カテゴリー別アーカイブ: diary

5/17 アル=ケ=スナン

昨夜はヴァン・ジョーヌを痛飲し、韓国の友人に日本のギャグを教え続けた。
早朝、ブザンソンの街を一周し、朝飯など買い漁った後、アル=ケ=スナン(Arc-et-Senans。アルケスナンとも綴られる)に向けて出発する。アル=ケ=スナンはアルク村とスナン村の間にできた王立製塩所(Saline Royale)の跡があるところで、建築史的にはクロード・ニコラ・ルドゥー(Claude Nicolas Ledoux)が労働者の居住区から刑務所までも組み込んだ職住近接の完結した生産都市として設計した半円状の都市として有名なところで、革命後に自らの建築論を理論化させた際にはその集大成となる円環状の理想都市ショー(Chaux)のモデルとして昇華したことでも知られている(しかし実際はここはこことして完結した計画であった)。私は10年前にここに来ようとして失敗してリヨンに行ってしまったので、今回はリベンジとなるが、慎重に電車を乗り継いで無事にたどり着くことができてホッとした。
ここに限らず、ここからスイスの国境近くまでの一帯はフランスの製塩戦略(当時塩は「白い黄金」と呼ばれた)によっていくつも製塩所が作られた地域で、その一帯が世界遺産として登録されている。製塩所の入場門を兼ねる建物は、遠くから見ると古典的な列柱が並んだ建物に見えるが(それでもその簡素さは異様だ)、それをくぐると門扉の周りが洞窟を思わせるようなごてごてとした粗暴な石で固められている。そしてその両サイドには塩を含んだ水が流れ出す湧き水のような意匠が施されており、これはまるでディズニーランドかスーパー銭湯のようなキッチュさギリギリの意匠であるが、その迫力・凄みは遥かに違う。幾何学的形態、あるいは「モデル」へと極度に単純化されたギリシャ的な古典様式と、現在から見るとなんとも直喩的な表現との同居が、微笑みと解決できないわだかまりを喚起し続ける。
建物内部はルドゥー博物館と、世界の製塩史の展示、この場所の記憶の展示、ホテルなどに充てられており、ダイナマイトで爆破されたという管理人棟の中身や、鹹水製造所の構造は全く違うものになっていると思う。ルドゥー博物館以外の展示は正直イマイチで、当時の製塩の方法がどうだったかはよくわからない。むしろ無い方がいい。それでもルドゥー博物館にある模型の数々は他にないもので、建築家を知るには良い場所であると思う。製塩の歴史を知りたいならサラン=レ=バンの大製塩所に行った方が良いのだろう(行ってはいないが)。
製塩所を後にするが、信じがたいことに次の電車まで5時間近くある。何度も調べるが、やはり5時間あるのだ。そしてこの駅には本当に何もない。食事処は製塩所の目の前にあるカフェレストランぐらいしかない。この店は(日本語だから書いちゃうが)正直コスパが悪い。しかし選択肢はないのだからしょうがない。食事しながら皆のリサーチ能力(スマホ)を結集して見つかった唯一の時間つぶしは近くの川まで歩くことしかなかったので、永遠に続きそうな一本道を歩いて川まで行ったが、川は深い緑色に濁ったなんともない田舎の川であった。ここは車で来るところだ。
夕方にブザンソンに戻り、TGVで21時頃パリに辿り着く。リヨン駅から寮まで2駅なのがありがたい。電車で寝すぎて眠くないので調べ物などしてから眠る。良い旅だったが、待ち時間と移動時間が長すぎて、疲れた。

