5/6 帰国前日

実質最終日だけれど、昼から一日リサーチ。「やっぱりだめ」とか「探したけどなぜか見つからない」と蹴られ続けてた資料の改訂版を発見し、見せてもらえた。最終日にこういうことがあるものか。悔いの無いようみっちり閉館時間まで見た。
そしてその後大急ぎでお土産大会で、弟の馬鹿みたいなリクエストにより、持ってたパソコン含めて10kg近い大荷物に。リュックが重すぎて両手が痺れてくるという貴重な体験をした。なんで俺がケバブで節制してるのにお前が高いワインを飲むんだよ!まったく。
へとへとになって宿に着き、最後ぐらい何か食べるか、と向かった世界のM澤君お薦めのビストロに行き、一人寂しく鴨のコンフィってやつを堪能してたら、突然隣から猫の手が伸びてきた!どうやら闖入者らしく、隣のカップルと一緒に驚きつつも可愛がってたら鴨の骨をしゃぶりはじめて、綺麗にお召し上がりになられた。食べたらどこかへ行ってしまったけど、おかげでいい思い出になりましたよ。

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最後ぐらいパリっぽい写真を。セーヌ川じゃなくてサン・マルタン運河。あんまりいい匂いはしない。

5/5 カウントダウンはじまる

はやいものでヨーロッパもあと3日(最終日は飛ぶだけ)。出発前日までリサーチしているのでお土産なんか買えるかしら。まあお土産買いに来たわけじゃないからいいんだけど。
昨日遅かったせいで朝ちょっと遅れたけれど、昼前にはBnF旧館到着、閉館前まであれこれ見せてもらう。ついにフンボルト先生のかの有名なあの図版に対面できた。目的の本を出してもらったのだけれど図版が付いておらず、そんなはずはない、と目録を精査していたらそこだけペラで別の登録になっていた。現在非常に貴重な物らしいが、見る時に思わず固唾を飲んだ。こんなこと言っちゃ語弊があるけど、人類って退化してるんじゃないかと疑いたくなる完成度。現代人もがんばります。
閉館前に切りのいいところで飛び出して、まだ間に合うはずだとクリュニーまで地下鉄で行き、ギリギリのところで小津の『お早よう』デジタルリマスター版に間に合う。最初、小津なのに画面が揺れない(昨日はフィルムだから揺れてたよ)ことに慣れなかったけれど、徐々に慣れてくればタイトルに代表されるような日常会話の冗長性に対するシニカルな笑いとスラップスティックな下ネタ、それに勇ちゃんのかわいさにメロメロ(昨日の『麦秋』も勇ちゃんだったよね)。これにはフランス人もやられたらしい。そもそもあんな土手の横に家が建ってるわけないじゃん!こんなに日本の住宅がモダンなわけないじゃん!軽石なんか食ったらだめでしょ!と作り込まれてる嘘とジョークの過激さにハラハラ。不意に河原で踊ったり、行進のように歩いたりするところは『落第はしたけれど』に通じてる。勇ちゃんの身ぶりはドライヤーの『奇跡』のように意味を超えた地平に達してるよね。
そしてその後『秋日和』のデジタルリマスター版を続けてみる。僕にとって小津の入口はこれと『お早よう』『浮草』あたりで、何回か見てるのだけれどいまいち焦点がよくわからなかった映画で今回改めて見てみてもわからないけれど、とにかく結婚式のシーンに俄然弱くなった私にとっては催涙弾だった。未亡人の原節子(いつも娘役だったのに!)と年頃の娘の司葉子を巡って中年3人組が下世話に母娘共に再婚・結婚させようと計画するおじさん萌え映画の様相を見せながら、再婚話のちょっとした行き違いが母娘の喧嘩を生んで、結婚観や再婚が不潔かどうかという昨日の『麦秋』や『青春放課後』のような題材に。そこに颯爽と出てきた娘の友人岡田茉莉子が気っ風の良さを発揮して2人の仲を取り持ち、ここで主役は岡田茉莉子だったかのような活躍をみせる。そんな中、娘の婚前最後の旅行(旅館のセットが凄い!)に行った母娘はいつの間にか仲直りしており(この省略は非常に大胆)、母はこのまま一人で暮らすことを告げる(いつもは笠智衆の役)。それで次のシーンが結婚式の写真撮影のシーンで、小津映画を見ているものなら集合写真の不吉さにハラハラするところだけれどもここはなんてことなく幸福の象徴として描かれ、しかし撮影される対象だった娘とそれを見守っていた母は次のシーンで既に別離している。不在となった娘の穴を埋めるように再び岡田茉莉子が登場し、遊びにくるからと行って家を後にするが、母は憂鬱な表情を浮かべた後に少し笑みを浮かべ、映画は終わる。それにしてもラーメン食ってる机の壁の近さをはじめとしてありとあらゆるセットが不自然。どこからどこまでが指示なのだろうか。帰ったら蓼科日記やシナリオ採録を読みたい。やっぱりギャグは2回やるからギャグになるんだよなあ。
昨日に続き、見るものを優先して完全に昼飯・夕飯を食いっ逸れ、結局ケバブ。あと1日しかないっていうのに何やってるんだか。フランスらしい食事なんて1回しかしてないなー。明日も期待できないけど。日本食は別に恋しくなかったけど、小津映画に出てくるブランデーと鰻がたまらなくうまそうだった……。

