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4/21 フランクフルト3日目

今日は月曜日、かつイースター。美術館もデパートもスーパーもほとんど開いておらず、レストランも一部しか開いていない。しょうがなく、というか開いているところから選んで考古学博物館、シルン美術館、それと大聖堂にゲーテ博物館と回る。考古学博物館は、石器時代から始まるが主に古代ローマが中心で、かなり小ぢんまりとした展示だった。建物が昔の修道院で中庭式のロの字型なので空間としては外見程広くないらしい。写真は撮れなかったのだが、石器時代の集落が長屋みたいなもので、日本とかなり違うことに驚いたのと、古代ローマの柱などに刻まれた文字とほとんど変わらぬ書体を我々は未だに使っていることは凄いな、と実感する。日本人がヤマト王権、あるいは古代中国を顧みることと置き換えて類推してみるが、全く感覚が違うので無理だった。文字から見えてくることが思いのほか多くて、少ないながらもタイポグラフィーの知識があって良かった。もちろん帰ったら調べ直さなければならないことばかりだけど。
シルン美術館はなんだかよくわからないポップアート的な現代美術(素通り)と、モンマルトルの最も華やかだった時代を特集した絵画展。ロートレックやピカソ、ローランサンなんかが踊り子や娼婦をモチーフとした絵が並ぶ。ゲーテ博物館は、彼がローマへの強い執心を持っていたことが強く感じられた。帰ったら色々と読んでみよう。
帰り道、トラムでとある大学の前を通ったとき、大学を「大学」と言うのと「Univeristy」と言うのでは、全く知の総体に対する感覚が違うのだということをしみじみ思う(もとはラテン語だろうが)。今何も調べることが出来ないが、「University」という概念が出来た時から、知というのは確固とした一大建造物のようなものとして捉えられていたのだろうな。日本人としては曖昧模糊とした雲のようなものでしかない。それはそれで違いとして良いことなのだと思うけれども。
それにしても日焼けか乾燥かはたまた何かの花粉かわからないけれど顔がヒリヒリして腫れている。んー、外国に住むのは無理だなあ。昔はなんともなかったのにな!それとももう少ししたら細胞が入れ替わって順応するのだろうか。

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ゲーテの家にあった時計。

4/20 シュテーデル美術館

フランクフルト2日目。実は昨日からイースターというやつで、店が悉く休み。博物館系もそれがあるので日程調整が大変なのだが、とりあえず今日はカンを頼りにシュテーデル美術館に行くことにする。
ところが、これが本当に凄かった。僕の見てきた美術館の中で、収蔵品の購入と選別、そして展示の編集としては最高の場所ではないだろうか(そんなに誇れる程見ているわけではないが)。特に、これまで僕はアントワープからユトレヒトを通ってフランクフルトにやってきたわけだが、ここのコレクションは主にオランダ、ベルギー、そしてここドイツの絵画の地域的連関に主軸を置いているようで、まさに西洋美術史の数世紀が主題、媒体、技法、描き方、社会的状況などの観点から体感的にかつ地勢的に知ることができるのだ。
図像学的な意味で恐ろしく過剰に記号が密集した14世紀オランダの祭壇画が15世紀後半にドイツに入ってきた経緯、それが16世紀にホルバイン、クラナッハ、デューラー達の肖像画や風景画となり、アントワープの経済的繁栄の恩恵を得て起こったルーベンス、ヨルダーンス、ブリューゲル親子達を中心としたフランドル絵画の隆盛、レンブラントによるスペクタクルの導入とフェルメールを代表とした民衆的な風景画と室内画の発生、などなど。そうした編集がかなり綿密にキャプションから空間的配置に至るまで行き届いている。昔は祭壇画やキリスト教美術なんかまったくわからなかったけど、数を見てると段々面白くなってくるのが不思議。
そしてこれは単なるツーリストのロマンチシズムだけれど、パリで、そしてアントワープでずっと地理学の文献を見てきた後に、ここにあるフェルメール作品の題名はまさに『地理学者』。たまには運命論者になってもいい気がしてくる。気になるところというのは必ず無意識下でつながっていて、気軽に赴くべきなのだ。
18世紀までで既に4時間近く経っていたが、階下の近代美術のフロア、これもかなり良い並べ方と作品購入のチョイス。教科書に載らないような有名ではない作品がほとんどであるが、それでもこれが重要だと思わせるものを持っている。ただ集めているだけじゃなくて、そこにちゃんと選択眼がある。そしてさらりとアウグスト・ザンダーの写真を滑り込ませるセンス。企画展のエミール・ノルデ展も出品点数、編集共に非常に力が入っていて、刮目させられる。難癖をつけるならば動線が時系列ではないことだが、建物の性質上しょうがないことなのだろう。地下が現代美術っぽかったけれども、ちょっとこれ以上見られそうにないので失敬する。

