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8月某日 ギメ博物館再訪 その1

朝起きて、昔住んでいた界隈を散策する。夜半に嵐があったが、起きてみるとよく晴れていて、気温も20度ぐらいと涼しい。
毎日のように通っていた通りを歩き、毎日のように通っていた界隈に出る。街を見る限り、思ったよりも変わっていない。といってもそもそもが酷い界隈だから、変わっていたとしてもたかが知れているのだが。
印刷の講義を担当されていたヒザワ先生に似た人物がいつも客にいることから我々が勝手に「シェ・ヒザワ」と呼んでいたカフェで、軽い朝食を取る。見覚えのある男性がカウンターに立ち、見覚えのあるオーナーらしき高齢の女性が客席に座り、新聞を読みながら店員に指示を出している。このカフェは若い外国人女性がセルヴーズ(給仕)をやるのが常で、今日もどこかの訛りのある白人女性がオーダーを取りに来た。長くいると不味く感じるRichardのエスプレッソも、久しぶりだと悪くない。
昨日ピザ屋がバカンスで休みだったのと同じく、馴染みのパン屋、通称「おじパン」も休みだった。そのままポール・ロワイヤルからソルボンヌ大を通り、ノートルダム大聖堂まで北上する。数年前火事で尖塔を焼失したノートルダムの周辺では「ベトンの女王」イダルゴの主導する再開発が始まっていて、大聖堂前広場に新設された、トマソンとしか思えない階段の上に観光客たちが腰を下ろしていた。ジャック・タチ的な戯画の世界である。大聖堂に張り巡らされた工事用仮囲いには、この再建工事がいかに優れたものであるかが図説されていたが、そもそも焼失させたことに対する謝罪の念などどこにもない。聞けば、教会の裏にあった小さな公園も潰して、駐車場に変えてしまったらしい。ノートルダムはテーマパークのアトラクションではない。
マレ地区を歩けば、3車線道路のうち2車線が自転車専用道に変えられていて、渡るのが非常に困難である。歩けば自転車屋がいくつも新設されており、これもイダルゴのエコ・ファシズムの成果なのだろう。本人は車で通勤しているそうだが。
サントル・ポンピドゥーの脇を通り、レ・アルを横目に北上して、モントルグイユ、ボン・ヌーヴェル、ギャルリー・ラファイエットまで歩く。ハワイの「ポケ(ポキ)」の店と肉まんの店がやたらと目に入ったので、きっと新しい流行なのだろう。
地下鉄でイエナに移動し、ギメ博物館を見る。ここは19世紀以降、ギメ他の人々がアジアに行って収集したコレクションによって形成された、国立の東洋美術館だ。7年ぶりの再訪となるが、この間アジア美術への興味が募り、仏像や宗教的図像を積極的に見に行ったり、院生と図像の勉強会をしたこともあり、昔よりも楽しめるようになった。ここの美術館は、うまく言語化できないが、日本と提示の仕方が少し違うというか、ライティングや置き方が異なっていて、同じ仏像があっても違った見方をさせられる。しかも、これだけアジアを横断して仏像や図像を比較できる場所はアジアにもそうそうない。夢中になってインド、ネパール、チベット、アフガニスタンの部屋を見ていると、閉館のアナウンスが聞こえてきてしまった。ここなら気軽に見られるだろうと見積もったのが間違いだった。まだ5フロア中2フロアしか見られていない。後日再訪することにする。
その後、散歩がてら宿まで歩こうとしたが、途中で雨に降られて地下鉄とバスを乗り継ぎ、変なルートで戻ってきた。夕飯は昔よく行っていたタイ料理屋に向かう。我々とほぼ同世代の、異常に人懐っこいタイ人女性が一人でフロアを回しているのだが、近くに住んでいた時にはよくお世話になった。コロナの時も妻と一緒に潰れていないか心配していたので、今回一番再訪したかったのは実はここかもしれない。お姉さんは我々のことをすぐに認識し、お互いの近況を話した。カカユエットが盛り盛りのパッタイ・ヴェジェタリアンと、ネム(春巻きのようなもの)を頼んで平らげた。前は「今これを食べているのよー!」と行って、お徳用のどら焼きの袋を見せてくれたが、今回はスーパーのレジ横に売っているような栗羊羹を見せてくれた。タイの人は甘いものが好きなのだろうか。お土産でも持ってくればよかったと後悔する。

