3/11-3/15

残り少ない滞在期間にドイツでの資料調査をねじ込む。チューリンゲンにあるエアフルト(Erfurt)という比較的大きな街に泊まり、そこからローカル線で30分前後のゴータ(Gotha)という町の図書館に3日間通う。
ゴータはあまり知られてないが18世紀末から20世紀前半にかけて貴族年鑑と地図の出版で名を馳せた出版・印刷所のあったところである。私にとってはひとつの聖地のような場所であるが、実際の町については全くの未知の場所でもあった。
町の構造は丘の上に簡素な外見だが十分大きな城があり、3段階の洞窟風の水路を見ながら坂を降りるとその麓に旧市街が広がっている。ヨーロッパの町としては珍しく、町の中に川がないのが特徴的だ。資料調査を行った図書館はその城の中にあり、車道や市街地と隔離されているため、窓の外から様々な鳥のさえずりが聞こえてくる。町にはほとんど観光スポットのようなものはないが、城の中には美術館も含め他には無い超・知的なものが詰まっていて、なんとも独特な町である。旧東ドイツということもありエアフルトもゴータもほとんど英語が通じず、知っている数少ないドイツ語の単語と身振り手振りで意思伝達することになった。古本屋も数軒あったが、地元の出版物がほとんどただの中古の本としての値段で売られており、思わず飛びついて買い込んでしまう。多分インターネットの古書サイトにも登録していないのであろう。こういう感覚は最近ない。
歩いていて偶然、件の印刷所の跡に出くわして、私にも本の神様がついているのかもしれないと思わず呟いたが、今は全体的に改装されてしまい、大学所有の文化施設になっているようだ。中がどうなっているかわからないが、図書館に所蔵されているここの印刷物や銅版のコレクションを展示したら、相当な美術館が作れると思う。
どうせドイツに行くのだからということで、その前にマインツのグーテンベルグ博物館に立ち寄りフーツラの展覧会を見て、翌日ライプツィヒの印刷術博物館に「ザンクト・ガーレンのチヒョルト」展を見に行った。どちらも小さな展覧会で、正直言って前者はイマイチだったが(タイポグラフィの展示は難しいだろうが)、両博物館を再訪する価値はあった。いまだ整理できないが、サンセリフの非・普遍性、地域性、時代性、引いては宗教性に近いようなものについて大いに考えさせられる。体が3つあったら追いかけたいところだけれども。

2/23-3/10

プロジェクトの仕上げだけれど調べる対象はどんどん膨れ上がって、面白いけどどこかで切るしかない。地図のことをやっていたのにあらゆる自然科学の分野がそれに絡んできて、関係する学者がいちいちスケールが大きいために、はっきり言って手に負えない。自分の教養の低さを呪う。

さすがに映画のことまで頭が回らないし、どちらにせよ見に行かなければならない作品はほとんどかかっていないのだが、チャールズ・ロートン監督『狩人の夜』、マーロン・ブランド監督『片目のジャック』の2つだけは見に行った。2人の俳優が監督した、それも唯一の監督作品である。
ロートンの方は少し作りが粗いと思うところもあるものの(早撮りらしいが)、恐ろしい話でありながら童話や絵本のように語ってしまう空想的才能、特に子供達が舟で逃避行に出た後の夜のシーンが素晴らしく、川、月、そして動物などの自然のモチーフを使って子供の頃の想像力を思い出させてくれるような画を撮った。不気味なサイコパスを演じさせたら右に出る者はいないロバート・ミッチャムはもちろんのこと、彼女が現れてから圧倒的な安心感を観客に与え、サイコパスとの戦いが喜劇化するリリアン・ギッシュの有無を言わさぬ貫禄ある存在。本当にリリアンおばちゃんに拾われてよかったね……。
ブランドの方は、彼が映っているだけでもはや映画になってしまうのだから判断が難しい。仁義を重んじる粗暴な強盗だが女の前では思いつきの嘘と陳腐な口説き文句しか言えない、青さを持った男という役柄がちょっと無理がある。それに女が出てくると途端に甘ったるい映画になって笑わざるをえない。女の趣味も悪い。しかし遠景になるとえも言われないような美しい画を撮り、馬および馬に乗った人間を撮ることに関しては目を見張るものがある。特に冒頭、銀行を襲った2人が馬を失って砂丘の上に追い詰められ、砂塵吹き荒れる中じわじわと追っ手に追い詰められていくシーンは忘れがたい。もともとペキンパーの脚本をキューブリックが撮ることになりブランドと協働しようとしたものの最終的に決裂、という話は見た後で知ったが、もしキューブリックが撮ることに成功していたら彼に対する評価も、映画史も変わっていたのではないかと思わせる。