8月某日 地図と皿

せっかくだからフランスらしいものをと思い、フォンテーヌブローへ。3度目ぐらいだと思うが、馬蹄型の階段が高圧洗浄機で綺麗になってしまっていて風情も何もない。時間の厚みをなぜ消したがるのか。新品みたいな街に住むよりも圧倒的な豊かさを与えてくれると考えないのだろうか。ケルヒャー症候群。
今まで気に留めなかったが、宮殿併設のナポレオン博物館には地図の描かれた皿やテーブルがあったり、また彼が地図上の距離を測っている肖像彫刻がある。彼がいかに地図的イメージを政治的に利用していたか、また地勢をよく研究していたであろうことが推測される。アンリ4世が建設した長い廊下にもナポレオン所有と言われる地球儀が置かれていて、それが単に彼の政治的視野の遠大さを示しているのか、それとも彼の地理学的知見を物語っているのかはわからないが、象徴的である。
それにしても、皿に風景画を描く風習は奇妙である。それで食事を摂るわけでもあるまいに(摂るのか?)。領地の風景や建物、あるいは歴史的出来事の情景を、皿を通じて語り、教育することの意義とは何なのだろうか。
外に出て庭園を見ようとしたら、真っ黒な雲。フランス式庭園を見始めた途端に降り始め、小一時間雨宿りする羽目になった。雨女の遺伝子が私の中で目覚めている。小降りになった頃に外に出て、雨の上がりかけた風景を眺める。地面は川のようだが、パースペクティブの向こうは日が差していて、これはこれで悪くない。グロッタ風の装飾と、森の入口だけ見て街に戻る。
夜は工デ卒の友人と中華料理屋で飲むが、途中で寒くなって帰る。

アウステルリッツの戦いを描いたソーサー

ナポレオン像の手元

これはちょっと欲しい。

近くで見られないが、この地球儀もナポレオンの持ち物らしい。

グロッタ風で私の好きなダンスホール。

8月某日 3年前の後始末

まだテキパキと動く感覚がないが、考えてみればもう木曜日で、休館日のことを考えると今のうちに一度図書館に行っておかなければならない。旧市壁沿いを走るトラムで図書館に向かうが、途中で「終点だ」といって降ろされる。どうやら工事中でポルト・ディタリーからアヴニュー・ドゥ・フランスまでは振替輸送のバスに乗らなければいけないらしい。あたりをうろついているRATPの職員にバスの場所を聞いて乗り込んだはいいが、車内で調べ物をしていたらうっかり乗り過ごして工業地帯まで来てしまった。逆向きのバスに乗ってようやくアヴニュー・ドゥ・フランスに到着し、イギリス系のチェーン店「プレ・タ・マンジェ」でコーヒーとサンドイッチを買うが、飲めないほど渋く、残してしまう。しかしWi-Fiが使えるだけありがたい。
図書館の手前には、旧館に「ミュゼ(博物館)」ができたという広告がかかっていた。どうやら長年のリノベーションが終わったらしく、後日行ってみようと思う。新館で臨時営業をしていた地図部門も、ようやく古巣に戻ったらしい。閉架フロアでフンボルト関係のファクシミリ本の書誌を確認し、諸々雑多な作業を済ませ、図書館を出る。ついこの間まで印刷についての展覧会がやっていたそうで、逃したのが悔やまれる。どうせ来れなかったが。
その足で古巣のシテ・デザールを訪問する。コロナ騒動でフランスを脱出した時に預けておいた荷物を処分するためだ。パリ賞で来ている大学のレジデントの方に連絡を取って、倉庫の段ボール箱を出してもらう。何か大事なものが入っているだろうと思って箱を開けたが、結果的に必要なものはタオルと箸と包丁ぐらいで、あとはサバイバルに必要だった安物の鍋やら水筒やらだった。ここの住人はなんでも欲しがるので、「Take Free」と書いて外に置いてもらった。きっとすぐに捌けるだろう。
その後、フランス人の友人2人と喫茶店で久々の再会。とりあえずあまり深いことは聞かず、お互いの近況報告に終始する。最愛の犬ウメは少し色が白くなっていた。
部屋に戻ってインスタントのクスクスを作って食べる。テレビではナチュリスト(ヌーディスト)がバカンスでキャンプをするのを追ったドキュメンタリー番組がやっていた。体じゃなくて顔にぼかしがかかっているのが新鮮である。虫に刺されないのかね、と思いながら眠りについた。

 