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今日は写真がないので昨日のやつを。博物図譜のコウモリの羽を広げた骨格図のやつを参考にしてるらしいです。

5/4 シネマテーク・フランセーズの小津

日本人としては理解し難いが、日曜日は店という店がほとんど閉まり、洋服店・レストラン・スーパーに至るまで徹底的に閉まっている。やっているのは観光客が集まる一帯と非キリスト教のケバブ屋や中華ぐらいのもので、それもやっているところは少ない。図書館も閉まってしまうので(働いてる人はいつ図書館に行くんだよ)、今日は特にやることがないのである。おみやげすら買うことができない。
午前中は前回途中でカメラの電池が切れてしまった科学技術博物館へ写真を撮りがてら確認をしに行く。アストロラーベや初期の針時計、科学的実験道具などを傍目に見ながら通り過ぎる。プログラマーとしてはやはりパンチカードのジャカード織機の本物が見れたことが大きい。そして産業革命の機械や工場模型が見られるのもヨーロッパならではだ(これはイギリスの博物館の方が当然凄いだろうが)。この博物館の問題があるとすれば、印刷の展示がぞんざいな点である。それはこの博物館の問題というよりはパリに印刷博物館がないという問題で、パリだって印刷の街だったのだからあって然るべきなのに無いのはやはりおかしい。リヨンまで行かないと貴重なものは見られない様子。ちなみにリヨンは2、3回行っているのに印刷博物館には行けていない。
一旦宿に帰って別の宿に荷物を運び、チェックインして夕方シネマテーク・フランセーズに出かける。アンリ・ラングロワの生誕100周年記念の展示・イベントがやっているのは知っていたが、今日ホームページを見たら小津の全作上映がやっているではないか!全く知らんかった。上映素材は基本的にフィルム。これは行かずにいられるか、と17時から3本続けてみる(正確には4本)。見たのは
・大学は出たけれど(1929。現存するフィルムから再構成した12分)+落第はしたけれど(1930)
・麦秋(1951)
・青春放課後(1963。小津+里見脚本によるTVドラマ)
どれも素晴らしく、コメディ部分はフランス人にも馬鹿ウケしていたが、初めてフィルムで見られた『麦秋』がもう凄くて泣いた。DVDで何回も見てるのに何一つ画面を憶えちゃいないのだ。冒頭の犬から最後の麦まで驚きの連続と張り巡らされたさりげない言葉と画面の連鎖。文学ではなく全く映画そのものの語り方なのに、文学性や詩性を感じる。大瀧詠一が「みんなメロディーにしか興味ないんだよ。だから僕はやめちゃった。」などと冗談まじりに言っていたが、小津を見ていると「ストーリー」なんてどこにもなくて、画面と語りそのもの(だけ)で詩を作り出している気がする。しかもそれが「映画による騙し」をわざと強調するように作ってあるから奇妙と言えば奇妙なのだろう。
『青春放課後』は近親相姦の臭いをプンプンさせながら進むきわどい話。小津から画面を引いたらこうなるのかと思ってみてたけれど、さすがの脚本でぐいぐい引き込まれた。若い頃のおっかさん(小林千登勢)、かわいかったのねえ。

