8月某日 パルマの教会群

朝はパン屋に行き、揚げたポレンタやらほうれん草を詰めた薄焼きのパイやら、興味深いものを買う。
昼から日本と学生面談および会議をし、夕方から教会を見て回る。昨日見られなかった大聖堂の礼拝堂。多角形平面の小さな礼拝堂だが、アンテラーミによる壁の意匠には独特のものがあった。
その後、サンジョバンニバッティスタに行く。こちらもコレッジョの天井画が有名で、昨日と同じくお金を払うとライトで照らせるのだが、天井だけでなく側廊なども照らせるらしい。クーポラと内陣だけ照らしたが、コレッジョっていうのは綺麗なルーベンスみたいなもんかな、という印象を受けた。ものの本にはバロックの始まりだと書いてあるが、そういうことなのか。
最後にサンパオロへ。こちらも部屋の一室の天井画がコレッジョの手によるもの。知らなかったがギニョル(イタリア語で言うと何か)の小博物館があって、イタリアの劇に明るくないので誰が何だかはわからず、いろいろ想像を膨らませながら見た。一部だけアジアの人形が遠いてあったが、やはり憤怒や見えない怪異のようなのを描かせたらアジアには敵わないだろう、と思った。
帰り道に新刊本屋があったので覗いてみたが、ペーパーバックばかりで、造本としてはあまり惹かれなかった。2件目の大型書店を覗いた時、試みにカルヴィーノがどのような扱いになっているか見てみたが、新装版でほぼ前作が並んでいた。挿画が現代風ではあるがなかなか興味深かった。漫画では手塚、永井豪、池上遼一などが人気そうだったが、水木さんは『昭和史』しかなかった。イタリア人には妖怪はわからんのかなあ。
夕食はスーパーのサラダと、昼飯の残りで済ませる。

8月某日 ボドニ博物館

パルマ。午前中は洗濯に充てていたので、朝からコインランドリーに行く。待っている間にカフェで朝食。フランスのカフェはクロワッサンがあったりなかったり程度であまり重視されておらず、料金もカウンターとテーブルで全く違うので、もう少しイタリア寄りにしてくれるとありがたいんだがな、とつくづく思う。
昼からボドニ博物館へ。パルマに来た最たる目的はこれである。昨夜通った煉瓦造りの城砦のような建物の中だが、これはファルネーゼ家が作りかけた「ピロッタ宮」という宮殿らしい。
ボドニ博物館には、ジャンバティスタ・ボドニの活字のパンチ、母型、印刷物、それに実際の鋳造器具などが置いてある。博物館は部屋の仕切りがいらないほどで、プランタン=モレトゥスのようなものをイメージしているとかなり小さく感じる。デジタルアーカイブ開発者としては興味深いことに、最後の空間に100型はあるだろう巨大な光学式タッチパネルのデジタルアーカイブが設置されていた。選択した書籍のスキャン画像を全ページ見ることができるが、書籍のビューアを拡大できて、このサイズのモニタで見るとそれだけで結構面白い。サイズというのは案外重要な要素なのである。イタリアの機械にしてはよく動いていると思う。
ピロッタ宮の上階にはまず古い劇場がある。何度かの改装を経ているが古典的な様式を残し、現代まで使われているものだという。舞台は奥に行くほど高くなるよう軽く傾斜がついていて、客席からのパースペクティブを計算して作られていることがよくわかる(当たり前のことなのだろうか?)。
劇場の裏には美術館があり、地元の作家パルミジャニーノやコレッジョの作品、Jan Soensの創世記、カラッチ、コントラストの強いバルトロメオ・スケドーニ、ダ・ヴィンチの「ほつれ髪の女」、カナレットなどを見ることができる(それにしてもカナレットはどこにでもある)。ヴェネツィア絵画やフランドル派の影響を受けてスタイルが変容したこと、またファルネーゼ家の支配からスペイン、フランスブルボン朝の支配を受けてこの地の文化が二転三転したことを見て取れる内容であった。
その後、サンタ・マリア・アッスンタ大聖堂、サン・ジョバンニ・エヴァンジェリスタ教会などをまわる。前者はクーポラにコレッジョの天井画があるが、2ユーロ払うとそれがライトアップされる仕組みになっている。子供の頃にあった、動物園で100円払うと動物の説明を聞ける装置を思い出した。アンテラーミという人物がキリストの復活を描いたレリーフが有名で、隣の礼拝堂も彼の意匠・設計によるものらしい。しかしもう閉館間際だったので出直すこととなった。後者の教会も開いてはいたが、僧たちが経文を唱えている最中だったので、詳しく見ることは控えた。
夕食はこの旅で初めてレストランに入り、Testaroliというクレープ状に伸ばして焼いただけの生パスタ(状態としては蕎麦がきみたいなもんだと思う)と、トロフィというチョロギみたいな形のパスタを食べる。前菜でひよこ豆のクレープを頼んだら、ふかふかで分厚いのが出てきて面食らった。粉もんは奥が深い。
帰ってテレビをつけると、今日は『続・夕陽のガンマン』がやっていた。『Il buono, il brutto, il cattivo』をなぜそう訳してしまったのかと訝しんでもしょうがない。イタリアの人々は母国語でウェスタンが演じられるのをどう感じるのか。