8/29 ベルン/パウル・クレー・センター

アルプスの後はベルンまで戻って宿泊していたが、夕方ジュネーブ経由でリヨンに行くまで半日だけベルン観光ができた。まずはパウル・クレー・センター(Zentrum Paul Klee)へ。ここもレンゾ・ピアノの設計。大胆な波型屋根の構造だが、展示空間は至って落ち着いている。かなり無難に(というのは褒め言葉である)美術館を設計する人だなと一瞬思ったが、そういえばポンピドゥー・センターを作った人でもあるのだった。

特別展は幸運にも『カンディンスキーとクレー』で、彼らの初期作品から晩年の作品までが時系列ごとにトピックを立てて並列的に置かれていため、ひとまわり上のカンディンスキーを見ながらいかにクレーが影響を受けて作品を作り、またそれを見てカンディンスキーが影響を受けたかということを想像しながら見ることができる。実際はカンディンスキーはクレーが芸術家としてブレイクスルーした時には既に巨匠感が漂っていたので、クレーがどうであろうと我が道を行ったのだろうが。写真は撮れなかったがこれがかなり良い展示で、あまりまとまって見ることのできる機会が少ないカンディンスキーの作品が包括的に見られることすら贅沢な上に(ミュンヘンのレンバッハハウス美術館 Städtische Galerie im Lenbachhaus und Kunstbau Munich との共同開催とのことで、10月にはそちらに巡回するらしい。)、彼と後輩クレーとの直接的な、あるいは作品上での交流がよく見える。中でもこの展覧会は彼らがアブストラクションを開発していったことには音楽との関わり、その構成要素との類推がキーファクターだったことに焦点を置いていた。それについては少し思うことがあるが、まだここで書くことはできない。また、展覧会の中で「abstract」と「non-objective」を使い分けていたが、一般的に日本ではひとえに「抽象」というが、その中に無意識的に abstract も non-objective も含まれていて、しかし「抽象」というべきものと「無対象」というべきものは大きく違うのではないかということだ。あまりに「抽象」「抽象」と言い過ぎでは、何も理解できない。美術批評にはきっと書かれていることだろうが。

地下ではコレクションから「ベルンにおけるクレー」。若い頃のクレーの絵が全くクレーらしくないというか、ビアズリーっぽい若描き、というか、少し驚きであった。

その後は電車の時間まで旧市街を歩き、川にぴょんぴょん飛び込んでは流されていく人たちを羨ましく見つめ、水着を買ってこなかったことを心から後悔しながら中央駅まで辿り着く。ジュネーヴまで行って、フランスへの乗り換えの切符が買えず戸惑うが、カウンターにて買えた。スイスに入る時もブレゲンツに行った時も何のパスポート・コントロールも税関検査もなかったのに、この駅にはフランス国鉄のゲートがあった。リヨンに住んでいるのかと尋ねられ、パリだと答えると、行ってよし、とのこと。何か意味あるのだろうか。フランス行きのホームに上がった途端、みんなタバコ吸ってるし、ホーム小汚いし、ガラが悪くなった感じがするのは気のせいですか。

ジュネーヴからリヨンへは直通だったが、その車窓のすばらしかったこと。ジュラの山の間をすり抜け、ローヌ川の上を滑るかのような距離で並走し、電車に乗っただけでこんな二度と見られないような風景が見られるとは。といいつつ車内ではジョン・ミリアス監督の『ビッグ・ウェンズデー』を観た。つまるところ、泳ぎたいのである。