夜半何度も目覚めるが、何度起きても深夜に間違いないし、マイナス8度の中出かける根性はないので、無理やりにでも寝続ける。昨日重い荷物のせいで腰をやったようで、今後の旅路が不安になる。五度寝はしてようやく朝食の時間になったので、ぐしゃぐしゃになった浴衣を帯で締め直してカーテンを開ける。雲ひとつない空の下、老人と孫が凍結した湖面の上で戯れていた。全面凍結しているわけではないのに氷に乗って大丈夫なのだろうかと一応心配はするが、慣れているそぶりなのですぐに考えるのをやめる。
パンの匂いが充満した老化を進んで、紙の弁当箱に入ったパンを受け取り、いそいそと部屋に上がる。どういう設備があるのか、パンを宿の中で焼いているようで、最近はどこの宿も工夫を凝らしているものだと思う。
朝食を食べたのはいいが、始バスの時間まで4時間以上あるので、まだ氷点下の湖の周りを一周したり、ロビーで書き物をしたりして過ごす。次第にスキー客らしき人たちがたむろってきてやにわにロビーが騒がしくなったが、皆車で来ているのか、バスに乗り込んだのは私一人だった。こんなところに公共交通機関で来る方がおかしいのであろう。どこに行っても私は物好きである。
茅野に戻る車中で、今日の行き先を考える。松本に泊まるのは決めていたので、その前に井戸尻の縄文考古館に寄ろうと思い立つ。縄文をテーマにしていたゼミ生が熱っぽく語っていたところだ。考古館最寄りの信濃境駅までは各駅停車で数駅。腰は痛いけれども、Googleによれば駅から徒歩15分で辿り着けるとのことなので、ロッカーに重い荷物を預けて向かえば大丈夫だろうと高を括る。しかし、信濃境駅に着いてみると、どこにもロッカーなどというものはなく、駅員すらいない無人駅であった。しょうがなく張り紙に書いてあったタクシーの番号に電話してみるが、「隣の富士見駅から向かうので20分かかる」と言われ、リストの一番上にあるタクシー会社でもこれなら他にかけてもしょうがなかろうと、断りを入れる。店など開いていないし、預けられそうな場所は見当たらないので、意を決して荷物を背負い、よぼよぼと歩き出す。天気だけは良いが、見渡すかぎり下り坂しか見えず、これを帰りに登ることになるのかと思うと不安になる。
斜面沿いに畑とロッジ風の建物が並ぶ道を降りると、考古館にたどり着いた。目の前には2,000mは超える山々が見え、視線を左に向ければ遠くに富士山も見える。縄文人たちはなんとも贅沢な景色のところに住んでいたものだ。結論から言うと、考古館の展示資料は縄文土器の概念を大きく崩されるものであった。蒸し器や酒の醸造のための器、それに描かれた蛙やミズチらしき紋様、言語としか思えないパターンなど、ちょっとこんな土器は見たことない、といったものがずらっと並んでいる。撮影不可であったものの、最も有名な「神像筒型土器」はおそろしく完成度の高いもので、私の知っている「縄文」はほんの一部でしかないと思わされる、ショッキングな場所であった。若干被せ気味のパッション溢れるキャプションもここならではのものだろう。個人的に入口の井戸尻文化分布地図が熱かった。
帰りの電車までは時間があるので、すぐ裏の歴史民俗資料館も行ってみようとドアを開けてみると、受付のおばさんが出てきて、館内のストーブを一つ一つ手でつけてくれながら、説明をしてくれる。ほとんど馬と同居しているような移築家屋に、たくさんの馬具。養蚕の道具や、宮崎駿直筆の集落復元画など、ここもなかなか素晴らしい展示である。宮崎駿氏はこの辺に別荘があるらしく、『もののけ姫』のキャラクターの名前はここの方言に由来したものが多いらしい。私の注目したのは「乙事村重宝・八ヶ嶽之図」と題された八ヶ岳の絵図で、写本ではあるが、山の植生が描き分けられていたり、集落を結ぶ道が描かれていたりして、非常に興味深い図である。
電車で松本に着いて、旅館で荷物を下ろした後、少しだけ歩き回る。歩いていて気になった健康志向のハーブ・スパイス料理屋さんに入ろうとすると、タッチの差で団体客が入る姿が見え、カウンターしかない店内に、偶然にも男性だけが並ぶこととなった。私以外はスペインなまりの外国人を含む団体さんで、私は少し肩身の狭い感じで視線のやり場に困りながら、料理ができるのを待つ。ふとカウンター脇のショップカード置き場に目を向けると、そこには「菊の湯」という銭湯のリーフレットがあり、見たことのある画風を感じる。中を開いてみると、雲仙は小浜温泉のリーフレット「蒸し釜生活」と同じイラストレーターさんの図解があった。私があまりにもまじまじと読んでいるので、店主の女性が「地元の若い人たちがつぶれそうな銭湯をクラファンで救って運営してるんですよ。そのイラストレーターさんも、昔番頭さんをやってたんです」と教えてくれた。それはぜひ行ってみたいです、と言いながら、全くカレーらしくはないがカレーとしか言いようがない斬新なヴィーガン・カレーをものの5分で食べ終え、宿に帰った。旭川もそうであったが、スキー客の集まる街にはヴィーガン対応の店が多いようだ。これから寒いところに繰り出して行こうと思う。