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5/2 BnFふたたび

朝からフランス国立図書館の新館で調べもの。と言ってもネットしながらこれまで見た物を情報整理していただけだけど。設備は最高なのだけど椅子が基本的に木の板なので、首に負荷がかかって辛い。あと尻が冷たい&痛いので隣の女子を見習ってラップトップのソフトケースを敷くことにする。
図書館に来る途中で保湿クリームの買い替えをしようと思ったのだけれど、同じ物が売っていない。昨夜メーデーの中唯一やっていた薬局でお姉さんに聞いてみたら、類似品は無かったのだけれど「このメーカーはポピュラーだから他の薬局で見つけられると思うわ」と流暢な英語で言ってくれたので(女神)、朝から数軒当たってみるが同じ物が無い、もしくはやたらとでかい。最後に入ってみた薬局で、薬剤師(なのか?)のおばさんが「何が欲しいんだ」と言うのでメーカー名を連呼したら首を傾げて「ひょっとして、これ?」とコンドームを指差された。違う…….。でも英語で症状を説明したら別のメーカーの類似品を勧めてくれたのでいいおばさんだったけど。
こっちに来ていろいろと物を見て新しい知見を得ることは確かだけれど、どちらかと言うと今までに知識として知っていた物について「あっ、そういうことだったのね!」と閃く/納得することが多い。アハ体験というやつでしょうか。プランタンやグーテンベルクの印刷、メルカトルやフンボルトの地理学、あるいはキルヒャーやシュリーマンの考古学についてだって、時代と地勢の中で見て初めて理解できた気になる。そうして自分の目で見た時に初めて「あっ、あの時あの人が言っていたのはこういう意味だったのか!」とわかる。今まで本当に何も考えずに知識をただ言葉として憶えてたに過ぎないんだなあ。高校の世界史の授業だって、ただ「古代エジプト文明ではヒエログリフが使われていました」じゃなくて、「ナポレオンのエジプト遠征で見つかったロゼッタ・ストーンの発見によってヒエログリフ、デモティック、ギリシャ文字の3カ国語が対応づけられ、シャンポリオンが解読に成功しました。シャンポリオンにロゼッタ・ストーンを見せたのは数学者のフーリエで、エジプト遠征にも随行していました。エジプトにおける学者達の研究成果をまとめた『エジプト誌』は当時の科学的見地と印刷技術を結集したもので……..本物は町田国際版画美術館にあるから見に行きましょう」という感じで教えてくれればいいのに!
それからミュージアムや図書館を回って思うのは、誘目性や雰囲気(「センス」?)ばかりを追求している日本のデザインの現状の中で、自分達の立ってる土台にある印刷やタイポグラフィー、グリッドや色彩論、百科全書や博物館・図書館などの知の構造と情報普及のあり方や科学的視覚化、引いては文字や絵などの記号とメディアに関わる歴史全てが「今デザインすること」に繋がっていて、そんなことは大学でさんざん言われていたし頭ではわかっていたのに、ようやく納得できるようになったのだということ。ようやく血肉になりはじめて、膨大な空き棚が見えてきたこと。今思えば勝井先生や寺山先生にはそこまでの射程が見えていたのだ。改めて恐れ入る次第。

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朝は一桁台まで気温が下がる。

5/1 再びパリへ

夕方パリに飛行機で移動する予定なので午前中は古本屋でも回るか、ということになったのだが今日はメーデーというやつらしい。日本では「メーデー メーデー」という文句以外大して馴染みが無いのだけれどストがあったりするらしいので早めに行動することは心がけていた。しかしなんとメーデーは大概のお店が休みだった!ちゃんちゃん。これは祝日なの?よくわからない。
昼にカフェで食べた「フォー・スープ」というやつはヨーロッパ人が何か勘違いしていて作ったフォーという感じでキムチは入ってるし麺は入ってない代わりに春雨が入ってるわで日本のダイエット用春雨スープみたい。どうにも締まらないベルリン最終日だった。
シェーネフェルド空港の思った以上のしょぼさに驚きながらeasyJetでパリへ。出発直前に雨が降り始め、まあ行き先は降ってないだろうと思っていたら見事にこの旅始まって以来のまともな雨。成田で折り畳み傘買って、雨降らないので捨てようと思ってたがここまで持ち運んでいて助かった。
これから正味5日間パリで過ごすが、ほとんどは図書館に籠ってリサーチ。夕方終わったら映画でも見れるといいなと思っている。宿はムニルモンタンの東の方でまたごちゃごちゃした感じかなと思っていたら意外と小洒落たアルチザン系パン屋があったり、思ったより小綺麗。修学旅行生らしき集団と同じフロアの部屋に押し込まれた東洋人の運命やいかに。

