5/4 シネマテーク・フランセーズの小津

日本人としては理解し難いが、日曜日は店という店がほとんど閉まり、洋服店・レストラン・スーパーに至るまで徹底的に閉まっている。やっているのは観光客が集まる一帯と非キリスト教のケバブ屋や中華ぐらいのもので、それもやっているところは少ない。図書館も閉まってしまうので(働いてる人はいつ図書館に行くんだよ)、今日は特にやることがないのである。おみやげすら買うことができない。
午前中は前回途中でカメラの電池が切れてしまった科学技術博物館へ写真を撮りがてら確認をしに行く。アストロラーベや初期の針時計、科学的実験道具などを傍目に見ながら通り過ぎる。プログラマーとしてはやはりパンチカードのジャカード織機の本物が見れたことが大きい。そして産業革命の機械や工場模型が見られるのもヨーロッパならではだ(これはイギリスの博物館の方が当然凄いだろうが)。この博物館の問題があるとすれば、印刷の展示がぞんざいな点である。それはこの博物館の問題というよりはパリに印刷博物館がないという問題で、パリだって印刷の街だったのだからあって然るべきなのに無いのはやはりおかしい。リヨンまで行かないと貴重なものは見られない様子。ちなみにリヨンは2、3回行っているのに印刷博物館には行けていない。
一旦宿に帰って別の宿に荷物を運び、チェックインして夕方シネマテーク・フランセーズに出かける。アンリ・ラングロワの生誕100周年記念の展示・イベントがやっているのは知っていたが、今日ホームページを見たら小津の全作上映がやっているではないか!全く知らんかった。上映素材は基本的にフィルム。これは行かずにいられるか、と17時から3本続けてみる(正確には4本)。見たのは
・大学は出たけれど(1929。現存するフィルムから再構成した12分)+落第はしたけれど(1930)
・麦秋(1951)
・青春放課後(1963。小津+里見脚本によるTVドラマ)
どれも素晴らしく、コメディ部分はフランス人にも馬鹿ウケしていたが、初めてフィルムで見られた『麦秋』がもう凄くて泣いた。DVDで何回も見てるのに何一つ画面を憶えちゃいないのだ。冒頭の犬から最後の麦まで驚きの連続と張り巡らされたさりげない言葉と画面の連鎖。文学ではなく全く映画そのものの語り方なのに、文学性や詩性を感じる。大瀧詠一が「みんなメロディーにしか興味ないんだよ。だから僕はやめちゃった。」などと冗談まじりに言っていたが、小津を見ていると「ストーリー」なんてどこにもなくて、画面と語りそのもの(だけ)で詩を作り出している気がする。しかもそれが「映画による騙し」をわざと強調するように作ってあるから奇妙と言えば奇妙なのだろう。
『青春放課後』は近親相姦の臭いをプンプンさせながら進むきわどい話。小津から画面を引いたらこうなるのかと思ってみてたけれど、さすがの脚本でぐいぐい引き込まれた。若い頃のおっかさん(小林千登勢)、かわいかったのねえ。

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『浮草』も見たかったなあ…….。