひとまずホテルに向かい、チェックインをする。トラム周りの券売機、路線図、電光掲示板、車両、社内モニタ、何から何までとにかく快適。しかし物価の高さだけは如何ともし難く、あらゆる物が2倍以上の物価である。着いてとりあえず食べた物は二大大手スーパー COOP のサンドイッチとマカロニサラダで、しかも金がないので二等分、であるが、このマカロニサラダが食べてるうちになんだかピリピリしてきて体が拒絶し始める。何が入っていたんだ。

少し時間があるので中央駅までトラムで行き、最も観光客の多いであろう道を歩き、キャバレー・ヴォルテール(中身はショップとバー?)でダダ・マップなるものを入手。その後大聖堂(Grossmünster)にてジャコメッティのステンドグラスおよび最近の芸術家が作ったステンドグラスを見て、Mの展示するギャラリーに向かう。パリで作った展示物+αで構成されていて、大方は見たことがあるものであったが、空間が違えば見え方も意味も全く違って、彼女の悪戯心が随所に仕掛けられた展示であった。まだこちらに来て1日だが、今あるものに少し手を加えて微笑ましいものにする軽やかな感覚がこの街にはあるような印象を受けた。

徹夜で疲れていたので今日は早めに帰ることにして、ギャラリーをおいとまする。帰り道に古本屋を見つけて、帰るわけもなくぶらぶらしたが、ところ変われば本屋も変わるわけで、地方の地図やらドイツ語圏の文庫本やら(インゼルの他に地元の出版社多し)、金があったら買い占めたい。

帰り、スーパーに行くために降りたトラム駅で山の手に上がっていく登山(登坂?)鉄道を発見。山に囲まれた立地といい、海ではないが湖畔にある街といい、坂道だらけのところをトラムが通っているところといい、どこか長崎に似ている。

8/14-19

8/14
終日仕事。夜、名古屋のKさんと妻のジュラシック話を肴に飲む。全く役に立たないだろう我々の人生アドバイスをありがたく聞く彼女。次に会うときは修士を卒業して何かしらの人生をスタートしているであろう。どて煮を食べながらビールを飲めるといいなあ。

8/15
寝坊してマルシェに行くも、ほぼ閉まりかけで嗜好品しか買えず(チーズ、ヨーグルト、果物、ソーセージその他)。そのままアンファン・ルージュのマルシェまで行って野菜買いつつクスクス食べる。店員さんがモロッコ人の友人に似てて懐かしい。
夕方、今月で帰ってしまうフラ語のメンバーとお茶をすることになって(本当はピクニックだったけど寒くて中止)、近所のカフェまで行く。帰ってしまうのはフィンランドのアアルト財団のおじさんE(なんとルイ・カレ邸のカタログに寄稿していた)、同じくフィンランドの版画・彫刻家のおじさんHの2人。それに先生と友人B、アイルランドのG夫妻も加わる。Hさんが先生に渡していたユーモアたっぷりのドローイングのプレゼントが素敵だった。先日ここを発ったAがプレゼントとして置いていった先生の「Bon(良い)」と「Mauvais(悪い)」のリストの中で、「悪い」に入っているコルビュジエの建築や近所の有名カフェに行き、「また私は罪を犯してしまった」と報告するHさん。すごく大きな体なのに小さなメモ帳をいつも使っていたEさん。北欧に行った時に会えると良いな。
夜、フランス式庭園を理解することとモダニティについて考える。私にはあれがわからないし、わかる気がしない(ファンクショナルなものだとは知っている)。しかし自国だからかもしれないが枯山水の庭は外国人に通ずるものがあると思う(Bonsaï=盆栽は私にもわからない)。これについては書き出すと止まらないのでまた今度にする。

8/16
仕事。
こちらも向こうも旅行に行くので、名古屋のKさんとお別れ。あれから3ヶ月経ったのか。光陰の如し。

8/17
仕事。
夜、ドイツ人の友人Mに誘われて夕食会へ。ホームレスに対する価値観の違いがうまく説明できず、なんかファシストっぽくなってしまった。バスクから帰ってきた友人Pと再会できたのが嬉しくて、ついつい飲みすぎる。

8/18
フラ語、仕事。夜、同じ賞で来てるM夫妻と最後の晩餐。彼らは今月末で一年間の滞在が終わる。5ヶ月の短い付き合いだったが四方山話に花が咲き、ついつい飲みすぎる。帰ったら彼らの住む小豆島を尋ねられたらと思うが、彼らもまたどこかに移動するだろう。

