2/20-2/28

2/20(月)
昼、近所で肉料理食べる。重い。夕方、最近思うようなことができず疲れてしまい、小雨降る中散歩へ。サン=ルイ島の東端にある公園から階段で河岸に降りると、増水のため足元まで水が来ていた。目の前を歩いていたカモが二匹、波に流されるようにプカプカと浮かんで消えていく。遊園地化するパリの中で、観光地でない場所というだけで心休まる思いがする。この街はどこへ行っても「お膳立て」されていて、今か今かと人がお金を落とすのを狙っている。落ち着く場所が無いのは無意識に心を圧迫する。
帰ってザルツブルグの友人Jのオープンスタジオに行き、それからフラ語の先生宅に(今週二度目の)お呼ばれ。以前、料理を教えてほしいと頼んだため、それに応えてくれたのだけど、先日は教えられる暇がなかったので改めて、と丁寧に機会を設けてくれた。先生の友人のBのオムレットがおいしかったと伝えたら、今回は彼が3種類のオムレットを作って見せてくれた。シャンピニオン・ロゼ(ブラウン・マッシュルーム)、オゼイユ(フダンソウ)、シブレット(アサツキ)。下拵えから非常に丁寧で、もうそれだけでこのオムレツの美味しさの秘訣のような気がする。準備ができたら一瞬でできあがった魔法のようなオムレットはやはり目を見張るほどうまい。それに先生の梨のタルト。この世の秘密を一つ覗いたような気になる。

2/21(火)
パリ近郊のル・ランシー(Le Raincy)にある教会 Notre-Dame du Raincy(1923) へ。オーギュスト・ペレの数ある教会建築の中で最初のものだという。駅から見るとル・アーヴルのサン・ジョゼフ教会(Église Saint-Joseph)と同様かなり高く見えるが、たどり着いて見ると呆気にとられるほど低い。駅からずっと上り坂になっているが故の錯覚か。「鉄筋コンクリートのサント=シャペル」と呼ぶのはいかがなものかと思うが、サン・ジョゼフ教会と同じくモーリス・ドニとマルゲリット・ユレ(Marguerite Huré)の描画によるステンドグラスが四方の壁ほぼ全面に張り巡らされている様は、確かにサント=シャペルを思わせるほどの壮麗さである。レリーフはシャンゼリゼ劇場でも協働したアントワーヌ・ブールデル。地下礼拝堂のステンドグラスにこの教会のファサードがシンボル的に使われているのが笑いを誘うが、笑うところではないのだろう。
教会になぜか日本語の建築案内が置いてあったので1ユーロで買ってみると、どこかの建築史の本から抜き出してきたペレ紹介及び教会の紹介の切り貼りであった。しかし読んでみるとこれは資料と図面だけを見て書いた文章ではなく、実際にこちらに住んで体験した文章のようで、こんなところまで来て熱心にペレ建築の分析をしている日本人がいるとは頭が下がる。いやペレは建築史の常識の範囲内なのだろうけども、歴史上の常識で済ませるのではなくて、生きている歴史、是非の決定し難い曖昧さの中で書いているところが正直というか、明晰というか。帰り際、日本人の学生らしき3人組が我々と入れ違いに入っていったのに驚く。ほとんど観光客もいない場所なのにどういう経緯で来ているのだろう。おそらく建築学生なのだろうが、殊勝な人たちだ。

2/22(水)
早起きしてサント=シャペル教会へ。行列覚悟だったが開館時間直後に行ったためか行列は全く無し。シャトーやパレの中にあるシャペルの例に漏れず非常に小さいが、上下2段構造になっているのが独特だ。ステンドグラスで有名な上の礼拝堂は、壁際にガイドロープが張り巡らされ、その前に何脚もパイプ椅子が置かれており、かなり台無しである。しばらく座っていたら、驚くことに昨日ル・ランシーの教会に来ていた3人組と出くわした。君たち、訪問する順序が逆だよ。
昼以降は悪巧みを完成させるため、画材屋に行った後は2人で夜を徹する作業。悪ノリに対する瞬発力は我ながら素晴らしい。

2/23(木)
フラ語。中国の若い女の子が6人集団で来て、全く話せないのでスマホを見ては先生に止められ、母国語で会話しては先生に止められ、いつもは初心者にもイチから対応する先生だったが今回は手に負えない感じ。われわれが当てられた時、先生に悪巧みの成果をプレゼント。喜んでくれてよかった。