デジカメを持っていくのを忘れ、iPhoneで写真を撮ったのだが、印象とあまりにも違うので、わざわざアップするのはやめる。

8月某日 3年半ぶりの匂い

朝も9時発のパリ行きの飛行機に乗る。前日まで面談・採点・会議に追われ、その後急いでカイロに行き、体の捩れを整えて家に帰ったのは21時過ぎ。そこから身支度を始めたので、不思議と旅行感覚がない。機内に乗り込んで指定された席に腰を下ろすと、隣の40代らしき日本の婦人が、前の座席の背面につけられたタッチパネルを長い爪でカツカツとせわしなくタップし始める。まだ滑走路に向けて移動すらしてないのに、何をそんなに急いでいるのかと思っていたら、「『ダ・ヴィンチ・コード』はどこにあるの?」と、席の離れた息子らしき人物に叫ぶ。そちらを見やれば、白いTシャツに黒いハーフパンツの、日焼けした筋肉質の息子3人と一緒らしい。我が意を得たりといった気分で眠りについたが、数時間後に目を覚ますと、前方のトイレの前で婦人が四苦八苦している。どうやら直前に使用したラテン系男性の「物」がまだそこにどっしりと腰を据えていたようで、婦人は手を伸ばして「流す」ボタンを押す羽目になった。その苦悩の表情には、同情せざるを得なかった。
飛行機の映画プログラムはひたすらマーベルとディズニーばかりで、見たいと思うものなどほとんどない。しかし何度もスクロールするうちに「嗚呼、こんなものを大好きだと公言して憚らない連中に忖度しなくてもいい国に行くのだ」という気持ちがどこからかが込み上げてくる。いかにマジョリティがエンタメと拝金主義に毒されようが、「それのどこが芸術なのか」で済ませられる文化的厚みと個の強度。少なくとも私の中ではそうであり続けている。実情がそうでなくなったとしても、私の中ではそうでありつづけるだろう。
14時間も寝続けるのは流石に無理だったので、猶に100は超えるだろう機内映画のリストを何往復かスクロールする。そのうちデンゼル・ワシントンの顔が目に留まり、『アメリカン・ギャングスター』なる映画を何の気なしに見始める。私の英語の聞き取り能力に加え、ヘッドホンの音の悪さと機内の轟音も相まってセリフはほとんど聞き取れなかったが、それでも画面を見続けていれば話は入ってくるというところにリドリー・スコットの底力を感じる。これまで感服したことなど一度もないが、その辺のスーパーヒーロー映画の監督には比べるべくもない映画的教養がある。
シャルル・ド・ゴール空港に着き、日本人観光客相手にはなんの留保もない入国審査を数秒で通過し、RER乗り場までのひたすらに長い通路を歩き続ける。前回空港に来たのはコロナ禍最初期にフランスを脱出しようとした時だったから、その悲壮さに比べれば明るさを感じずにはいられない。噂通り人々は全くマスクをしておらず、こちらもマスクをするのを憚られるほどだが、コロナにかかっては旅程が台無しなので、電車では口元を隠すこととする。
車内では移民系の子供二人が前に座り、妻と「いないいないばあ」をして遊んでいた。私のスーツケースには台湾のバス会社が貼り付けたシールが貼ってあって、自分の荷物を識別するのに重宝していたが、その子供の唾だらけの手によってあえなく剥がされてしまった。まあやむなし。ホテルのあるシテ・ユニヴェルシテール駅まではありがたくも一本で着き、駅前で焼きとうもろこしを売る移民たちを懐かしく眺めながら、ホテルに到着する。気候は涼しく、すでに19時頃なのにまだ陽は高い。軍艦島と奈良で強烈な陽射しを浴びてきた者からすれば、控えめに言っても最高である。3年半ぶりのパリはあの頃から地続きで、この、誰に何を強制されるでもなく、ただ並木の木漏れ日とそよぐ風に身を委ねていればいいような時間感覚が、ひたすらに懐かしい。もちろんそれは路上の植栽と排泄物の入り混じった得も言われぬ匂いと、時間の矢の先にあった漠とした暗闇とが同居した感覚である。パリに来たら再訪しようと思っていたピザ屋はバカンスで休み。しょうがなくスーパーのFranprixで、出来合いのファラフェルサラダとボックスパスタを買い、部屋で食べて寝る。長い一日だった。