夕方ようやくシュテーデルを見終わり、ちょっと休憩した後に映画博物館へ。なんとここでやっていたのがファスビンダーの企画展で、思わず水を得た魚のようにテンションが上がったが、展覧会自体は「ファスビンダーをテーマにした作品を作ったアーティストの作品」を中心としていて、タイトルは「ファスビンダー・ナウ」。ごめん、そういうの、本気で、要らない。いや誠意を持ってアングルとか切り返しとか照明の検証映像を作ってる人もいるのだけれど、そこに「アーティストとしての私」を出してくる人は、あなたの個展でやってください、としか言いたくない。というか映画の博物館展示ってやっぱり無理があるよね。まあスクリプトとかスナップ写真とかは見れて良かったけれども。常設展は映画装置の発明に関する展示と映画編集技法に関する展示。リュミエールやパテェ、メリエス等の映画初期の多様性に関する上映が楽しかった。

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4/19 フランクフルト、マチルダの丘

昨日はホテルのWi-Fi環境が悪くて更新できず。50Mb以上は有料ってなんだよ。前近代的すぎる。目を疑った。
朝方、ユトレヒトを出発し、ICEでフランクフルトに移動する。中央駅にて昨年末からベルリン在住のOさむさんと合流。痩せてるけど髪が伸びてて蛾次郎というより莫山先生の域に達してる。
軽く休憩してからRBでダルムシュタットに移動。ウィーン分離派のヨーゼフ・マリア・オルブリヒが中心になって築いた芸術家コロニーを見に行く。昔工作連盟や労働者住宅(ジードルンク)について調べていたとき行ってみたかったところの一つだったのだけれど、9年前の訪欧時には旅程的に叶わず。しかしその後ひょっこりとT田さんが行ってしまうという事態に嫉妬(「ひょっこり」はイメージです)。というか、今や『地球の歩き方』にすら載っているのですね。そんなに有名なんだ、ここ。
ダルムシュタットに着いて西口からバスに載ると、15分ぐらいで到着。もっと人里離れた田園地帯にあるイメージだったので、中央駅から地続きの街中にあることに驚き。光悦村とは全く違うのだな。ゲーテアヌムもそういうイメージだけれど。
結婚記念塔に登り、記念館を見て、コロニーをぐるっとまわる。分離派や工作連盟には思うところがあるが、うまく言葉にならないので書けない。ただ、今回来てみて、父としてのオットー・ヴァーグナーの影響はやはり強いのだということを感じた。ウィーン分離派、工作連盟、ユーゲントシュティール、もちろんアーツ・アンド・クラフツや表現主義があって初めてバウハウスやデ・スティルを取り上げるべきなのであり、膨大な物を見なければそうした不可分で漸進的な変化を総体として掴めないのだな、と思う。これは日本にいては到底不可能なことで、そういう意味では来て良かったなと思う。
夜はホテルに移動。ドイツに入って思うのは、いままでフランス、ベルギー、オランダと、美術館からスーパー、コンビニまでほとんどクレジット払いでやってこれたのに、ドイツは全然使えないのが困る。デビッドカードなら使えるらしいのだけれど、そんなの作る暇無かったし。あと、そこらじゅう小便臭い。

