逸走日記2

夜半何度も目覚めるが、何度起きても深夜に間違いないし、マイナス8度の中出かける根性はないので、無理やりにでも寝続ける。昨日重い荷物のせいで腰をやったようで、今後の旅路が不安になる。五度寝はしてようやく朝食の時間になったので、ぐしゃぐしゃになった浴衣を帯で締め直してカーテンを開ける。雲ひとつない空の下、老人と孫が凍結した湖面の上で戯れていた。全面凍結しているわけではないのに氷に乗って大丈夫なのだろうかと一応心配はするが、慣れているそぶりなのですぐに考えるのをやめる。

パンの匂いが充満した老化を進んで、紙の弁当箱に入ったパンを受け取り、いそいそと部屋に上がる。どういう設備があるのか、パンを宿の中で焼いているようで、最近はどこの宿も工夫を凝らしているものだと思う。

朝食を食べたのはいいが、始バスの時間まで4時間以上あるので、まだ氷点下の湖の周りを一周したり、ロビーで書き物をしたりして過ごす。次第にスキー客らしき人たちがたむろってきてやにわにロビーが騒がしくなったが、皆車で来ているのか、バスに乗り込んだのは私一人だった。こんなところに公共交通機関で来る方がおかしいのであろう。どこに行っても私は物好きである。

茅野に戻る車中で、今日の行き先を考える。松本に泊まるのは決めていたので、その前に井戸尻の縄文考古館に寄ろうと思い立つ。縄文をテーマにしていたゼミ生が熱っぽく語っていたところだ。考古館最寄りの信濃境駅までは各駅停車で数駅。腰は痛いけれども、Googleによれば駅から徒歩15分で辿り着けるとのことなので、ロッカーに重い荷物を預けて向かえば大丈夫だろうと高を括る。しかし、信濃境駅に着いてみると、どこにもロッカーなどというものはなく、駅員すらいない無人駅であった。しょうがなく張り紙に書いてあったタクシーの番号に電話してみるが、「隣の富士見駅から向かうので20分かかる」と言われ、リストの一番上にあるタクシー会社でもこれなら他にかけてもしょうがなかろうと、断りを入れる。店など開いていないし、預けられそうな場所は見当たらないので、意を決して荷物を背負い、よぼよぼと歩き出す。天気だけは良いが、見渡すかぎり下り坂しか見えず、これを帰りに登ることになるのかと思うと不安になる。

斜面沿いに畑とロッジ風の建物が並ぶ道を降りると、考古館にたどり着いた。目の前には2,000mは超える山々が見え、視線を左に向ければ遠くに富士山も見える。縄文人たちはなんとも贅沢な景色のところに住んでいたものだ。結論から言うと、考古館の展示資料は縄文土器の概念を大きく崩されるものであった。蒸し器や酒の醸造のための器、それに描かれた蛙やミズチらしき紋様、言語としか思えないパターンなど、ちょっとこんな土器は見たことない、といったものがずらっと並んでいる。撮影不可であったものの、最も有名な「神像筒型土器」はおそろしく完成度の高いもので、私の知っている「縄文」はほんの一部でしかないと思わされる、ショッキングな場所であった。若干被せ気味のパッション溢れるキャプションもここならではのものだろう。個人的に入口の井戸尻文化分布地図が熱かった。

帰りの電車までは時間があるので、すぐ裏の歴史民俗資料館も行ってみようとドアを開けてみると、受付のおばさんが出てきて、館内のストーブを一つ一つ手でつけてくれながら、説明をしてくれる。ほとんど馬と同居しているような移築家屋に、たくさんの馬具。養蚕の道具や、宮崎駿直筆の集落復元画など、ここもなかなか素晴らしい展示である。宮崎駿氏はこの辺に別荘があるらしく、『もののけ姫』のキャラクターの名前はここの方言に由来したものが多いらしい。私の注目したのは「乙事村重宝・八ヶ嶽之図」と題された八ヶ岳の絵図で、写本ではあるが、山の植生が描き分けられていたり、集落を結ぶ道が描かれていたりして、非常に興味深い図である。

電車で松本に着いて、旅館で荷物を下ろした後、少しだけ歩き回る。歩いていて気になった健康志向のハーブ・スパイス料理屋さんに入ろうとすると、タッチの差で団体客が入る姿が見え、カウンターしかない店内に、偶然にも男性だけが並ぶこととなった。私以外はスペインなまりの外国人を含む団体さんで、私は少し肩身の狭い感じで視線のやり場に困りながら、料理ができるのを待つ。ふとカウンター脇のショップカード置き場に目を向けると、そこには「菊の湯」という銭湯のリーフレットがあり、見たことのある画風を感じる。中を開いてみると、雲仙は小浜温泉のリーフレット「蒸し釜生活」と同じイラストレーターさんの図解があった。私があまりにもまじまじと読んでいるので、店主の女性が「地元の若い人たちがつぶれそうな銭湯をクラファンで救って運営してるんですよ。そのイラストレーターさんも、昔番頭さんをやってたんです」と教えてくれた。それはぜひ行ってみたいです、と言いながら、全くカレーらしくはないがカレーとしか言いようがない斬新なヴィーガン・カレーをものの5分で食べ終え、宿に帰った。旭川もそうであったが、スキー客の集まる街にはヴィーガン対応の店が多いようだ。これから寒いところに繰り出して行こうと思う。

逸走日記1

卒制も終わり、採点と事務書類の山を片付けながら、どこかに行きたいという思いが爆発しそうになりつつも、行く場所を決められまま数日が過ぎる。その理由を考えてみるに、最も現実的な問題としては、菜食になるとある程度は食事の下調べをしてから行かないといけないということがある。特段気になる店がなければ松屋やマクドナルドに飛び込めばいいや、というわけにもいかず、見知らぬ地方に行けばひもじい思いをする覚悟をしなければならない。それに、最近は料理屋に限らずどこも予約をしなければ入れなくなってしまい、思いつきで行動することもできない。そうこう考えあぐねているうちに倦怠感に苛まれて、計画をやめてしまうのである。