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5/16 ロンシャン再び

5/16
友人6人で2日間の小旅行へ(チケット合計30枚!)。1日目はロンシャンのノートル・ダム・デュ・オー教会が目的地。およそ10年ぶりで、前回はリュール(Lure)の駅からタクシーで飛ばしたが、SNCF(国鉄)の検索・発券の機能が充実したためチケット購入が格段に容易になり、おそらく世界遺産関連で教会のウェブサイトなんてものもできたため、最寄りのロンシャン駅から歩いて行くことに。4時間以上もの時間をかけて到着したロンシャン駅は相変わらず無人駅でホッとしたが、前回娘さんに英語を教える羽目になったカフェレストランはいまだ健在で、少し新しくなった気さえする。そこが唯一の食事処でケーキを夕食にした記憶があるが、今回はケバブ屋が進出していて、ケバブの感染力に驚いた。花の季節で日本にはない色鮮やかな花が咲いていたのが嬉しい。清里にでも来た気分だ。
そうして記憶を確かめるように教会までの道を歩くが、前回はタクシーで登った山道が、思いのほか長くてまるで登山のよう。皆苦笑いを浮かべる。私はどこかに旅行するたびに登山する羽目になっているような気がするが、嫌ではない。
ようやく上に辿り着いてみて一番驚いたのが、レンゾ・ピアノ設計のビジター・センター兼修道院が完成していて、アプローチ周りがまるで変わっていたこと。丘を水平にくりぬくように作られているので教会からはあまり見えないようになっているのだけど、静閑として知る人ぞ知るマニア向けスポットという感じだった10年前と比べると、はるかに近代的なツーリスト向けスポットになったという印象。
10年ぶりの教会は、2回目でも楽しめるか少し心配だったのだけれど、角を回り込んだり視点を変えてみるたびにある視覚的な驚きに満ちていて、十分に新鮮だ。まるで公園で遊ぶように見ていける。これをアナログな模型や図面だけでシミュレートすることが可能なのか。そしてまた各所に使われるモデュロールへの驚き。陳腐な言葉だがやはり最高傑作のひとつだろう。
夜はヴズル(Vesoul)駅からバスに乗ってブザンソン(Besançon)へ。10年前にアル=ケ=スナンに行く電車を間違えてリヨン行きの急行に乗ってしまい、その日中に帰ってこれず、結局ここには荷物だけが泊まった記憶が蘇る。何もかもが懐かしい。

Exif_JPEG_PICTURE La gare SNCF de Belfort (Henri Pacon, 1937)

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10年前に入ったカフェレストラン。

Exif_JPEG_PICTUREChapelle Notre-Dame-du-Haut, Ronchamp (Le Corbusier, 1955)

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Le campanile de la chapelle Notre-Dame du Haut (Jean Prouvé, 1975)

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La Porterie et La Monastère (Renzo Piano, 2011)

Exif_JPEG_PICTUREThêatre de Besançon (Claude Nicolas Ledoux, 1784)

5/15 装飾芸術博物館

午前中に空き時間があったため、I見氏と早起きしてシャンティイ城へ行こうとするが、寝坊のため不可能と判断し、急遽ルーヴル宮の中にある「装飾芸術博物館(Musée des Arts Décoratifs)」へ。インテリア、モードとテキスタイル、宝飾の3つの博物館が入っていてセット券で回って見られる。ここのことは全くノーマークだったのだけれど(ルーヴル宮は普段敬遠しているので……)椅子のコレクションや、ボタンから見るフランスの服装の変化の展示が素晴らしかったが、中でも普段全く見ない宝飾の博物館にあったルネ・ラリックをはじめとしたジャポニスムの作品がひときわ衝撃的だった。

午後はE後氏とベルヴィルのギャラリー周り。ヨーロッパのギャラリーがなんでこんな思いつきで作ったような作品で成り立っているのかピンと来ず。本当にピンキリなんだろうが、いまだにピンが見当たらない。わかったところでそれに乗っかろうとは思わないけど。

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Exif_JPEG_PICTUREシェーンベルグがトランプやチェス、ゲームの類を作っていたとは知らなかった。超・高感度アップ。