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4/18 リートフェルト

ユトレヒトに来た目的、それは9年前に来たとき見られなかったセントラール・ミュージアムのリートフェルト・コレクションを見ること。シュレーダー邸は見れたけど、移動の時間が迫っていたので後ろ髪引かれながら片手落ちにて失礼した記憶がある。思えば欧州は4回目で、それにしてもこんな可哀想な英語しかやりとりできない自分が哀れでならない。
折角だからということでシュレーダー邸も行くことにし、朝11時に予約。歩いて行けそうなので朝の散歩がてら早めに向かうことにする。いかにもオランダらしい建物が立ち並ぶ通りの真ん中に美しい並木道が走っていて、嫌みではない現代彫刻が点々と置いてあり、街に対する意識の高さを思い知らされる。30分ちょっと歩いてシュレーダー邸に着くと、まあ一種の楳◯かずお邸のような異質さがあるが、さすがにあれとこれとを一緒にしたくない。景観に対する意識の高さは一方で排他的で保守的な方向に走りがちで、周囲の冷ややかな目もあったかもしれないが、これを貫き通せたのはリートフェルト以上にシュレーダー夫人(未亡人)の理解と意志の賜物だろう(オーディオ・ガイドによれば、実際夫人の娘は幼少期に「私はあの風変わりな建物には住んでないよ」と友達に言っていたそうだ)。夫人の嫁ぎ先が名士だったなら尚更その意志は固かったのだろう。リートフェルトにとって初めての建築だったわけだし、名声でゴリ押しできたわけでもない。この家をこうさせたのはやはり夫人の意志が大きいのだ。エラスムス通りの土地が売りに出された時にそれを買ってリートフェルトに家を建てる機会を与えようとしたのも彼女だし、目の前に高速道路ができた時にリートフェルトが「この家はもはや意味をなさないから壊すべきだ」と言ったのに対し、それを残したのも彼女だ。施主だったこと以上に彼女の生き方に対する拘りを感じる。
9年前と変わっていたのは、まず隣の家がチケット・オフィスになっていたこと。そして内観が撮影禁止になり(昔は確か撮影できた)、確か前はミュージアムからのバスツアーになっていたが、今回は現地集合でオーディオ・ガイドつきの訪問になっていたことだ。そしてエラスムス通りのアパートにも入れない。門戸は広く開かれるようになったのだろうが、その分厳しくなった気がする。まあ私は9年前に見たからいいけど。ムッフッフ。値段はセントラール・ミュージアムとディック・ブルーナ・ハウス含めて € 14 なので良心的。
内観、もろもろ記憶を確認するように見たが、リートフェルトの工房にリシツキーとマルト・スタムと記念撮影した写真が置かれていたのが感動的だった。憎いことしますな。生活の要請を微笑ましいほどのデザイン・アイデアによって乗り越える。職人的知恵と空間思想を併せ持った「生きられた家」として非常に貴重な例だと思う(水木しげるが自宅改築マニアなのがなぜか思い起こされる)。本当は他の家も見られるべきだが、当然ながら所有者がいるので叶うべくも無い。
そして9年振りの雪辱を晴らすべく向かったセントラール・ミュージアム。別にリートフェルトが大々的に展示されていることを期待して行ったわけじゃないが(されていたら嬉しいけれど)、これが惨憺たる結果に。11世紀からマニエリスム、カラヴァッジオ主義者を経てモダニズムに至るまでのユトレヒト美術史の展示の床に、説明の為のポップなイラストを描くのはまだ許す。見ないから。しかしその中に突然21世紀のインスパイア作品を放り込むのは如何とも許し難いし、とにかくその他の展示部屋の大部分を占める企画展の現代アートが諸々酷すぎる。もうこれじゃあ現代アートなんか技術も見る目も無いくせに芸術作品ぶった観念論者の手慰みにしか思えない。あなたのちっぽけな霊感とやらを信じる前に、あるいはその直感が何なのかを突き詰める為にこそ、他人の作品や論考を研究したらどうですか?世の中にはそうじゃない真摯な作品もあるはずだが、もう気分的には最悪。お前なんか才能無いんじゃ。モダニズムばっかり展示するわけにはいかないかもしれないけどちゃんとリートフェルトとドゥースブルフを恒久的に展示せいや!と言いたくなる(たった6畳程度の一室でモダニズムおしまい)。ツーリストの我が儘かもしれんが、これがあのドゥースブルフの分厚いカタログやリートフェルトのモノグラフを作った組織とは思えない。ちょっと信じられない。
許し難い気分で美術館を出て、ミッフィーちゃんでも見て心を鎮めようと思ったが当然の如くがきんちょが騒いでたので早々に退散。ブルーナさん、そういう気分じゃないんだ、ごめん。
明日はフランクフルトに移動する。