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『浮草』も見たかったなあ…….。

5/3 引き続き地下に潜る

昨日に引き続き、一日BnF新館で調べもの。まだ途中なので仔細については差し控えるが、知らなかったことがつながっていくことで発見すること多数。さすがに200年前のことだし誰かが書いていることだと思うが、私にとっては重要な発見だったりする。知りたいことの中心はそれぞれの人の中にしかないので、それが仮に一般的常識であっても重要なことなのだ。何かに書く場合は先行研究を押さえないといけないけれども。
それにしてもBnFの合理化には恐れ入るが、それ以上に文献へのアクセシビリティについても見習うべき物を感じる。試しにオンラインの総目録で「プランタン」と打ってみれば、プランタン印刷所の本がそこにリストされ、もちろん閉架図書であるが「予約」ボタンをクリックすると40分後に手元に到着する。上の方で「これを出すのはまずい」と判断されれば拒否されるが、例えば書物の歴史を調べている最中に「本物あったりするかな」と思って検索してポチッとすれば本物が自分の手元で見れてしまうのである。逆に、本当に出てくるのか、あるいは出てきてしまったらどうしよう、私などがそれを見てしまっていいのかという思いで恐怖すら感じる。他に調べる優先事項があるのでポチッとしないが、試しに知ってる名前を検索してみると恐ろしいことになる。
来る前は仕事や環境のこともあるのでヨーロッパに数週間旅行するなんて最後かなと思っていたけれども、近いうちにまた来る意欲が湧いた。本当なら飛行機キャンセルして延泊したいところだけれど(笑)、流石に破産するので大人しく帰る。

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5/2 BnFふたたび

朝からフランス国立図書館の新館で調べもの。と言ってもネットしながらこれまで見た物を情報整理していただけだけど。設備は最高なのだけど椅子が基本的に木の板なので、首に負荷がかかって辛い。あと尻が冷たい&痛いので隣の女子を見習ってラップトップのソフトケースを敷くことにする。
図書館に来る途中で保湿クリームの買い替えをしようと思ったのだけれど、同じ物が売っていない。昨夜メーデーの中唯一やっていた薬局でお姉さんに聞いてみたら、類似品は無かったのだけれど「このメーカーはポピュラーだから他の薬局で見つけられると思うわ」と流暢な英語で言ってくれたので(女神)、朝から数軒当たってみるが同じ物が無い、もしくはやたらとでかい。最後に入ってみた薬局で、薬剤師(なのか?)のおばさんが「何が欲しいんだ」と言うのでメーカー名を連呼したら首を傾げて「ひょっとして、これ?」とコンドームを指差された。違う…….。でも英語で症状を説明したら別のメーカーの類似品を勧めてくれたのでいいおばさんだったけど。
こっちに来ていろいろと物を見て新しい知見を得ることは確かだけれど、どちらかと言うと今までに知識として知っていた物について「あっ、そういうことだったのね!」と閃く/納得することが多い。アハ体験というやつでしょうか。プランタンやグーテンベルクの印刷、メルカトルやフンボルトの地理学、あるいはキルヒャーやシュリーマンの考古学についてだって、時代と地勢の中で見て初めて理解できた気になる。そうして自分の目で見た時に初めて「あっ、あの時あの人が言っていたのはこういう意味だったのか!」とわかる。今まで本当に何も考えずに知識をただ言葉として憶えてたに過ぎないんだなあ。高校の世界史の授業だって、ただ「古代エジプト文明ではヒエログリフが使われていました」じゃなくて、「ナポレオンのエジプト遠征で見つかったロゼッタ・ストーンの発見によってヒエログリフ、デモティック、ギリシャ文字の3カ国語が対応づけられ、シャンポリオンが解読に成功しました。シャンポリオンにロゼッタ・ストーンを見せたのは数学者のフーリエで、エジプト遠征にも随行していました。エジプトにおける学者達の研究成果をまとめた『エジプト誌』は当時の科学的見地と印刷技術を結集したもので……..本物は町田国際版画美術館にあるから見に行きましょう」という感じで教えてくれればいいのに!
それからミュージアムや図書館を回って思うのは、誘目性や雰囲気(「センス」?)ばかりを追求している日本のデザインの現状の中で、自分達の立ってる土台にある印刷やタイポグラフィー、グリッドや色彩論、百科全書や博物館・図書館などの知の構造と情報普及のあり方や科学的視覚化、引いては文字や絵などの記号とメディアに関わる歴史全てが「今デザインすること」に繋がっていて、そんなことは大学でさんざん言われていたし頭ではわかっていたのに、ようやく納得できるようになったのだということ。ようやく血肉になりはじめて、膨大な空き棚が見えてきたこと。今思えば勝井先生や寺山先生にはそこまでの射程が見えていたのだ。改めて恐れ入る次第。