1/11-1/25 ロンドン

正月の風邪がぶり返し、一週間近く引きこもる。しかしロンドンに行く前日にはちゃっかり治る。久方ぶりに外に出てみると-4度近くで、それから北に行くことに戦々恐々としたがロンドンはパリよりも若干暖かかった。
約一週間、ケンジントンにある宿から大英図書館への往復。唯一日曜日だけ大英博物館を見る。モリスもターナーも無し(モリスは図書館の展示で1品見たが)。果たして人生のためにはどちらが良いのか。終盤、地理学協会のアーカイブを使わせてもらうために滞在を伸ばそうかと思ったが帰りの切符を取り直すと恐ろしく高くなるし、協会のアーカイブも有料なため断念。地方への鉄道旅行やアイルランド・スコットランドへの旅情も募るがとりあえず帰ることにする。
この国の印象について何度書き直してもうまく書けないので軽く書くにとどめるが、自戒として、英語という言葉を一島国の言語(だったもの)としてきちんと認識しなおす必要があると感じた。当然ながら英語は単に共通語として話されるニュートラルな言語ではない(そんなものは存在しない)。それには特殊な言語的特性があり、言語的歴史から、ひいてはそれの作り出す思考と文化、それを使うことの政治まで含まれる。学校での英語教育と英会話プロパガンダのおかげであまりにも当たり前に英語を学んできたが(その教え方はかなり漂白されていたような気がする)、それは単に一地方の方言だったものであり、他の言語と比べればかなり特殊で、グロテスクなものである。そして、英語で書かれた文書は英語圏の国の人が書いたものだ(必ずしもそうではないが)ということをきちんと認識して批判し、英語を「共通語」として使うこと/使わされていることへの警戒感をしっかりと持つことが必要である。はっきり言って英語を学ぶことを拒否することも選択だろう。英語が話せるからといって英国を簡単に理解できるわけではないし、逆に英語圏の人が他国にずかずか入っていけるという幻想を抱くのも御免被る(そう実感すること多々)。
それから、以前から抱いていた英国に対する疑問が確信に近いものに変わり、美術、デザイン史に関してもちょっと一から見直したほうがいいと思い始めた。これは言語の問題とも関係するが、例えばモリスの本ひとつとってみても、それを東洋人が判断するのはそう簡単な話ではない。想像以上に多くのことを学ばないと難しい。産業革命と資本主義に対する反作用としての中世復興・職人主義と言うと何かわかった気になるが、しかしモリスは英国人である。単にブツだけを見て綺麗だのなんだの言うのは簡単だが、それを容易に受け入れてはならない。
最後の夜、書体制作会社のM社に入ってバリバリやっている後輩のO君と彼の卒業以来数年ぶりに会う。最近移転したという事務所を案内してもらい、貴重なタイポグラフィーの資料や彼の使っているGlyphsという数年前発表された書体制作ソフト、それに変態的な自作のルービックキューブまで紹介してもらう。その後近所のパブに連れて行ってもらってお互いの近況を話しながら楽しく飲んだ。パリとロンドン、近いが遠い。また来たいがパスポートコントロールが異常に意地悪で億劫になる。