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Gerrit Rietveld at CIAM I (La Sarraz)

4/17 ユトレヒトへ。

朝方、保湿用のホホバオイル(Jojoba Oil)を買いに行って、ユトレヒトに移動。昨日は英語読みを見計らって「ジョジョバオイル」で通じたのに今日は通じず、「ああ、ヨヨバオイルね」と言われた。オランダ読みか?わからん。
タリスはやたらと高かったけど、今日のIC(InterCity)は安かった。ロッテルダム乗り換えで、2時間半ぐらいか。車窓はずーっと平たく、馬やら牛やらが通り過ぎる。電車の車両から駅の時刻表まで黄色くなっていて、ああ、これぞオランダだと得心する。
微妙な時間に着いたのでちょっと散策がてら洗濯へ。コインランドリーかと思いきや、おじさんがやってくれるパターンでギクシャクしてしまった。

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ついにケバブ無間地獄を脱出!インドネシア料理屋のおばちゃんの笑顔に癒される。この下に焼きそばが入ってて € 7。安い……。ん、でも千円か。もう日本円に換算すると悲しくなるからいつしか忘れ始めたな。7でこれだけボリューミーなら万々歳なのです。醤油系の味はやはり沁みる…….。

4/16 大聖堂、孤児院

昨日遅くまでSkypeしていたのと、今朝仕事をひとつ送らなければならなかったので出遅れ。昨日と同じパン屋で同じ物を食べ、昨日10分差ではじかれた大聖堂「Onze-Lieve-Vrouwekathedraal」へ向かう(読めないし訳せない)。尖塔は123mもあるそうで、いささか唐突な赴きがある。ステンドグラスや天井にはたくさんの紋章が埋め込まれているのが地方独特のものだろうか。デザイナーのはしくれとしてはそれらの意匠を見ているだけで楽しくなるような代物だ。地面には内容はよくわからないが文字が各所に刻まれていて(多分死んだ王様か教皇か何かの悼辞)、その文字を見ているだけでこれまた楽しい。スモールキャップスやオールドスタイル数字、合字やスワッシュの意匠は言うまでもなく、月を「8BER」「9BER」「XBER」なんて略したりしているのは初めて見た。ここはかの『フランダースの犬』のネロが最後にルーベンスの画を見に来て死ぬところだそうで、特に思い入れもないからいいのだけれど、当該のルーベンスの『聖母被昇天』は工事中エリアで見られず。しかし特に『フラ犬』(略してみた)をフィーチャーしているようにも見えず、多分あれをありがたがってるのは日本人だけ何じゃなかろうか。お土産屋に日本語で「パトラッシュはネロのたった一人の友達でした……」て書いたポスターがあったし、観光客も日本人が多かった。犬はさておきカテドラルとしてはかなり立派。
次に何を見ようかと思ったが目の前の市庁舎は日曜しか入れないとのことで、「1つだけミュージアムに行くならここ」と書いてある「MAS/Museum aan de Stroom」に行くことにする。MASへの道を適当に歩いていたら、なんだかがらんとしたガラスのショーウィンドウが並ぶ通りに出たのだけれど、やたら生々しいマネキンがいるなと思ったら人間だった。ふと見渡せば下着姿の女性だらけで、いつの間にか所謂ひとつの「飾り窓」に入り込んでいたらしく、アムステルダムのそれに比べたらやたら粗末な建物なのだけれど、とにかく目のやり場に困った。でも向こうが見せようとしているのだからいいか、と思って見てみたが、言っちゃ悪いがあんまり良いものでもなかった。何でこんな観光客が普通に通るところにあるのか不思議だが、港街に娼街ありということなのだろうか。真っ昼間からご苦労さんです。
MASはこの辺では珍しいあからさまな現代建築で、中で何の展示しているのかもよくわからず行ったが、アントワープの海港としての機能や街の歴史を展示しているのと、世界各国の「死と生」「権力の表象」をコレクションから展示しているのと4フロアに分かれていて、後者2つはなんでここで展示しているのかよくわからなかったけど、突然エジプトのミイラや江戸時代の死体の画(Morishigeって誰。ごめん。)なんかもあって時々驚く。この旅行は企画展の入れ替え時期になってることが多く、企画展フロアは閉鎖されていた。屋上からはアントワープの街が一望できる。