8月某日 ギメ博物館再訪 その1

朝起きて、昔住んでいた界隈を散策する。夜半に嵐があったが、起きてみるとよく晴れていて、気温も20度ぐらいと涼しい。
毎日のように通っていた通りを歩き、毎日のように通っていた界隈に出る。街を見る限り、思ったよりも変わっていない。といってもそもそもが酷い界隈だから、変わっていたとしてもたかが知れているのだが。
印刷の講義を担当されていたヒザワ先生に似た人物がいつも客にいることから我々が勝手に「シェ・ヒザワ」と呼んでいたカフェで、軽い朝食を取る。見覚えのある男性がカウンターに立ち、見覚えのあるオーナーらしき高齢の女性が客席に座り、新聞を読みながら店員に指示を出している。このカフェは若い外国人女性がセルヴーズ(給仕)をやるのが常で、今日もどこかの訛りのある白人女性がオーダーを取りに来た。長くいると不味く感じるRichardのエスプレッソも、久しぶりだと悪くない。
昨日ピザ屋がバカンスで休みだったのと同じく、馴染みのパン屋、通称「おじパン」も休みだった。そのままポール・ロワイヤルからソルボンヌ大を通り、ノートルダム大聖堂まで北上する。数年前火事で尖塔を焼失したノートルダムの周辺では「ベトンの女王」イダルゴの主導する再開発が始まっていて、大聖堂前広場に新設された、トマソンとしか思えない階段の上に観光客たちが腰を下ろしていた。ジャック・タチ的な戯画の世界である。大聖堂に張り巡らされた工事用仮囲いには、この再建工事がいかに優れたものであるかが図説されていたが、そもそも焼失させたことに対する謝罪の念などどこにもない。聞けば、教会の裏にあった小さな公園も潰して、駐車場に変えてしまったらしい。ノートルダムはテーマパークのアトラクションではない。
マレ地区を歩けば、3車線道路のうち2車線が自転車専用道に変えられていて、渡るのが非常に困難である。歩けば自転車屋がいくつも新設されており、これもイダルゴのエコ・ファシズムの成果なのだろう。本人は車で通勤しているそうだが。
サントル・ポンピドゥーの脇を通り、レ・アルを横目に北上して、モントルグイユ、ボン・ヌーヴェル、ギャルリー・ラファイエットまで歩く。ハワイの「ポケ(ポキ)」の店と肉まんの店がやたらと目に入ったので、きっと新しい流行なのだろう。
地下鉄でイエナに移動し、ギメ博物館を見る。ここは19世紀以降、ギメ他の人々がアジアに行って収集したコレクションによって形成された、国立の東洋美術館だ。7年ぶりの再訪となるが、この間アジア美術への興味が募り、仏像や宗教的図像を積極的に見に行ったり、院生と図像の勉強会をしたこともあり、昔よりも楽しめるようになった。ここの美術館は、うまく言語化できないが、日本と提示の仕方が少し違うというか、ライティングや置き方が異なっていて、同じ仏像があっても違った見方をさせられる。しかも、これだけアジアを横断して仏像や図像を比較できる場所はアジアにもそうそうない。夢中になってインド、ネパール、チベット、アフガニスタンの部屋を見ていると、閉館のアナウンスが聞こえてきてしまった。ここなら気軽に見られるだろうと見積もったのが間違いだった。まだ5フロア中2フロアしか見られていない。後日再訪することにする。
その後、散歩がてら宿まで歩こうとしたが、途中で雨に降られて地下鉄とバスを乗り継ぎ、変なルートで戻ってきた。夕飯は昔よく行っていたタイ料理屋に向かう。我々とほぼ同世代の、異常に人懐っこいタイ人女性が一人でフロアを回しているのだが、近くに住んでいた時にはよくお世話になった。コロナの時も妻と一緒に潰れていないか心配していたので、今回一番再訪したかったのは実はここかもしれない。お姉さんは我々のことをすぐに認識し、お互いの近況を話した。カカユエットが盛り盛りのパッタイ・ヴェジェタリアンと、ネム(春巻きのようなもの)を頼んで平らげた。前は「今これを食べているのよー!」と行って、お徳用のどら焼きの袋を見せてくれたが、今回はスーパーのレジ横に売っているような栗羊羹を見せてくれた。タイの人は甘いものが好きなのだろうか。お土産でも持ってくればよかったと後悔する。

デジカメを持っていくのを忘れ、iPhoneで写真を撮ったのだが、印象とあまりにも違うので、わざわざアップするのはやめる。