旅の記録

備忘録として。こうやって書くと数十行に収まってしまうのか。空しいが、日本での日々を書けば「武蔵小金井」「武蔵小金井」「武蔵小金井」「鷹の台」「大崎」ぐらいになってしまうのだから断然良いだろう。

4/7 東京・成田空港→パリ・シャルル・ド・ゴール空港/ムニルモンタン地区
4/8 国立工芸博物館(Arts et Métiers)/アンファン・ルージュの市場/ノートルダム大聖堂/マレ地区散策
4/9 フランス国立図書館(BnF)フランソワ・ミッテラン館、特別展: 「été 14」/ウェス・アンダーソン監督『グランド・ブダペスト・ホテル』@mk2 bibliothèque
4/10 BnFリシュリュー館/ラ・デファンス地区
4/11 BnFリシュリュー館/サンジェルマン・デ・プレ〜カルティエ・ラタン/ジャン・グレミヨン監督『白い足 PATTES BLANCHES』@ La Filmothèque du Quartier Latin
4/12 建築・文化財博物館/凱旋門〜シャイヨー宮〜エッフェル塔〜シャン・ド・マルス〜ボン・マルシェ〜ルーヴル宮
4/13 パリ自然史博物館(古生物館、進化大陳列館、植物園)/オーステルリッツ〜カルティエ・ラタン/中世博物館/アップル・ストア(カルーセル・デュ・ルーヴル) ルーヴル宮〜コンコルド広場
4/14 パリ北駅→アントワープ中央駅/旧市街散策
4/15 ルーベンス邸/プランタン・モレトゥス博物館
4/16 アントワープ大聖堂/MAS(Museum aan de Stroom)/女子孤児院博物館(Maagdenhuis Museum)
4/17 アントワープ中央駅→ユトレヒト中央駅
4/18 シュレーダー邸/セントラル・ミュージアム/ディック・ブルーナ・ハウス
4/19 ユトレヒト中央駅→フランクフルト(アム・マイン)中央駅/フランクフルト⇔ダルムシュタット/マチルダの丘(結婚記念塔ほか)
4/20 シュテーデル美術館、企画展: エミール・ノルデ/映画博物館、企画展: ファスビンダーなう
4/21 考古学博物館/シルン美術館/大聖堂/ゲーテ博物館
4/22 フランクフルト⇔マインツ/グーテンベルク美術館/ライン川
4/23 フランクフルト⇔シュトゥットガルト/州立絵画館/ヴァイセンホーフ・ジードルンク
4/24 フランクフルト中央駅→ライプツィヒ中央駅。
4/25 ライプツィヒ印刷芸術博物館(Museum für Druckkunst)/シュピネライ/ドイツ国立図書館ライプツィヒ館併設ドイツ書物・文字博物館(Deutsches Buch- und Schriftmuseum)
4/26 ライプツィヒ中央駅→ベルリン中央駅/IKEA/テンペルホーフ空港外観
4/27 骨董市/フンボルト大学/自然史博物館(Museum für Naturkunde)/自然史博物館〜ベルリン医学史博物館〜中央駅〜国会議事堂〜国家社会主義によって殺害されたヨーロッパのシンティ・ロマ(ジプシー)記念碑(ダニ・カラヴァン)〜ブランデンブルク門〜ウンター・デン・リンデン〜アレクサンダー広場〜クロイツブルク
4/28 ペルガモン博物館/植物園
4/29 ノイエ・ムゼウム/ボーデ美術館
4/30 クロイツブルク〜テラーのトポグラフィー〜ポツダム広場。版画・素描美術館(kupferstichkabinett) 企画展「アルカディア―紙上の楽園」/絵画館(gemäldegalerie)/ノイエ・ナショナルギャラリー/ブリュッケ美術館/ソニー・センター
5/1 ベルリン・シェーネフェルト空港→パリ・オルリー空港
5/2 ポルト・ド・バニョレ〜BnFフランソワ・ミッテラン館
5/3 ポルト・ド・バニョレ〜BnFフランソワ・ミッテラン館〜ポルト・ド・バニョレ
5/4 国立工芸博物館(Arts et Métiers)/小津安二郎『大学は出たけれど』『落第はしたけれど』『麦秋』『青春放課後』@シネマテーク・フランセーズ
5/5 BnFリシュリュー館/小津安二郎『お早よう』『秋日和』@ Le Champo
5/6 BnFリシュリュー館
5/7 パリ・シャルル・ド・ゴール空港→東京・成田空港