その後旧女子孤児院の博物館に向かうが、途中で寒いのと乾燥が酷くて体に寒冷蕁麻疹のようなものが出続けているので(これが結構ひどい)、保湿用の油を買おうと薬局に行くが、「今注文すれば明日の朝届く」というので注文することにする。ホテルはお願いだから加湿してほしい。
明日は移動する予定だがまだ行き先決まらず、週末はOさむさんと遂に合流するはずだがどこで合流することやら。

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孤児院の展示はこじいんまりしててなかなか良かった(いやほんとに)。

4/15 ルーベンス、プランタン、メルカトル

寒風吹きすさぶアントワープ。古都というイメージがあるが、それは一部のことで、泊まっているエリアはせいぜいここ5、60年ぐらいの建物だろう。街の中心は駅の反対側であり、こっちは何も無い。レストランすらなく、唯一近くにあるのが大手スーパー「DELHAIZE」とケバブ屋(出た!)という悲しいエリア。今朝も朝・昼食をどうしようかと歩き回っていたらビジネスセンターみたいなところにパンカフェがあったのでチョコパンとコーヒーで済ます(よく考えたら1000円ぐらいしてるけど見ないふり)。
駅で「シティ・カード」というお得な観光パスを買う。市内の美術館や教会のほとんどが1回だけ無料になるパスで、最初の施設の利用時から起算して24時間、48時間、72時間の3つの選択肢があり、私は48時間にした。昼から見始めれば2日後の昼まで見られるのは嬉しい。
それでガンガン回る気だったのだけれど、午前中はルーベンスの家で潰れ、午後は丸ごとプランタン・モレトゥスで潰れてしまった。ルーベンスはヨーロッパを回っていると本当にどこにでもあるし多くは弟子が描いているということなので価値が薄れてしまっているが、アントワープに来てみると、町中の教会や施設がルーベンスなしには成り立たなかったことがわかる。それほどルーベンスおよびルーベンス工房が社会的存在として重要だったことを考えれば、絵画的価値そのものを超えてルーベンスを評価することも可能だろう。父ブリューゲルやプランタンとの関わりから、アントワープにおけるある特異な時代が浮き上がってくる。
それで、プランタン・モレトゥス。もうこれが凄いったらなんの。まさにこの部屋で・こんな書物が・この活字によって・この印刷機で刷られた・しかもイラストレーションはこの銅版で・え、こっちは木版なの!?というのが全部実物でわかるわけですよ。そしてギャラモンやグランジョンの数少ないパンチが残ってる!もうアホになるんじゃないかってぐらいオリジンだらけで夢の国です。クリストフ・プランタンの作った書物の美しさと面白さといったら、過去の事例から勝手に「規則」を作り上げて「アレダメ」「コレダメ」のピラミッドを作り上げることがタイポグラフィーだと思ってる方々のご高説を頭から覆すような実験・工夫の数々。タイポグラフィーに興味の無い人こそ見て欲しいなあ。
しかも、し・か・もですよ。ここは印刷の歴史だけじゃなくてメルカトルやオルテリウス、フリシウスといった地理学・地図学の偉人達のホンモノのアトラスが見られるわけです(「アトラス」って最初に付けたのはメルカトルですよ!)。こんなの社会の教科書でも美術の教科書でも全く教えてくれなかったですからね。アントワープの土地を舞台にいろんな切り口で世界史が語れるというのに。ルネッサンス・フラマンド。ああ、胸のつかえが下りる。しかしオリジナルのギャラモンは美しいなあ……。ある部屋で流れてた当時の印刷を再現してる映像がなかなかケッサク。みんなコスプレしてやってるんだもの。どうしたって笑っちゃうよ。
まだ陽が高いのに17時になってしまい、周辺の教会やら何やらが閉まってしまったので、しょうがなくとぼとぼ帰ることに。日が沈むのは20時過ぎてから。この感じに全然慣れない。