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5/13-14

5/13
韓国の友人に誘われて急にヴェルサイユ宮殿に行くことになり、昼過ぎから出かける。ベルばらも読んでないし特に感慨もなく、ただ広くて豪華でそりゃあ革命も起きるわな、と思う。
夜は韓国の友人がトッポギとキムパブ(海苔巻き)を作ってくれた。トッポギには乾麺とワンタンか餃子のようなものが入っていて、いろんなレシピがあるのだという。うまいが、辛い。

5/14
祝日(昇天記念日?)らしい。昼頃、自分の部屋のWiFi電波が最悪だという韓国の友人が、確定申告のためにネットを使いに来る。彼女の教授も同じレジデンスにサバティカルで来ているのだけど、教授は確定申告のために一度韓国に帰るらしい。飛行機代の方が高いんじゃないのか。
15時頃からI見氏も含めクリュニーの中世美術館に出かけることにするが、出がけに大雨が降ってくる。ちょうど近くにあったM澤氏オススメのエビワンタンヌードルの店で雨宿り。確かにどこのものともしれない偽中華料理が跋扈するパリの中ではとても上品な味だったが、ポーションが少ないなあ……。
1年ぶりのクリュニーでは、初めて『一角獣と貴婦人』とご対面が叶った。私にとってはここに来ると「パリに来た」と感じられる、懐かしくて落ち着く場所である。
夜はI見さんのためにベルヴィルまで餃子を食いに行くが既に長蛇の列で、フランス語教室の友人が言っていたサンマルタン運河のちょっと高めの店で肉を食べた。ベルリンでケバブばっかり食べているI見さんは感動していた。

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5/9-12 OFII

5/9
午前中、マルシェ。
午後、コルビュジエのラ・ロシュ邸(Maison La Roche)とナンジュセール・エ・コリ通りのスタジオ・アパート(Appartment-Atelier)へ。前回来た時はスタジオ・アパートは中に入れなかったのか、曜日が悪かったかわからないが、今回初めて入れた(少なくともラ・ロシュ邸とのセット券なんてなかったと思う)。今回パリ各地を訪問していて思うが、10年ほど前に比べて情報へのアクセスが格段に良くなっており、ネット上で藁をもつかむ思いで情報を探していた時とは比べ物にならないぐらい、あっけなくマニアックな場所に入れたりする。そもそも当時スマホなんかなかったし、海外でマップアプリなんて使えるわけはなかったから、今思えばそれなりに鍛えられたと思うけれど、もはやそんなサバイバル力要らないのねえ。
ところで初めて入れたスタジオ・アパートはとても良かった。マンションであってもこんな家に住めたら何も文句はない(どこかに行く度思っているが)。