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世界のケバブから。今週はパリはムニルモンタンからお届けします。

4/30 ポツダム広場とブリュッケ美術館

ベルリンも5日目。ポツダム広場を中心に博物館を回る。
最初は版画・素描美術館(kupferstichkabinett)。見た目的にはモロに町田国際版画美術館。版画による「アルカディア―紙上の楽園」の展示。例によって1914年100周年の企画で、黄金時代の終焉というつながりだが話は15世紀から17世紀イタリア。アダムとイブ、ダンテの神曲、タイムレス=楽園。昨年はシンケル展があり、数年前にはA. v. フンボルトに関係した絵画展があったらしい。見たかったなあ。しかし展示は想像以上にこじんまりで、早めに見終わってしまう。
隣の建物の「絵画館 gemäldegalerie」は中世キリスト教美術から始まってホルバイン、デューラー、クラナッハ、ファン・アイク、ルーベンス、レンブラント、フェルメール、地獄ブリューゲルと花ブリューゲル、ヤン・ステーン、パニーニ、ボッティチェリ、あまり馴染みが無いが良かったものにアーニョロ・ブロンズィーノ、シャルル・メラン、カナレットなど。だんだん麻痺してくるがこういう錚々たる顔ぶれの作品を比べながら見られる機会はこちらに来ないかぎりは訪れない。フェルメールだけをとってみても、誰の頭にも邪魔されず独り占めして見られるなんて日本ではありえないからなあ。ヨーロッパの人々はone of themとして見てるのに、日本だとスターとしてしか見られない。別に洋行帰り気取るわけではないけど、フェルメール展とかレンブラント展を上野の人ごみで見るのは馬鹿馬鹿しくて行ってられない。
食堂で昼食をとってたら数年前のピラネージ展のポスターに目が行く。これも見たかった!

昼食後、ゲオルグ・グロッス目当てで隣のノイエ・ナショナルギャラリー(設計はミース)に行ってみたら、企画展なのか現代アートしか置いてなくて、見られず。田名網敬一、ピピロッティ・リスト、ヨゼフ・ボイスの映像、ブルース・ナウマンのいつものネオンなど。ジェフ・クーンズは蛍光灯の上に掃除機が乗ってた。グロッス見せてー(わがまま)。しかし展示空間のほとんどが地下に埋まってるって凄いな。

昨日12時間寝まくったおかげで妙に元気なので、残りの時間でブリュッケ美術館に行くことにする。博物館島でもポツダム広場でもなく先日の植物園に近い辺りにある(ここはダーレムと言ってよいのかな)。Podbielskiallee駅で降りて、公園の中なのか宅地なのかわからないが立派な邸宅が立ち並ぶ森の中を30分近く歩いてようやく美術館に辿り着く。展示室も割とこじんまりとしていて、気分的には清里のギャラリー。この美術館が出来た経緯を知らないのだが、ブリュッケの中でもキルヒナーの企画展をやっていて、特に初期の油絵と第一次大戦前の木版画が中心。ノルデやペヒシュタイン、シュミット=ロットルフの作品も数点あったが、ブリュッケの中でもこういう人物プロパーの展示はその人の人生が見えて良い。

ドイツでのディナーも最後なので、あまりいい目に遭わなかったドイツの食事の中では唯一おいしかった自家製ビールというやつがもう一回飲みたかったのだけれど、当該のレストランには行けそうにない。しょうがないのでソニー・センターの広場の店で飲むが、これも結構おいしかった(食事は△)。シネフィル的にはキネマテークの横にある「ビリー・ワイルダーズ」という店も気になったのだけれど。映画館ではブレッソンがかかっていた。