8/19
仕事。翌日早朝から旅行なので終わらせようとするが最後まで手こずって、旅行一時間前にようやく終わる。仕事ばかりしているとTさんに「馬鹿か」と言われそうだが、日本から持ってきたこれだけは終わらせないといけないし3月まで生きていけないのでしょうがない。
夕方、仕事を中断してこれだけは行かなければいけないと思っていたマレ=ステヴァンス通りの建物(彫刻家のアトリエ)の夏季限定公開に夕方行ってみるが、タッチの差で閉まっていた。城のようなアパルトマン。彼に対する私の評価はまたしても先延ばしになってしまった。

8/8-13

8/8-8/9
終日仕事。夜中にUP。

8/10
クリュニー美術館再訪。企画展が終わって常設展に戻っていたが見たことのない陶器の展示などがあり毎度ながら新鮮。修復前のノートルダムの彫刻を見ながら国語の教科書に出てきたミロのヴィーナスの腕の話を思い出す。サン・ジェルマン・デ・プレ教会、近所のサン・ジェルヴェ教会など回って教会建築の歴史を学ぶ。

8/11
フラ語。クリュニー、アレクサンドル邸の話など。
夕方、友人の紹介でフランスの女性Cに会いに行く。4か月前にコンタクトして、「忙しいからまた連絡する!」と言われてそのあと音沙汰なかったのだが、「フランス人は急かさないほうがいいよ」と別の友人に言われて、そのまま待ったら本当に突然「明日暇だから遊ばない?」との連絡が来た。行ったことがなかったのでチュミの設計で有名なラ・ヴィレット公園を彼女の犬と一緒に散歩することにした。
彼女の犬はなんと柴犬で、名前はベジータ。まさかパリで柴犬のベジータに会うとは思わなかったが、王子ではなくて王女だった。主に喋っていたのでよく見られなかったラ・ヴィレット公園だが、かの有名な「フォリー」(なんで有名なのかは忘れたが建築批評か何かを読んだのだと思う)は思ったより大きく、そして階段は封鎖されていた。知的な操作によって作られてるのはわかるがこういうことを建築でやるとどうも懐疑的にならざるを得ない。
近くに住んでいて昔ここの運河でガイドをやっていたLも参加して、セーヌ河だけじゃなく運河の脇でもやってたパリ・プラージュでビールとシャルキュトリー。Lの彼氏の日仏ハーフのIも合流。彼は数年前まで日本にいたが日仏の働き方の違いでストレスを感じ病気になり、自分が日本人ではないことを痛感したとのこと。フランス人には「みんなでひとつのものを作り上げていこう」という精神が全くないので残業したりノミニケーションしたりするのはあり得ないと言う。他の全ての仕事をやめてセビリヤに行きフラメンコをやるという彼から学ぶことは大きかった。

8/12
あくまで私の趣味ではないことを主張しておくが『ジュラシック・ワールド』を見にいく。思ったより酷くないが、少なからず出落ち映画である『ジュラシック・パーク』の4作目の続編である本作は恐竜がいることが自明となってしまっていてその迫力も恐怖もまったく画面に定着しておらず、これじゃ猛獣が動物園から脱走したのと変わらじゃないかという感じで、公園やメカのデザインもダサダサでいつの時代かまったくわからず、もうあと見るところはブライス・ダラス・ハワードを眺めることぐらいしかないのだけれど、「デブは死ぬ」の法則と日本人役のアジア系俳優の死にっぷりには笑わせてもらった。ラストショットを見て、やっぱり人間が動物の視点になって映画を撮ることなんぞ不可能だと確信した。

8/13
フラ語。『ジュラシック〜』の話をすると「スピルバーグにはニューロン3つしかないわ!」と言われる。「フォリー」の意味を建築家の人から聞くなど。
自炊疲れで冷蔵庫に何もないしミサワシュランオススメの南仏料理屋に食べに行く。混んでてなかなかオーダー取りに来ないのが難点だが、それはこの国ではどこでも一緒なので心を無にして待つ。初めて生ハムメロンのうまさに目覚めた。注文したワインがこなかったのでキャンセルすると、お詫びにメロン酒とアーモンド酒を出してくれたが、これが甘くて強くて味見だけで十分。次回は大人数で来てパスティスとムース・オ・ショコラに挑戦する。