5/7-8 帰国

無事に帰国しました。
機内でジョージ・クルーニーが監督したというナチスがかっぱらった美術品を盗むアメリカの計画のハナシ『The monuments men(邦題はミケランジェロ・プロジェクトになっているそうです)』を見て、久しぶりにビル・マーレイが仕事してるのを見た気がするけれどもやはりビル・マーレイはビル・マーレイ役だった。『アルゴ』と同じく原作となる実話が興味を引くのはわかるけど、それに引っ張られすぎなような。ルビッチ『生きるべきか死ぬべきか』のような映画ならではの痛快なフィクションっぷりを出すことはできないのだろうか。
その後、スクリーン以来2度目の『RUSH』で嗚咽し(悪口ばかり言い合ってたライバルの2人が「結婚したんだってな」というところでスイッチ入る)、何度目かの『グラントリノ』でも泣き(やっぱこれ遺書だよなあ)、さすがに『抱きしめたい』を見直すのはやめておいた。前の席のがきんちょが『アナと雪の女王』見てたけど、横目で見てるだけで無理。3Dモデルが芝居してるように見せる、っていうの、おかしくないか?しかもとっても過剰な芝居。そして唄ってるように見せるのってさらにおかしくない?コンピューターの使い方間違ってない?

5/6 帰国前日

実質最終日だけれど、昼から一日リサーチ。「やっぱりだめ」とか「探したけどなぜか見つからない」と蹴られ続けてた資料の改訂版を発見し、見せてもらえた。最終日にこういうことがあるものか。悔いの無いようみっちり閉館時間まで見た。
そしてその後大急ぎでお土産大会で、弟の馬鹿みたいなリクエストにより、持ってたパソコン含めて10kg近い大荷物に。リュックが重すぎて両手が痺れてくるという貴重な体験をした。なんで俺がケバブで節制してるのにお前が高いワインを飲むんだよ!まったく。
へとへとになって宿に着き、最後ぐらい何か食べるか、と向かった世界のM澤君お薦めのビストロに行き、一人寂しく鴨のコンフィってやつを堪能してたら、突然隣から猫の手が伸びてきた!どうやら闖入者らしく、隣のカップルと一緒に驚きつつも可愛がってたら鴨の骨をしゃぶりはじめて、綺麗にお召し上がりになられた。食べたらどこかへ行ってしまったけど、おかげでいい思い出になりましたよ。

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最後ぐらいパリっぽい写真を。セーヌ川じゃなくてサン・マルタン運河。あんまりいい匂いはしない。