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ブロンズィーノ

4/29 トロイアと古代エジプト学

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ちょっと疲れ気味なので乱筆失礼。
朝からノイエ・ムゼウムへ。
入っていきなりハインリヒ・シュリーマンのトロイア探索コレクションの解説があり、盛り上がる。その多くは第二次大戦後にソ連が略奪していってしまったとのことで非常に残念だが(シュリーマン・コレクションの所有権に関してはここのキャプションはかなりドイツよりの主張だった。当たり前だが。)、シュリーマンの器のでかさがまた19世紀の偉人達の例に漏れず尊敬に値する。その他にも「死者の書」やパピルスのコレクション、エジプト学の歴史(キルヒャー、レプシウスなど)、ネフェルティティ像など。昨日のメソポタミアといい、今日のエジプトや小アジアといい、古代史の勉強し直したい。それに古代を発見・解読した古代学の歴史も。
午後はボーデ美術館。中世キリスト教美術、特にイタリアでない木製のものがグッと来る。2階は博物館島を中心としたベルリンの歴史とドイツ・バロック美術、それにメダル・コレクション。しかしいささか疲れ気味なので2時間ほどで出る。あれだけ先史時代を見まくった後に中世を見ると「最近じゃん」と思ってしまうのが不思議。1日に立て続けに見るものではないな。

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古代エジプトのゲームピース。双六?

4/28 ペルガモン博物館から植物園へ

朝から一人で出かけるが、道中で数枚写真を撮ったところでメモリが一杯とのこと。メモリーカードを忘れてきてしまった。今さら取りに戻ることができないのでiPhoneのカメラで我慢することにする。歩いていたら工事中の外壁に
「最も危険な世界観とは、世界を見たことの無い者の世界観である」アレクサンダー・フォン・フンボルト
と書いてあったので思わずメモる。ここでなくてもあっちこっちにフンボルト兄弟の名前が書いてあったり施設の名前になっていたりして、さながらフンボルト教の聖地のようだ。

朝飯をカフェで食べようと店に入ろうとしたら向こうからシベリアンハスキーの巨大なやつみたいなのがこっちに向かって歩いてくる。恐ろしいので犬に道を譲ろうとしてテラス席のテーブルとテーブルの間に入ったら、なんとこっちに曲がってきた。やめて…….。飼い主の一声で事無きを得たが、旅先の犬にいい思い出は無い。そしてそのデカい犬とカフェに入る飼い主。まじか…….。こっちに来て驚くのはカフェに鳩とかスズメとかが入ってきて飛び回っててもみんな平気な顔をしていることで、今日なんかマフィンを頼んだ女性がトイレに行ってる隙に、スズメがそれをめっちゃ食べてた。衛生的にどうなの、それ。
朝イチでペルガモン博物館に入ってバビロニアのイシュタル門やイスラムのウマイヤ朝やアッバス朝、ペルシア、ペルガモンのアクロポリス等の出土品を見る。ここまで来たら本物を見に行きたくなるのが人情だけれど、行ける日は来るのやら。
自然史博物館と動物園があるのに植物園がないのはおかしいなと思ってたら、ミュージアムパスのパンフレットで発見。フンボルトのオリジナル標本もあるという。中心地からSバーンで7、8駅だから結構遠い部類に入ると思うが、午後から向かうことに。「植物園 Botanischer Garten」駅で降りて向かうと、どうやらこっちは裏側だったようだが、窓口があったので 6 € 払って入場する。植物園と植物ミュージアムが一緒になっている珍しい植物園らしいので、とりあえずミュージアムに向かうことにする。中には研究所が併設されているようだ。展示は昨日の自然史博物館と違って展示方法が古すぎるのでもうちょっとがんばってほしいのが正直なところだけれど、手作り感満載の植物模型を見ていると、愛を感じてしまう。展示の最上階には代々の園長の植物学者の銅像(錚々たる面々)が並び、それぞれのプロフィールが書いてあって非常に参考になった。その中央にはあのフンボルトの赤道直下の植物の棲み分けを示す山の断面図の複製が飾られている。色々考え事をしながらミュージアムを後にする。その後植物園を散策するが、ここはとにかく広くて起伏にも富み、世界各地から集めた植物を地域や種類で分類して植えてある。温室だけでも6、7棟あり、じっくり見てたら一日かかる。植物好きや庭いじりをやっている人なら尚更だろう。植物が好きそうなおばさんがたくさんベンチで佇んでいた。アル中も物乞いもソーセージ売りもいない静かな癒しのスポット。鳥の声もよく聞こえた。