8/2-8/7

8/2
バカンスに行ったドイツの友人Mが、弟が入れ替わりでやってきて部屋を使うとのことで鍵を預かっていたのだが、昼過ぎ頃連絡あり、弟Kがやってきた。昨日パリに着いていたのに兄貴と連絡がつかず、やむなくホステルに泊まったらしい。その名もPeace & Love Hostel。PeaceもLoveも無かったとのこと。兄貴、ちゃんと世話してやれよ。っていうかなんで俺がホストみたいになってるんだよ。まあいいけど。妻にも紹介がてら近所を散策する。自分の部屋のトイレを見て「フレンチ・トイレットじゃない!」って喜んでいたので、便座がないやつのことかと思っていたが、昨日入ったカフェのトイレが地面に穴が開いてるだけのやつだったらしく、それのことらしい。確かにあれは嫌だ。

8/3
夜、妻の歓迎パーティーをする予定で昼から食材を買いにあちこち動き回るがバカンスシーズン&月曜日で日本食材店が全くやっておらず、困る。結局K原さんのパーティーの時のメニューを真似してバンバンジーを作り、あとは妻が稲荷寿司を作る。なぜか一人だけドイツ人のKが参加することになったが、楽しんでくれたみたい。

8/4
寮の会計課(昼休み)、図書館(休み)、最寄の郵便局(休み)、別の郵便局、寮の会計課、調理道具系問屋、電化製品屋など回る。

8/5
昼間、近所にあるのに初めて行ったカルナヴァレ美術館にて「絵画で見るパリの歴史」的な展示を見る。写真が発明されるまでは絵が世界を記録していたことを思い出させてくれた。そして絵は写真より寿命が長いことも。数年前からおぼろげながら考えている制作のアイデアがだんだん具体化する。企画展のナポレオンとパリの展示は今度にお預け。
夜、先日のStudio Visitで紹介された日本人のSさんの部屋にお邪魔する。図らずも(?)武蔵美出身者が5人もいる会になる。ほぼ世間話で終始してしまったが楽しい会だった。知ってるだけで武蔵美の人がパリに10人近くいる。

8/6
フラ語教室。妻は初めて参加。授業後疲れたのでメトロに乗ってフォーを食べに行き、イタリア広場とムフタール通りを見ながら円形闘技場の遺跡(Les Arènes de Lutèce)へ。その後国立自然史博物館へ行って新古典主義臭のする大講堂(Amphithéâtre)やら温室やら見ていたら疲れてきてベンチで爆睡。暑すぎて植物園見る気にならず、退散する。
自炊疲れのため夜は近所のバスクバー。やる気が出る。

8/7
Free Center(携帯キャリアの店舗)に行くついでに同じ通りにあるエティエンヌ・ブレ(Étienne-Louis Boullée)のアレクサンドル邸(Hôtel Alexandre, 1763年建設)を見ることにしたが、Freeのすぐ隣、しかもなんとオフィスビルの中に保存されているという驚きの残し方だった。どおりでネット上の写真が全部同じアングルで手前にゲートのようなものが写ってるわけだ。中に入る手段はないものか。フランスには独特の「hôtel particulier」という建物のタイプがあるらしく、簡単に言えば使用人の部屋付きの都市邸宅といったところか。
帰りに行ったことのない日本食材店、Book-Off、HEMA(安いインテリア雑貨屋)などを通って帰る。初めて行った日本語本のBook-Offには誰が売ったのやら不思議になるような掘り出し物がたくさん。金井美恵子のエッセイと山下達郎、吉田美奈子のCDで締めて3ユーロ也。こちらに居ると日本のものが貴重に思える。

7/27-8/1 妻の到着とルイ・カレ邸

7/27
仕事。

7/28
仕事、買い物など。

7/29
妻到着のため朝からマルシェ、掃除、買い物などに奔走し、夕方CDG空港に向かう。人災的に乗り換えが酷いシャトレ=レ・アル駅ではなく比較的至便で途中ノートルダムを通ることのできるサン・ミシェル=ノートルダムの駅が工事で封鎖されており、足を伸ばしてクリュニーまで歩く羽目に。手荷物受取場が見える位置で待つが20時頃、無事に再会。ノートルダムなど紹介しながら帰宅。それにしてもフランスの建築の中で空港はかなり出来の良いところな気がする。全体像がつかめないのでデザインについてはおぼろげだが、機械がまともに動いているだけで少し感動する。

7/30
妻に近所の紹介がてらマレ地区〜レ・アル近辺を散策。夕方、歯医者。セラミックのクラウンの値段に愕然とする。チョコチップアイスさえ食べなければ……。もう笑うしかない。

