9/1 シュヴァルの理想宮

妻のたってのリクエストでシュヴァルの理想宮(Palais idéal du facteur Cheval)へ。フラ語教室の知り合いから車がないと行けないと言われていたが、電車とバスで行けた。但し、本数は非常に限られているので事前に調べていく必要がある。

着いてみると周りは小さな村で、キャンプ場がある他は特に何もない普通の田舎のようだ。ここのことは何かのガイドブックか漫画で読んだだけで大して何も知らなかったのだが、巷で「アウトサイダーアート」と呼ばれていることには違和感があった。高等教育機関でプロフェッショナルな訓練を受けていないものが作った特筆すべき作品、というならそうかもしれないが、それはいかにも「上から目線」的ではないだろうか。たとえば私が食通を唸らせる料理を作ったとしたら(いやまずありえないだろうが)「アウトサイダー料理」として差別されるのだろうか。だとしたら私は心を込めて業界を「インサイダーアート」と呼びたい。いやはや、ぴったりの揶揄ではないだろうか。私としては枠組み云々を気にする人たちよりも、彼のほうが人類史的な広いパースペクティブを持った本当の意味での芸術家ではないかと思う。実際、これは一人の男が自分が得られる資料から勉強して作った人類史的な宮殿の美術館である。こうした類のものが他にあるか私は知らないが、たとえばオトレの世界博物館もこうしたものの一種だろう。思い立ったが吉日、強い意志のもとに行動を始めた人間が強いだけである。

室内(宮殿内、と呼ぶべきか)に彫られたとてもセンシティブで暗い銘文、ポエムから受ける人格の印象とは逆に(というよりむしろ、そうであるがゆえに)、室外の各所に彫られた彫刻やオブジェにいちいち説明文が添えられていることが微笑ましい。あくまでもこれは理解してもらうために作ったということが伺える。死者の人格など知ることはできないしそれを問うこと自体何の意味も為さないかもしれないが、この建物の各所を訪問していると、この男が随所で語りかけてくるのである。ここではこれを見ろ、これはこういう意図だ、と丁寧に案内してくれる。ある種おじさんの身の上話を聞いているような感覚である。「言っていることはわかるが」というやつである。しかし単に手慰み、妄想の類でこれを作ってしまったというには各所に知的関係が読み取れる。理想宮(Palais Idéal)とはよく言ったもので、これは歴代の「宮殿」の博物館を内包した宮殿、宮殿の宮殿なのだろう。ミュゼオロジーの点でも興味深い。

付属している小さなミュゼには建設計画の下絵、完成までの経緯、それにそこを訪れた著名人の写真や作品なども飾ってあって、興味深いのはダダイズム宣言を書いたアンドレ・ブルトンがここを何回も訪れていることである。他にもピカソやマックス・エルンストも訪れているようだが、ブルトンはアメリカでのダダイズム展のパンフレットにシュヴァルの名を載せているほどである。それはダダイズムが下火になった30年代後半以降の話だし、その頃にはシュヴァルもとっくに死んでいるから、シュヴァルがダダイストを名乗ったわけではもちろんないが、ブルトンの理解には助けになるような気はする。今そこまで調べる資料も余裕はないが。

解説を読み込めばまた印象も変わるのだろうが、とりあえずこれを一人で拵えてしまう熱意みたいなものを注入された。

夜、リヨンに帰ってフラ語の先生に教えてもらったレストランに行こうとするが、半月遅れのバカンス中であった。近くのはやってそうなブションに入って、偶々そこも美味しかったが、内臓料理の臭さには少し疲れてしまった。