5/10
終日作業。

5/11
いよいよ移民局(OFII)へ行って滞在許可証(Carte de Séjour)をもらう為の手続きをする日。それにしても3日前にいきなりメールで呼び出すとは随分急だ。通るまでろくに予定も立てられない。
9時に来いと書いてあるので8時20分頃から並ぶが8時30分頃に中に入れられ、健康診断が始まる。移民局の悪口は人伝に色々聞いていたしネット上でも散見されるが健康診断のスタッフは割と親切で、冗談混じりに説明してくれる。身長、体重、視力検査(アルファベを読み上げる方式なのね)、レントゲン、問診と予防注射歴(Google翻訳で問診内容を日本語に翻訳した画面を見せられるのには笑った)などを済ませ、なんだ、意外とスムーズに行くのか?と思いきや、最後の発行手続きの審査でつまづく。「領収書はないのか?電話か、ガスか、電気の領収書だ。聞こえたのか?領収書!」と言われるが、こちとら大学が全部持ってくれてるのでそんなものは存在しない。携帯のSIMカードのレシートぐらいしか無いが、そんなものきっとダメだろう。とりあえずまた来ると伝え、腹を立てながら帰る。
レジデンスに帰って秘書課のマダム・Dに伝えようと思うが、ずっと電話で喧嘩気味に話している。この人に話すのが一番手っ取り早いのだが、しょうがなく隣のスタッフに「領収書が要るって言われた」と伝えると、「経理に行って発行してもらって」と言われ、経理に行くが「あなたは何も払ってないから発行できない。もう一回秘書課に行って、責任者のマダム・Dに聞いて。彼女しかダメ。」と言われる。わかったと言って再び秘書課に行くと、責任者のマダム・Dは依然電話で口論中。しょうがなくスタッフに伝えると「どの経理が言ったの?」と聞かれ、電話をかけて口論が始まる。数分後、結局領収書の発行はできないと言われ、「レセプションで居住証明書(Certificat de Domicile)を発行してもらってそれで試してみて!」と言われる。それでいけるのかわからないので責任者のマダム・Dに確認したいのだけど、とりあえず発行してもらおうと思ってレセプションに行く。そうしたら「じゃあ午後に来て」と言われる。まあ焦っても仕方ないので部屋に戻って15時頃行ってみると「16時に来い」と言われる。偶然会った声楽のMさんと犬の散歩に行ってから16時にまた行くと「17時に来い。マダム・Dは忙しいのよ」と言われる。この時点で今日のOFII再アタックは無くなったので、しょうがないなと諦め、18時半にまた行ってみると「明日来い」と言われる。なんでプリントアウトしてサインするだけなのにそんなに時間がかかるのか。怒りたいところだけど、この国でそんなことにいちいち怒っていたら血管が何本あっても足りないので、やれやれと思いながら今日のところは酒でも飲むことにする。

5/12
本来ならフランス語教室に行くべき日なのだが、今日は無理。朝からシーツ交換、洗濯をしてレセプションに居住証明書ができたか聞きに行く。するとようやくできたみたいで、OFIIの昼休み前に間に合うように再アタックする。OFIIに入ってみると閑散として、スタッフがいるべき場所に誰もいない。健康診断のところにいたスタッフに聞いてみると「もう昼飯に行っちゃったよ。1時30分まで待って」と言われる。医者でもないし公共機関にしては昼休み長すぎないか?と訝しみながら隣のカフェで1時間半潰す。言われた通り1時30分に行ってみると既に長蛇の列で、15分ぐらい待って中に入れる。昨日却下されたところで「不足書類を持ってきた」と言うと15分ほど待たされ、居住証明書見せるが「あなたの出した住所と証明書の住所が違うわ!」と言われる。見てみると確かに違う。その原因は僕の住んでる建物がレジデンスの別館で、レジデンスのスタッフがなぜか要らない気を利かせてくれてそっちの住所にしてくれたらしい。そんな住所今まで一回も言われたことも使ったこともないのに、なんでそんな住所を書いたのか……。それでもう一回レジデンスに帰って「この住所で書いて!」と言うとすぐ発行してくれた。やろうと思えばすぐ発行できるんじゃん……。三たびOFIIに向かい、1時間ほど待たされた後、ついに滞在許可証のシールが貼られた。
それにしてもこんなこと、うちの大学の歴代の受賞者の人たちが引継ぎやってくれればもっとスムーズに行くのだろうけど、そういう概念が無いのだろうか……。
何はともあれ、これで気楽に旅行にも行けるようになった。パリでの生活がようやく始まった気がする。

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5/6-5/8 I見氏来る

5/6
ベルリンよりI見さん到着のため、オルリー空港まで迎えに行く。1年ぶりにオルリーに行こうとすると切符の買い方がわからず、券売機で戸惑うが後ろにいっぱい並んでるので一度諦めて並び直すことになった。RERの最寄駅であるAntonyから空港までのシャトル名「OrlyVal」のチケットを買えば良いことを思い出し、ようやく買う。CDGに比べてオルリーについてはメトロやRERのサインも不親切な気がする。無人運転のOrlyValの速さにちょっとビビりながらギリギリで空港に間に合ったが、到着ゲートから出てきた1年ぶりの稲Mさんは何てことはなくいつも通りでした。