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裏門より(引きの画を他に撮ってなかった……)。

4/28 フンボルトを辿って

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朝、Oさむさんの薦めで骨董市に行ってみるが、本当にゴミしか売っていなくて退散。昼にペルガモン博物館に行こうとするが既に長蛇の列で、博物館島を見捨てて自然史博物館 Museum für Naturkundeに向かう。ベルリンに来た理由の一つがこの博物館で、アレクサンダー・フォン・フンボルトの遺したものを拝見かなえば、という気持ちだった。あわよくばその先のヒントも。
途中、ウンター・デン・リンデンでフンボルト大学の前を通る。門の外には言語学者の兄フンボルトと弟フンボルト(言わずもがな博物学者・地理学者)の石像、前庭には物理学者ヘルムホルツの石像と、割と新しめのマックス・プランク(量子論)の石像がある。中に入れないのがもどかしいが、私にしてみれば残り香をかげるだけでありがたい。歩いていると別の研究棟があり、フンボルト兄弟の横顔をあしらった大学のシンボルマークが描かれていて、このバッジがあったら買う、という確信を得る。
数十分歩くと自然史博物館に到着。ガイドブックにはブラキオサウルスの化石で有名としか書いていないが、確かにブラキオサウルスは凄い。フランスの古生物館にも無かった巨大な骨の立像が天井を突き破らんかの勢いで立っているのは圧巻である。事実、このために天井を拡張したとか。しかしここの凄さはそれに止まらない。ここはやはりフンボルト大先生の『コスモス』の思想を充分に受け継いでおり、生物学だけでなくこの地球、引いては宇宙がどのように形成されているか、ということが地質学、プレートテクトニクス、天文学、進化論、種の分類、鉱物学の観点から様々に語られ、つまり一つの体型としての「コスモス」を形成する様々な科学的アプローチが博物館の構造そのものとなっているのだ。そしてそれらの根底にあるフィジカルな博物学的探険を思うと、これらを成し遂げてきた人達の器の大きさを尊敬して止まないのである。まさに立体博物図譜。オブジェ版コスモスである。事実、博物図譜のページを実物にして壁一面に展開したかのようなメイン・ディスプレイがそれを物語っているし、何しろここは剥製や模型が凄い。鳥なら鳥を単に剥製にするだけじゃなく、ちゃんと生態を再現するように巣の作り方や産卵の仕方、そして高度別に住み分けていることを同じ木の中で視覚化しているのである。あの鳥類図譜の描き方そのものが立体として表現されているのだ。しかもこれがいちいち格好良い。剥製の作り方やそのアーカイブの仕方までご丁寧に説明してくれて、教育にも熱心。日本だって美大生がこれほどいるのだからここまでやれてもいいはずなのだけれど、そもそも科学的視覚化という認識が美術の領域として認識されていない。というか、これほどに科学のために視覚化を工夫すれば、美術としても素晴らしいものになる、という到達点が認識されていないのではないか。これは本当は視覚伝達デザインの分野のはず。ハーバート・バイヤーの『WORLD GEOGRAPHIC ATLAS』はこういう科学的視覚化の系譜の末端として位置づけられて然るべきもので、ただ単に「これが世界で一番美しいデザインだ」と呪文のように繰り返しつぶやけばいいものではないと思う。はっきり言って、一般に出回っているグラフィックデザインの歴史には科学的視覚化の概念が全く抜けている。単なる格好良さとか目新しさとか、自分を作家として売り出すことよりも大事なことがここにはあると思う。ただしこれでも2階以上は改装中で、ほとんど見られず。ガラス戸からは大量の標本キャビネットが垣間見え、改装が終わる日が待ち遠しい。ここに自由に入れるのだったら人生捧げてもいい、とちょっと思った。
いつも思うのだけれど、周りにいる生き物好き女子や古代の謎好き男子、音楽好きの諸兄や、数学と電気と野菜が好きなおじさんと一緒に来たらもっと楽しいだろうなあ。

