1/11-1/25 ロンドン

正月の風邪がぶり返し、一週間近く引きこもる。しかしロンドンに行く前日にはちゃっかり治る。久方ぶりに外に出てみると-4度近くで、それから北に行くことに戦々恐々としたがロンドンはパリよりも若干暖かかった。
約一週間、ケンジントンにある宿から大英図書館への往復。唯一日曜日だけ大英博物館を見る。モリスもターナーも無し(モリスは図書館の展示で1品見たが)。果たして人生のためにはどちらが良いのか。終盤、地理学協会のアーカイブを使わせてもらうために滞在を伸ばそうかと思ったが帰りの切符を取り直すと恐ろしく高くなるし、協会のアーカイブも有料なため断念。地方への鉄道旅行やアイルランド・スコットランドへの旅情も募るがとりあえず帰ることにする。
この国の印象について何度書き直してもうまく書けないので軽く書くにとどめるが、自戒として、英語という言葉を一島国の言語(だったもの)としてきちんと認識しなおす必要があると感じた。当然ながら英語は単に共通語として話されるニュートラルな言語ではない(そんなものは存在しない)。それには特殊な言語的特性があり、言語的歴史から、ひいてはそれの作り出す思考と文化、それを使うことの政治まで含まれる。学校での英語教育と英会話プロパガンダのおかげであまりにも当たり前に英語を学んできたが(その教え方はかなり漂白されていたような気がする)、それは単に一地方の方言だったものであり、他の言語と比べればかなり特殊で、グロテスクなものである。そして、英語で書かれた文書は英語圏の国の人が書いたものだ(必ずしもそうではないが)ということをきちんと認識して批判し、英語を「共通語」として使うこと/使わされていることへの警戒感をしっかりと持つことが必要である。はっきり言って英語を学ぶことを拒否することも選択だろう。英語が話せるからといって英国を簡単に理解できるわけではないし、逆に英語圏の人が他国にずかずか入っていけるという幻想を抱くのも御免被る(そう実感すること多々)。
それから、以前から抱いていた英国に対する疑問が確信に近いものに変わり、美術、デザイン史に関してもちょっと一から見直したほうがいいと思い始めた。これは言語の問題とも関係するが、例えばモリスの本ひとつとってみても、それを東洋人が判断するのはそう簡単な話ではない。想像以上に多くのことを学ばないと難しい。産業革命と資本主義に対する反作用としての中世復興・職人主義と言うと何かわかった気になるが、しかしモリスは英国人である。単にブツだけを見て綺麗だのなんだの言うのは簡単だが、それを容易に受け入れてはならない。
最後の夜、書体制作会社のM社に入ってバリバリやっている後輩のO君と彼の卒業以来数年ぶりに会う。最近移転したという事務所を案内してもらい、貴重なタイポグラフィーの資料や彼の使っているGlyphsという数年前発表された書体制作ソフト、それに変態的な自作のルービックキューブまで紹介してもらう。その後近所のパブに連れて行ってもらってお互いの近況を話しながら楽しく飲んだ。パリとロンドン、近いが遠い。また来たいがパスポートコントロールが異常に意地悪で億劫になる。