2/24(金)
昼、友人に誘われて新規開店したラーメンを食べに行き、その後和菓子を買いに行く。こういう本当に日本人がやっている料理屋は現地日本人の避難所になっていて、客の顔や服装を見ていると色々な人生を想像する。
一度帰り、夕方ルーヴルまで年間パスを買いに行く。ここに来てようやくルーヴルに行く覚悟ができたのか、締め切りに追われてるだけなのかわからないが、4回行けば元が取れる。
スイスはアッペンツェルの友人Cのオープンスタジオ。この寮における最後の気のおける仲間になるかもしれない。フラ語の仲間や新しく知り合った人たちと深夜まで話し込む。日本に一年いてもしないような刺激的な会話ができるのはやはり何物にも代え難い。フランスにおいては革命以来街路は人民のものであり、フランス人はカフェのテラス席や公園など街路と繋がりの持てる場所にいつも居たがる、そしてカフェはいつでも皆で集まれる家である、という話を聞いた。本当かどうか確かめたい。

2/25(木)
昼、フラ語。先生が5分だけ抜けなくてはいけなくなり、私とオーストラリアのPに「授業進めといて」と言われて途方に暮れていたら、ドミニカの友人J(おじいちゃん)が突然リードを取り始め、他の生徒を当てて「どこから来たの」「最近何したの」と強いスペイン語訛りでまくしたてたため、一同大爆笑。Pは最後の授業だったが、とんだ講座になった。
夕方、Beaubourgの古本屋でマレ=ステヴァンスの本を立ち読み。おじさんが一人でやっているこの本屋、やはり品揃えが只者ではない。
夜、イランの人のオープンスタジオ。政治的なコラージュ。昨日とほぼ同じメンツで喋る。その後スイスの友人Cがうちにプリンターを使いに来て、ついでに同郷のアーティストの映像を YouTube で見せてくれたが、かなりイカしたおじさんだった。やはりスイス人はクレイジーだ。正直、政治的問題に「目配せした」程度のアートにうんざりしていた私に、Cが「スイスは政治的に大きな問題を抱えていないからこういうことをやったりするんだ」と冗談混じりに言ったのは、素晴らしいタイミングであった。

2/26(金)
昼、フランスの友人Bとその友人2人とピザを食べながら、今後の相談に乗ってもらう。
夜、ラマルク近くで食事するが、いつも通り、食べ過ぎた。

2/27(土)
明日帰ってしまうスイスの友人Cとその彼女のA、それにその友人のFと Boulogne Billancourt の建築散歩。「Musée des année 30(30年代美術館)」から始まり、ペレ兄弟設計のアトリエ、アンドレ・リュルサ設計のアトリエ、コルビュジエのアトリエ、それにマレ=ステヴァンスとコルビュジエとR・フィッシャーがそれぞれ設計した邸宅が並んでいる場所を通り、オートゥイユ温室まで歩く。帰ってみんなでお茶をしていると、彼がプレゼントと言ってエミール・ルーダーの本をくれた。スイス人に貰ったルーダーの本の重みは大きい。

2/28(日)
夜にお客が来るため、朝起きてマルシェに行く。一桁台前半の気温に強い風。売り子の人たちも手をこすり、お互いにカフェを買い合って温まっていた。いつも行く小さな八百屋で Navet Marteau(ハンマー蕪)と言う変わった形の名前の小さな蕪を買う。見るからに美味しそうだ。そして遂にサン=ジャック(ホタテ)を買うが、やはり高し。そして下処理を頼んだらヒモを外されてしまった。残念。その後ピラミッドに行って日本食材の仕入れ。
昼、Cに最後の挨拶に行く。昨日貰ったプレゼントの大したお返しも出来ないので羊羹をあげる。早くアッペンツェルを訪ねて彼の家と畑を見たい。
夜、同じ大学から来ているKさんとうちで食事。初めて会うのだが彼女がいたアントワープのこと、セビリヤのこと、シェンムーのことなど話が尽きず、つい深夜まで話し込む。もっと早く知り合うべきだった。

2/11-19

2/11
朝、フラ語。
昼、養々麺なるものを食べる。乾物の具入りの煮麺のようなもので、体に良さそう。
その後カフェで作業し、またスイスのCに会いに行き、悪巧みの成果を見にいく。夜は日本人の友人達と夕食。

