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映画成分を補充

久しぶりに映画をちょこちょこと。といってもたった2日間だが。

実家のHDDレコーダーになぜか入ってたジェイソン・ステイサム先生の『トランスポーター3』。ステイサム先生とスー・チー様が見れればそれで良かったけどかなり雑だった『1』と比べて、すごくまともそうなトニスコ風アクション映画に仕上がっていたけど(最近のリュック・ベッソン絡みの映画としては悪くない)、全てヒロインの女がぶち壊すので残念すぎた。どう考えてもあんな全然可愛くない性悪糞ビッチと運び屋が成り行きでデキてしまうのは納得できない。それをしなければいけないという必然性への追い込みも足りず。それ以外はとても楽しめる娯楽映画だったけれども。

あとは姪・甥と一緒に『アナ雪』とか『ラプンツェル』とかも見て、へー最近のディズニーのお姫様と男性像はこうなってるのねー、と勉強したり、キノハウスでピング・クロスビー/ボブ・ホープ/ドロシー・ラムーア出演の『アフリカ珍道中』、ルビッチの『陽気な巴里っ子』(適当な邦題だな……)、ファスビンダーの『シナのルーレット』(とにかく撮影が異常)をハシゴしたり、帰ったらハワイアン・フェアをやってるデニーズでドロシー・ラムーアつながりの《マナクラの月》(ジョン・フォード『ハリケーン』)が流れてて、おっ、と思ったり。

中でも個人的なトラウマ映画館である名古屋シネマテークで見た、たむらまさき監督の『ドライブイン蒲生』はとても清々しい良い映画だった。黒川芽以の体さばきがとても良く。音楽の使い方とか驚くぐらい新鮮で潔い。イメージフォーラムでやっているので、お薦めです。DV夫が加瀬君じゃなくて良かった。

『ハリケーン』

ジョン・フォードの映画においては、酔っぱらいが話すことこそ真実である。

フォードをレイシスト扱いした『ボーリング・フォー・コロンバイン』の監督は恥を知るべきだ。

素数に乗せて

人生で初めて紙のポートフォリオというものを作ったけれども、僕の仕事にとってはほとんど意味ないですね、これは…….。

ゼメキスの『ロマンシング・ストーン』と『コンタクト』を見る。後者は10年ぶりぐらいに見たけれども、最初の素数のメッセージから、それにノイズとして乗せられている映像が解読される件は夢中になってしまう。あと、ジョン・ハート様が出てたのね。当時は全くジョン・ハートに意識的じゃなかったけど、今見るとペキンパーの遺作『バイオレント・サタデー』を引きずってるような、モニタ越しに現れる怪人っぷりが素敵。映画の中で息を引き取る役が多いよね。他にもデヴィッド・モースとかジェームズ・ウッズとか、好きな俳優さんがいっぱい出ていて至福。まだイカれる前のマシュー・マコノヒーも出てたのね。

近所の総合病院で血糖値を再検査したら、「正常」と言われる。「前回はお腹減ってたんじゃない?」と言われたけど、だって健康診断は何も食べずに来いって書いてあるじゃん……。食事制限も低血糖にはあまり関係ないらしく、「誰がそんなこと言ったの?」と言われ、「ネットです」とは言えず。自分なりに選んだ情報だったのに……。

昨今

皮膚の表面は良くなったのだが、昨日はイタリアンを食べたあと腕の神経がピリピリ痛くて何も出来なくなった。低気圧が影響してることは間違いないのだけれど、根本的な原因としては、自己分析だけれども、
1) 何らかのアレルゲンに反応している。怪しいのは小麦とエビ。
2) 血行障害(血がドロドロ、副流煙で血管収縮、他)
3) ヘルペスウィルスの侵入に対する反応
のどれかだと思う。IgE抗体の血液検査をしているのだけれどまだ2、3日結果が出ないので、とりあえず怪しい食べ物は全部やめて、ごく日本人的な食事をしている。酒もカフェインもやめているので生きづらい(笑)。いやあ、困ったなあ。治す為ならなんでもしますよ、これは。大学の健康診断の結果が出るのもいつだかわからないしなあ。

