9/14 ニース国立東洋美術館、ヴァンス

3週間強の旅の最終日である。この一年間の滞在の中で初めての長期旅行であったが、最近強く思うようにこれはローマ賞ではなくてパリ賞であり、フランスのことを内側から理解するのにとてもよい機会だと思う。であるからなるべく多くの都市を訪ねたいと思っているが、それと同時に、時折国外に出るとフランス的価値観に慣れすぎることの危険性も感じる。人間が(あるいは教育が、社会構造が)近代化についていけないまま現代を迎え、世界的な近代化の波の中で取り残されている。あるいはごく一部の人々のみが近代化し、それをメンテナンスする人々、利用する人々が近代化されないまま動いているねじれた状態がこの国の特徴でもあると思う。また、この国の美しい地方都市を訪ねると、いまだ色濃く残る地方性、独特の文化に目を見張る。しかし一方でどこも少なからず均一化、国際化の波を被り、ツーリズムへの迎合、安易なファーストフード/ファッションの受け入れが進むことでこの地方性もいつか消え行ってしまうかもしれないと思うと、いたたまれない気持ちになる。もちろん私もツーリストであるから(礼儀正しいツーリストでありたいとは思うが)、美しい「地方」を訪ねたいと思う一方で観光地化されて欲しくないという矛盾を抱えている。某アニメ映画監督が昔日本中を旅行し、今の人には申し訳ないと思うぐらい素晴らしい景色を見たと語っていたのを思い出す。フラ語の先生Bも「フランスの美しい街々が完全に変わってしまった事例をたくさん見てきたわ」と言っていた。街が死ぬのは簡単だ。無分別で暴力的な変化を避けてほしいと願う。

さておき、朝、部屋をチェックアウトして荷物をホテルに預け、空港行きのバスに乗る。ニース国立東洋美術館(Musée des Arts asiatiques de Nice)に行くためだが、このバスが高速を通るためか思いのほか高く、電車で行けばよかったと後悔する。着いたはいいもののまだ時間が早すぎ、空港でパンを食べたりしてから向かう。ここはBに勧められてきたのだが、丹下健三のヨーロッパ唯一の美術館建築で、巨大建築、メガストラクチャーのタンゲのイメージとは正反対のような、非常に小さな、純粋に意匠を楽しむような建築に見える。もちろん池の上に浮いているように見えるのだから構造的なチャレンジもあるのだろうが。Bに「彼はプラス・ディタリーのショッピングセンターを設計した人だ」と言ったら顔を歪めるようにしていた。フランス人にとってあの建築はラジカルすぎることは容易に想像できるし、あれの建築家とこれの建築家が頭の中で一致しない気持ちはよくわかる。私もこんなに小さな丹下作品は見たことがない。人工池の上に浮かぶ丸い大理石の建物。プラン中央を地階から地上階、1階へと螺旋状に貫く階段。地上階の4つに分けられた展示は非常にこじんまりとしていたが、物はよかった。池に張り出したテラスに向かうガラスのカーテンウォールはビシビシに割れていて、外に出ることはできなかった。これは構造的な欠陥なのか、フランス人がメンテナンスが苦手なだけなのか。

1時間近くバスを待って、ヴァンス(Vence)へ向かう。しばらく海沿いを走った後バスは山を登り始め、1時間ほどでヴァンスの町へ。最高で標高 1,000 m ぐらいになるらしい。もっとこじんまりした集落を想像していたが、思いのほか中心部は近代化していて商店も多い。とりあえず肉屋でサンドイッチを買って食べる。我々がここにきた目的はマティスが晩年に建築から衣装までのデザインに関わったロザリオ礼拝堂(Chapelle du Rosaire)を見るためである。礼拝堂に着いたのは開館40分前だったにもかかわらず、帰りのバスの時間から逆算すると、礼拝堂が見られるのはたったの10分足らず。強い日差しの中待っていると徐々に列が出来てきて、意外にもかなり人気の場所のようである。マティスの知名度を鑑みればさもありなんだが、それにしてもみんなそんなに芸術が好きなのだろうか?

たったの10分ながら、昨日見た模型やエスキースと記憶の中で照らし合わせるようにして見た。南国を思わせる真っ白な空間に鮮烈なブルーとイエローのステンドグラス。内部は撮影禁止だったが、中でもよかったのがこれも彼によってデザインされた数々の祭服である。ピンク、赤、青、黄色、かなりビビッドな色使いでステンドグラス等と同じく彼の切り絵風の意匠が施されている。どのようにして式典を行うのだろうか。映像を見てみたいものである。

ニースに戻り、夕方17時、パリ行きのTGVに乗り込む。去りゆく南仏の風景を惜しみながら読書に耽り、5時間後パリ・リヨン駅に到着。降りてみれば皆コート姿。夏気分の我々が馬鹿みたいである。