2/12(金)
昼、カフェでスープとタルティーヌ。もう軽い料理しか食べる気がしない。しかし和食を作ったら食べ過ぎる。半ば病的。
帰って作業し、夜モーリス・トゥールヌールの『La main du diable(悪魔の手)』(1943)を見にCFへ。『ファウスト』的な寓話的コメディ。製作が素晴らしく、「悪魔の手」を手に入れた主人公が描く絵画作品がきちんと描かれていたり、過去の「片手」の持ち主が登場して自分の話をする件では幻想的な劇・人形劇・影絵の手法が用いられるなど、美術がとにかく凝っている。この時代におけるスペクタクル。

2/13(土)
夜フラ語の先生の家に行く予定だったが、先生がアンギナなる病気にかかったため延期に。夕方、友人のやってるカフェに行こうとするが、途中で友人がいないことが発覚。しょうがないので建築散歩する。マレ=ステヴァンス通りからギマールの建築群がある辺りを通ってオートゥイユへ。しかし雨が降ってきて、辺りも暗くなった為終了。ピザを食べて帰る。

2/14(日)
朝からル・アーヴルへ。ほんの一泊だがパリから出るのは久しぶりでそれだけで気分が楽になるを感じる。目的はオーギュスト・ペレが設計した戦後の再建区域。近代建築の歴史において建築家主導の都市計画が実際に実現した数少ない事例の一つであり、それを見ておきたかったことが理由である。しかしとにかく寒く、誰かのせいで断続的に雨に降られることとなる。駅から15分ほど歩くと市庁舎に出くわし、再建区域に入ったことがわかる。本当に見渡す限りコンクリートの建物が建っている。幸か不幸か世界遺産に指定され、建築散策ガイドも出来、あちこちでポップ・スターのようにペレが扱われてるところを見るとなんだか見ているこちらが恥ずかしくなる。フランスで近代建築を訪ねると全てがコルビュジエ中心で語られており、マレ=ステヴァンス、プルーヴェ、ペリアン、そしてペレもそれに準ずるのだが、それはキャッチーではあると思うがいい加減にやめた方がいいことの一つである。
マルシェ、サン=ジョゼフ教会、レジダンス・ド・フランス、海岸、アパルトマン・テモワン・ペレ(モデルルーム)、ノートルダム教会、サン=フランソワ地区、艤装業者の家などを見て歩く。宿で聞いたレストランで晩飯を食べてたら、犬と二人でバレンタインメニューを食べてた爺さんが近くで倒れる。みんなで起こして椅子に座らせるが、しばらくするとまた自力で立ち上がって帰ろうとするのでみんなで止める。これを5回ほど繰り返し、最終的には消防車が来て爺さんを連れて行った。この国では酔っ払いは消防士が連れて行くのか。

2/15(月)
朝、海風をモロに浴びる港の突端に建てられたアンドレ・マルロー近代美術館へ。建築は4人の建築家に4人のエンジニアが関わって建てられたそうで、プルーヴェ設計のアルミの構造体が目を引くが、照明計画が悪すぎて、ちょっとまともに作品が見られない。かなり残念な出来。どういう経緯で出来たのか知りたくなる建物であった。
昼、生牡蠣を食べてグラヴィル修道院(L’Abbaye de Graville)へ。昨日何の気なしに艤装業者の家でセット券を買っただけで何も知らずに行ったのだが、我々が打ち捨てられた修道院を発見したかのような錯覚に陥るほど、静かで落ち着いた場所にある手の加えられていない建物で、中に入ってみると中世の木・石の聖像が手の触れられる距離に飾り気なく置かれており、多くは頭部や鼻、腕や身体の一部を欠損しており、クリュニーの中世美術館の展示物がさらに身近に置かれているような場所である。管理人の黒人さんに聖堂の鍵を開けてもらい入ると、一層ひんやりとした静謐な空間がそこにあり、ここにも多くの聖像が置かれていて、11世紀の建築の中に我々だけがいるという何とも贅沢な経験を味わう。ブロンズ製の黒い聖母子の頭部が印象的であった。
夜の電車でパリに帰る。

