7/6-7/7

7/6-7/7
月末より妻が来るため、1台しか同時接続できない寮付属の鈍足インターネットでは糞の役にも立たないため、先月より外部の会社との契約の手続きに奔走している。しかしインターネット会社Bの支店へと行ってみれば「ここはフランスだよ。フランスの銀行口座が必要なんだ。」と言われ、それでは作らんかとB銀行に行っては「あの寮とはパートナーシップを結んでるけどここじゃだめ。寮の最寄の支店に行って」と言われ、それでは最寄の支店へと行ってみればランデヴー(ここではなんでもかんでも「ランデヴー」だ)のアポを取るのに一週間かかり、待った挙句に「公共料金の領収書がないからダメ。あの寮とは縁を切った。」と言われる。寮の受付に聞いてみて「ここなら大丈夫」と言われたL銀行に行って再度一週間待った後に口座が作れたは良いが、カードができるまで十日かかり、いい加減にしろよと半目で十日をやり過ごしようやく手に入れることができたそれを持ちインターネット会社の支店に行ってみれば、契約だけはすんなりできたものの、帰って繋げてみてもどうしたってインターネットに繋がらない。同じ寮の友人Eの部屋に行って接続を見せてもらったがやり方に間違いはない模様。彼の場合はそもそも物理的に未開通だったため、状況が異なる(工事に来るのに1ヶ月かかったらしい)。そのため諦めて翌日再度支店へと乗り込む。開梱したネット用端末を再度詰め直して持って行ったところ「ここはフランスだよ。アクティベーションに最低4日かかるんだ。」と言われる。「昨日言わなかったじゃないか!」と言ったら「誰が言ったの?」「痩せた背の高い白人。今いないみたいだけど。」「だめだなそいつは。」みたいなことで我関せずといった風合い。昼間もフラ語でフランス愛国者によるオーセンティシティだけが全てみたいな発言を聞かされて腹が立っていたところにこれ。全くこの国はこのまま世界に遅れて没落すれば良いさ。

夜、手紙を出すついでに散歩しようかと歩いていたら突然後ろから声をかけられる。見れば1個下の後輩ではないか。思わず握手する。5年前にこっちに来て、目と鼻の先に住んでいるらしい。全然知らなかった。セーヌ川で飲んでたらしく、やってることも一緒。今度飲もうと言って別れる。嫌なこともあれば良いこともある。嬉しい出会いだった。

7/3-7/5

7/3
暑い。他に言うことがないぐらい暑い。日中部屋にいられないので買い物に行き、ついでに植物求めてMadeleine寺院の花マルシェまで行ってみるが規模が小さいし欲しいものが売ってない。

7/4
午前中、いつものマルシェ。食材のついでに植物を買う。
本日も猛暑により各地を転々とするが、ついにBnF新館が空調が効いてることを発見する。唯一のいいところだ。
寮を去った友人Hにもらったブレンダーでタイカレーをペーストから作る。エビを捌いてる時に一番蕎麦屋の息子だということを感じる。蕎麦打てないので(多分)。

7/5
天気予報が変わって急に涼しくなる。ああいい気候だと思って仕事していると突然後ろのドアが開いて若い男性が入ってきた。びっくりしつつ「何?」と言ったら「扇風機もう一個いる?」と言われ、「タダならくれ」と言ったら「ちょっと待ってて」って言って出て行ったが帰ってこなかった。よく考えたら日曜日なのにスタッフが働いているなんて変だ。本当にスタッフだったのだろうか。
昼、手伝いでバスティーユのマルシェについて行く。質はピンキリだが安さで言えばこれまでで最安。歩いてこれるし乗り換えも考える。
昼過ぎからカフェにて粛々と仕事する。涼しいうちにやっちゃわないと暑い日は無理。夜はE夫妻と飲む。

7/1-7/2

7/1
最高気温40度也。パリにはほとんどまったくエアコンがない。歯医者のエアコン(ダイキン製)が最高だったが、治療はまだ2ヶ月はかかる模様。
夜、満月だったので狼男の話になり、10歳下の日本人女子に『怪物くん』の話をしたら「知らない」と言われ、画像検索をして見せたら「『パワーパフガールズ』に似てますね。どっちが真似したんですか?」と言われる。たちまちおつむが大噴火しそうだった。