しかしそれ以上に、どこかに行こうと思った時に、その土地に対する強烈な興味みたいなものが全く湧かなくなってしまった。世界はそれと老化と呼ぶのかもしれないが、もっと社会的な理由がある気がする。学生の時なんかはどうやって旅をしていたのだろう。行きたいところなど無数にあって、世界は未知に溢れていて、田舎駅の乗り換えの間も惜しんで街を歩き回っていた。Google Mapsと睨めっこしても、行きたいところなど生まれない。そんなじじむさいことを考えているうちに、憂鬱な思いが募っていく。

旅行先を考え始めてから一週間は過ぎた後、いつものように無力感に包まれはじめたが、いい加減にこちらも学習してきたので、とりあえず自分の行ったことのある場所に行くことにする。とにかく家から出ることが大切なのだ。行き先は、小津の別荘があった蓼科である。ただし別荘は休館中。北八ヶ岳の中腹だし、極寒であることは間違いない。局地装備を持って行かなければならない。でも仕事で呼び出されるかもしれないからパソコンも持って、そうすると電源も必要で、といううちに登山リュックで出かけることとなった。ここのところ腰に不安を抱えていたが、背に腹は代えられまい。

立川から特急あずさに乗り(すっかり地獄絵図となった東京駅を通らなくて良いというだけで最高だ)、まずはずっと行ってみたかったリビセン(ReBuilding Center Japan)のある上諏訪で降りる。朝が早いからか、それともつぶれているのかはわからないが、シャッターの閉まる商店街を歩いて行くと、ものの10分でリビセンはあった。何か街ぐるみのイベントをやっているようで、途中いくつかの店の前にベンチが置かれており、疲れたら腰を下ろして休めるようになっていた。

リビセンは簡単に言うと古材の交換拠点で、小物から家の建材まで大小様々なものを集めて古材の再活用を促進しようという場所である。DIYや資材加工の講座を開いたり、近隣のお店の商品を置いたりと、地域のコミュニケーションを促進する拠点にもなっている。ヤバい場所というのは店構えからわかるもので、静かな商店街の中でリビセンはすごい熱気を放っていた。ただの瓦礫にしか見えないような石までもがワゴンに入れられて売られていて、中に入ると店内は綺麗に整頓されているし、スタッフ、古材や小道具の元の持ち主、新しい買い手の3者をつなぐしかけが至る所に置かれている。資材を再活用するための知識がある人がいて、それを惜しみなく分け与え、新しい使い道を作り出そうという人がいるだけで、こんなリサイクル・アップサイクルが可能なのか(これは後から建築家の友人に聞いた話だが、この辺りは蔵をまるごと人に譲って移築するとか、人に何かを渡す文化があるらしい)。情A旅行でここに来るのも素晴らしいなと思いながら、カフェでスコーンを食べてお土産を買い込み、リビセンを後にする。

上諏訪の次は下諏訪駅に行き、次の茅野方面の電車が来る40分ほどの間に急いでマンホールカード2枚をもらった後、茅野駅に移動する。ここに来るのは15年ぶりぐらいではないか。駅舎はもっと立派だった気もするし、駅前ももっと栄えていた気がするが、おそらく宇都宮駅や長野駅の記憶と混濁しているのだろう。餓死しないようにパンだけ買い込んでバスに乗る。

バスの車中から、山なのに雪など積もっていないではないか、これでスキー場はやっていけているのかと心配をしていたが、どうやら北八ヶ岳は見えている山々の裏側にあったようで、宿に着いた頃にはしっかり積もっていた。とにかく夕方には周りの店が全て閉まるとのことだったので、散歩がてら湖を一周することにする。水面は半分氷が張り出していて、まだ凍っていない部分にカモやオオバンがかたまって浮かんでいる。写真に映るギリギリの距離でそうっと40mmのカメラを構えるが、彼らはすぐに切り返して遠ざかっていってしまう。鳥とはなかなかわかり合えないものだ。こんなに寒いのにテントを張ってキャンプをやっている人たちがゴロゴロいて、どういう境地なのだろうと首をもたげていると、ガサガサと音がして、小川沿いでエサをあさっていたジョウビタキが飛び立ち、近くの枝に留まった。私の心の余裕のなさに、ふと綻びが生まれた気持ちになる。

宿に帰り、風呂に向かう。スキー客らしき父子3人が今日の滑りを振り返っているのに聞き耳を立てながら、一人無心に壁を見つめる。風呂でゆっくりする方でもないので早々に部屋に戻り、地ビールを飲みながらパンを食べ、パソコンでドキュメンタリー道場のトーク名場面集を見る。『雪解けのあと』のルオ・イシャン監督が、「これまでは書くことを通じて考えてきたけれど、友人を失って失意に苛まれてからは、キャメラで撮るということが考える手段になった。考える前に撮れてしまうのが今の心境には合っている」と語っているのが印象に残る。それを聞いて、私も写真をやっていた時に、撮ることが日常の思考や観察の一部になっていたが、あまりにもそれが身体化されすぎて写真に飲み込まれそうでカメラを手放したことを思い出した。最近久しぶりに写真機というものに興味を取り戻し、先ほどのように風景写真など撮ってみたりはしているが、何か昔と同じような下手くそでセンチメンタルな写真になりそうな瞬間があり、苦々しい嫌悪感を覚えた。人はそうそう変わらないものだ、と一人高原の湖畔で思うのであった。