2/16(火)
朝、フラ語。その後スイスのCの家で悪巧みの進捗を見た後、夕方には芸大の友人Sさんのオープンスタジオに行き、その足でフラ語の先生宅にお呼ばれする。先生はユダヤ系で、お母さんがよく作っていたという料理を振舞ってくれる。トマトとパプリカを煮ただけなのに非常に甘い。オーストリアの友人Pらと終電が過ぎるまで話し込む。

2/17(水)
昼、妻と一緒に国立図書館旧館地図部門に行き、転送前の数少ない資料を漁る。もうほとんどが見られないのであれこれ中断せざるを得ない。諦めた。
夜はCFにホウ・シャオシェンの『黒衣の刺客』のアバン・プルミエールを見に行く。いつも通り中二階に上がったらシャンパーニュの券を配ってる姉ちゃんに「招待されてない人はこっちじゃない」と言われ裏口に通される。言葉が話せないならセリフをなくせば良い。唐の話だがファンタジーなので日本を含む中国以外で撮影すれば良い。超絶技巧、超絶景、凝りまくった美術。二頭の驢馬をモノクロームで捉える神話的な冒頭は本当にホウ・シャオシェンの映画かと目を疑い、水墨画のような山を馬が行く様は西部劇。もはや本格的に見たことのない映画の領域に達したが、あちこちを彷徨する人物をカメラが追い続ける様はブレッソンの映画や『リミッツ・オブ・コントロール』を思い出させる。終わってしばし呆然とするが、皆スタンディングオベーションをし始めて、監督の顔が見えなくなったので仕方なく立つ。お前らこの映画本当にわかったのか?と言いたくなる。

2/18(木)
朝、フラ語。ランスでなぜか日本の茶寮に入り、抹茶を買って帰って毎朝飲んでいるというオーストラリアの子の話を聞き、抹茶は寺に行った時ぐらいしか飲まないし、強いから普段は煎茶とかを飲むのだよ、日本には茶道というものがあってね、云々と言ったのだが、別にいつ飲もうが構わないしそこから日本文化を知ることは良いことなので、ちょっと否定的に言い過ぎたかなと後で反省する。
夜、悪巧みが完成したというスイスのCの家に行き、2人で飲み更ける。

2/19(金)
朝、オーストリアの友人Fの手伝いでビデオ作品のプロトタイプに参加。光沢のある布を纏ったオブジェを背負い、ポーズをとる。
昼過ぎ、オーギュスト・ペレ設計のシャンゼリゼ劇場の訪問に参加。しかしリハが押しに押しているためなかなかホールに入れず、玄関で身振りの激しいガイドのお姉ちゃんが時間を引き伸ばすため建設の経緯やブールデルのフレスコ画等について喋り捲る。正味1時間以上話を聞く羽目に。かなり修復されてしまっていて玄関・廊下はさほど美しくなかったが、いよいよ入れた中はやはり美しく、鉄骨が可能にした柱のない桟敷席からリハを眺める。モーリス・ドニが下絵を描いたという薔薇の天井、その周りをぐるっと取り囲む同じくドニの描いた演劇の登場人物が集う楽園。
その後ベルヴィルで餃子を食い、リラに行ってアメリカの友人Jのライブ。道中に案内板が出ているぐらい、立派なジャズ系のコンサートホールであった。お土産に柚子胡椒を渡す。
終了後、家まで歩いて帰る。

2/8-10

2/8(月)
昼、トッド・ヘインズ『エデンより彼方に』見に行く。サークの『天が許し給うすべて』へのオマージュというべきかパロディーというべきかいい言葉が見当たらないが、もじりとかひねりとかいう日本語が一番ぴったり来る。サークのものは若い娘と息子を持つブルジョワの未亡人が、雇っていた庭師の息子の若い白人男性に惹かれ、周囲の視線と子供達からの反対によって一度は諦めながらも結局は彼と暮らすことになる(窓には鹿)。こちらは夫は生きているけど同性愛に悩んでおり、恋に落ちる庭師の息子は子持ちの黒人、メイドの女性も黒人で同じサークの『悲しみは空の彼方に』を想起させる。この設定はかなりファスビンダーっぽいし(『不安は魂を食いつくす』は未見)、タイトルのタイポグラフィー、服装、美術の徹底ぶりは美しくも笑える。ジュリアン・ムーアがアホっぽく見えるのはサーク同様(なんであんなに太って見せてるの)。映画におけるリアリティなんか微塵も信じていないようだ。しかし途中から画面に集中させられ、単にパロディーへと転ばない姿勢を感じる。いつもヘインズの映画は主演よりも助演が素晴らしく、主人公がいつもお人形さんなのに対して、まわりはかなり良い演技をしていて、今回もムーアの相談相手となる女性が素晴らしかった。