そのままシテに帰ってE後氏のアトリエで奥さんの手料理の巻き寿司や豆腐サラダ、味噌汁など日本食三昧をいただく。K上さんにいただいたいいちこなど飲みながら、I見氏のベルリン話で夜が更けた。

5/7-8
終日仕事。
I見氏もパリまで来てろくに外にも出ずに仕事。かわいそうなので夜に近所を散歩に行く。うっかりムーラン・ルージュの前に出てしまい、客引きラッシュに巻き込まれる。客引きぐらいならいいのだけど、せめて「ニイハオ」じゃなくて「こんにちは」って言わんかい!

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I見さんの好物のジェノベーゼを作る私。

5/5 iPhone到着/日本文化会館

近所の図書館が都合よく美術書専門の図書館で、ちょっとラインナップを下見しながら仕事しようと思って行ってみたら、利用者カードが必要だったみたいで、証明写真を取りに帰って渡すと作ってくれた。しかし名前を書き忘れたらしく、無理やりひっぺがして別のカードに貼り付ける受付のおばさん。大丈夫かな、と思ってたけど、ネットで登録しようと思ったらやっぱりできない。適当王国……。

シテに帰ったらネットで注文した新古品のiPhoneが届いていたので、昨日買っておいたFree MobileのSIMカードを挿して日本文化会館に出かける。ずっとお世話になってるK島さんの紹介で繊維系の作家さんたちの展覧会のVernissage(関係者事前公開)に入れてもらい、自分の部屋の前の住人だったI田さんに会う。四方山話をしたいところだったが、彼女は日本文化会館の展示担当なのでお忙しそうで、取り急ぎご挨拶と名刺交換だけする。サヴォア邸でもお世話になったK上さん、K原さんともお話しすることができ、K原さんには資生堂ギャラリーでやられた展示の図録をいただく。ありがたし。

終わったらK上さんとの(二ヶ月の)別れを惜しんで、安旨ビストロで食事。日本に帰ったら遊びましょう、と言うべきところなのだけど、私が帰るのは11ヶ月先でじれったい。K島さん、K上さんとは6月の搬出でまた再会することになる。

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5/3-5/4

5/3
物は試しにラスパイユ通りのビオマルシェに行ってみるが、既に店じまいの最中。腹が減っていたのでしょうがなくモンパルナスのインド料理屋に入るが、可もなく不可もない味だった。ラッシーを頼んだらカラフェで出てきて、3杯分ぐらいの分量。勝手がわからんなあ。
ここのところ疲れていたので夕寝する。ひさしぶりに晴れ間が覗いて気持ちよかった。

5/4
今日だけは1日中晴れだと思って出かけ、Centre Pompidou近くで見つけた良さげな古本屋で小一時間デザイン関係の本を立ち読みしている間に雨が降ってきて、傘を持ってこなかったことを呪う。コルビュジエの『La Ville Radieuse(輝く都市)』のリプリントが売っていたが、300ユーロ超えでぶっとぶ。少し悩んだが、この値段ならオリジナル買う(帰ってAmazonを見てみたら今年の6月に再びリプリントが出るとのこと)。ちらちら読んでみたが、ヴォワザン計画(パリ改造計画)ってこちらの人には当然ながら当事者で、日本人と捉え方が違うだろうな、と当たり前のことに気づく。他にもロシア・アヴァンギャルド、未来派、ダダ、シュルレアリスム、プルーヴェ、スタインバーグ、ルリュールなどなど狭い割に良書が沢山あったが、おいそれほいほいと買うわけにもいかず、礼だけ言って退散した。あのヴフテマスの巨大な全集って誰が買うんじゃ(笑)。本の大きさに倫理ってものはないのか!

