9/19-10/9

サントル・ポンピドゥーのマグリット展、ロシア現代美術展を見る。
マグリットは8年ほど前にミランでの回顧展に出くわしたのだが、それがとてもよく構成されていたことが印象に残っている。彼の方法論を分類してひとつひとつの方法ごとにセクションを区切り、そこに作品を組織して配置していた。初めてまとまった作品群を見たこともありとても刺激的だったのだが、ベルギーのマグリット美術館(王立美術館の一部)で見ても、今回の展示で見てもどうもしっくりこない。いつも通りここの展示は建物といい照明といい配置といい観客の多さといいよろしくないのだが、構成のせいなのか、環境のせいなのか、はたまた8年前の自分が若かったせいなのか、あまり琴線に触れるものがなかった。シュルレアリストの中では一番軽さがあって唯一好きだと思っている、あるいは思っていたのだが(アルプは除く)。なんだか偉大な画家として扱われる風潮も少し可哀想だと思うし、絵が上手い/下手みたいな観点で見られて批判されているのを目にすると、それもお門違いだなと思う。なぜかシュルレアリストはフランスでは過剰に持ち上げられていて、人気があるのか知らないが、古本屋や古本サロンでも特別扱いされている。しかし価値をちゃんと理解されているともあまり思えず(まあ本屋はビジネスなのだからしょうがないが)、誰かがちゃんと擁護するべきだと思うが私もそこまで熱狂的ではないので手は出さない。
ロシア現代美術展は「政治と芸術」というタイトルもしくは宣伝文句がつけられていて、説明書きを読むとロトチェンコやリシツキーの名前があったから覗いてみたのだが、いわゆる「現代美術」しかなかった。「政治的困難」がひとつの特産品、専売特許である現代の彼の国の美術は、中国のそれと同じように陳腐な常套句化してしまっており面白いものは見出せなかった。フランス人の友人はひとつだけ面白い作家がいたとは言っていたが。

シネマテーク病を治さなければと思いながらジョゼフ・フォン・スタンバーグの回顧上映に断続的に通ってしまう。彼の黒白の画面の作り方、とりわけ祝祭を撮るときの手腕は心洗われるものがあり、なかでも『上海ジェスチャー』はグリフィスばりの賭場の舞台美術、エキストラの動かし方、ウォルター・ヒューストンとオナ・マンソンへの演出など素晴らしかったのだが、その後に見たジョン・フォードの1本で完全に頬を殴られたかのように正気に戻る。川辺で釣りをする黒人とその横に佇む白人老人、その冒頭の1ショットから既にジョン・フォード。他の幾多の映画ももちろん素晴らしいのだがフォード、ルノワール、小津の3人の映画を繰り返し見ているだけで人生満ち足りるとふと口走りたい衝動に駆られる。
ジャック・ターナー『Griffe du passé(過去を逃れて)』
成瀬巳喜男『Frère et sœur(あにいもうと)』
フォン・スタンバーグ『La femme et le pantin(西班牙協奏曲)』
フォン・スタンバーグ『Le Calvaire de Lena』断片
フォン・スタンバーグ『The Salvation Hunters(救ひを求むる人々』
フォン・スタンバーグ『I Claudius』未完
フォン・スタンバーグ『Shanghai Gesture(上海ジェスチャー)』
ジョン・フォード『Le soleil brille pour tout le monde(太陽は光輝く)』

9日、マレ=ステヴァン(ス)設計の集合住宅(14区)の特別公開に参加する。本当は欧州文化財の日に見られるはずだったのだが、情報の不行き届きのためインターネット予約が必要なことが周知されず、見られないことを知った訪問客が半暴動状態になったため、仕方なく現在の住人の方が特別に再訪問の機会を作ってくれた。2部屋見せてもらったが、その一つは家具がかなり良い状態で残されていて、やはりラ・クロワのカヴロワ邸の修復は考古学的水準にあったと言えどもオリジナルとして見ることは不可能だったと悟る。マレ=ステヴァンス通りの彫刻家のアトリエは素晴らしかっただけに、残されている建物が少ないのは我々にとって残念だと言うほかない。おそらくル・コルビュジエ礼賛一辺倒の言説は少なからず覆されたと思えるのだが。

9/1-9/18

引っ越し。その合間に家と銀行を何往復かし、残高証明書の手続き。翌日滞在許可証の更新手続き。それからまた友人宅に預けていた段ボール箱を運んで、ようやく諸々完了。パリの北側から南の端へ。家が変わればまた生活圏も新たに築くことに。

部屋の備品であるはずの鍋とフライパンが無く、発注したが1週間経っても来ないので確認に行くと、「覚えてたけど部屋番号がどれかわからなくなって」と言われる。素直に「忘れてた」と言えないのか。それから冷蔵庫が製氷庫の結露で氷穴化しているので、7月から数えて3回めの霜取り。なんでもうちょっとまともな冷蔵庫作れないかね。製氷庫の蓋の壊れていない冷蔵庫にいまだもって出会ったことがない。