7/2
本日も30度台後半也。頭がぼーっとして何もできないので涼しいところを探して図書館、スタバ等を歩き回るが安息の地は見つからず。うちの部屋は西陽が22時近くまで全力で差し込むので作業不可能。夕方、ビールを買うのにレジで15分ぐらい並ばされて(修学旅行生が1人1人ジュースを買っていたり、ひとり前のおじさんが6本入りのビールを買おうとしたが値段が値札と数サンチーム違う、とゴネたためにレジのおじさんが機械を前に四苦八苦し、隣のレジのお姉ちゃんが助けに来たり1本だけの商品を取りに行ったりしてワチャワチャしたため)、挙句何の謝罪もなくヘラヘラと「ボンジュー」って言われ、「ふざけんな!この後進国め!レジ打ちぐらい勉強しとけこの怠け者!だいたいレジもう一個空いてるだろ!だからお前らの国はこんなんなんだ!」と叫びそうになったが、この国では怒る方がバカなのでやめておいた。週に一回ぐらいはこういうことがあって、おまけに路上の立ちションの匂いなんか嗅いだ日にはもう何もする気になれないほど疲れる。もう一回大改造された方がいいぞ、お前ら。

6/13-6/30

6/15
朝一で歯医者に電話して夕方の予約を取り付ける。行ったはいいが合計で2時間ぐらい待たされて、亀裂の入った箇所を取り除いてセメント詰めておしまい。二週間後の元々の予約の日までそのまま片側で飯を食って暮らせと。絶望して麻酔に悩まされながら中華やけ食いして寝る。都合が悪くなると歯医者の日本語が下手になった気がするのが余計に腹立たしい。

6/16
朝から映像の打ち合わせした後、フラ語。ベルギーでチョコチップアイスで歯を折ったと言うと「アメリカだったらアイス屋を訴えれるわ」と言われる。そのまま別件の打ち合わせして、友人のための映像編集をする。
友人が3人もオープンスタジオする日で、手伝いも見て回るのも忙しい一日。夜はパーティーでガーディアンに怒られるまで続いた。

6/17
友人のプロジェクターの返却に付き合ったり、初めて雑貨屋Merçiに行くなど。疲れているので景気付けにカレー作る。

6/18
夕方、映画館に行こうと思っていたら新しく来た日本人の友人に出くわしたので、ついでに日本食材屋を紹介する。「映画行くけど」と言ったらついてくると言うので一緒にオーソン・ウェルズの『上海から来た女(4Kデジタル修復版)』を鑑賞。終盤のたたみかけの凄まじさに、久々に戦慄する。言葉が半分しかわからなくても戦慄するというのが映画なのだ。それにしてもオーソン・ウェルズってここまでやりきる人だったのか。脱帽。
夜、寮のオーディトリウムにて友人のラッパーのコンサート。とても良いコンサートだったが疲れていたので打ち上げはパスして部屋にて爆睡。

6/19
朝からL銀行へ。日本人ハーフの人が対応してくれた。あちこちたらいまわしにあったがパートナーシップのおかげですんなり口座を開くことができた。こちらの銀行は日本の銀行の窓口らしきものは無きに等しくて、弁護士のように担当の店員が付くそう。いろいろ保険もついてるしデビットばかりかクレジット機能まで付いててありがたい。逆にそんなに簡単でいいのかしら。カードが来るまで10日来るのはフランスらしいけど。
夜、いつもの友達とたまには外食しようとバスクバーにて食事。その後うちで飲むが大して飲んでないのに泥酔する。

6/20
終日二日酔い。
夜がた、サヴォア邸で展示をしているK島さんと再会し、元生徒のTさん(でも私と同世代)とバスクバーにて2日連続で食事。昨日も来たな、とか言われながらピンチョスに舌鼓。グロッキーなので酒は控えていたが最終的にビール一杯飲んだら調子が戻った。

