逸走日記1

卒制も終わり、採点と事務書類の山を片付けながら、どこかに行きたいという思いが爆発しそうになりつつも、行く場所を決められまま数日が過ぎる。その理由を考えてみるに、最も現実的な問題としては、菜食になるとある程度は食事の下調べをしてから行かないといけないということがある。特段気になる店がなければ松屋やマクドナルドに飛び込めばいいや、というわけにもいかず、見知らぬ地方に行けばひもじい思いをする覚悟をしなければならない。それに、最近は料理屋に限らずどこも予約をしなければ入れなくなってしまい、思いつきで行動することもできない。そうこう考えあぐねているうちに倦怠感に苛まれて、計画をやめてしまうのである。

しかしそれ以上に、どこかに行こうと思った時に、その土地に対する強烈な興味みたいなものが全く湧かなくなってしまった。世界はそれと老化と呼ぶのかもしれないが、もっと社会的な理由がある気がする。学生の時なんかはどうやって旅をしていたのだろう。行きたいところなど無数にあって、世界は未知に溢れていて、田舎駅の乗り換えの間も惜しんで街を歩き回っていた。Google Mapsと睨めっこしても、行きたいところなど生まれない。そんなじじむさいことを考えているうちに、憂鬱な思いが募っていく。

旅行先を考え始めてから一週間は過ぎた後、いつものように無力感に包まれはじめたが、いい加減にこちらも学習してきたので、とりあえず自分の行ったことのある場所に行くことにする。とにかく家から出ることが大切なのだ。行き先は、小津の別荘があった蓼科である。ただし別荘は休館中。北八ヶ岳の中腹だし、極寒であることは間違いない。局地装備を持って行かなければならない。でも仕事で呼び出されるかもしれないからパソコンも持って、そうすると電源も必要で、といううちに登山リュックで出かけることとなった。ここのところ腰に不安を抱えていたが、背に腹は代えられまい。

立川から特急あずさに乗り(すっかり地獄絵図となった東京駅を通らなくて良いというだけで最高だ)、まずはずっと行ってみたかったリビセン(ReBuilding Center Japan)のある上諏訪で降りる。朝が早いからか、それともつぶれているのかはわからないが、シャッターの閉まる商店街を歩いて行くと、ものの10分でリビセンはあった。何か街ぐるみのイベントをやっているようで、途中いくつかの店の前にベンチが置かれており、疲れたら腰を下ろして休めるようになっていた。

リビセンは簡単に言うと古材の交換拠点で、小物から家の建材まで大小様々なものを集めて古材の再活用を促進しようという場所である。DIYや資材加工の講座を開いたり、近隣のお店の商品を置いたりと、地域のコミュニケーションを促進する拠点にもなっている。ヤバい場所というのは店構えからわかるもので、静かな商店街の中でリビセンはすごい熱気を放っていた。ただの瓦礫にしか見えないような石までもがワゴンに入れられて売られていて、中に入ると店内は綺麗に整頓されているし、スタッフ、古材や小道具の元の持ち主、新しい買い手の3者をつなぐしかけが至る所に置かれている。資材を再活用するための知識がある人がいて、それを惜しみなく分け与え、新しい使い道を作り出そうという人がいるだけで、こんなリサイクル・アップサイクルが可能なのか(これは後から建築家の友人に聞いた話だが、この辺りは蔵をまるごと人に譲って移築するとか、人に何かを渡す文化があるらしい)。情A旅行でここに来るのも素晴らしいなと思いながら、カフェでスコーンを食べてお土産を買い込み、リビセンを後にする。

上諏訪の次は下諏訪駅に行き、次の茅野方面の電車が来る40分ほどの間に急いでマンホールカード2枚をもらった後、茅野駅に移動する。ここに来るのは15年ぶりぐらいではないか。駅舎はもっと立派だった気もするし、駅前ももっと栄えていた気がするが、おそらく宇都宮駅や長野駅の記憶と混濁しているのだろう。餓死しないようにパンだけ買い込んでバスに乗る。

バスの車中から、山なのに雪など積もっていないではないか、これでスキー場はやっていけているのかと心配をしていたが、どうやら北八ヶ岳は見えている山々の裏側にあったようで、宿に着いた頃にはしっかり積もっていた。とにかく夕方には周りの店が全て閉まるとのことだったので、散歩がてら湖を一周することにする。水面は半分氷が張り出していて、まだ凍っていない部分にカモやオオバンがかたまって浮かんでいる。写真に映るギリギリの距離でそうっと40mmのカメラを構えるが、彼らはすぐに切り返して遠ざかっていってしまう。鳥とはなかなかわかり合えないものだ。こんなに寒いのにテントを張ってキャンプをやっている人たちがゴロゴロいて、どういう境地なのだろうと首をもたげていると、ガサガサと音がして、小川沿いでエサをあさっていたジョウビタキが飛び立ち、近くの枝に留まった。私の心の余裕のなさに、ふと綻びが生まれた気持ちになる。

宿に帰り、風呂に向かう。スキー客らしき父子3人が今日の滑りを振り返っているのに聞き耳を立てながら、一人無心に壁を見つめる。風呂でゆっくりする方でもないので早々に部屋に戻り、地ビールを飲みながらパンを食べ、パソコンでドキュメンタリー道場のトーク名場面集を見る。『雪解けのあと』のルオ・イシャン監督が、「これまでは書くことを通じて考えてきたけれど、友人を失って失意に苛まれてからは、キャメラで撮るということが考える手段になった。考える前に撮れてしまうのが今の心境には合っている」と語っているのが印象に残る。それを聞いて、私も写真をやっていた時に、撮ることが日常の思考や観察の一部になっていたが、あまりにもそれが身体化されすぎて写真に飲み込まれそうでカメラを手放したことを思い出した。最近久しぶりに写真機というものに興味を取り戻し、先ほどのように風景写真など撮ってみたりはしているが、何か昔と同じような下手くそでセンチメンタルな写真になりそうな瞬間があり、苦々しい嫌悪感を覚えた。人はそうそう変わらないものだ、と一人高原の湖畔で思うのであった。