7日、日本からK島さんが来たのでいつもの中華料理屋で飲む。「前は文句ばっかり言ってたけどパリを好きになったのね」とまた言われる。現代のパリは街としては一貫して全く好きではない。

9日から、友人に招かれてロワールの一軒家に2泊。シュノンソー城、ショーモン城、ブロワ城と中世・ルネッサンスの城を見て回れたのも良かったが、何よりも畑の真ん中に建つ16世紀の旧農家の家は特別で、夕暮れ、星空、朝とどの時間も美しかった。

フォン・スタンバーグ『Fiève sur Anatahan(アナタハン)』
フォン・スタンバーグ『Agent X 27(間諜X27)』
デュヴィヴィエ『Toute la ville danse(グレート・ワルツ)』
デュヴィヴィエ『La femme et le pantin(私の体に悪魔がいる)』。

17-18日、「欧州文化財の日(Journées européennes du patrimoine)」。14区のマレ=ステヴァンス設計の集合住宅が初公開だったので朝からやる気を奮発して行ったものの、「予約していないとダメ」と門前払いを喰らう。公式ウェブサイトには予約が必要とは書いておらず、紙版のプログラムにはそもそも建物自体載っていない。私も怒ったが並んでいた半分以上の人たちも「我々のせいではない」「そもそもどこに載っているんだ。完全に隠されてるじゃないか」「ふざけるな」と騒ぎ始め、担当の人に詰め寄る。同じく楽しみにしていたBに電話すると「ちょっと待て。検索してみるから。見つからなければ私も暴動を起こす。」と言い始める。結局係員が折れて、予約サイトのアドレスを教えてくれ、別の日に見せてもらえることに。
覚書:
・Atelier Chana Orloff
・Atelier Jean Lurçat
・Bibliothèque Centrale du Muséum national d’histoire naturelle
・Ministère des Relations avec le Parlement
・Ministère de l’Agriculture
・Ministère de l’Aménagement du Territoire, de la Ruralité et des Collectivités territoriales
・Hôtel Matignon
・Palais du Luxembourg – Sénat
・Bibliothèque Sainte-Geneviève

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8/24-31

シネマテークでマイケル・チミノ『The Sunchaser(心の指紋)』。これだけはDVDでも見ることの叶わなかった作品で(高すぎて)、今年7月に亡くなってしまったため結果的に長編最後の作品になってしまったが、ついにチミノは楽観的な作品を撮ったのか!とそれだけで手放しで喜べる作品だった。アリゾナの荒野をインディアンの駈る馬たちとキャデラックで並走する時、やった、チミノはやったぞ!とこっちが勝手に作り上げた物語の上での勝利を祝福したい気持ちになる。もう初めから失敗の分かっている苦い時間の中で、最大限魅力的に描き出された刹那的な幸福を楽しむこともないのだ。
平和な家庭のごく社会的な立場のある人たちが、ひょんなことからその社会の外で生きる人に振り回されることになるという点で自作『逃亡者』のやり直しでもあるが、今回は遥かに喜劇的。他の誰かが「狂っている」と思おうが、常識的なことのその先にしか幸福がない、あるいはそれを成し遂げること無しには「自分」が存在しなくなるのだ、という映画にだけ許されるのかもしれない信念に私は乗る。そしてそれを信じたものに、ついに奇跡は訪れた。「私はやらなければならないことをやるだけだ」という『シシリアン』のセリフは、チミノの作品に生きる人たちにいつも共通する生き方だった。それが『天国の門』のような惨劇になろうとも、人はやらなければやらないことをやるしかないのだ。
それにしてもチミノの撮る「山」の素晴らしいこと。『ディア・ハンター』で鹿狩りに行ったデ・ニーロが歩き回る、霧がかった山。『シシリアン』で義賊の頭領となったジュリアーノが「家」とする乾いた山、そして自らの土地としての山。そして『心の指紋』でついに辿り着いた、探検地図に出てくるような雄大な西部の山。山や斜面をこんなに撮ることができる現代の映画作家は他にいなかったのではないか。

続いて、初めて劇場で『シシリアン』(35mm)を見たが、あれ、アル・パチーノなんか出てたっけ、しかしかなり若くて痩せているな、そんなことを忘れるぐらい私の脳細胞は死んでいるのか?と思って見ていたが、エンドロールを見ると『バートン・フィンク』のジョン・タトゥーロだった。試しに「John Turturro Al Pacino」で検索したらそう思っている人たちも結構いて笑える。
冒頭から爽快な脱ぎっぷりでうっとうしいほど気取った口調で英語を話す、ファスビンダー映画のヒロイン、バルバラ・スコヴァ。どうしてドイツ系の俳優をイタリアを舞台にした映画のアメリカ人役に配役したのかわからないが、ドイツ系であることを抜きにすればかなりハマっている。それを超越するだけの力はある。ところで、ヒロインが小柳ルミ子似。