4/30-5/2

4/30
サヴォア邸での『folding cosmos』展オープニング。生憎の雨だったが(私のせいではない)、日本の作家さん達の作品がどれも素晴らしくて嬉しくなる。作家としてやっていくというのはデザイナーとして生きていくことよりはるかに覚悟が必要なことかと想像される。身を正す思い。それにしてもフィンガーフードがうまい。
帰りに友人らとフォーを食べ、疲れていたので帰って夕方から寝る。夜方起きて、旅の計画などリサーチ。

5/1
同時期に来た名芸のY口くんの誕生日パーティー。持ち寄った料理はちらし寿し、プルコギ、ワカメスープ、鴨の煮込み、チーズなど多国籍すぎなラインナップ。朝の5時半まで話し込んで、正味3人でワイン5本+スミノフアイス(大瓶)1本。飲み過ぎ。

5/2
フランス到着からちょうど1ヶ月。そんな大事な節目なのに、昨夜の痛飲のおかげで昼に起床。不思議と頭痛も何も無い。酸化防止剤が入ってないからなのか?
起きると、パリに来てから入稿した印刷物が無事に日本で納品されたとの報せ。仕上がりも上々のようで、とても嬉しい。
夜はサヴォア邸展示に参加していたK松さんの帰国を惜しむ会で、ベルヴィルのタイ料理屋で食事。いやあ、ここもうまい。カフェでK島さんと話し込んだが、思わぬ宿題をもらうことに。むう。
帰ってフランスの新古品iPhone販売サイトをようやく見つけ、発注した。iPhoneなら辞書アプリ(高い!)もオフライン地図アプリ(メモだらけ!)もそのまま使えるのでAndroid等は考えにくかったのだが、さすがに新品で8万弱は痛すぎるので、助かった。あとは無事に届けば良いのだが。

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Aux Merveilleuxのメレンゲケーキは意外と甘くなくて、サクサクと食べやすかった。うまし。

4/28-4/29 コルビュジエ展

4/28
午前中、洗濯、シーツ交換、掃除、フラ語。
午後、ペティナイフ、ピーラーを買いに再び問屋へ。ついでにリシュリュー通りのいつものLPQにて勉強し、そのままギャルリー・ヴィヴィエンヌの本屋物色。夜はポトフ作る。
フラ語の先生は今日からローマにバカンスとのこと。いつも13:30に追い出されるまでやるのに今日は13:00に終了。適当だなあ……。いつも来ていたフランス語の一番うまい女性がいなかったが、後で聞いたら私が腰痛で休んだ日を最後に引っ越してしまったとのこと。もっと仲良くなりたいと思っている間にいなくなってしまって寂しい。これからこういうことが増えるんだろうなあ。

4/29
今日からオープニングの『Le Corbusier: Measures de l’Homme』展@Centre Pompidou に昼から参戦。数年前の森美での回顧展に比べてとてもこじんまりとしたテーマ展(既に記憶が薄れているが)。設計理論の変化に焦点を当てたビギナー向け展示、という感じで社会的側面はほとんどスルーだが、初期のラ・ショー・ド・フォンでの作品や東方行きのスケッチなんかは見れて良かった。個人的には時計職人から出発したコルビュジエの初期の美学構図的な作品群から一転してキュビズムの影響を受けていくところが唐突すぎて未消化なのだが、アメデエ・オザンファンって人はほとんどコルビュジエの変名かと思うほど同化しているように見えてしまう存在で、(日本では)美術史的にほとんど文献が無い人だと思うのだけど、一体何者だったのか。
今回、この非常に単純化された展覧会を見て逆説的にコルビュジエの二面性というか、機能主義的なエコノミーと絵画・彫刻的な曖昧さという逆方向のベクトルを矛盾なく接続してしまうところが本当の凄みであり、いつまでも謎に思わせるところが魅力の原因になっているのだろうと感じた。
本屋で思わず重量級の本を買ってしまったため、直帰して隣のカフェで読む。

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