9/13 マティス美術館、雨のカップ=マルタン

夜中からガラス瓶専用のゴミ箱を何度もひっくり返しているような雷雨になり、寝起きを繰り返す。海にも雷が落ちているのだろう。ニースに雷雨が来るなんて、人はなぜかと思うかもしれないが、私はそれほど不思議ではない。私が最恐の雨女の血を引いているからである。

昨日、アイリーン・グレイの E-1027 とコルビュジエのキャバノンの予約を入れていたのだが、朝起きてみるとメールが来ていて、「天候不順のため全てキャンセルになりました」と。ニースまで来た理由の半分ぐらいはそこの訪問だったため非常に残念だが、諦めきれないのでとりあえず行けるところまで行ってみることにした。

ただ、午前中はマティス美術館に行くことに。バスに乗ってみると街はまるで台風の後のように荒れていて、誰も歩いていない。本当にここはニースなのだろうか。バスは一旦海側まで出てからぐんぐん丘を登っていく。公園の前のバス停で降車して少し公園の中を歩く。するとまっ赤な壁にトロンプルイユのような窓がついている建物に着く。どうやらこれがマティス美術館らしいが、マティスというよりはマグリットのような外観である。

美術館内部は撮影禁止。特別展として、この夏のニースの美術館の連帯キャンペーンであるニースの海岸沿いに走る道「Promenade des Anglais=英国人の散歩道」関係の展示が(一応)されている。中にはニースに嵐が来た時の絵もあり、まるで今朝の天気のようである。マティスの作品をまとめて見るのは初めてだが、彼の絵は一見ヘタウマに見えるかもしれないがそこに確かな知的戦略があり、そしてその多くはセザンヌが理論化したものに多くを負っている、あるいはそれを出発点としているということを感じる。これは今しがたセザンヌを見てきたから尚更かもしれないが、確かにそうであろう。そしてかの偉人を模範として、先達として、越えるべきものとして見ながら何を生み出そうとしたのか。
ここでしか見られないものとして、ヴァンスの礼拝堂のスケッチやプロトタイプがある。これは明日訪問することにしているからそちらと併せて考えたいと思うが、これのために書いた横たわるキリストの絵は全くマティスっぽくないリアリスティックな描写であった。

美術館の後、隣のローマ遺跡を通って修道院へ。庭がとても綺麗で、高台からの眺めが素晴らしかった。その後、駅方面に坂を下りる途中、肉屋で焼き豚を買ったらおまけを付けてくれたのだがこれが非常に多くて困った。少し胸焼けしそうである。こんな綺麗な道で野蛮に肉を食らってすみません。シャガール美術館の前を素通りして駅まで歩いた。

電車に乗ってロクブリュン・カップ・マルタンの駅に向かう。途中、モナコを通った。何か見えるわけではなかったが。アイリーン・グレイのE-1027とコルビュジエのキャバノンはCap Moderneという名でガイドツアー化されていて、その受付が駅前にある。一応寄って聞いてみるが、バイトっぽい女の子たちに「今日は無理だし、私有地だから外から見れない」とあしらわれる。それでもまあ標識がある方に歩いてみる。ここは監視員がいないことを告げる看板を横目に長い砂浜に降りる。砂浜というよりは砂利浜であり、嵐のせいもあり人も数人しかいない。しかしその向こうにはE-1027とキャバノンらしき建物が見える。小雨降る中そちらの方に歩き、反対側の小道を登ると建物の裏側に回り込むことができた。かといってほとんど何も見えないが、その立地、風景、コルビュジエの死んだ海を体感することはできた。嵐の後で荒れていることもあり美しい海岸というよりは無骨な海岸であったが。

帰りがけ、雨合羽を着た一団に英語で道を聞かれる。彼女たちもどうしてもそれらを見たいらしい。私も同じことをした、遠くからなら見られるよ、と告げ、我々はカップ・マルタンを後にした。いつか再訪したい。

夜、ニース旧市街をぶらぶら歩いて時間を潰した後、旅一番の贅沢で日本人のやっているレストランへ。久しぶりの美味しい魚、繊細な調理。何を食べても美味しかった。明日パリに買えると思うと信じられないが、旅最後の夜を満喫したのであった。嗚呼、帰りたくない。

ところでパリ滞在の先輩である某M澤氏のブログを読み返すと、マルセイユとエクス、そしてニースでほとんど同じような場所に行っていて、知っている場所の写真を撮っていて笑えるが(お土産屋含む)、コルビュジエの休暇小屋など我々の行けなかったところに入っているではないか!許せん。我々も再訪してやる。