7/31
午前中、K原さんと打ち合わせ。連絡手段もないため妻も連れて行って紹介する。ランチで一緒に行ったビストロで食べたRouget(ヒメジ)の焼いたのが美味しかった。帰りがけ、近くのパサージュ・ヴェルドー(Passage Verdeau)に連れて行ってもらう。ここは通りを挟んでパサージュ・ジュフロワ(Passage Jouffroy)、パサージュ・デ・パノラマ(Passage des Panoramas)とつながっていて、非常に長い連続した通りになっている。ジュール・ヴェルヌなど並ぶ古めかしい本屋のショーウィンドウを何気なく見ていたらエリゼ・ルクリュの『新世界地理 Nouvelle Géographie universelle』が並んでいる!オトレやゲデスとも直接/間接的に関係のあった人で、この人も19世紀後半の大偉人といった印象なのだが、生憎そこまでなかなか手が回らず掘り下げられなかったためまとまったモノグラフを読んでみたいところだった。そういえばこういうものもBnFで見られるのだよなあ。自分の想像力が貧困。
その後ギャルリー・コルベールにてInsel Verlagの本を買う。

8/1
午前中、マルシェ。午後、妻が来た時のために取っておいたアアルト(アールト?アァルト?どれが一般的なのか)設計のルイ・カレ邸(Maison Louis Carré)を予約していたため向かう。ここはパリではなくイル・ド・フランスにあり、土日しか訪問することができない上、最寄駅から1日数本しかないバスで行くか(しかも日曜は全面運休)、タクシーで行くしかない。しかし最寄駅まで向かう肝心のRER(近郊鉄道)C線が毎年恒例、夏季大工事の「カストール計画(Castor=ビーバー)」のためパリ市内で一ヶ月規模の運休。メトロでJavel駅まで行ってそこからRERに乗り換えるしかない。マスコットキャラクターのビーバーの可愛さでごまかそうとしてるが、毎年そんなに工事しなきゃいけないこと自体おかしくないかと思いつつ、少し時間の余裕を持って向かう。
Javelに着いたはいいが、RERの本数も減らされているため乗れた電車が乗り継ぎバスの発車時間5分前に着くとのこと。しかしまあ5分あればなんとかなるだろうと心を落ち着けながらRERに揺られる。30分ほどすると時間通り最寄駅の Saint-Quentin-en-Yvelines 駅に着く。さてバス停はどこだと探すが、該当するバスの発車ホームが地図に記載されてない!とりあえず外に出てみるがまったくわからない!戻ってみるがやっぱり地図にない!嗚呼、フランス、さもありなんと思ってバスに乗ることを諦めてタクシーを探す。
タクシー乗り場に着くが(想像通り)タクシーは一台もいない。乗り場の構造物にアナーキーに貼り付けられていたタクシー会社のシールの番号に電話してみるが、もともと聞き取れないフランス語が電波が悪すぎて全く何言っているかわからない(こちらのタクシーはスマホと車内マイク?が連動していて、運転しながら顧客と電話する仕組みになっているのだが、携帯の電波によってノイズがひどかったりする。果たして携帯電波を使うことがいいのかどうか)。とりあえず駅にいてルイ・カレ邸に行きたいんだという主張だけして切る。20分待ってと言われたような気がするが確信なし。
大通りらしき方に出てみて流しのタクシーを探すが15分経ってもものの1台も通らない。諦めかけて駅の方に戻ると、なんとタクシーらしきものが止まっている。話してみるとOKとのことで、ようやくルイ・カレ邸に向かうことができた。
先日納品で行った時のようにど田舎を疾走するタクシー。「お前らバカンスで来たのか」と言われたが、ここはその目的で来る人が多いらしい。途中、「ジャン・モネ邸」と書いてある看板の前を通ったので「ジャン・モネって誰?」って聞いたら「画家だ」と言われた。絶対違うと思いつつタクシーに揺られるとルイ・カレ邸に着いた。
10分近く遅刻していたため、既にツアーは始まっており、かなり駆け足のガイドで「はい次の部屋、はい次の部屋」という感じであっという間に終わってしまった。その後は個人的に見て回ること叶わず。気も焦っていたので味わえなかった。プレイリー・スタイルのような長い庇、モダニスティックな水平屋根から脱却するような斜めの屋根に湾曲した天井、収納/開閉可能なブラインドや回転する鏡。
せっかく来たので周りに何かないかと思ったら目の前にさっきの「ジャン・モネ邸」が。なんだか宮崎某が好きそうな欧風茅葺屋根の家で、外観のシンプルな印象とは裏腹に中はかなり何がしたいのかよくわからないごった煮インテリア。で、「画家だ」と言われたジャン・モネさんは欧州統合の父と呼ばれる著名な政治家だったそう。帰りのタクシー(同じ運ちゃん)で「画家じゃなかったよ!」と言ったら「あ、画家はクロードか。ジャンもクロードも一緒だよ!」と言われた。っていうかあんた地元のタクシーじゃないのかい。
意外にも早く帰ることになったが、Javelのメトロが大混雑して駅に入れないぐらいだったので(ヴェルサイユからの客がみんなJavelで降ろされるため)貸自転車を借りて帰ることに。サスペンションが悪すぎて走りづらい。色々こだわりがあってうるさいと言われる私だが唯一自転車はなんだっていいのだけれど、さすがにこれで石畳はつらかった。