6/21
3ヶ月でできた沢山の友達が今月ここを去ってしまうため、センチメンタルになる。妻が来るまでの1ヶ月、やっていけるのか不安になったり。飲んでごまかす。

6/22
寮の日本人仲間とサヴォア邸に行き搬出作業を手伝う。搬出業者が搬入時に自分で置いていった物を「これは無理」とかゴネるので思わぬ時間がかかる。ずっとヘッドセットで電話しながら作業してるしトラックに詰める効率も悪いし、なんなんだこいつ状態。本当に業者の当たり外れが大きいなあ。
メイン作品の搬出が終わった後、アアルトのルイ・カレ邸(Maison Louis Carré)に寄贈する作品があって、タクシーでの納入に付き添ったが、イル・ド・フランスの田園地帯を横切りながらたどり着いたそこはサヴォア邸と好対照な住みやすそうな別荘建築だった。貸切でファッション撮影していたためほとんど見られず、妻が来たら改めて行くことにする。
夜はいつもの「気のおけない中華」にて打ち上げ。大変だったが楽しい一日だった。

6/23
フラ語、日本人居住者のピクニック、隣の部屋の友人Cのオープンスタジオ、階上の友人 H / J のポエトリー・リーディングのイベントなど忙しい一日。ひたすら精神的に参っていたが今月で寮を発ってしまう友人と話ができてとても嬉しかった。このおセンチな状態を打破するには外に出て人に会うしかなさそうだ。ドイツ系の人が読んでいた詩は後でスイスの友人Mに聞いてみたら「部屋の中を裸足で歩いていたら、足の裏や指の間からキノコが見つかったよ」みたいな話だったらしい。なんじゃそら。「日本の綺麗な部屋ではありえないわね」と言われる。

6/24
友人Hにお願いしていたテキスタイルの制作をするため、2人で工房のある学校まで歩きながら色々話をする。彼女と出会えたのは、僕がレセプションに何か注文しに行った時にたまたま隣にいた彼女が「あら、あなたうちの真下に住んでるわ。今日うちでみんなでご飯食べるからこない?」と言われた時であった。この3ヶ月は準備期間だと思っていていろいろな偶然の出会いを楽しんできたけど、あの時レセプションに行かなければこんなこともなかったに違いなく、偶然にしては特別な出会いであった。彼氏のJも面白い演奏をするドラマーで、世代も同じだし共通するところが多い。彼女も何か思いつくところがあったらしく、今度協力することになりそう。距離は離れるが長い付き合いになるといいなと願う。
大学にある工房に着いて、てっきりHが織ってくれるのを見ることになると思っていたのだけど、織機の使い方を教えてくれて、なんと自分で織ることができた。4時間で2枚別バージョンのものを織ることができて、とてもありがたい。彼女はそのまま自分の作品を仕上げて帰るとのことで、一人で歩いて帰る。
帰って疲弊した体に鞭打ち、寿司の仕込み。フランスまで来てマグロの漬けなんか作ってる私はなんなのだと思わなくもないが、中国製の甘いサーモンロールを寿司だと思われては黙っていられない。

6/25
朝から酢飯を炊いて、ついに開催されたフラ語ピクニックに向かう(何回延期されたことやら)。ブーローニュにあるオートゥイユ温室で、エッフェルに並ぶ19世紀の大建築家フォルミジェの拵えた機能的建築が素晴らしいが、真後ろにローラン・ギャロスのための施設が建つために景観が破壊されるとのこと。今日でお別れになる友人たちとの別れを惜しむ。
夜、残り物を日本人仲間で手巻きにして食べる。

6/26
旦那さんの転勤でこちらに来たAちゃんとお茶。
久しぶりに日本人女子の辛口コメントが聞けて懐かしい。

6/27
翌日の誕生日兼お別れパーティーのための仕込みで東奔西走する。フランスまで来てヘダイを捌いて昆布で〆ている私はなんなのだと思わなくもないが、Maki(巻き寿司)が通常の寿司だと思われては黙ってはいられない。「あのご飯の上に魚の切り身が載ってるのは何?寿司なの?」「え、あれ難しいの?どこが?巻くほうが難しいじゃない。」

6/28
夕方より誕生日兼お別れパーティー。別れの前の刹那的な瞬間を楽しむ。ここ数日、この寮全体の空気が狂っている。
作っていった手まり寿司も喜ばれて感激した女子に抱きつかれたりしたが(そんなに?)、出汁をとった後の乾燥椎茸を濃いめに煮染めたのが妙に受け、フランス人に「こんなうまいキノコ食ったことない」と言われる。モロッコ人も食べ続けていた。こちらでもマルシェでセップやジロールと並んで「シイタケ」が売ってたりするのだが、見た目からして全然違う。こんな生活の知恵的な土臭い料理が受けるとは、意外。これでいいなら次から寿司なんか作らないよ(笑)。

