2/20-2/28

2/20(月)
昼、近所で肉料理食べる。重い。夕方、最近思うようなことができず疲れてしまい、小雨降る中散歩へ。サン=ルイ島の東端にある公園から階段で河岸に降りると、増水のため足元まで水が来ていた。目の前を歩いていたカモが二匹、波に流されるようにプカプカと浮かんで消えていく。遊園地化するパリの中で、観光地でない場所というだけで心休まる思いがする。この街はどこへ行っても「お膳立て」されていて、今か今かと人がお金を落とすのを狙っている。落ち着く場所が無いのは無意識に心を圧迫する。
帰ってザルツブルグの友人Jのオープンスタジオに行き、それからフラ語の先生宅に(今週二度目の)お呼ばれ。以前、料理を教えてほしいと頼んだため、それに応えてくれたのだけど、先日は教えられる暇がなかったので改めて、と丁寧に機会を設けてくれた。先生の友人のBのオムレットがおいしかったと伝えたら、今回は彼が3種類のオムレットを作って見せてくれた。シャンピニオン・ロゼ(ブラウン・マッシュルーム)、オゼイユ(フダンソウ)、シブレット(アサツキ)。下拵えから非常に丁寧で、もうそれだけでこのオムレツの美味しさの秘訣のような気がする。準備ができたら一瞬でできあがった魔法のようなオムレットはやはり目を見張るほどうまい。それに先生の梨のタルト。この世の秘密を一つ覗いたような気になる。

2/21(火)
パリ近郊のル・ランシー(Le Raincy)にある教会 Notre-Dame du Raincy(1923) へ。オーギュスト・ペレの数ある教会建築の中で最初のものだという。駅から見るとル・アーヴルのサン・ジョゼフ教会(Église Saint-Joseph)と同様かなり高く見えるが、たどり着いて見ると呆気にとられるほど低い。駅からずっと上り坂になっているが故の錯覚か。「鉄筋コンクリートのサント=シャペル」と呼ぶのはいかがなものかと思うが、サン・ジョゼフ教会と同じくモーリス・ドニとマルゲリット・ユレ(Marguerite Huré)の描画によるステンドグラスが四方の壁ほぼ全面に張り巡らされている様は、確かにサント=シャペルを思わせるほどの壮麗さである。レリーフはシャンゼリゼ劇場でも協働したアントワーヌ・ブールデル。地下礼拝堂のステンドグラスにこの教会のファサードがシンボル的に使われているのが笑いを誘うが、笑うところではないのだろう。
教会になぜか日本語の建築案内が置いてあったので1ユーロで買ってみると、どこかの建築史の本から抜き出してきたペレ紹介及び教会の紹介の切り貼りであった。しかし読んでみるとこれは資料と図面だけを見て書いた文章ではなく、実際にこちらに住んで体験した文章のようで、こんなところまで来て熱心にペレ建築の分析をしている日本人がいるとは頭が下がる。いやペレは建築史の常識の範囲内なのだろうけども、歴史上の常識で済ませるのではなくて、生きている歴史、是非の決定し難い曖昧さの中で書いているところが正直というか、明晰というか。帰り際、日本人の学生らしき3人組が我々と入れ違いに入っていったのに驚く。ほとんど観光客もいない場所なのにどういう経緯で来ているのだろう。おそらく建築学生なのだろうが、殊勝な人たちだ。

2/22(水)
早起きしてサント=シャペル教会へ。行列覚悟だったが開館時間直後に行ったためか行列は全く無し。シャトーやパレの中にあるシャペルの例に漏れず非常に小さいが、上下2段構造になっているのが独特だ。ステンドグラスで有名な上の礼拝堂は、壁際にガイドロープが張り巡らされ、その前に何脚もパイプ椅子が置かれており、かなり台無しである。しばらく座っていたら、驚くことに昨日ル・ランシーの教会に来ていた3人組と出くわした。君たち、訪問する順序が逆だよ。
昼以降は悪巧みを完成させるため、画材屋に行った後は2人で夜を徹する作業。悪ノリに対する瞬発力は我ながら素晴らしい。