7/21-26

7/21
Studio Visit があるため諸々準備。夕方より寮のコミュニケーション担当のCが来訪。実は最近歯を折った仲間なのだが、今やっていること、考えること、これからどうしようかと思ってるかなどを話し、何人かのレジデントを紹介してもらう。何か質問ないかっていうから歯はどうなった?って言ったらもう一本悪くしたとのこと。
Studio Visit が終わって晴れてタスクから解放。夜はいつもの友人らでセーヌ川飲み。スペインのジョークを聞いたら超下ネタだった。ちなみに先日聞いたフランスのも超下ネタ。

7/22
仕事、発表準備など。夜、ジョン・ヒューストン『イグアナの夜』をiTunesで見る。前者はヒューストンのロマンチシズムと中途半端さがうまく機能したように思える。ダミ声のエヴァ・ガードナーも悪くない。近所の店にはラム・ココなんて売っておらず、しょうがなくコロナ飲みながらもう一本『王になろうとした男』を見る。なんつうか、衣装、美術、撮影のシャープさからして画面が全くヒューストンっぽくないのだが、でも撮影監督は『白鯨』と一緒らしく、この違いはなんなのだと疑問に思わされる。原住民を嬉々として殺しまくるモラルの問題以外は悪くない。

7/23
午前中、フラ語。いつもの友人たちが来週月曜に出て行ってしまうため、お別れパーティーとして寮のモンマルトル別館でBBQやるよ、と言われていたのだが、夜だろうと思ってると16時に呼び出しがかかる。そんな昼から飲んでいいのか俺、と思いながらひょこひょこ出かけて行き、うっかり飲む。チリの友人がホストのためBBQも本格的。いつも通り友人のPが泥酔し、こんなに面白く泥酔するやつも珍しいので笑えてしまうのだが、もう再起不能っぽいのでチリの友人宅に置いてくる。彼女もあきれている。初めてタクシーで帰ったが夜風が気持ち良かった。

7/24
隣人のドイツ人Mが「コンピューターと芸術について話さないかい」と言っていたので、夜スタジオにお邪魔してHTML+CSS講座(おい)、お互いの作品紹介と意見交換をする。まだまだ英語でうまく喋れませんわい。

7/25
夕方、フラ語で知り合ったオーストラリアの友人Aが帰国するので、フラ語のコアメンバーでお茶。オーストラリアとアイルランドの英語のやり取りにフランス訛りの英語が加わってもうほとんどわけがわからなかったが、昨今のスコセッシとウディ・アレンはあかん、という話とタランティーノってどうよ、みたいな話で盛り上がっていた。個人的にタラちゃんは『ジャッキー・ブラウン』と『デス・プルーフ』は良いと思うのだが、ヨーロッパの人々には映画をジャンクフードとして考えられない模様。

7/26
朝から日本の納品対応、昼からエレクトロニクス講座でのフランス報告 via Skype、夕方からシネマテーク・フランセーズにてウェルズ『黒い罠』、ヒッチコック『汚名』。あんな可愛いイングリッド・バーグマンを元ナチの家に潜入させて結婚までさせるなんてケイリー・グラント許せん!とか思ってしまったが素晴らしい二本でありました。ヒッチコックがフィルムで見られるなんて幸せ。でもバーグマンに毒まで飲ませるなんて残酷なことするなあ。『黒い罠』はディートリッヒが出てくると途端に画面がファスビンダーっぽくなる。ヘンリー・マンシーニの音楽が素晴らしい。