2/9(火)
朝、フラ語。オリヴェイラの映画を見に行った話をすると、彼がフランス好きでフランスの俳優と仕事をしたりしたこともあり、フランスでは特に有名だった、という話を聞く。またオーストリアの友人からは彼のレトロスペクティブが母国で定期的に行われていると聞き、イスラエルの新しい生徒さんからはオリヴェイラ本人に会ったことがあると聞き(「映画の家」ではなく間違えて本宅に行ってしまい、なんとご本人が現れたとのこと)、日本では映画好きの間でしか知られていない彼のことでこんなに話が広がることを嬉しく思う。
講座の後、ある悪巧みのためにスイスの彫刻家の友人Cと一緒に素材を探しに行く。最初、フラ語の先生に勧められた Weber という店に行ったら工場のような場所に金属が並べられていて、それは圧巻であったが我々の探しているものはなく、次に行った Boesner という美術素材屋で石膏とポリウレタンを買う。偶然そこで日本人の友人Hに出くわし、彼女はシルクスクリーン用のインキを買いに来ていたのだが、高くて困っていた。そこでCがプロトタイプ用ならノリとガッシュを混ぜたので代用できるよ、と教え、Hは喜んで買って行った。彼は本当に何でも一から作るので色々な技術を知っているのだが、コンピューターだけは自分の思い通りにならないと嘆いていた。私と真逆。
夜、いつもお世話になっているT家を久しぶりにうちに招き、飲む。

2/10(水)
昼、植物園の比較解剖学・古生物館へ。最初に来た時は骨格標本のディスプレイの美しさにばかり気を取られていたが、鉄骨ガラス建築によってこのスコーンとした空間が実現されていることに改めて気づくとともに、標本の入ったキャビネットも同じ素材でできているがためにこの明るさ、明瞭さが実現されているのだなと思う。今回はちゃんとどの動物の標本なのかをいちいち見ていったのだが、「otarie」という動物の名前に親近感を持つ。アシカ。
帰って昨日の残りを食べ、作業。

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2/6-7

2/6(土)
朝から国立図書館旧館へ。ひと月ぶりぐらいに地図部門に行くと、衝撃のことが発覚。旧館の地図部門は3月末で閉鎖され、5月末に新館で再オープン。それに伴い、既にほとんどの本は転送のため閲覧不可、それ以外の本も順次閲覧終了になっている。これはかなり痛い。しばし呆然とする。どうしたらいいものか。
18時頃、CFでマノエル・ド・オリヴェイラの『Visite ou mémoires et confessions』。上映前、シネマテーク・ポルトゥゲーズの方とフランスでのオリヴェイラの協同者がご挨拶。ポルトガルでもほとんど上映の機会がなかったというオリヴェイラのごく私的な記憶についての作品で、これがパリ初上映だという。会場にも何人か彼の協同者がいらしたようで、国際的なレジスタンスのネットワークのようだ。映画はオリヴェイラの住んでいたという40年代のポルトの近代建築に姿の見えない1組の男女がダイアローグを交わしながら入っていくという構成。建築の構成とそれにまつわる記憶を語りながら巡っていくと、誰もいないその家にはオリヴェイラ本人がいてタイプライターを打っている。傍らにはモナリザの複製。私は数十年前からここに住んでいるが今度売ることになったと語る彼はおもむろに「見せたいフィルムがある」と言ってカメラに向かって映写機のスイッチを入れる。そこには自分の両親や兄弟、自分の育った環境についての映像が流されるが、彼の長寿のおかげで19世紀末・20世紀初期の写真や映像が身近なものとして提示され、時空が歪む思いがする。妻も登場して花壇の花を手折って手に持ちながら彼との協同作業について語る。日が暮れるに連れてダイアローグを交わしていた男女は暗闇の中おぼろげな後ろ姿だけ見せて帰っていくが、語り手だった彼らがいなくなった後もオリヴェイラ自身が今書いている脚本についてカメラに向かって語り続け、夕闇ではっきりとは見えないがさぞや美しいであろう窓からの田園風景を映し、フィルムがなくなって画面が真っ白になり、映写機の音だけを響かせながら映画は終わる。
晩飯はバカリャウ飯の残りと白飯の残り。