5/5 カウントダウンはじまる

はやいものでヨーロッパもあと3日(最終日は飛ぶだけ)。出発前日までリサーチしているのでお土産なんか買えるかしら。まあお土産買いに来たわけじゃないからいいんだけど。
昨日遅かったせいで朝ちょっと遅れたけれど、昼前にはBnF旧館到着、閉館前まであれこれ見せてもらう。ついにフンボルト先生のかの有名なあの図版に対面できた。目的の本を出してもらったのだけれど図版が付いておらず、そんなはずはない、と目録を精査していたらそこだけペラで別の登録になっていた。現在非常に貴重な物らしいが、見る時に思わず固唾を飲んだ。こんなこと言っちゃ語弊があるけど、人類って退化してるんじゃないかと疑いたくなる完成度。現代人もがんばります。
閉館前に切りのいいところで飛び出して、まだ間に合うはずだとクリュニーまで地下鉄で行き、ギリギリのところで小津の『お早よう』デジタルリマスター版に間に合う。最初、小津なのに画面が揺れない(昨日はフィルムだから揺れてたよ)ことに慣れなかったけれど、徐々に慣れてくればタイトルに代表されるような日常会話の冗長性に対するシニカルな笑いとスラップスティックな下ネタ、それに勇ちゃんのかわいさにメロメロ(昨日の『麦秋』も勇ちゃんだったよね)。これにはフランス人もやられたらしい。そもそもあんな土手の横に家が建ってるわけないじゃん!こんなに日本の住宅がモダンなわけないじゃん!軽石なんか食ったらだめでしょ!と作り込まれてる嘘とジョークの過激さにハラハラ。不意に河原で踊ったり、行進のように歩いたりするところは『落第はしたけれど』に通じてる。勇ちゃんの身ぶりはドライヤーの『奇跡』のように意味を超えた地平に達してるよね。
そしてその後『秋日和』のデジタルリマスター版を続けてみる。僕にとって小津の入口はこれと『お早よう』『浮草』あたりで、何回か見てるのだけれどいまいち焦点がよくわからなかった映画で今回改めて見てみてもわからないけれど、とにかく結婚式のシーンに俄然弱くなった私にとっては催涙弾だった。未亡人の原節子(いつも娘役だったのに!)と年頃の娘の司葉子を巡って中年3人組が下世話に母娘共に再婚・結婚させようと計画するおじさん萌え映画の様相を見せながら、再婚話のちょっとした行き違いが母娘の喧嘩を生んで、結婚観や再婚が不潔かどうかという昨日の『麦秋』や『青春放課後』のような題材に。そこに颯爽と出てきた娘の友人岡田茉莉子が気っ風の良さを発揮して2人の仲を取り持ち、ここで主役は岡田茉莉子だったかのような活躍をみせる。そんな中、娘の婚前最後の旅行(旅館のセットが凄い!)に行った母娘はいつの間にか仲直りしており(この省略は非常に大胆)、母はこのまま一人で暮らすことを告げる(いつもは笠智衆の役)。それで次のシーンが結婚式の写真撮影のシーンで、小津映画を見ているものなら集合写真の不吉さにハラハラするところだけれどもここはなんてことなく幸福の象徴として描かれ、しかし撮影される対象だった娘とそれを見守っていた母は次のシーンで既に別離している。不在となった娘の穴を埋めるように再び岡田茉莉子が登場し、遊びにくるからと行って家を後にするが、母は憂鬱な表情を浮かべた後に少し笑みを浮かべ、映画は終わる。それにしてもラーメン食ってる机の壁の近さをはじめとしてありとあらゆるセットが不自然。どこからどこまでが指示なのだろうか。帰ったら蓼科日記やシナリオ採録を読みたい。やっぱりギャグは2回やるからギャグになるんだよなあ。
昨日に続き、見るものを優先して完全に昼飯・夕飯を食いっ逸れ、結局ケバブ。あと1日しかないっていうのに何やってるんだか。フランスらしい食事なんて1回しかしてないなー。明日も期待できないけど。日本食は別に恋しくなかったけど、小津映画に出てくるブランデーと鰻がたまらなくうまそうだった……。

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今日は写真がないので昨日のやつを。博物図譜のコウモリの羽を広げた骨格図のやつを参考にしてるらしいです。