7/16-7/20 ナンシー、クロワ

7/16
風邪が治らないため Studio Visit を延期にしてもらう。借りてたプルーヴェの本を返すためにフラ語に顔を出したら「寝てていいのに」と言われる。「se coucher」を覚える。
寝てるわけにもいかず、友人に勧められた喉スプレーを買って、暑さと微熱に朦朧としながら終日作業。

7/17
朝起きたら割とよくなっていて、だからというわけではないがもともとの予定でナンシー行きのTGVに乗り込む。セール特割の一級席を買ったのに、売れ行きが悪かったからか車両が小さいのに交換されたようで、自分の番号の席がない。スタッフに聞くと「どこでもいいから座れ」と言われる。なんで一級車を予約したのにそわそわしながら乗らなきゃならんのか。
ナンシーに着いて、次から次にやってくる駅の物乞いの多さにおののくが、街に出てみればそこはまるでブリュッセルのようにアールヌーヴォーの街並みが続く。なんだろう、パリ以外の街に来た時のこの安心感……。本当にパリって異常なんだな。そんなことを思いながらナンシー美術館(Musée des Beaux-Arts de Nancy)の方面に歩くと突然ロココ調の貴族趣味の広場が現れる。ナンシー美術館にはジャン・プルーヴェのコレクションを見に行ったのだが、特別展でオルセー所蔵の自画像展がやっていたせいか、展示場は狭め。目新しいものはペリアンとの協働である Les Arcs の円形ホテルの模型。しかしジャン・プルーヴェのお父さんであるヴィクトル・プルーヴェの絵に思いがけず出会い、父親がナンシー派の芸術家だと知らなかった私には目から鱗が出る思いであった。
その後、ホテルに荷物を置くのに失敗したり(アパートホテルのため昼間はレセプション不在)、韓国の友人に電話したりしながら駅の東から西に移動してナンシー派美術館(Musée de l’École de Nancy)へ。途中ルイ・マジョレル邸を通ったが今日は訪問できなかった。ナンシー派美術館はとても小さい美術館だが、ガレ、マジョレル、ヴィクトル・プルーヴェらの作品があくまで空間全体を作り上げる総合芸術の一環として、作り上げられた部屋として展示されている。そのため美術館はいくつかの幾つかの部屋=生活空間に分割され、部屋から部屋に移動すると別の人の家に入り込んだかのようだ。私は父プルーヴェの絵に見惚れるばかりで、受付で図録の有無を聞くも、無いとのこと。ナンシー美術館にもジャン・プルーヴェの良本が無いし、絵葉書すら無いし、君たち商売根性無いのかね。
ホテルに戻ってチェックインしたが、部屋が灼熱のためシャワーを浴び、外へ。貸自転車で Porte de la Craffe(14世紀の城門) 近くまで行って、ビール飲んで帰って寝る。風邪引いてるのも忘れる暑さですっかりよくわからなくなって、ホテルにて12時間爆睡。

7/18
本当はメッスまで行きたいところだったが風邪っぴきだし遅起きのため諦める。Yelp で調べたレストランに行ってみたら観光客向けじゃないところのようで安くておいしかったのだが、何にでも時間がかかるフランスらしく早く出ることができなかったため、タクシーでプルーヴェ邸に行くことに。しかしタクシーも15分近く来ず(店員に「なんで?」と言ったら「怠け者なんだろ fainéant」と言われたが)、5分遅刻でプルーヴェ邸に到着。しかし「満員だから次の回の16時まで待て(現在14時40分)」と断られる。しかしそこは中心部から外れた高台にある住宅地で、見渡しても Google Maps で見ても周りに何もない。ぶらっとその辺りを一周するも何も発見できないので住宅へのアプローチで腰掛けて待つことに。同じく断られて帰ってきた人たちと話したら「次は16時半だって言われた」という人と「15時半だって言われた」という人がおり、私は16時だと言われたしパンフレットにもそう書いてあると言うと、彼らは「じゃあもう一回聞いてくる」と言って聞きに行った。すると「公式情報が間違っている。16時半だ。」と言われたらしく、「ああ、フランスではありえるわね。じゃあ我々は一回帰るわ」といってみんなわらわらと帰って行ってしまった。私は帰る手段もないので待つよ、と言って腰掛けて待っていると、16時前頃に別の人々がわらわらとやってきて、どうせ断られて引き返してくるんだろうと思って待っていたが一向に帰ってくる気配がない。不安になって行ってみると16時にツアーが始まった。もはやフランス人なんて誰も信じられない。しかしグループが2つに分けられ、後発組になった私はエントランスで30分説明を聞く羽目に。そうこうしているうちに帰って行ってしまった人たちも戻ってきて結果オーライ。全くこの「情報が間違ってる」「自分の言うことに責任を持たない」「言ったやつが悪いから組織の責任ではない」(ついでに「機械が動かない」)「時間通りに何もできない」の悪循環はなんとかしようと思わんのかね。
プルーヴェ邸は住人がいる為土曜日の2回しか訪問できず、内部は撮影不可。ペリアン作の本棚、コルビュジエ調のタイルがあしらわれた暖炉、1mごとにユニット化された建材、ナンシー美術館にあったのと同じ穿孔パネル壁。初めて訪れることのできたプルーヴェ建築にコルビュジエ、ペリアン、ジャンヌレとの比較を考えさせられながら帰路に着いた。

