つぶやき

図書館に入るためには金属探知のゲートを通らなければならないのだが、「ポケットに何もないね?本当にないね?」「うん」と言って通るのに、半数以上の人が探知機を鳴らす。探知機が過敏な訳では全くなく、ポケットから電話やら小銭やら鍵やらじゃらじゃら出てくる。

このゲートを通るために朝は長蛇の列ができ、年間パスの保持者は優先レーンがあってそちらに並べるのだけど、全部で3つあるゲートのうち優先レーンの人が通されるのはそのうちの1つが空いた時しかなく、それも普通の入館者と共用のゲートなため、結果的に普通の列に並んだほうが早かった、という不条理なことがしばしば起きる。「すみません、これ、優先レーンじゃないんですか?」「そうだよ」「普通の列に並んだ方が早くないですか?優先されてませんよね?」「そうだよなハッハッハ」というやりとりもよく目にする。

そんなことにも慣れ、普段何かあってもここは外国だし国民性もあるだろうと思ってなるべく怒らないように努めているのだけど(ここまでは怒ることでもなんでもないが)、先日、行ったことのあるチェーンのピザ屋でピザを頼むと、モチモチなタイプの生地でもないのにそこらじゅう火山のように膨らんで破れ、完全に焦げている上にオリーブ油まみれで池のようになっているやつが出てきた。まさか自分の頼んだやつじゃないだろうと思ったら自分のだった。膨らみをナイフで押さえつけてみたらプシューと言った末に割れた。前来たときはこうではなかったし、いくら安いとはいえあまりにもふざけていると思い、逡巡した後突き返して帰ることに決めた。一応切ってみたが口に運ぶ勇気が起きなかった。だいいちこんなの食べたら体を壊す。食べずに席を立つとそれに気づいた店員が寄ってきて「なんで帰るんだ」と言ってきた。しかし怒りと失望でもはや礼儀正しい言葉なんか全く出てこず、もう言ってしまえと思って「こんなの食えるか」と言ってしまった。店員はギョッとして「これマリナーラじゃん!ほら!」と言い返してきた。どこからどう見てもピザではなくて火山に囲まれたマグマの海である。脱出寸前のナメック星である。移民のやってるケバブ屋のピザでもこんなの出てこない。「焦げてるし穴だらけだし油ビチャビチャだろ。昔こんなんじゃなかったし。」と言っても「それオリーブオイルだよ!ほらバジルものってるし!これがマリナーラだよ!」と食い下がってきたので、ピザの定義を議論しているようで内心笑えてきたのだが、「いや、無理。」と言ったら去っていった。この辺りは本当に教育のレベルを疑いたくなる店員ばかりである。勉強のレベルも欧州最下位まで下がっているらしいが、それより人間教育の方が深刻である。しかし腹は立ったがブチ切れアジア人としてやっていくのも悪くないなと思った。店員もまさかアジア人にピザのことでキレられるとは思わなかっただろう。本当に誰かがキレないと世界が死んでいく気がする。キレられても意味がわからないのだろうけど。

近況

あまりブログを書かないと心配されるようなので少し書いてみよう。

夏以来映画を見ていない。今はそんなに見たくない。見始めたらリズムが崩れるのはわかっているのでそれも怖い。あのH實氏ですら博論の時はゴダールとジョン・フォードの新作以外見ていなかった、というのが思い起こされるが、単なる映画好きの自分と若き日の映画狂人を比べるほど傲慢ではない(しかし「ジョン・フォードの新作」という言葉の持つ特権的な響き!)。ジャック・ターナーとヴィスコンティのレトロスペクティヴを逃したことはわかっている。ジャン・ルーシュとクルーゾーのも終わってしまったし、マックス・オフュルスのそれも過ぎ去ろうとしている。次はサミュエル・フラーだ。しかし光を浴びたい欲求はあれども、シネマテークの上映技師にはたびたび殺意を覚えさせられるし、信頼できない上映環境のところに一か八かで出かけるのは非常に億劫だ。ピアノの調律されていないコンサートホールにどうやって出かけられるだろう。さらに絶望的なことにはそれに誰も腹を立てなくなっていることである。もう本当のシネフィルはここに来ていないのだろう。もしいたら上映技師をリンチにしているはずだ。フランスですらこうなのだから、日本の未来も近いうちこうなるのではと嘆息せざるをえない。

美術館にも行っていないし、家と図書館の往復以外ほとんどどこにも出かけたりしていないので本当に書くことがない。傍から見れば鬱だと思われてもしょうがないが本人は楽しい。そんな中、先日ジョニー・アリデイが死んだ。私にとっては香港のフィルム・ノワールに出てきた顔に含蓄のある謎の西洋人でしかなかったが、私が渡仏してから時折ゴシップ誌の広告に彼の病状が見出しで載せられていた。フランスでの知名度を全く知らなかった私は「そんなに有名なのか」と友人に聞いてみると(今思えばなんとも馬鹿げた質問だが)、最後の国民的なスターらしく、ミュージシャンとしては買えないが、俳優としてはスターでしかできないようなやり方で場の空気を掴んでしまう存在であり、人間としても素晴らしかったという。死んでから数日間はあらゆる新聞が彼の記事一色であり、シャンゼリゼ大通りで葬送のパレードが行われた。シルヴィ・ヴァルタンやナタリー・バイなどかつての妻や恋人が揃って参列したのもすごいが、青年時代からの友人だったジャック・デュトロンは「プロの泣き女たちとコンサートはしない」と言って出席しなかったというのも面白い(この話は伝聞で聞いただけなので情報源は知らないが)。