5/4 シネマテーク・フランセーズの小津

日本人としては理解し難いが、日曜日は店という店がほとんど閉まり、洋服店・レストラン・スーパーに至るまで徹底的に閉まっている。やっているのは観光客が集まる一帯と非キリスト教のケバブ屋や中華ぐらいのもので、それもやっているところは少ない。図書館も閉まってしまうので(働いてる人はいつ図書館に行くんだよ)、今日は特にやることがないのである。おみやげすら買うことができない。
午前中は前回途中でカメラの電池が切れてしまった科学技術博物館へ写真を撮りがてら確認をしに行く。アストロラーベや初期の針時計、科学的実験道具などを傍目に見ながら通り過ぎる。プログラマーとしてはやはりパンチカードのジャカード織機の本物が見れたことが大きい。そして産業革命の機械や工場模型が見られるのもヨーロッパならではだ(これはイギリスの博物館の方が当然凄いだろうが)。この博物館の問題があるとすれば、印刷の展示がぞんざいな点である。それはこの博物館の問題というよりはパリに印刷博物館がないという問題で、パリだって印刷の街だったのだからあって然るべきなのに無いのはやはりおかしい。リヨンまで行かないと貴重なものは見られない様子。ちなみにリヨンは2、3回行っているのに印刷博物館には行けていない。
一旦宿に帰って別の宿に荷物を運び、チェックインして夕方シネマテーク・フランセーズに出かける。アンリ・ラングロワの生誕100周年記念の展示・イベントがやっているのは知っていたが、今日ホームページを見たら小津の全作上映がやっているではないか!全く知らんかった。上映素材は基本的にフィルム。これは行かずにいられるか、と17時から3本続けてみる(正確には4本)。見たのは
・大学は出たけれど(1929。現存するフィルムから再構成した12分)+落第はしたけれど(1930)
・麦秋(1951)
・青春放課後(1963。小津+里見脚本によるTVドラマ)
どれも素晴らしく、コメディ部分はフランス人にも馬鹿ウケしていたが、初めてフィルムで見られた『麦秋』がもう凄くて泣いた。DVDで何回も見てるのに何一つ画面を憶えちゃいないのだ。冒頭の犬から最後の麦まで驚きの連続と張り巡らされたさりげない言葉と画面の連鎖。文学ではなく全く映画そのものの語り方なのに、文学性や詩性を感じる。大瀧詠一が「みんなメロディーにしか興味ないんだよ。だから僕はやめちゃった。」などと冗談まじりに言っていたが、小津を見ていると「ストーリー」なんてどこにもなくて、画面と語りそのもの(だけ)で詩を作り出している気がする。しかもそれが「映画による騙し」をわざと強調するように作ってあるから奇妙と言えば奇妙なのだろう。
『青春放課後』は近親相姦の臭いをプンプンさせながら進むきわどい話。小津から画面を引いたらこうなるのかと思ってみてたけれど、さすがの脚本でぐいぐい引き込まれた。若い頃のおっかさん(小林千登勢)、かわいかったのねえ。

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『浮草』も見たかったなあ…….。

5/3 引き続き地下に潜る

昨日に引き続き、一日BnF新館で調べもの。まだ途中なので仔細については差し控えるが、知らなかったことがつながっていくことで発見すること多数。さすがに200年前のことだし誰かが書いていることだと思うが、私にとっては重要な発見だったりする。知りたいことの中心はそれぞれの人の中にしかないので、それが仮に一般的常識であっても重要なことなのだ。何かに書く場合は先行研究を押さえないといけないけれども。
それにしてもBnFの合理化には恐れ入るが、それ以上に文献へのアクセシビリティについても見習うべき物を感じる。試しにオンラインの総目録で「プランタン」と打ってみれば、プランタン印刷所の本がそこにリストされ、もちろん閉架図書であるが「予約」ボタンをクリックすると40分後に手元に到着する。上の方で「これを出すのはまずい」と判断されれば拒否されるが、例えば書物の歴史を調べている最中に「本物あったりするかな」と思って検索してポチッとすれば本物が自分の手元で見れてしまうのである。逆に、本当に出てくるのか、あるいは出てきてしまったらどうしよう、私などがそれを見てしまっていいのかという思いで恐怖すら感じる。他に調べる優先事項があるのでポチッとしないが、試しに知ってる名前を検索してみると恐ろしいことになる。
来る前は仕事や環境のこともあるのでヨーロッパに数週間旅行するなんて最後かなと思っていたけれども、近いうちにまた来る意欲が湧いた。本当なら飛行機キャンセルして延泊したいところだけれど(笑)、流石に破産するので大人しく帰る。