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朝は一桁台まで気温が下がる。

5/1 再びパリへ

夕方パリに飛行機で移動する予定なので午前中は古本屋でも回るか、ということになったのだが今日はメーデーというやつらしい。日本では「メーデー メーデー」という文句以外大して馴染みが無いのだけれどストがあったりするらしいので早めに行動することは心がけていた。しかしなんとメーデーは大概のお店が休みだった!ちゃんちゃん。これは祝日なの?よくわからない。
昼にカフェで食べた「フォー・スープ」というやつはヨーロッパ人が何か勘違いしていて作ったフォーという感じでキムチは入ってるし麺は入ってない代わりに春雨が入ってるわで日本のダイエット用春雨スープみたい。どうにも締まらないベルリン最終日だった。
シェーネフェルド空港の思った以上のしょぼさに驚きながらeasyJetでパリへ。出発直前に雨が降り始め、まあ行き先は降ってないだろうと思っていたら見事にこの旅始まって以来のまともな雨。成田で折り畳み傘買って、雨降らないので捨てようと思ってたがここまで持ち運んでいて助かった。
これから正味5日間パリで過ごすが、ほとんどは図書館に籠ってリサーチ。夕方終わったら映画でも見れるといいなと思っている。宿はムニルモンタンの東の方でまたごちゃごちゃした感じかなと思っていたら意外と小洒落たアルチザン系パン屋があったり、思ったより小綺麗。修学旅行生らしき集団と同じフロアの部屋に押し込まれた東洋人の運命やいかに。

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世界のケバブから。今週はパリはムニルモンタンからお届けします。

4/30 ポツダム広場とブリュッケ美術館

ベルリンも5日目。ポツダム広場を中心に博物館を回る。
最初は版画・素描美術館(kupferstichkabinett)。見た目的にはモロに町田国際版画美術館。版画による「アルカディア―紙上の楽園」の展示。例によって1914年100周年の企画で、黄金時代の終焉というつながりだが話は15世紀から17世紀イタリア。アダムとイブ、ダンテの神曲、タイムレス=楽園。昨年はシンケル展があり、数年前にはA. v. フンボルトに関係した絵画展があったらしい。見たかったなあ。しかし展示は想像以上にこじんまりで、早めに見終わってしまう。
隣の建物の「絵画館 gemäldegalerie」は中世キリスト教美術から始まってホルバイン、デューラー、クラナッハ、ファン・アイク、ルーベンス、レンブラント、フェルメール、地獄ブリューゲルと花ブリューゲル、ヤン・ステーン、パニーニ、ボッティチェリ、あまり馴染みが無いが良かったものにアーニョロ・ブロンズィーノ、シャルル・メラン、カナレットなど。だんだん麻痺してくるがこういう錚々たる顔ぶれの作品を比べながら見られる機会はこちらに来ないかぎりは訪れない。フェルメールだけをとってみても、誰の頭にも邪魔されず独り占めして見られるなんて日本ではありえないからなあ。ヨーロッパの人々はone of themとして見てるのに、日本だとスターとしてしか見られない。別に洋行帰り気取るわけではないけど、フェルメール展とかレンブラント展を上野の人ごみで見るのは馬鹿馬鹿しくて行ってられない。
食堂で昼食をとってたら数年前のピラネージ展のポスターに目が行く。これも見たかった!

昼食後、ゲオルグ・グロッス目当てで隣のノイエ・ナショナルギャラリー(設計はミース)に行ってみたら、企画展なのか現代アートしか置いてなくて、見られず。田名網敬一、ピピロッティ・リスト、ヨゼフ・ボイスの映像、ブルース・ナウマンのいつものネオンなど。ジェフ・クーンズは蛍光灯の上に掃除機が乗ってた。グロッス見せてー(わがまま)。しかし展示空間のほとんどが地下に埋まってるって凄いな。

昨日12時間寝まくったおかげで妙に元気なので、残りの時間でブリュッケ美術館に行くことにする。博物館島でもポツダム広場でもなく先日の植物園に近い辺りにある(ここはダーレムと言ってよいのかな)。Podbielskiallee駅で降りて、公園の中なのか宅地なのかわからないが立派な邸宅が立ち並ぶ森の中を30分近く歩いてようやく美術館に辿り着く。展示室も割とこじんまりとしていて、気分的には清里のギャラリー。この美術館が出来た経緯を知らないのだが、ブリュッケの中でもキルヒナーの企画展をやっていて、特に初期の油絵と第一次大戦前の木版画が中心。ノルデやペヒシュタイン、シュミット=ロットルフの作品も数点あったが、ブリュッケの中でもこういう人物プロパーの展示はその人の人生が見えて良い。

ドイツでのディナーも最後なので、あまりいい目に遭わなかったドイツの食事の中では唯一おいしかった自家製ビールというやつがもう一回飲みたかったのだけれど、当該のレストランには行けそうにない。しょうがないのでソニー・センターの広場の店で飲むが、これも結構おいしかった(食事は△)。シネフィル的にはキネマテークの横にある「ビリー・ワイルダーズ」という店も気になったのだけれど。映画館ではブレッソンがかかっていた。

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ブロンズィーノ