2/7(日)
朝、マルシェ。久しぶりの晴天。最近は朝の光が綺麗だ。早朝に来るとマルシェもかなり空いていて、歩きやすいし買いやすい。いつも起きられればいいのだが。「オゼイユ(フダンソウ)ちょうだい」と言ったら「オゼイユはフランス語でお金のことだよ」と言われる。帰りに調べてみたら本当だったが、でもオゼイユはオゼイユとしか言いようがない。
夕方、オートゥイユ庭園で日を浴びるがものの数分で小雨が降ってきて寒くなる。誰のせいだか。正面のではなくサイドの温室が改装されて展示が充実していた。しかしここは人が少ないしいいところだ。精神的に何回か助けられた。私のオアシス。
夜、アメリカの友人Jのコンサートでベルヴィルへ。友人のHと妻と一緒。噂の餃子屋に行ったが確かにうまいし安かった。時間通りにライブ会場のカフェに入ると、言われていたのと一時間ずれていて、ビール飲みながら待つことに。で、ようやく始まった1組目のバンドがちょっといただけなくて、またすぐ上に上がる。2組目のJは彼が言っていた通りベースとドラムのスラッシュなノイズ・デュオだったが(耳栓が配られた)、やっぱりJのドラミングからは目が離せない面白い叩き方をする。終わった後もう帰ろうかと思ったがHが次も見たいと言うので、じゃあ触りだけ、と聞いてみたら若い女の子3人組のロック寄りのフリー・ジャズで、グロッキーなぐらい裏の裏をかいてくるのだけど、特にサックスがかなり骨太でよく勉強してるし才能あるなと思わせる。思わず最後まで聞いてしまった。名前は「コンニチョアー」とかそんな名前だった。フランスにもこういう人たちいるのね(自己陶酔するバンドばかりで)。

2/4-5

2/4(木)
日が短くて嵐のように月日が過ぎていく。もう2ヶ月ないのに。
朝、フラ語。またフランスの機械が嫌いだ、という話になったが、「じゃあ日本の原発はどうなんだ」と言われる。ああ、確かに。フランスの場合は機械じゃなくてみんなルールを守らないからだ、という話もあり、それは一理ある。日本じゃ誰も改札登って突破しないし、無理やり出口から逆行したりしないからな。あと先生は行列に並ぶのは好きらしい。時間なんて近代人が発明したものなのだから禅の気持ちで待てと。うち禅宗じゃないし無理。オーストラリアの友人Pがメトロの券売機のシリンダー式インターフェースの真似して可笑しかった。
夕方、妻は歯医者に行き、私は髪を切りに行く。ようやく近所の唐揚げ屋が開いている時間に行くことができ、400g 買って帰る。日本にいる時唐揚げ食べたいなんてあんまり思わないのに、2人で無心で食い尽くす。あとカップラーメンもよく食べる。健康って何だっけ。

2/5(金)
朝方から国立図書館旧館。
帰って先日ポルトガルの友人が作ってくれたバカリャウと炊いた米(料理名不明)を再現してみるが、バカリャウの戻し時間が足りなかったようで、しょっぱい。1時間ぐらいしか戻してなかった気がするのだけど、やはり一晩ぐらい戻さないとダメなのか。2、3回薄めて煮直す。割と日本人受けする食べ物だと思う。
ここ2日、変な時間に寝ては変な時間に起きてしまう。気が焦っているからか。多木浩二『都市の政治学』読む。
そういえば帰りに『ハイジ』実写版のポスターを見かけた。じいさん、ブルーノ・ガンツなのかよ。

2/3 アフリカの女王

2/3
朝起きたら、大学に出した報告書の写真が拒絶されていた。メトロの券売機に貼られた「故障中」の貼り紙。あれこそ現代パリを象徴する写真だったのに。
ファスビンダー『ケレル』を見にCFへ。しかし「ここじゃない。プラス・ディタリーだ」と言われる。どうやらCFだけじゃなくてパリ各地で行われるフェスティバルだったらしい。分かりづらい!
しょうがなく対岸の図書館に行き、書き物して夕方再びCFに戻り、ヒューストン『アフリカの女王 African Queen』(1951)見る。CFでフィルムを見るのは久しぶりだ。ハンフリー・ボガードをカラーで見るのは初めてだなあと思いながら見ていると、無茶苦茶無謀な撮影をやっている割にラストのコメディっぷりにズッコケてしまう。まあオープニングからコメディだったが。
帰り際、やけに人が多く、警備も多いなと思ったらポール・ヴァーホーベンがいた。でもこの施設はなんでスコセッシ、ドパルデュー、ヴァーホーベンなんて特集を続けるのか。