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でも一番驚いたのは館長のヒゲだったりする。

4/26 ベルリンへ移動

ライプツィヒからベルリンに移動。アーティスト(志望)のOさむさんが(留守番で)滞在しているレジデンスに、これから5日間居候することになる。マットレスを買いにIKEAに行こうとするが、Uバーンが工事中で一部区間ピストン輸送状態になっている。行き先を確認して乗っていたはずなのに、いつのまにか逆方向に走っていて、無理矢理降ろされたりする。降りて電光掲示板を見ると「◯◯行きは△△で乗り換えてくれ」と書いてある様子。こちとらドイツ語はほとんどわからないのだが、半年住んでるOさむさんのドイツ語は全く頼りにならないし(いやほんとに)、調べる気すらないらしくゲームをやっている。ひどい……。ベルリン中央駅でも右往左往してたし。もうアテにするのはやめて自分の考えで行動してみたら全部当たってた。IKEAへの道も全部当たってたし。そんないい加減でよくやっていけるな、この人……。

4/25 書物の一日

ライプツィヒ滞在は正味1日しかないのであるが、レクラム文庫があることでも有名な書物の街ということで、印刷博物館と国立図書館のギャラリーに行くことにする。印刷博物館「Museum für Druckkunst」の「Druck」は印刷なので、印刷芸術博物館ということになるだろうか。とても良い言葉である。中央駅からは白エルスター川というチェコから流れる水系の川を越えて行くのだが、河岸は公園になっていてとても雰囲気が良い。
ここの印刷博物館は今までと毛色がまた全然違って、活版印刷機からモノタイプや写植まで大小さまざまな実機が展示している部屋で常時何人かの職人さんがウロウロしており、声をかけるとあれやこれや実演してくれるのである。活版ぐらいならよく見かける風景だが、母型からの活字の鋳造、ライノタイプによる鋳造にモノタイプのパンチカードへのセッティングと鋳造機の実演、Diatype(ダイアタイプとお読みすればよろしいのか)やモノタイプの写植機(モノフォト)など、ここに展示してあるもの全部動くんかい!と突っ込みたくなるぐらい豊富な機械を動かしてくれるのである。いやはや、美術が束になったってこの印刷イノベーション1台に敵わないんじゃないかと思ってしまう。ライノタイプが動いてるところなんて感動しちゃうよね……。銅版で刷られたグーテンベルクの肖像に「ハイル・グーテンベルク」って書かれているのには笑ってしまったけど。職人さん達も気さくで素敵だった。ドイツ語わからなくてごめんなさい。
そのあとアーティスト(志望)のOさむさんのリクエストでSpinnerei(シュピネライ)という旧紡績工場が現代アートの芸術家村として生まれ変わったという場所に。作品よりその辺の印刷工場より広い印刷工房が気になった。

もう夕方近かったが、一応行っておこうぐらいの気持ちでドイツ国立図書館へ。ドイツの国立図書館と呼ばれる場所はライプツィヒ、フランクフルト、ベルリンの3カ所にあって、一般的な国立図書館と違ってそもそも書籍商組合が立ち上げたライプツィヒの図書館が国立図書館となり、1913年以降のドイツの書物を全て集める納品図書館として機能。東西ドイツ分断後にフランクフルトに西ドイツの図書館ができ、またベルリンにも東ドイツの音楽図書館が出来て、それがドイツ統一時に国立図書館として合併したらしい。利用者カードを取ろうかとも思ったけれど、経緯が複雑でどこに何があるかイマイチわからないし、ウェブページの利用方法の説明もあまり詳細ではないのでよくわからず、フランスの国立図書館でこと足りそうなのでギャラリーに寄ってみるだけにした。
しかしこのギャラリーがまたなかなか凄い。Deutsches Buch- und Schriftmuseumはドイツ書物・文字博物館といったところなのだが、そこまでクリティカルではないもののちゃんとライティングスペースの歴史になっていて、マニュスクリプトからインキュナブラ、それにウィリアム・モリスやコブデン=サンダースン、ライプツィヒのDruck der Janus-Presse、ミュンヘンのBremer Presseなどのプライベート・プレスの数々、リシツキーやチヒョルト。嫌だなあ、こういうのを実物でさらっと常設展示しちゃうんだもんなあ。ユニークなのは第三帝国によって回収された図書のリストがあったり、アルファベット教育や図像教育の歴史のコーナーがあってそこにちゃんとノイラートの『社会と経済』が展示されていたり(偉い!)。特別展は1914年のライプツィヒ国際書籍業・印刷博覧会(Internationale Ausstellung für Buchgewerbe und Graphik どこかに訳の通例があるはずだが見あたらず)の100周年展示。出品物は今や目新しいものでもなくなっているけれど、どこもが第一次世界大戦の100年特集をやっている中でこれをやっているのはやはり意識が高い。

