そもそもなぜ台湾に行こうと思ったのか。もちろん休暇の意味もあったが、ホウ・シャオシェンの映画とエドワード・ヤンの映画で見ていた、何度も統治する民族が変わり、支配と弾圧が続いたこの島の、人々の心持ちというのは如何様にありきか、そして台湾に残された「文明」が如何なるものか、確かめてみたかったからである。
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そもそもなぜ台湾に行こうと思ったのか。もちろん休暇の意味もあったが、ホウ・シャオシェンの映画とエドワード・ヤンの映画で見ていた、何度も統治する民族が変わり、支配と弾圧が続いたこの島の、人々の心持ちというのは如何様にありきか、そして台湾に残された「文明」が如何なるものか、確かめてみたかったからである。
ひたすら粉もんを食って、最終日には粉もん恐怖症になった。しかし本場の粉もんは確かにうまかった。本物のナニワのおっちゃんにも絡まれたし、本物の前方後円墳も見れた(ハニワ工場も)。室生寺は思いのほかいいロケーションで、いずれ長谷寺とセットで再訪したい。ダニ・カラヴァンの公園も見れた。あとは行きのがした待庵にリベンジをかけたい。
母親から受け継いだ私の雨男能力は徐々に開花してきているようで。。。
3日間歩き続けたため、ヘロヘロになって帰ってきて、翌日から作業環境のチューンナップ。MacBook ProのHDDを160GB 5400rpmから500GB 7200rpmに換装し、BootCampを突っ込む。Carbon Copy Clonerで新HDDにデータを完全移植して、買ってから初めてMacBook Proの蓋をあける。ツメがバキバキ言ってかなり心臓に悪いが無事に換装完了。問題はBootCampで、このMacBook Proが64bitへの過渡期だからか、64bit版のWindows 7インストーラがそのままでは「Select CD-ROM Boot Type:」と出て、キーボード入力も何も受け付けない状態に。稲見氏に深夜にMac持参で来てもらって、そっちのMac上のWindows(BootCampね)からコマンドプロンプトで
C:\> \Program Files\Windows AIK\Tools\x86\oscdimg.exe -n -m -bD:\boot\etfsboot.com D:\ C:\iso\win7.iso
と入力し、ディスクイメージを作成(Windowsのコマンドがよくわからず、コマンドが蹴られまくったので「cd Program Files」とかしてProgram Files\Windows AIK\Tools\x86まで移動し、「oscdimg.exe -n -m -bD:\boot\etfsboot.com D:\ C:\iso\win7.iso」したら通った)。で、そのディスクイメージをそのままWindowsで焼いて僕のMBPに突っ込んだのだがこれが認識しない。結局それをMac側で焼いて、僕のに突っ込んだらインストールが始まった(ImgBurnというので焼いてもいいらしい)。
晴れてWindowsは入った(午前3時)のだが、今度はWindows上にBootCampが入らない。スノレパのディスクを入れても「Boot Camp x64 is unsupported on this computer model」と出て入らず。ネット上でBootCamp3.2を落として入れようとすると、「3.1を入れろ」。3.1を探し出して入れようとすると、ディスプレイの調整だけして落ちる。しょうがないからとりあえずWindows Updateをかけて、中身を色々更新。その後、コマンドプロンプトからスノレパ上のBootCampを実行しようとするものの、キーボード調整ができてないからバックスラッシュ(¥)が入力できない。コピペしようにも「Control + v」が効かない。右クリックができない。などの諸処の問題をなんとかクリアし、管理者権限でコマンドプロンプトを立ち上げて
で、その後3.1と3.2を入れて、やっとBootCamp環境の導入完了。全くもうこんなの普通わからんだろ。MBPのMid/Late2007は64bit版Windowsにはデフォルトで対応してないとは言え。
参考サイト↓
MacPro(初代 1st Generation)にWindows7 64bitをインストールする際、Select CD-ROM Boot Type:が表示されWindows AIKを試したがうまく行かない場合の対処
あと、稲見氏から23-inchのシネマディスプレイを購入し、電源つけてみたのだが、かなり黄色く焼けていて、色抜け・黒ずみもあったので、悲しいかなご返品(笑)。こりゃあThunderbolt Display買うしかないかな、と思うが27inchはでかいよなあ。。。金も無いからしばらくは買えないんだが。
しかし気付いたら木曜じゃねえか!なんてこった!
