『ドラキュラ』と『ポケットの中の握り拳』

ステロイド無しで治すの諦めて、根本的原因が知りたいこともあり、いつもと違う隣駅の皮膚科へ。とりあえずめっちゃ乾燥肌だと言われ、加えてやっぱりアトピーっぽいけれど子供の時に全くなってないのに大人になって酷くなるのは珍しいケースらしい。そして先週の健康診断に引き続き、二週連続で苦手な採血。IgE抗体検査だから何に反応してるのかわかって良いのだけど、血の気が下がるのは気持ちいいものではない。

その後髪を切って、コッポラの『ドラキュラ』とベロッキオの『ポケットの中の握り拳』の爆音上映へ。ドラキュラは処女作『ディメンシャ13』から最近作『ヴァージニア』に至るまでのB級魂全開(あるいはコーマン魂全開)なところにファスビンダー映画で有名なカメラマン、ミヒャエル・バウハウスの仕掛けたっぷりの撮影技巧が加わって、とても面白かった。終盤は強引に引っ張っていくのね。

ベロッキオの長編デビュー作『ポケットの中の握り拳』は四兄弟の長男以外はてんかん持ちの次男、同じくてんかん持ちでブラザー・コンプレックスの妹、知的障碍の三男、それに盲目で無気力な母という難しいブルジョワ家庭で、病気や障碍を持った自分たちが長男の人生の足かせになっていることに我慢ならないアレッサンドロが、母を殺し、弟を殺していくという陰惨な話でありながら、御涙頂戴でも過剰に悲劇的でもなく、善悪の判断を持ち込まずにアレッサンドロの衝動的な動き、表情、叫びの一挙一動のアクションをひたすらに捉えていく。最近作『眠れる美女』で植物人間の生死の問題を扱ったベロッキオのルーツやここに在り。アレッサンドロそのものとなったルー・カステルの動きを通じ、同情されざる人物の映画を描くにはどれほど厳しいものを自分に課さなければならないのだろうか。しかもそれは外からはめられた「物語」にドライブされるのではなく、あくまで無軌道的な人物のアクションから描かれる。なんとなく青山真治『サッド・ヴァケイション』の家庭を思い出す。
音の面で言えば、こんなに絶叫が印象的な映画は小津の『お早よう』以来。ほかにもホラー映画なんかいっぱいあるだろうけど、あの兄弟がテレビを買ってほしくてゴネる絶叫はかなりのものな気がする。ちょっとだけ爆音で見たい。