日本で『グランド・ブダペスト・ホテル』が公開されたので、見直す。ウェス・アンダーソンの画面を単に趣味の露呈として片付けて敬遠または擁護する人がちらほらいて、確かにちょっとその気がある時期はあったけれども、今作は趣味の問題を通り越して、こんな映画的画面は久しく見ていないんじゃないかと思うぐらい凄まじかった。あの画面に驚かないのはちょっと感性乏しすぎる。別に趣味だって大いに結構なのだけれど、あれは自分の世界に籠ったせせこましいもんじゃないと思うんだけどなあ。これはウェスの勝利だよ。

『ロジャー・ラビット』

家で密かにゼメキス祭を始める。一本目は『ロジャー・ラビット』。冒頭のドタバタアニメ(の撮影シーン)からかなりのtoo much感(いや凄いんだけど)だし、とにかくトゥーン・ジョークがよくわからないのだけれどがんばって見る(ベティーちゃんが白黒というジョークぐらいはわかるけど)。実写の世界に入り込むトゥーン、トゥーンの世界(=トゥーン・タウン)に入り込む実写の人間、トゥーンの真似をする実写の人間、携帯落とし穴などトゥーンの道具を実写の世界で使う人間、などなどトゥーンと実写の人間の画面上での共存を多分本気で目指したに違いない本作に、やっぱりそれは無理があるんじゃないかと思ってた自分もいつしかそれは差別的な視線じゃないだろうかと思い始めてしまう。小さなテレビで見るのはやっぱり限界があるし、ジョークがわからないのも原因だろうけど、とにかく眠くてごめんなさい。わからなくてもときどき噴き出すシーンはありました。しかしトゥーンの動きを想定して一回実写で撮影しとく、というのがまず凄いのだけれど、そこに描かれていくトゥーンの動きも凄い。ジェシカ・ラビットの衣装のキラキラなんか感動もの。個人的にはルーニー・テューンズの面々、特にヨセミテ・サムが懐かしかった。ほんとにアメリカのアニメって終始ドタバタなのね、というのがよくわかる映画でした。

『ドラキュラ』と『ポケットの中の握り拳』

ステロイド無しで治すの諦めて、根本的原因が知りたいこともあり、いつもと違う隣駅の皮膚科へ。とりあえずめっちゃ乾燥肌だと言われ、加えてやっぱりアトピーっぽいけれど子供の時に全くなってないのに大人になって酷くなるのは珍しいケースらしい。そして先週の健康診断に引き続き、二週連続で苦手な採血。IgE抗体検査だから何に反応してるのかわかって良いのだけど、血の気が下がるのは気持ちいいものではない。

その後髪を切って、コッポラの『ドラキュラ』とベロッキオの『ポケットの中の握り拳』の爆音上映へ。ドラキュラは処女作『ディメンシャ13』から最近作『ヴァージニア』に至るまでのB級魂全開(あるいはコーマン魂全開)なところにファスビンダー映画で有名なカメラマン、ミヒャエル・バウハウスの仕掛けたっぷりの撮影技巧が加わって、とても面白かった。終盤は強引に引っ張っていくのね。

ベロッキオの長編デビュー作『ポケットの中の握り拳』は四兄弟の長男以外はてんかん持ちの次男、同じくてんかん持ちでブラザー・コンプレックスの妹、知的障碍の三男、それに盲目で無気力な母という難しいブルジョワ家庭で、病気や障碍を持った自分たちが長男の人生の足かせになっていることに我慢ならないアレッサンドロが、母を殺し、弟を殺していくという陰惨な話でありながら、御涙頂戴でも過剰に悲劇的でもなく、善悪の判断を持ち込まずにアレッサンドロの衝動的な動き、表情、叫びの一挙一動のアクションをひたすらに捉えていく。最近作『眠れる美女』で植物人間の生死の問題を扱ったベロッキオのルーツやここに在り。アレッサンドロそのものとなったルー・カステルの動きを通じ、同情されざる人物の映画を描くにはどれほど厳しいものを自分に課さなければならないのだろうか。しかもそれは外からはめられた「物語」にドライブされるのではなく、あくまで無軌道的な人物のアクションから描かれる。なんとなく青山真治『サッド・ヴァケイション』の家庭を思い出す。
音の面で言えば、こんなに絶叫が印象的な映画は小津の『お早よう』以来。ほかにもホラー映画なんかいっぱいあるだろうけど、あの兄弟がテレビを買ってほしくてゴネる絶叫はかなりのものな気がする。ちょっとだけ爆音で見たい。