7/19
寮をチェックアウト後、うちに荷物を預けて3週間のフランス旅行に行っていた階上の住人HとJが帰ってきたのでそれを引き渡し、夜Jのライブがあるとのことで観に行く。会場はバーの地下で、聴きたい人だけ聴きに行く仕組み(料金はお皿に5ユーロ置くだけ)。今日はジャズインプロといった風情だったがそれはそれとしてとてもよかった。いつも違う顔をみせるな彼は。ネズミが外から入ってくるバーの中で遅くまで喋り、今夜は寮の別の部屋に泊めてもらうというので一緒に帰ってきてお別れ。勝手に私の精神的な支柱にしていた2人がいなくなるのは自分の一部が喪失するかのようで、部屋で落ち込む。しょうがないので飲む。

7/20
早朝ベルシー駅に向かい、初めて乗るIDBusでリールへ。片道9ユーロ〜15ユーロの安さ。リールくんだりまでTGVなんか乗るのがバカバカしい。
リールに着いたらトラムに乗ってクロワ(Croix)のカヴロワ邸へ行く。ここは6月に新しく公開されたところで、ロベール・マレ=ステヴァンによる富豪向けの邸宅である。ナチの占領、スクワット(不法占拠)によりインテリアの85%が破壊されていたところをほとんど考古学の域の修復によってピカピカになって公開された。フランス語の先生の勧めによってやってきたのだが(彼女にとってコルビュジエはファシストで、プルーヴェとペリアンとマレ=ステヴァンは素晴らしい、という。後者3人の評価が不当に低いのは認める。)、地べたに張り付いたようなそのマッスはヨーゼフ・ホフマンのストックレー邸に類似し、内装は分離派とアール・デコの折衷、それにフランス式庭園が付いているといった風情で、良くも悪くもフランスっぽい。外光とその色に気遣うように作られた照明周りの窪みや内壁の色使いは受動的で素晴らしいと思う。建設当時言われていたようにヴィラというよりシャトー。だがブルジョワ趣味の現代ホテルのようになってしまっている内装は、オリジナルの忠実な復元と考えてよいのか、修復の限界なのか、ちょっと私には判断不能。それよりも興味深いのは地下空間で、当時のまま残されている機械類はこの家がとても機能的にできていたことを想起させられるし、面白いのは当時の建材がガラスケースに入れられて展示されていて、さながら考古学博物館の展示のようだ。ガレージで上映されていたドキュメンタリーを含め、修復されたものはあくまでオリジナルとは別物として考える必要があることを考えさせられる場所だった。なぜか餃子を食べて再び IDBus で帰宅。

7/13-7/15

7/13
終日作業。トリリンガルのウェブサイト、思いの外データ打ち込みがしんどい。

7/14
終日作業。
夜、といっても23時だが、革命記念日の花火を見に行く。ヴェリブ(貸自転車)でエッフェル塔まで行こうと誘ってくれた友人は、昼間に行った人の情報で既に諦めたとのことで、ごく少ない友人でテュイルリー近くの岸辺まで。ルーブルの中庭からの方がよく見えた。およそ30分で終了。

7/15
ずっとそんな気がしていた風邪が本格化する。夏風邪というべきか、なんというべきか。
しかし仕事と明日のスタジオ・ヴィジットがあるので寝てるわけにもいかず、終日作業。
金曜のナンシー行きまでに全て終わって風邪が治るかどうか。