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4/14 アントワープへ

今日はパリからタリスという新幹線みたいなものに乗ってアントワープに移動する。約2時間。切符はネットで予約して、駅のSNCF(フランス国鉄)の端末でプリントアウトできた。
途中、検札に来た車掌が「隣の女の子と後ろの女の子が連れ立ちみたいだから席変わってあげてくれないか」と言ってきたので、いいよと言って変わってみると、隣の席はビール片手に酔っぱらった中東系のおじさん。「ビール飲むかい」と言ってきたので遠慮したらガサガサと紙袋からオレンジジュースを出して、くれた(いらないけど)。「チップス食うかい」と勧めてきたり、「私はアフガニスタンから来てイギリスに住んでる」と自己紹介して「俺はムハンマドだ」といってパスポートを見せてきたり、やたら話しかけてくるのだけれど、とにかく酒臭い。そしてイギリスに住んでる割りに英語が酷い。国境越えたあたりで「SIMカードをこっちに替えてくれ」って頼んできたり、人の膝にiPad置いてきたりやたらと図々しいし。挙げ句の果てに、ブリュッセルから乗ってきた人に「そこは私の席よ」と言われて「お前が替わるのか?」と僕に言ってきたので、「いや、あんたが替わるんだ」と告げると修学旅行生の集団みたいな中の席に替わっていった…….。やたらとうるさい修学旅行生を黙らせるには充分なインパクトだったようだが。
アントワープに着くと、異常に寒い。やはりベルギーは寒いのか。来る予定が無かったのでガイドブックを持っておらず全く土地勘がわからないのだけれど、ホテルにチェックインを済ませて歴史地区の方を散歩してみると、やっぱりベルギーは愛すべき国だ!と修士のリサーチで来た時のことを思い出して楽しくなる。駅前の目抜き通りや教会前の広場こそ観光客向けの店ばかり軒を連ねているが、一本小道に入るとほとんど人も歩いていない静かな道になる。パリにはこの静寂はなかった。パリは美術館や博物館は好きだけれど、街としては全然好きではない。あの酷い臭いもここには無い。
アントワープに来たのはプランタン・モレトゥスを見る為ともうひとつ理由があって、ポール・オトレの「世界都市」の計画が各地で頓挫しまくって、最終的に流れ着いたのがアントワープのスヘルデ川の嘴型の河岸だったからである。別に来たからと言って何かわかるわけでもないが、オトレ研究をした身としては気になっていたのである。それで実際河岸に来てみてもやはり大して何もないのだけれど、やっぱりあの話は何かしらパッケージにしないとな、という思いが湧いてくる。途中で寄ってみた本屋でも、思わずあの計画の設計担当だった建築家グループ「de 8 en Opbouw」の資料を探してしまうし。なんか「やれ」って言われてるような……。
ベルギーはフランス語とフラマン語とオランダ語が地域によって分かれていて、観光地の標識なんかはそれに英語が加わって4カ国語表記になっている。それって印刷物も4倍の紙面になってしまうわけで、効率の面から言えば恐ろしく大変だよなあ。それにしてもオランダ語は全くわからん!読み方すらわからん!店に入る気すら起きないぐらいわからん!意味が想像できるのはムール貝とワインぐらいのもんだ。