『ファントム・オブ・パラダイス』

まるでキンクスのコンセプト・アルバムみたいにキッチュな登場人物たちに、贋物であることを自虐するわけでも隠蔽するでもないカメラワークと編集で、つなぎ間違いじゃないかと思うようなシーンも散見されて、何が何だかわからない中でポール・ウィリアムスの曲がひたすらに鳴りつづける爆音『ファントム・オブ・パラダイス』。このテンポの速さはとても良いなと思ったけれども、最後辻褄が合わなかったり端折りすぎてたりでその辺は残念。ライブシーンとか多分監督が思ってるよりうまくいってないんだけど、ひたすら画面に出続けるかなり間抜けな「怪人」が実は本当の「ファントム」じゃないって展開までは面白かったな。でも『オペラ座の怪人』の話を詳しく知らないので、その辺のもじりはよくわからないけれども。このジェシカ・ハーパーはとってもハマり役(唄うとき変な動き)で、映画内の観客と同じで思わず恋しちゃうのだけど、今や64歳なのねえ…….。
しかしなんで平日夕方のデパルマが超満員なのか、次の『ゼイリブ』とセットで来てるとしても不可思議。

『フルスタリョフ、車を!』

アレクセイ・ゲルマン監督『フルスタリョフ、車を!』を35mmで。冒頭からなんだかわけがわからないがひたすら面白い。永遠に外にたどり着くことがない迷宮のような室内。なぜ子供達に殴られているのかわからないがその様が遊びのように滑稽。突然勝手に開く傘。大まじめなんだかふざけてるんだかわからない変人奇人達の一挙手一投足に見惚れてしまう。いやあ、凄いもの見た。

書いても誰も行かないでしょうが、上映あと1回です。
5月31日(土) 12:00 @ オーディトリウム渋谷

『Seventh Code』

黒沢清監督、前田敦子主演、というか彼女の為の企画『Seventh Code』を爆音映画祭にて。冒頭の数ショットを見ただけで、『リアル』同様その嘘くささから話に裏があることはすぐにわかるのだが、むしろこの映画の本領は話が終わってからで(いやそれまでも充分に禍々しく胡散臭いのだけれど)、「アキコ」ではなく歌手としての「前田敦子」が画面に現れて歌を唄い始めるところから「なんだこれ」感が急増し、最後のショットに至るまで「なんだこれ」の連続。呆気にとられて終了した。日本映画で見たことのないような格闘シーンや、わけがわからないけれど美しいカーテンだらけの大広間も素晴らしかった。前田さんのたどたどしい喋り方もうまいこと編集がつないでいて、演技の下手さなんかが問題になるのはやっぱりスタッフのせいなんだよな、と思う。袋詰にされて捨てられる所の廃墟ショットが素晴らしい。
これでついに秋元康商品に手を染めてしまったことになるのか。

罪滅ぼし(仕事)の狭間に

ご時世なこともあって『気分はもう戦争』(矢作俊彦 大友克洋)を読んだ。1話目でいきなりものすごいスピードで世界の線引きをしてしまったと思ったら、2話で今度は作者2人が登場し、「一昔前の芸術映画ふうだなァ。作者が話してる所からはじまるんだ。はやったんだよな。知らない?」とメタ漫画的な自虐をかます。戦争と世界情勢を戯画化して人が死ぬことすらギャグにするなんて凄いことしたもんだ。しかも実在の人物を使って。大友作品の中ではかなり好きな部類だなあ。

そしてようやく行けた吉祥寺バウスシアター閉館間際の最後の大祭り「ラスト・バウス」にて『キャスト・アウェイ』の爆音上映を見られた。ほんとによくできた映画だなあ。いつ終わるとも知れない波の音からようやく脱出できたと思ったら、またエンドロールで波の音が流れてきた時には悪夢かと思ったけど。フィアンセとの再会のシーンではやはり泣いてしまった。

『乱と灰色の世界 6』もようやく手に入れ、こちらも泣く。説話的な感情の高まりが、非常に丁寧かつ誠実に描かれているだけでもうダメなのに、こんな優しい戦いの終わらせ方ができるなんて思ってもみず、泣きつつもとても感心した。ジェンダーとかじゃないが、これは女性しか描けないでしょうなあ。