9/2 リヨン最終日。タピスリー、リュミエール、クロワ・ルース、トラブール

早くもリヨン滞在の実質最終日。個人的な趣味でフラ語の先生オススメのパティスリー、マルシェに行った後、装飾芸術博物館・タピスリー博物館に行く。しかしここは意外にもあまり面白さがわからなかった。ファッション系らしき日本人女性二人は興味深そうに見ていたので、そういった知識のある人には違いがわかるのだろう。服飾に疎い私には貴族の衣装のディテールなどは差別化しづらい。その後リュミエール博物館に行った。映画好きには聖地のはずだが、機嫌が悪かったためあまり楽しめず。旅行の日中は携帯の電波は切っておくべきであった。疲労困憊する。

見るべき物は大抵見たのでそのままもうひとつのパティスリーに行き、「サン・ポッサンのケーキ(Gâteau de Saint Pothin)」という先生一押しのお菓子を食べる。確かにおいしいが、日本人的に快感を覚えるようなものではなく、あくまでフランス人好みはフランス人好みなのかな、と思う。頭ではうまいとは思うが、何か深いところから喜びを覚えるものではない。以前、先生が日本人の作ったケーキを「日本人の美意識でフランスのお菓子を作っていて、それはそれとして良いと思った」と評しており、それはあくまで「日本人の美意識は認めるけれどもフランスの菓子を日本人が理解して作れるとは思わない」ということでもある。まあ確かに中国人や韓国人(引き合いに出して悪いが他意はない。あらゆる外国人と交換可能。)が日本家屋を勉強して設計しても、日本人は俄かには認めないだろう。確かにそういう評し方をするかもしれない。

その後、近くの総菜市場「レ・アル」(リヨンの有名シェフ、ポール・ボキューズのプロデュースする市場)に見学に行く。腹も空いてないし金も無いから見てるだけだが、美食の街と言われるだけあって何から何まで美味そう。「生牡蠣を食え」と言われていたが、少し抵抗はあるし1プレートで軽く3千円以上はしたのでやめておいた。以前モロッコ人と一緒にマルシェに行って彼らが生牡蠣を勧めたので「危なくない?」と言ったら「なんで?」と言われたのでこちらの牡蠣はあたらないのかもしれない。鮮度の悪さであたるのは別として。ただ、牡蠣だけで地方ごとに何種類もあり、広島産と宮城産とその他色々を食べ比べるようなものだが、その数の多さ、食べることへの飽くなき欲望というものに平伏する。本当に食に関しては罪深き人たちだと思う、フランス人は。

その後、クロワ・ルースの丘に登り、雨天でも濡れずに織物を運ぶために作られたというトラブール(Traboule)という通路を巡る。街路からアパルトマンの中に入り、建物内の通路や階段を抜け道的に通ってそのまま別の街路に抜け、またすぐに通りを挟んだ次の建物に入れるという仕組み。丘の斜面に建てられた街なので高低差もあり、映画『薔薇の名前』の修道院の中やピラネージの描いた階段を通っているような気分にもなる。普通入れない建物の中に入れるだけで楽しいのだが、このトラブール探しがまたオリエンテーリング的に楽しい。街角にトラブールの存在を示すタイルを発見し、そこに記された矢印の方に歩いて行くとトラブールを発見できる仕組みである。数日前には何のタイルだろうと訝しんでいたが、そういうことだったとは。

9/1 シュヴァルの理想宮

妻のたってのリクエストでシュヴァルの理想宮(Palais idéal du facteur Cheval)へ。フラ語教室の知り合いから車がないと行けないと言われていたが、電車とバスで行けた。但し、本数は非常に限られているので事前に調べていく必要がある。