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自分で漕ぐなら充電してもいいよスペース。この馬鹿っぽい発想は好きだ。

4/13 骨

とりあえずパリの前半最終日。オーステルリッツ駅まで行って植物園・自然史博物館を見ることに。日曜日で近所の店が徹底的に閉まっているので、植物園横のイタリア系の店で食べることに。だが、給仕のおばさん(田中眞紀子似)の愛想が異常に悪い。こっちも段々腹立たしくなってきて、なんでこんな扱いをうけなきゃならんのかと訝しむ。ただでさえこんなに高いのに。早くあんなおばさん忘れよう。

植物園の前の通りは「ビュフォン通り」。この時点で期待高まる。でもほんとは植物園を見に来たというよりは「古生物学・比較解剖学博物館」を見に来た。全く前情報なしにカンだけで来たのだが、いきなり人体解剖図から飛び出てきたような模型(マスカーニ君とでも名付けようか)の先導により、動物の骨達がこちらに向かって大行進。「進化大陳列館」と対になっているとは全く露知らず、この建物まるごとホネ、ホネ、ホネの大行列。というよりこっちがオリジンか。またもやお見逸れしやした….。そして2階に行くと今度は恐竜達のホネの大行列。いやあ、恐竜展なんか行ってる場合じゃござあませんわ。フランスは芸術以前に一大科学国家だったことを思い知らされる。キュヴィエやラマルク、ビュフォン、ドルビニ達がやってたことの功績が今こうしてみられるのだから凄いよなあ。ちなみにこの動植物園を歩いていると彼らの像や彼らの名前が付いた部屋なんかがある。こういうことが色々つながってハッとするのも博物図譜展をやってたおかげだ。
その後、8年ぶりぐらいに「進化大陳列館」に行ってみたのだけれど、あれ、なんかダメになってないか?2回目だからかもしれないし、ホネの大行列を見た後だからかもしれないが、展示物も閑散としてるし、内容が浅いし、ただカッコ良く並べただけの様にも見える。おかしいな……2回行くもんじゃないのか。
ちょっとがっかりしながらトボトボとカルティエ・ラタンまで歩き、気分直しにクリュニー中世美術館へ。やはりここは良い。展示の内容といい、密度といい、陳列といい、照明といい、これだけ小さな建物で大掛かりなことをやらずこれだけの展示ができるんだから、他の「我が国の威厳!」的な万博系博物館とは対極的に素晴らしい。ここは『貴婦人と一角獣』でも有名なところなのだけど、今回は出張中ということで見られず。前回も見られなかったような気がするが、縁がないということか。来るたびに発見があって、良い博物館というのはこういうものだろう。
はてさて、行きたいところに全て行ってしまったが、ホテルに帰るには早すぎる。散歩がてらルーヴルの地下でアップル・ストアに寄り、電源のプラグ部分だけ売ってないかと思ったが、ワールド・トラベル・セットとかいう各国のプラグがセットになったやつしか売ってなかった。そんなにいらんわ。そのまま歩いてたらコンコルド広場に出たので一周まわる。円周上に「リール」「ストラスブール」「マルセイユ」「ボルドー」などとフランス各地の地名がついた女神像が建っていたので、暇だから一周回る。それにしてもこのオベリスク、ほんとにエジプトから運んできたんだろうか。壊れるだろ、普通。