7/10-7/12

7/10
昼、ウェブサイトの作業。
夜、シネマテーク・フランセーズのオーソン・ウェルズ特集にて、晩年の『F for Fake / Vérités et Mensonges』を見にいく。ピカソやマティスの贋作画家 エルミア・デ・ホリー(Elmyr de Hory)、彼についての伝記を書いたクリフォード・アーヴィング(Clifford Irving)、アーヴィングが偽の伝記を書きウェルズが『市民ケーン』でモデルにしたハワード・ヒューズ、デ・ホリーが贋作を描いたピカソとウェルズの愛人オヤ・コダー、そして他ならぬ嘘の魔術師ウェルズ、という全員人を食ったような人たちによる、インタビュイーを捉えた映像と決して同じ画面に収まることのないインタビュアーの映像、「リアルな」映像と「フィクションな」映像が映画的編集テクニックによってひとつの確からしい映像となり、それが確からしくなった瞬間に嘘だとばらしてしまう宙吊りの世界(言うまでもなくこれは映画についての映画でもある)。その辺の現代美術を見に行くより面白いこのデ・ホリーというおじさん。マティスは数秒で大金を稼ぐんだ、ロックフェラーでもできないよ、とか言いながらマティスらしいドローイングを描きあげ、そのそばから「バイバイ、マティス」と言って暖炉で燃やしてしまう。このおじさんがピカソ風とかマティス風とかの絵を描いているのを見てると美術史なんか所詮はスタイルの問題でしかないのかと思わされてしまう。字幕付きで見直したいがDVD高いな……。

7/11
朝、なぜだか疲労が溜まっている体に鞭打ってマルシェ(マルシェかよ)。一週間分の食料を買い込む。
昼、グラン・パレのベラスケス展に会期終了間際の滑り込みで入る。パリに着いた頃からやってたのに、混んでるなあと思いながらいつの間にか忘却の彼方にあったのだ。勝手に『ラス・メニーナス』が見られると思い込んでた私はずっとそれを頭の片隅に置きながら見ていたため、あれ、ひょっとして無いのか、とがっくりきてしまったが(まあよく考えればそう簡単にプラド美術館から持ち出すわけがないだろうが)、これはこれで宮廷の肖像画家としての概要が見られて良かった。各地の美術館から借りた絵で参照関係を比較検証しているところが最近のヨーロッパのキュレーションの流儀なのだろうか。バルタサール・カルロスやマルガリータ・テレサの肖像画、『教皇インノケンティウス10世』、『鏡のヴィーナス』など。
夜、再びシネマテーク・フランセーズに行ってリチャード・フライシャー監督の『強迫/ロープ殺人事件 Compulsion / Le Génie du Mal』を見る。勝手に『絞殺魔』と勘違いしてて(最近多いな)全然猟奇殺人じゃないじゃないかと思ってた……。キメキメのショットの連続、突然狂人へと豹変する若者の顔、暴力的なドライブのオープニング・クレジット、緊張感の組み立てに冒頭から戦慄する。最後に突然オーソン・ウェルズが登場して全部持って行ってしまうオーソン・ウェルズ映画ではあるけど。
帰って夜中に大量のジェノベーゼペースト作る。うるさくてごめんなさい。

7/12
昼、三たびシネマテーク・フランセーズ。ジョン・ヒューストンによる『白鯨』の映画化。ヒューストンのロマンティシズムには割と同情的だけどこれはちょっと痛々しい。小説にあった「語り」の異常さが全く失われ、完全にコミック化してしまっている(もちろんコミックを馬鹿にしているわけではない。コミックとコミック化は全く違う)。ひどい天気の中たどり着くニュー・ベッドフォードのボロ宿屋で異教徒の銛打ちとベッドを共にするところから、完全にコミック。うまく撮れているとは思えない船、全く恐ろしくない鯨、狂気を感じない C-3PO みたいなエイハブ、これは『白鯨』ではない、これは全く別物なのだと自分に言い聞かせながら見たが全く乗れないまま白鯨との最終決戦へと至る。この時代に海上でのモンスター映画を撮った苦労は痛いほどよく伝わるし、モービィ・ディックを追うエイハブの執念のように『白鯨』の映画化に対するヒューストンの狂気は伝わってくるが、その狂気はあくまで妄執として、画面へと定着しないまま終わったように思える。メルヴィルのテクストを映画にするなら、相当な知的戦略を持って臨まないとエイハブのように海中に沈むことになるんだろうな。脚本のブラッドベリが全く生かされてないように思える(ヒューストンはエイハブを演じたかったんだ!と言う彼の動画が面白い。)。
夜、K原さんのお宅でアペロディナトワール(軽夕食会)にお呼ばれする。ワインもお食事も大変おいしくてつい飲み過ぎる。息子さんのK君(3歳)との銃撃戦で何度死んだことか。

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