6/29
2日連続で約束をすっぽかしたイラク人に切れる。たいして仲良くもないのに仕事を頼んできたが、金がないというのでしょうがなくやってあげようと思ったのに。自分の部屋は既になく、部屋のために彼女を作っては渡り歩いているようなやつなので、関わり合いにならなくて良かったが。
今日で引っ越す会場の H / J にカーペット、ブレンダー、IHクッキングヒーター、棚などをもらう。何から何までありがたし。三週間後に少し会えるので再会が楽しみ。
夜、フラ語の先生の家におよばれしてベジタリアン・ディナーをいただく。先生の友人にマレ=ステヴァンス、プルーヴェ、ペリアンの資料を見せていただいて、貸してまでくれた。「わかってるわね。返さなかったらこうよ!」と首を掻っ切る仕草をされたけど。先日の授業で勃発した先生と生徒のブリジット・バルドー論争が再発し、ジョン・カサヴェテス=ジーナ・ローランズ論争に発展(いや、私は参加していませんが)。論議しても最後はお互いを認めて仲良くなるのがすごいと思う。
猛暑続きのおかげで帰ってダウン。エアコンつけようよ……。

6/30
フラ語。フランス人はニックネームで人を呼ばないって話になり、日本人は子供に数字をつけて呼ぶんだっていう話に。そういえば一郎、二郎、三郎っておかしな習慣だよな……。

6/12-14

詳細に書いた日記が消えてしまって非常にショックなのだが、要点だけ書き記そうと思う。

6/12

早朝ゲントに向かうためにメトロに乗るが、技術的な問題が発生とやらで降ろされる。しばらく待ったがTGVに乗るのに危険な時間帯に差し掛かってきたのでタクシーに賭けることに。似非先進国め。渋滞もなくギリギリでTGVに滑り込む。

まだ朝の時間帯にゲントに着き、街並み、大学植物園、公園の銅像などを見ながら無意識にパリと比較していることに気づき、外国に来たのだと思っていることが(つまりフランスがホームになっていることが)少し嫌だった。

一時間ぐらい散歩した後にゲント美術館に辿り着く。ジュリア・マーガレット・カメロンの展示。言わずもがな素晴らしい。写真を積極的に撮っていた20歳前後の頃、写真史の本で小さく扱われていた鈍いピンボケしたような女性のポートレイトが彼女のもので、妙に心に引っかかっていたのだけど、先日のフラ語の授業で友人のEがこの展示のことを話し、約10年以上ぶりにそのことが蘇ったのだ。人に見せられるようなものではないものの私の人生の中で写真はいくらかの部分を占めていて、経済的な事情や効率性からデジコンで無制限に写真を撮るようになってから諦め半分で撮る写真に退屈さを感じていたここ数年間に、ふとアジェ、ザンダー、カメロンといった写真史的マスターピースへのアクセシビリティが到来したことで、ふつふつと何かしらの感情が私の中に湧き上がるのを感じる。大人としてこの感情をどう受け止めるべきか、私にはまだわからないけれど、そのことを呼び起こしてくれたこの展示と友人に感謝したい。

ほぼ寝ていなかったため美術館のソファで巡回警備員の目を掻い潜って爆睡。別の友人の薦めるレストランで昼食を摂ったあと、ホテルにチェックインして爆睡。起きたら22時で、全てが閉まりかけている街を回ってハンバーガーにありつく。帰って再び爆睡する。

6/13

朝重い体を無理やり引き起こして教会、伯爵の城、デザインミュージアムを回る。ミュージアム近くのカフェでふと目に入った新聞にヘルマン・ツァップの一面記事。見れば没年が書いてある。彼が死ぬこと自体考えたこともないぐらいタイムレスな存在だったのだが、ひょっとして近々亡くなったのだろうか(後で妻に確認すると一週間ほど前に亡くなったとのこと。合掌)。

フリーパスに付いていた運河クルーズの特典の恩恵に授かり、パリで嫌悪しているボートツーリズムにてゲントの町並みを見たり、Copyrightという素晴らしい建築・デザイン書店で小一時間過ごしたり、ゆったりとゲントでの時間を過ごすが、悲劇はこの後やってくる。非常に笑えない話ではあるが、お土産を買おうと入ったショコラティエにて自分用に買ったチョコチップアイスを食べた途端、神経を抜いて仮止め中の歯が割れたのである。恐ろしく意気を削がれた私は、ホテルに帰ってレセプショニストのおばさんに歯医者や救急病院に電話してもらったところ、明日の九時まで待つしかないとのこと。意気消沈してもはや何もする気になれず、部屋にて寝る。