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マスカーニ君が写ってる写真は残念ながらブレていました……。

4/12 建築・文化財博物館

午前中を潰してコインランドリーで洗濯。しかし全く使い方がわからず黒人の人に教えてもらう(なんかすごく嫌そうだけど優しかった)。例のごとくパリパリになってしまったのだけど、柔軟剤を入れてただけマシか。でもよく考えたら1回洗濯して40分乾燥機かけると10ユーロぐらい吹っ飛ぶな。うーん。どう考えたって1ユーロ100円ぐらいじゃないと割に合わない。パリだからということを差し引いたとしても、高い。
昼からシャイヨー宮にある建築・文化財博物館へ。ここもすごい。フランス各地の教会や聖堂の建築・彫刻を実際に型を取って持って来て、時代・様式を比較して学ぶことのできる複製比較博物館。構想は建築家ウジェーヌ・ヴィオレ・ル・デュクだが、複製品でもいいから一カ所に集めて比較してしまおうという心意気にポール・オトレにつながるものを感じる。個人的には意匠が意匠として洗練されるルネサンスより前の12世紀前半のロマネスクやゴシック初期のものが興味深い。ちょっと暴論気味だけど、何でも洗練ていないほうが一番面白みがあるのではないだろうか。いやもちろん洗練されていて、かつ野心的なものがあるのは知っているけれども。やたらめったら人物を彫り込んでる様は「あ、これは千手観音」「あ、これは五百羅漢」「これは十人神将だ」と何か日本と通じるものを感じます。
そして2階へ上がると一気に時代が下って、いきなり水晶宮の模型とオスマンのパリ大改造の比較模型。左に行くと極地建築の実験やら私の泊まってるラ・デファンスの超高層建築の模型やらがあり、右に行けばガルニエ先生の『工業都市』の模型(!)やら余暇の為の建築、図書館やメディアテークの建築がそれぞれ特集されており、その奥に鎮座するのはマルセイユのユニテ・ダビタシオンの実物大モデル。そしてちゃんと2階まで上がれる。日本にはそもそも建築や都市の博物館という概念すらまともにないので、ふらっとツーリストが来てこんな貴重な模型や本が見られるなんて、素晴らしすぎる。建築学生は大枚払ってでも来るべきだろうねえ。うーん、気分は幕末の洋行使節団。ユニテの模型を堪能した後に、あれ、まだ壁画とか祭壇画の分野がある……と気付く。流石にお腹いっぱいで違いが全くわかりませんのでギブアップ。地下でジャン・ルイ・公園監修の企画展があったので行ってみたけど始まるのは月末だった。また帰り際に寄ろう。
気がつけばもう17時近くで、博物館関係は終わってしまうなあ、と思っていたら目の前にエッフェル塔があるじゃあーりませんか(チャーリー浜)。初めて見た。パリはなんやかんや3回目だけど、初回はコルビュジエ巡りとかしてただけで、2回目は大学図書館に行っただけなので、エッフェル塔どころかルーブルもオルセーも行っていない。で、間近で見ると100年前にこれを建てるのはさぞかしエポックメーキングだったろうな、という構造美。よく見るとキュヴィエ、ラプラス、ラヴォアジエ、アンペールなど科学者の名前が中腹に刻まれているのだね。この感覚は日本には無いなあ。
その後、シャン・ド・マルスを通ってセーヴル通りをサンジェルマン・デ・プレの方に歩き、ルーヴルまで行って電車で帰る。途中、良さげなチーズ屋があったのと、日本で言う伊勢丹みたいな「ボン・マルシェ」が恐ろしく楽しかった。今日は胃がシクシク泣いているため何も買わず帰ったけれど。
ちなみに今週の食事は、ほとんどスーパーの惣菜かテイクアウト。いかにケバブを避けるかが今後のテーマになりそう。でも今日買ったスーパーのカレーは当たりだなあ。

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Oさむさん早く日程決めて。