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ドイツのお姉ちゃんと一緒にライノタイプ他の実演を見せてもらった。ダンケシェーン。

4/24 ライプツィヒヘ

ライプツィヒへ移動する。ドイツでの最終目的地はベルリンなので、ついでと言っては悪いが途中で寄った形になる。明日1日しかないが、主に印刷、書籍関係を回るつもり。ふと気付けば東ドイツ。宿の周りが妙に寂れていて廃墟とスーパーしかない。そんな風景が皮肉なことにアメリカっぽい。

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カレーは我々を裏切らない。

4/23 シュトゥットガルト

フランクフルトまで来てみてヴァイセンホーフ・ジードルンクがどうしても気になったので、延泊して日帰りで来てみた。朝着いてまだ時間があったので州立絵画館 Staatsgalerie に行ってみたが、ここも良い美術館で、ドイツの中世キリスト教美術からフランドル、オランダ、ルネッサンス、バロック、ロココなどの中近世絵画が充実している上に、印象派やドイツ分離派、バーン・ジョーンズの部屋があったり、マティスの4点ものの彫刻、ピカソの家具を使った6人の女性の彫刻。それにそこまで数は多くないものの、シュレンマーのバウハウス以前の絵画と『トリアディック・バレエ』の衣装(!)。バウハウス講師陣の中ではちょっと奇人扱いされがちだけれど、シュレンマー見直した。カンディンスキーやグロッス、ファイニンガーにシーレのリトグラフなどもあり、複雑なモダニズムの地勢図がまさにここに。
中央駅のフードコートでグリーンカレーを食べて(割とうまい)、バスでKunstacademieまで行き、ヴァイセンホーフ・ジードルンクへ。ノイラートが関わったウィーンのジードルンク運動を調べていた時に、ウィーン工作連盟が中心となったウィーンのジードルンク(労働者向けの住宅)やカール・マルクス・ホーフ、ベルリンのブルーノ・タウトのブリッツ・ジードルンクやデッサウのグロピウスの実験住宅なんかを見て回ったが、一番有名なここには来なかった。それは色々な理由があってのことなのだけれど、やはり見ておかないといけないような気がしたので今回は来ることに。
コルビュジエ設計の家がミュージアムになっていて、中を見て回れるが、なんだかコルビュジエにしては造形的要素が何も無いというか、中を見てもあまり発見は無い。住宅不足を埋めることが目的であるので安価で量産できる工法がまずありきで、そこにそれぞれの新しい近代的「生活」の思想が組み込まれるはずであるが、しかしここまで何も無いのは、この規格化された純粋な住宅モデルの提示が全てであったのだろう。そのぶん家具の設計には工夫が見られたが。コルビュジエは3回しか足を運ばなかったというが(そもそも第一次大戦後のドイツで敵国建築家を呼ぶのに様々な苦労があったらしいが)、これをどう見るかは読み込みを必要とするので何も言えないけれども。その後、J.J.P.アウト、ミース、シャウロン、スタム、ベーレンス、ヨーゼフ・フランク、ヴィクトル・ブルジョワなどを外から見て回る。ウィーンのジードルンクにも出品しているフランクは、高層化に反対し庭付き平屋に固執した人物であり、ここの住戸もその思想に違わぬものであった。ジードルンク運動には、人口が増加した都市の中で我々ひとりひとりの生活がどうあるべきかという現代に通じるテーマが強く現れているので好きなのだ。

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新しい生活