ブログらしく食生活について書けば、お粗末な我が家の食事の中で、唯一実験に成功したと言えるのは炊き込みご飯だろうか。夏の食卓を熱狂させたトマト、バジル、ナス、ズッキーニなどがなくなって根菜中心になる冬には(何せ毎日パスタでも困らなかったから)、あまり深く考える必要もなしに米と一緒に鍋に放り込んで炊くだけなのでかなり助かる(これは日本が世界に誇るべき料理なのではないかとすら思う)。お気に入りなのは(全く大したアイデアではないが)シャテーヌご飯である。シャテーヌは日本語で言えば栗としか言いようがないが、マロンとは違う。後者の殻の中には1個しか実が入っていないが、前者は3つほど入っていて、平ぺったい。これを栗ご飯にすると香りが立って、塩気の効いたお米と控えめの甘さが良いコントラストになって非常に美味しい。しかし季節が秋の一時期に限られているのと、剥くのに時間がかかったり、新鮮なものを買わないと苦労して剥いたところで虫食いやカビが結構な割合で見つかるなどなかなか愛好家泣かせである。ちなみに粉にしたものも売っていて、クレープ状にして中にチーズを挟んで食べたりする(トスカーナではリコッタだったがフランスでは山羊のチーズらしい。苦手)。日本には栗粉という文化はないのだろうか。どら焼きにしたら美味しそうだが。
次に成功したのはトピナンブールご飯。日本ではキクイモと呼ばれるキク科の塊茎で、土に埋めておくとずっと保存がきくので冬の定番野菜らしい。スイスの友人は折に触れて畑から取り出して食べていた。生だとサクサクしていてサラダとして食べたり、バターと一緒に食べたりするのがよくある食べ方だが、食べすぎると腹にくる。たわしで土を落として皮ごと炊き込みご飯にするといい加減にやわらかくなって美味しい(少しだけ里芋ご飯のようだが香味があるしモチっとはしていない)。よく砂が混じるのが玉に瑕。
サツマイモご飯も試したが、芋の種類が全然違うので甘さが控えめである。買ったのはエジプト産だが、皮の色が浅く、切ると真っ白で、真っ白い蜜が出てくる。梅干しと一緒に炊き込んだインゲンのご飯も美味しいが、冬はいいインゲンが手に入りづらい。最近試したのはネギご飯。美味しいけれども問題はネギを食べすぎることである。あと試していないのはセロリ、セロリの根(『悪魔くん』の家獣を思い起こさせる)、ブロッコリー、シューラーブ(カブカンラン。カブのようなブロッコリーのような)、パネー(見た目は白い人参だが香りが異常に強い)あたりだがこれらはちょっと米と炊くには勇気がいる。

ご飯といえば最近もち米が大好きになってしまい、ベトナム料理屋で何度もおかわりしてしまう。今、無性に赤飯が食べたい。日本で一度もやってみようと思わなかったのに。あのアメリカ産の怪しいもち米を試すべきか…。

第3回

「アレクサンダー・フォン・フンボルトの『自然物理画』と植物地理学の黎明」

『アイデア』誌連載第3回です。フンボルトの『植物地理学試論』の絵をめぐり、生態学的発想の起源にあった世界観の図化の試みについて書いています。司書さんたち、毎日同じ席に座って地図を漁っている怪しいアジア人はこんなことをしています。

『アイデア No. 380』誠文堂新光社


[正誤表]
p. 148 経線方向→緯線方向

経度の進む方向と経線の方向を取り違えるという小学校の頃から繰り返しやってきた誤りが、満を辞してここで発揮されてしまった。あな恥ずかしや。

第2回と第3回の間

第2回の連載が終わって、2週間イタリアへ。10月のイタリア、気候は最高だがパリの倍以上じゃないかという観光客密度で狂気を感じる。やはりイタリアは素晴らしかったと書きたいのだが、ボーボリ庭園にも、カラカラ浴場にも、パラティノの丘にも現代アート。ひよこ豆みたいな脳みそで考えた「コンセプト」で人類史上最高の仕事と「対話」できると思う傲慢さに、今思い出しても腹わた煮え繰り返る。いや、ひよこ豆はおいしいけど。うん、トスカーナで食べたひよこ豆の粉のガレットはおいしかった。
フィレンツェでは大学のサークルの先輩に卒業以来の再会。お世話になりました。
トリノ→フィレンツェ→ピサ→ルッカ→シエナ→ローマ→トリノ。最後時間がなくて食材を買い込めなかったのが無念。