 6/14

朝になり、少し歯茎が疼くものの痛いというほどでもなかったことに安心しながら、シフト交代したレセプショニストのおじさんに病院に電話してもらうが、痛くないならやめとけ、300 ユーロかかるし、と言われ、もう諦めることにする。かといってもう何もする気になれず、切符を買ってしまったのでどのみち行かなければならないブリュージュに行き、歯に優しいカフェのスープランチをありがたく食べながら手紙を書いたり最近のことをまとめたりしながら過ごす。ベルギーは何しろカフェが素晴らしく、古臭いパリと比べたら遥かに現代的で「デザイン」がちゃんと確立されて浸透していることを感じる。物価も安いし最高である。もはや観光する気にはなれず、マイナーな通りを散歩してふらっと無人の教会に立ち寄ったり雑貨屋で安い皿を買ったりして夜を迎え、TGVにて臭い街に帰る。懐かしくも何ともない。

6/8-6/14 受難

6/8
友人に展覧会のフライヤーを頼まれたはいいが、納期がたったの1日で、せっせこプログラム書く。

6/9
シーツ交換、フラ語、月イチ恒例レセプションパーティー、フライヤー打ち合わせ、村山さんとギオネさんのコンサート、展覧会メンバーの討論会、等々忙しい日。フライヤーはとても好評。寮のコミュニケーション担当のCに聞いたところ、こちらのデザイナーは修正をお願いしても「俺の作品だから嫌だ」という人が多いらしく、トラブル続きで依頼するのをやめたそうで、素直に修正した私は「素晴らしい!」と褒められた。まあ外国人なので勝手がわからないのでいくらでも修正しますよ……。

6/10
午前中、B銀行の口座開設のための面談に行ったが、「寮とのパートナーシップは終わった。公共料金の領収書がない人は作れない。ごめんなさい。」と言われる。大学にもらった説明書に書いてあることがことごとく out of date だな。一週間近くも待ったのに!寮に聞いたら「L銀行にしろ」とのこと。行ったら再び「一週間後」と言われた。なんでそんなに人を待たせるのに従業員を増やさないのか、まったく理解不能。この件に関しては理解停止しました。
昼過ぎにK原さんのアトリエでwebの打ち合わせ。建築関係の情報を沢山いただいた。こちらの人はこうして普段から「あれは行った?これ知ってる?」みたいに情報交換をする。ウェブより口コミの世界。オフィシャルな情報もたいてい間違っているか、気まぐれのように変更される。そういう意味では人的ネットワークが重要のようだ。
帰ってまたフライヤーの打ち合わせ。

6/11
フラ語の後、再度フライヤーの手直し。市立施設のオフィシャルなレターで、スポンサーも付いているのでレギュレーションがボークーボークーである。日本から来た急ぎの仕事もあってこの一週間とても忙しかったが、夜お礼に近所のバスク系バーに連れて行ってもらった。全てが美味しく、楽園のようだった。パラディーソパラディーソ。

6/12-14
いろいろ書いたのだが消えてしまった。
要約するとゲントに行ったら歯が割れた。

6/7 撮影日和

日中、チリのフォルクローレを聞きながら作業。先日友人が歌っていた曲がわかった。作業もひと段落。
夕方から友人Jのパフォーマンス撮影の手伝いでルーブル、凱旋門、エッフェル塔をはしごする。日本の友人H、モロッコの友人Aと彼の母親、スペインの友人Nも参加し、とても雰囲気良く撮影が進む。こうやって誰かが招集をかけたらガッと集まってそれぞれのプロフェッショナリティーを発揮するところがいいところだなあ。身分が担保されている今だから気軽に手伝えるのかもしれないけど。日本にいたら忙しくてなかなか手伝えない。撮影してたらルーマニア人のマジシャン/ラッパーに話しかけられて、YouTubeの動画を見せられ、なぜかエッフェル塔によりかかった記念撮影までさせられた。
そのままエッフェル塔前の公園にて飲もうとしたが急に冷えてきて退散。帰ってベナンのラッパーBのスタジオにて飲む。