BootCamp入れながら、稲見氏のMacで「アマルフィ」を20分ぐらい観たが、このブログの話は本当だった。爆笑。
エレクトロニクス制作講座の合宿で箱根は強羅に行ってきた。14人。宿について早々工作を始め、各々作りたいものを制作。坂本さんの電気を使わない立体曼荼羅回路が異様な存在感を辺りに漂わせる。ボタンを押したら何かがどこかで起こるらしい。鈴木さんに2πf=1/RCの意味を質問したらニュートンとかクーロンとか色々公式が出てきて、電流とは単位時間中の電荷の流量のことであったり、ファラッドはクーロンとボルトのなんとかかんとかだったり、eのiπ乗が-1になる不思議さだったり色々聞いてしまい、なんだか回路制作より仕組みの方が気になってきた。とりあえず2πf=1/RCの面白さを表現する回路を制作したい。
夜は坂本ママをはじめとした女性陣の豪華な手料理で宴会をし、鈴木さんの作ったパクチーを食いまくり、ありがたい話をいっぱい聞いた。これは電子工作が目的の講座じゃなくてそれをどうやって使うかを考える集まりだということが段々身に沁みてわかる。中でもループライン閉店の本当の理由を聞けて嬉しかった。音楽だけじゃなくて美術やデザインにも芸能界化現象は深刻で、芸能界に居る人達はそのことに気付いていない。でも当に面白いことをやろうとしている人達は少なからずいて、ゆるやかな連帯をしながら助け合っていることにほんとに身が打ち震えるような思いがする。ひょんな気持ちで参加したこの講座だったけど、目覚めさせられたことは多い。
翌日は朝風呂の後ひとりで近所を散歩し、みんなで宿を出た後、大湧谷までロープウェー。昔地獄谷と呼ばれていたそこの風景に一同興奮する。強羅族が支配する地獄谷ではデス植物が生えており、ブラックエッグを使った地獄の儀式が行われている。
ロープウェーを降りて、餃子センターで餃子を食べ、超克の杜(ことえり天才)でピカソの版画を見ながら色々考えた後、我々は長嶋カーで帰還。疲れたけど面白すぎた。もう今日は体がガチガチである。場所を変えて始まる講座第二期(?)が楽しみだ。

なぜ牛久くんだりまで行ったかと言うと、親父が江戸前の蕎麦打ちを習った師匠である鈴木先生の、数少ないお弟子さん(つまり親父の兄弟子に当たる)のお店だからだ。なんか親父大好きみたいだが鈴木先生は蕎麦屋であっただけでなく蕎麦の研究やコレクションもしている「蕎麦の大家」であり、鈴木先生が亡くなった後の今、私にはそれを食べる余地は無いことだけがひたすら惜しまれるからである。なんだか今の私にとっては蕎麦=鈴木先生なのだ。
個人的には普段は鴨南蛮とか種物を食べる方なのだが、最近は研究のため(いや別に研究してるわけでもないが)もりそばとか味のわかりやすいものを食べている。今回は折角なので天ざると田舎そば(太打ちそば)を頼む。麺は非常にうちの実家のものと近く、香りも食感もとてもよい。玄蕎麦から自家製粉とのことなので、うちと一緒である。つゆはうちのほうが辛いかな、という感じ。友達のやつをつまんだとろろそばもおいしく、こういういい仕事をしている蕎麦屋がほんとに近所にほしいな、と思うばかりだった。
店からうちの親父にメールしてみると、「名古屋の大田と言ってもいいよ(=言え)」とのことなので、息子さんにわざわざ大将を呼んでもらった。「ああ、そうだったんですか〜!」と出ていらっしゃった安藤さんはとても気さくな方で、そばのことから鈴木先生のこと、親父には直接聞きにくいようなことまで教えてもらった。なんでも家業だった林業をやりながら蕎麦の修行を続け、40歳で蕎麦屋を始めたとのこと。親父の話ではロープ一本で木に登れるそうな。あと、おかめそばに使う鼻の部分の松茸は、かさが上にこないと演技が悪いのだそうな。家に使う材木も生えてる時と上下逆にすると縁起が悪いとのこと。友人には「おまえ蕎麦屋の息子だなあ」と言われるが、嬉しかったし楽しかったのである。ますます鈴木先生のことが忍ばれるが、次は高円寺のお弟子さんのところに行ってみたいと思っている。
「瞳にうかぶ
ふるさとの
霧の雫はそばの花
わが生涯は
ひとすじに
いにしえ深きそばを打つ」
「そばの味は 上手下手よりも 心の高さの現れである
無味の味は 佳境に入らざれば 則ち知れず
老師に喝くう龍沢寺」
3連休、実家に帰りがてら、愛知トリエンナーレを見、伊良湖岬まで行ってから御殿場の旧岸邸に寄って帰ってくるという無茶苦茶な旅程を敢行しました。トリエンナーレは、この種のイベントが全体として面白かった経験はないし、今回もそれに違わずさんざ歩き回らされた挙句に面白いのは1、2個だけ、という結果だったが、お目当ての梅田哲也さんの作品は抜群に面白かった。コンタクト・ゴンゾとのパフォーマンスも見れたし、ラッキー極まりない。あとは子供がオリジナルの「地獄」を工作で作って、それを解説してるやつ。それにしても、やたら広い空間と金を使ってるやつと、廃ビルみたいなところで金なんか全く使ってない展示をしているものの差が激しくて、これってどう運営してるんだろうなと不思議に思った。ヤン・フードンなんてあれだけの映写機と人件費、どうしてるの??