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5/2 BnFふたたび

朝からフランス国立図書館の新館で調べもの。と言ってもネットしながらこれまで見た物を情報整理していただけだけど。設備は最高なのだけど椅子が基本的に木の板なので、首に負荷がかかって辛い。あと尻が冷たい&痛いので隣の女子を見習ってラップトップのソフトケースを敷くことにする。
図書館に来る途中で保湿クリームの買い替えをしようと思ったのだけれど、同じ物が売っていない。昨夜メーデーの中唯一やっていた薬局でお姉さんに聞いてみたら、類似品は無かったのだけれど「このメーカーはポピュラーだから他の薬局で見つけられると思うわ」と流暢な英語で言ってくれたので(女神)、朝から数軒当たってみるが同じ物が無い、もしくはやたらとでかい。最後に入ってみた薬局で、薬剤師(なのか?)のおばさんが「何が欲しいんだ」と言うのでメーカー名を連呼したら首を傾げて「ひょっとして、これ?」とコンドームを指差された。違う…….。でも英語で症状を説明したら別のメーカーの類似品を勧めてくれたのでいいおばさんだったけど。
こっちに来ていろいろと物を見て新しい知見を得ることは確かだけれど、どちらかと言うと今までに知識として知っていた物について「あっ、そういうことだったのね!」と閃く/納得することが多い。アハ体験というやつでしょうか。プランタンやグーテンベルクの印刷、メルカトルやフンボルトの地理学、あるいはキルヒャーやシュリーマンの考古学についてだって、時代と地勢の中で見て初めて理解できた気になる。そうして自分の目で見た時に初めて「あっ、あの時あの人が言っていたのはこういう意味だったのか!」とわかる。今まで本当に何も考えずに知識をただ言葉として憶えてたに過ぎないんだなあ。高校の世界史の授業だって、ただ「古代エジプト文明ではヒエログリフが使われていました」じゃなくて、「ナポレオンのエジプト遠征で見つかったロゼッタ・ストーンの発見によってヒエログリフ、デモティック、ギリシャ文字の3カ国語が対応づけられ、シャンポリオンが解読に成功しました。シャンポリオンにロゼッタ・ストーンを見せたのは数学者のフーリエで、エジプト遠征にも随行していました。エジプトにおける学者達の研究成果をまとめた『エジプト誌』は当時の科学的見地と印刷技術を結集したもので……..本物は町田国際版画美術館にあるから見に行きましょう」という感じで教えてくれればいいのに!
それからミュージアムや図書館を回って思うのは、誘目性や雰囲気(「センス」?)ばかりを追求している日本のデザインの現状の中で、自分達の立ってる土台にある印刷やタイポグラフィー、グリッドや色彩論、百科全書や博物館・図書館などの知の構造と情報普及のあり方や科学的視覚化、引いては文字や絵などの記号とメディアに関わる歴史全てが「今デザインすること」に繋がっていて、そんなことは大学でさんざん言われていたし頭ではわかっていたのに、ようやく納得できるようになったのだということ。ようやく血肉になりはじめて、膨大な空き棚が見えてきたこと。今思えば勝井先生や寺山先生にはそこまでの射程が見えていたのだ。改めて恐れ入る次第。

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朝は一桁台まで気温が下がる。