6/5-6

6/5
主に仕事。
夕方、洗濯の行きがけに逢ったモロッコの友人Zに、部屋に連れて行ってもらい作品を見せてもらう。信号機のデザインをしてコピーライトを取ろうとしているそうだ。聞いてみたらすごく若くて驚くのだが、毎日とても真面目に仕事をしていて、いきいきと自分の作品について語ってくれる。私はその若さをどこに置いてきたかな……。
夜、バスクの友人Pの誕生日パーティーだそうで、やることはあったが顔だけでも、ということで行ってみる。行ってはみたものの定時に全く始まっていなかったどころか片付けも住んでいなかったスタジオは、モロッコの友人たちの手であっという間にパーティー会場に変わる。既にほろ酔いのPが到着し、パーティーが始まる。昼間34度で急に夏がやってきたが夕立で一気に20度近くまで下がったこともあり、今までで一番雰囲気の良いパーティーで、集まった人たちも皆優しい物腰の人たちばかりであった。終わり際、チリの友人Fによるフォルクローレの演奏があり、私はほとんど泣いていた。さすが国際芸術都市だ。
4月に入居して今月で帰ってしまう友人が多く、「お前はいつまでいるんだ」と言われ「1年だよ」というと「まじで!?クールだな」と言われることが多い。今月はオープンスタジオラッシュで、こちらも気だけは焦る。

6/6
午前中、マルシェ。午後、図書館にて作業。それにしても晩飯の材料を買うのに3箇所も4箇所もぐるぐるしないと揃わないのはなんとかならんもんか。その度に立ちションの匂いを嗅いで「ファック!」って心の中で叫ばなければならないのもなんとかならんか。

 

6/3-4 寿司と歯医者

6/3
昼間、調べ物。
夜、ピクニックのために巻き寿司の練習する。失敗。

6/4
フラ語。「昨日寿司作った」って言ったら「日本人は毎日寿司食うの?」って言われて「高いから食わないよ。一番高いところは200€ぐらいするよ」と言ったらまじか、という感じになった。そこからなぜか「日本人は麺類食う時ズルズル言いながら食うけど、あれは熱いからでしょ?」と言われ、「熱い時にするのはフーフーで、ズルズル言うのは熱かろうが冷たかろうが一緒」って言うと、まじか、ありえん、みたいな感じになった。とにかくジェスチャーだらけでバカみたいな会話だった(笑)。
最大の懸念事項だった歯医者。こちらに来る前に歯の詰め直しをしたのだけど、中で虫歯が進行していたらしく(M小金井の駅前歯医者め!)、歯の神経を抜かなきゃならんかもしれん、そうなったらフランスでやらなきゃいけないよ、高いよ、と脅されていたので恐る恐る日本語が話せるハーフの歯医者さんに電話し(受付は英語)、ようやく今日に至る。結構遠かったので遅刻気味だったのだが、建物に入ったはいいものの受付らしき場所が閉まっていて、まさかフランス人でも患者を置いて帰るほど適当じゃあるまい!と思い焦りながら辺りを見回したら「2階」って書いてあった。電話までかけてしまって、すんません。
で、行ってみたらとっても綺麗な近代的な設備の歯医者さんで、受付、問診してくれる人たちも丁寧で、先生の日本語は私より上手だった。問題の治療は詰め物を取ろうとしたもののそれさえ痛むので、やっぱり神経を抜かなければいけないらしく、何重にも麻酔をかけられて神経を抜いてくれた。麻酔と待ち時間に時間がかかったが、治療自体はすぐ終わり、万が一の痛み止めの処方箋をもらって帰ってきた。来月もう一回行くことに。
日本と違うのは
・うがいマシンが無い。水道で自分でうがいする。
・レントゲン室が無い。というか処置室=レントゲン室なのか、放射線マークが貼ってあった。
・助手(歯科衛生士)がいない。
・麻酔がきつい。
・処方箋はどこの薬局でもいい。
・支払いは治療が完了した次回。
半日経った今でも麻酔が効いてるのか神経が腫れてるのか、顔の半分がぼんやりしている。仕事のメールが来ているが、悪いが今日は寝させてください。