で、実家でふざけた話を夜通しした挙句、次の日は豊橋経由で伊良湖岬へ。なんで行ったかと言うと、実は愛知に生まれながら渥美半島に足を踏み入れた事が無かったことと、日本の「先っちょ」を一つ一つ見ていきたい、という理由だった。本当は神島まで言ってみたかったけど、高速船の運行スケジュールが全く合わなかったし、伊良湖の先っちょで十分「先っちょ」感を味わえたし、次に鳥羽から行けばいいやと考えてやめた。新鮮魚介が激安で食べられたし、民宿のおばちゃんも面白かったし、実り多し。冷やしメロンもうまかった。宿で中上の「岬」読む。
次の日、また豊橋経由で帰る。知らなかったけど、豊川いなりと知立の大あんまき、名物なんだな。どちらも美味しかった。知らなかった、とか言うとまた誰かさんに「三河なめたらいかんですよ」と怒られそうだ。
最後は吉田五十八設計の旧岸邸に無理矢理寄って深夜の帰宅。もう次の仕事の準備が始まっているし、研究もあるしでしばらくマシーンのようになる決意。
月末から愛媛・広島・山口に旅行に行ってきました。
まず帰ってきて思う事は、「俺、思いっきり遊びたかったんだな〜。」ということでした。
踏ん切りがつかなかったあれやこれやが吹っ飛びまして、非常にすっきりした気持ちであります。
実は昨日画像をアップしようと思い、ずっと画像ファイルの複数アップローダー&リサイザを苦心して導入していたのですが、結局PhotoshopでバッチかけてFTPに直接ぶちこんだほうが一番早いことがわかり、昨日はそれで断念してしまったのでした。なので非常に軽めに書きますが、なんといっても地形というのは凄い!
瀬戸内の海から隆起したいくつもの山々、秋吉台の黄緑色の大地や秋芳洞のえも言われぬような岩の造形。日本というのは非常に奥深いことを実感。こんな地形のところに生まれた人と、濃尾平野のグリッド状に仕切られた地方都市に生まれた人が、同じ人間に育つわけがない。東京で凝り固まった頭が解放されました。
で帰ってきたら待ちに待っていたphewさんの新譜「Five Finger Discount」が届き、もうジャケットを見た瞬間から泣く準備ができ、その辺歩きながら聞き込みました。
さて、私は私のやるべき事をやるぞい。
8月はムサビと家とのほぼ往復という多摩地区的生活を送っておりました。K川さんの壮行会をしたり、O村さんの新居に遊びに行ったり、子供が生まれる人がいたり、と周りは刻々と変化しているような気がします。昨日はとりあえず展覧会がオープンしたので、マンジョウエンに行った後、三鷹にできたコメダ珈琲で蜂蜜アイスコーヒーを一杯、という至福に預かる事ができました。チャーハン食い過ぎてお腹がいっぱいだったのでシロノワールが食えなかったのが残念ですが、やっぱりコメダは広いし、うまいし、素晴らしい。もっと増えればよいのに。
今日は東京で行き逃していた「ルーシー・リー展」を見に益子へ。ずっと益子に行ってみたかったのだが、意外と遠くてかなわなかったが、意を決してついに。下館から「SLもおか」というのが走っていて、運良く乗る事ができました。出発の汽笛に身震いし、窓を開けて夏風を感じていると、窓から大量の石炭カスが入ってきて慌てて窓を閉める。そういえばモノクロ映画で出発と同時に窓を閉めていたのはこのせいか、と納得する。益子はとてつもなく暑くて、かなり観光地だし、「手打ちそば」という名のブツブツ切れる蕎麦に久しぶりに出くわしたりもしたけど、若手の人たちが益子のハンドクラフトのコミュニティを作ろうとしたりしてるみたいですごく好感が持てた。都会はカネやら理論やらでがんじがらめだけど、こういうものがある限りは人間は生きていていいと思った。まあ当人には金は切実な問題としてあるだろうけど。これを「卑近だ」とか言う奴は死ねばよかろう。
とりあえず今日はこんなとこで。