着いてみると周りは小さな村で、キャンプ場がある他は特に何もない普通の田舎のようだ。ここのことは何かのガイドブックか漫画で読んだだけで大して何も知らなかったのだが、巷で「アウトサイダーアート」と呼ばれていることには違和感があった。高等教育機関でプロフェッショナルな訓練を受けていないものが作った特筆すべき作品、というならそうかもしれないが、それはいかにも「上から目線」的ではないだろうか。たとえば私が食通を唸らせる料理を作ったとしたら(いやまずありえないだろうが)「アウトサイダー料理」として差別されるのだろうか。だとしたら私は心を込めて業界を「インサイダーアート」と呼びたい。いやはや、ぴったりの揶揄ではないだろうか。私としては枠組み云々を気にする人たちよりも、彼のほうが人類史的な広いパースペクティブを持った本当の意味での芸術家ではないかと思う。実際、これは一人の男が自分が得られる資料から勉強して作った人類史的な宮殿の美術館である。こうした類のものが他にあるか私は知らないが、たとえばオトレの世界博物館もこうしたものの一種だろう。思い立ったが吉日、強い意志のもとに行動を始めた人間が強いだけである。

室内(宮殿内、と呼ぶべきか)に彫られたとてもセンシティブで暗い銘文、ポエムから受ける人格の印象とは逆に(というよりむしろ、そうであるがゆえに)、室外の各所に彫られた彫刻やオブジェにいちいち説明文が添えられていることが微笑ましい。あくまでもこれは理解してもらうために作ったということが伺える。死者の人格など知ることはできないしそれを問うこと自体何の意味も為さないかもしれないが、この建物の各所を訪問していると、この男が随所で語りかけてくるのである。ここではこれを見ろ、これはこういう意図だ、と丁寧に案内してくれる。ある種おじさんの身の上話を聞いているような感覚である。「言っていることはわかるが」というやつである。しかし単に手慰み、妄想の類でこれを作ってしまったというには各所に知的関係が読み取れる。理想宮(Palais Idéal)とはよく言ったもので、これは歴代の「宮殿」の博物館を内包した宮殿、宮殿の宮殿なのだろう。ミュゼオロジーの点でも興味深い。

付属している小さなミュゼには建設計画の下絵、完成までの経緯、それにそこを訪れた著名人の写真や作品なども飾ってあって、興味深いのはダダイズム宣言を書いたアンドレ・ブルトンがここを何回も訪れていることである。他にもピカソやマックス・エルンストも訪れているようだが、ブルトンはアメリカでのダダイズム展のパンフレットにシュヴァルの名を載せているほどである。それはダダイズムが下火になった30年代後半以降の話だし、その頃にはシュヴァルもとっくに死んでいるから、シュヴァルがダダイストを名乗ったわけではもちろんないが、ブルトンの理解には助けになるような気はする。今そこまで調べる資料も余裕はないが。

解説を読み込めばまた印象も変わるのだろうが、とりあえずこれを一人で拵えてしまう熱意みたいなものを注入された。

夜、リヨンに帰ってフラ語の先生に教えてもらったレストランに行こうとするが、半月遅れのバカンス中であった。近くのはやってそうなブションに入って、偶々そこも美味しかったが、内臓料理の臭さには少し疲れてしまった。

 

8/31 友人

今日は大学時代の同級生Mに会う日。彼女は卒業後数年してフランスに渡り、こちらの大学院に行っていたが、フランス人と結婚してリヨンに住むことになった。会うのはもう何年ぶりだろうか。仲間の結婚式で会って以来である。今や2児の母で、こちらも結婚し、お互い大人になったものである(遠い目)。夕方、サン・スーシの駅で彼女と落ち合う。そのまま彼女の家で長女に警戒されながらお互い身の上話。あれからどうしてただの、誰々は今こうしてるだの。フランスで生きていくことはかなり大変だと想像されるがなんとか逞しくやっているよう。夕飯に日本風カレーやこのあたりでしか食べられないチーズまでご馳走になり、すっかりお世話になってしまった。夜は更けて23時頃ホテルに帰る。

気づけば滞在5ヶ月の夜であった。