2/23(木)
フラ語。中国の若い女の子が6人集団で来て、全く話せないのでスマホを見ては先生に止められ、母国語で会話しては先生に止められ、いつもは初心者にもイチから対応する先生だったが今回は手に負えない感じ。われわれが当てられた時、先生に悪巧みの成果をプレゼント。喜んでくれてよかった。

2/24(金)
昼、友人に誘われて新規開店したラーメンを食べに行き、その後和菓子を買いに行く。こういう本当に日本人がやっている料理屋は現地日本人の避難所になっていて、客の顔や服装を見ていると色々な人生を想像する。
一度帰り、夕方ルーヴルまで年間パスを買いに行く。ここに来てようやくルーヴルに行く覚悟ができたのか、締め切りに追われてるだけなのかわからないが、4回行けば元が取れる。
スイスはアッペンツェルの友人Cのオープンスタジオ。この寮における最後の気のおける仲間になるかもしれない。フラ語の仲間や新しく知り合った人たちと深夜まで話し込む。日本に一年いてもしないような刺激的な会話ができるのはやはり何物にも代え難い。フランスにおいては革命以来街路は人民のものであり、フランス人はカフェのテラス席や公園など街路と繋がりの持てる場所にいつも居たがる、そしてカフェはいつでも皆で集まれる家である、という話を聞いた。本当かどうか確かめたい。

2/25(木)
昼、フラ語。先生が5分だけ抜けなくてはいけなくなり、私とオーストラリアのPに「授業進めといて」と言われて途方に暮れていたら、ドミニカの友人J(おじいちゃん)が突然リードを取り始め、他の生徒を当てて「どこから来たの」「最近何したの」と強いスペイン語訛りでまくしたてたため、一同大爆笑。Pは最後の授業だったが、とんだ講座になった。
夕方、Beaubourgの古本屋でマレ=ステヴァンスの本を立ち読み。おじさんが一人でやっているこの本屋、やはり品揃えが只者ではない。
夜、イランの人のオープンスタジオ。政治的なコラージュ。昨日とほぼ同じメンツで喋る。その後スイスの友人Cがうちにプリンターを使いに来て、ついでに同郷のアーティストの映像を YouTube で見せてくれたが、かなりイカしたおじさんだった。やはりスイス人はクレイジーだ。正直、政治的問題に「目配せした」程度のアートにうんざりしていた私に、Cが「スイスは政治的に大きな問題を抱えていないからこういうことをやったりするんだ」と冗談混じりに言ったのは、素晴らしいタイミングであった。

2/26(金)
昼、フランスの友人Bとその友人2人とピザを食べながら、今後の相談に乗ってもらう。
夜、ラマルク近くで食事するが、いつも通り、食べ過ぎた。

2/27(土)
明日帰ってしまうスイスの友人Cとその彼女のA、それにその友人のFと Boulogne Billancourt の建築散歩。「Musée des année 30(30年代美術館)」から始まり、ペレ兄弟設計のアトリエ、アンドレ・リュルサ設計のアトリエ、コルビュジエのアトリエ、それにマレ=ステヴァンスとコルビュジエとR・フィッシャーがそれぞれ設計した邸宅が並んでいる場所を通り、オートゥイユ温室まで歩く。帰ってみんなでお茶をしていると、彼がプレゼントと言ってエミール・ルーダーの本をくれた。スイス人に貰ったルーダーの本の重みは大きい。

2/28(日)
夜にお客が来るため、朝起きてマルシェに行く。一桁台前半の気温に強い風。売り子の人たちも手をこすり、お互いにカフェを買い合って温まっていた。いつも行く小さな八百屋で Navet Marteau(ハンマー蕪)と言う変わった形の名前の小さな蕪を買う。見るからに美味しそうだ。そして遂にサン=ジャック(ホタテ)を買うが、やはり高し。そして下処理を頼んだらヒモを外されてしまった。残念。その後ピラミッドに行って日本食材の仕入れ。
昼、Cに最後の挨拶に行く。昨日貰ったプレゼントの大したお返しも出来ないので羊羹をあげる。早くアッペンツェルを訪ねて彼の家と畑を見たい。
夜、同じ大学から来ているKさんとうちで食事。初めて会うのだが彼女がいたアントワープのこと、セビリヤのこと、シェンムーのことなど話が尽きず、つい深夜まで話し込む。もっと早く知り合うべきだった。