最近思うのは、いいやつの作品は、いい。

5/29-6/2

5/29
昨日教えてもらったJNのコンサートへ。場所は Barbes – Rochechouart という北駅近くの移民街。「めっちゃアンダーグラウンドな場所で、入ったら最後、中から鍵閉められるから帰れないよ」って冗談交じりに言われてたのだが、行ってみたら本当にその通りで、看板なし、廃ビルのガレージから入って地下3階ぐらいまで降りるというフィジカルにアンダーグラウンドな場所だった。どうやら早く着きすぎたらしく、演者以外誰もいない会場にて1時間以上待つ。そのうちちらほら人が集まり、結局10人ぐらいになった。内容は即興のデュオ、ソロ、カルテットでジャズ風味だったり音響系風味だったり、それぞれだったけどなんだか懐かしい気持ちになった。友人の演奏はとても良かったので、是非今度ソロを聴いてみたい。他人とやる時とは全く違うスタイルらしいので。帰り際、女性オーナーに「楽しんだ?」と言われて「もちろん」と言ったら「もちろん?『もちろん』じゃないのよ」と言われる。多分、楽しまない人がいっぱいいるから、「もちろん」じゃない、という意味ではないかと思う。

5/30
午前中マルシェ。
夜、こちらに来て初めてカレーを作る。近くの調味料屋が有名な場所だったらしく、行ってみる。ただしスパイスは1年在住の身には多いし、お安くないので個別に買うわけにもいかず、カレー用のミックスを買う。香りが強くてとても良い。

5/31
誘われてジヴェルニーのモネの庭に行く予定だったが、雨なので中止し、『Fantastic Mr. Fox』を見る。3回目だが、これは『グランド・ブダペスト・ホテル』に勝るとも劣らん冒険だと思う。
最近疲れ気味である。

6/1
今日からパリ生活3ヶ月目。生活にはもう慣れたし社交はもうほどほどでいいや、という気持ちで今日からブリブリ行動することにする。行動といっても見たいものを見て、勉強したいものを勉強して、作りたいものを作るだけだが。
今日はシャンティイ城(Chateâu de Chantilly)に行くことにする。ここの領主は愛書家(bibliophile)らしく、1万点以上のマニュスクリプト、インキュナビュラ等を所蔵している。中でも『ベリー公のいとも豪華なる時祷書 Les Très Riches Heures du Duc de Berry』を所蔵しているというので、ひょっとして見られるのでは?という思いで行ってみた。パリ北駅から約20分。そこから森と競馬場横の芝生の中の道を通って約30分、城に着いた。城はヴェルサイユに比べてとても小さいが、金持ち趣味過ぎず、程よい広さをしている。庭園はとても面白い形をしていて、空撮で見るとよくわかるが軸線の左右にシンメトリックに池、噴水が構成されている。城に入っていきなり左にあった図書室は、展示こそやる気がないものの、本棚は本好き、特に製本好きにとっては夢のようなところだ。素晴らしいルリュールの作例がゴロゴロ転がっている。結局『ベリー公』は見られなかったのだが、学芸員に相談次第で蔵書は見せてもらえるそうなのでいつか出直そうと思う。『ベリー公』が見られるかどうかはわからないが。数年前には企画展として公開されていたらしいことを売店のポスターにて知る。併設の馬博物館はほぼ厩舎だった。
夜は寮のオーディトリウムで友人KVのクラシック・コンサート。激情の表現がとても得意なのではないだろうか。クラシックには明るくないが、楽しんだ。

6/2
午前中、フラ語。本当はピクニック授業の予定だったのだが、寒いので中止に。アメリカの友人より初期の写真史に名を残すジュリア・マーガレット・カメロンの写真展がゲント(フランス語だと「ギョン」みたいな感じ)でやってると聞く。この講座のいいところはこういう美術方面のことについて話し合えることで、思わぬ情報を得ることも少なくない。
夕方、寮のギャラリーにて日本の版画工房/画廊とフランスの交流展のオープニング。こんなに日本人を見たのは久しぶり也。
夜は念願のモノプリ(スーパー)のカレーを食べて満足。

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Jacques Bellange

Exif_JPEG_PICTURESauveur Le Conte

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Alexandre-Gabriel Decamps “Souvenirs de la Turquie d’Asie, Enfants tures jouant avec une tortue”

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Jean Fouquet “Livre d’Heures d’Étienne Chevalier”

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Raphael “Madonna de Orleans”

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