1/31-2/2 去る者もいれば

1/31(日)
スイスの友人Cとその彼女Aと夕食を共にする。彼らはザンクト・ガーレン近くのアッペンツェルという町に住んでいて、かなり典型的な古い木造家屋に住んでいる。1日2回暖房の世話をしないといけないらしく、五箇山山荘みたいな暮らしをしているようだ。スイスのデザイン会社の労働環境について話したが、あちらもデザイン会社は同じような状況のようだ。過労死なんか信じられないと言っていた別のスイス人Mの話からすると意外。でもフランス人よりはスイス人の方が圧倒的に日本人に近い気はする。公共交通や町の中のシステムがしっかり体系化されていること、機械がちゃんと動くこと、デザインがしっかりなされていること、食肉の売られ方など共通点は多い。フランスの TGV のデザインって本当にひどいよね、という話で激しく同意し合う。
スイスには牛の慣用表現がいっぱいあるそうで、「牛の中のように暗い」という表現があることを教えてくれたが、なんで他でもなく牛の中なのかはさておき、「牛の中ってどの辺?」って聞いたら、「牛の中のどこかだよ」と言われた。
彼は〆鯖をいたく気に入ったらしく、定期契約を結んで毎週ポストに入れておこうか、という話になる。マグロやサーモンと違って鯖は破格に安いので、こんなので良ければいつでも作る。土手煮は「グラーシュみたいだね」と言っていた。作ってる最中、ブッフ・ブルギニヨンみたいな色だな、とは思ったが(ちなみにブルゴーニュの人は食べないのにパリでは馬鹿みたいに提供されているのがブッフ・ブルギニヨンである)。

2/1(月)
夜、アメリカの友人でドラマーのJがコンサートのため再びやってきたので日本食を振る舞う。本当は2月にフランスのバンドと制作したレコードが出るはずで、録音からジャケットのデザイン、各スタッフへの支払いまで全て終わっていたのだが、バンド・リーダーとレーベル・オーナーのテロをめぐる政治的論争の末、完全にご破算になったそうだ。いかにもフランス的だね、と話す。
私の〆鯖はついに鯖寿司へと結実し、最終形を見た。見た目がアレな土手煮、欧米人には意外と鬼門らしい「甘いじゃがいも」である肉じゃがも難なく「うまい」という彼は、いわしの金ごま和え、山椒昆布がやたら気に入ったようで「これは日本のマーマイトだ!これとご飯だけでいけるよ!」と喜んでいた。青魚が嫌いなアメリカ人は多いそうだが彼は全然大丈夫で、柚子胡椒はどこで買えるのか、シソはやばい、煎茶も麦茶も最高だ、と言っているので彼は日本人になれると思う。盆栽詳しいし。
シカゴの某美大は良い学校だが生徒が美術以外の教育を受けてこない場合が多く、全く本を読まないし全然物事を知らない生徒ばかりだそうだ。どこかで聞いたことのある話だ。アメリカは 99% アホだけどほんの一握りだけ教養豊かで見識のある人々がいて、そういう人たちは本当に素晴らしいのだけどと言っていた。

2/2(火)
朝、フランス語。低脂肪食品なんかまずくて食えるか!と先生が言うので「コカコーラ・ゼロ」という発想が嫌いだ、と言うと激しく同意される。「ヘロイン抜きのヘロインみたいだね」と笑う。オーストリアの友人Jと先生が Super 8 の話で紛糾していた。あれは家庭的で良かったのに、と。『Carol』の話をしかけたが、途中で終了時間が来る。「ダグラス・サークはちょっとキッチュだ(un peu kitsch)」と言うと、「めちゃキッチュだ(un peu BEAUCOUP kitsch)」と言われる。
夜、もう料理したくないのでチェーンのカフェでスープとパンだけ食べる。バターとチーズ、肉類に食傷気味。