1/26-28

フランスに帰ってくると「生活」が待っていて、思うようには進まない。図書館の使い勝手も違うし、この勢いでいけるんじゃないかという目論見は大きく下方修正されることとなる。
そうするとジョン・ハートが死んだとの報せが目に飛び込んできて、朝から思わず声を上げてしまった。私にとっては『エレファント・マン』でも『エイリアン』でもジム・ジャームッシュの映画でもなくて、チミノの『天国の門』でのアル中に堕ちていくかつてのハーバードの生徒代表、ペキンパーの『バイオレント・サタデー』の復讐鬼、ヒューストンの『華麗なる悪』の超楽観的怪盗役なのだ。シリアスな役よりはコメディアンとして演技をしていた方が生き生きとしていて好きだった。生きている最後のアイドルだった。
フランスの友人から「なぜかわからないがジョン・ル・カレの作品の脚色を初めて見てみようという気になった」というSMSが届いたため、今まで避けていた『裏切りのサーカス』を私も見てみることにした。ジョン・ハートも出ているためだ。最近の映画にしては絵作りに感心させられたものの、演出とシナリオと、あと髪型が全て台無しにしていた。説明的ではない作り方は良かったのだけれど、結局回収されない台詞と画面の細部が多くて、ただ思わせぶりなだけに終わった。友人は途中で放り投げたらしく、「スウェーデンは我々に謝罪するべきだ」と憤る。早々に死んでしまったジョン・ハートも空回りしていたし、ゲイリー・オールドマンはただ滑稽だった。
次の日、ようやく気が向いて成瀬の『山の音』を見に行った。階段と上映室の間に仕切りのない変な映画館で非常口ランプが上映中も煌々とついていたし、デジタル上映だったがそこまで気にならず、これは好きな映画であった。原作は川端康成で話はかなり辛いが、不倫の黙認、男の暴力と中絶、離婚願望と家庭維持との葛藤、不倫相手の妊娠とシングルマザー化など主題はかなり現代的で驚かされる。夫婦あるいは家族というもの確かさが揺さぶられる中で、嫁と舅の他人であるがゆえに深くある愛情を、多くを語らせない中で浮かび上がらせている。西洋的生活(会社やダンスホール)と日本的生活(家庭)を衣装・美術で対比させ、そのどちらにも対照的な女を配置したのもよく効いている。見ながらサタジット・レイの映画を思い出し、サリーと洋服で伝統的家庭と西洋化された資本主義的経済活動との葛藤を描いたインド映画に対し、日本人は和服からだぶだぶな背広を着て会社に向かい、いつしか洋服にも会社というものにも何も疑問を感じなくなるほど自ら進んで西洋化していき、当たり前にスーツを着て働いているのが非常に奇妙に映る。おそらく西洋人にはもっと奇妙に映るだろう。この国で見るとそういうことが嫌でも気になってしまう。
最後のヴィスタがどうのこうのという台詞のところで無意識に別のことを考えていて、思わずセリフを聞き逃してしまった。大事なセリフだったように思えるので非常に残念である。
夜は中華街に食事に行ったが、太陰暦の新年のため、獅子舞や龍舞の集団がタイ料理店の前でお祝いをしていたのに出くわす。中国かどこかから呼んでいるのだろうか、それともパリの中華街の有志で結成されているのだろうか。数十分やっていたが、最後は極太の爆竹を鳴らしてようやく終わった。皆嬉しそうで、普段見ない顔を見るのは良いものだった。

1/11-1/25 ロンドン

正月の風邪がぶり返し、一週間近く引きこもる。しかしロンドンに行く前日にはちゃっかり治る。久方ぶりに外に出てみると-4度近くで、それから北に行くことに戦々恐々としたがロンドンはパリよりも若干暖かかった。
約一週間、ケンジントンにある宿から大英図書館への往復。唯一日曜日だけ大英博物館を見る。モリスもターナーも無し(モリスは図書館の展示で1品見たが)。果たして人生のためにはどちらが良いのか。終盤、地理学協会のアーカイブを使わせてもらうために滞在を伸ばそうかと思ったが帰りの切符を取り直すと恐ろしく高くなるし、協会のアーカイブも有料なため断念。地方への鉄道旅行やアイルランド・スコットランドへの旅情も募るがとりあえず帰ることにする。
この国の印象について何度書き直してもうまく書けないので軽く書くにとどめるが、自戒として、英語という言葉を一島国の言語(だったもの)としてきちんと認識しなおす必要があると感じた。当然ながら英語は単に共通語として話されるニュートラルな言語ではない(そんなものは存在しない)。それには特殊な言語的特性があり、言語的歴史から、ひいてはそれの作り出す思考と文化、それを使うことの政治まで含まれる。学校での英語教育と英会話プロパガンダのおかげであまりにも当たり前に英語を学んできたが(その教え方はかなり漂白されていたような気がする)、それは単に一地方の方言だったものであり、他の言語と比べればかなり特殊で、グロテスクなものである。そして、英語で書かれた文書は英語圏の国の人が書いたものだ(必ずしもそうではないが)ということをきちんと認識して批判し、英語を「共通語」として使うこと/使わされていることへの警戒感をしっかりと持つことが必要である。はっきり言って英語を学ぶことを拒否することも選択だろう。英語が話せるからといって英国を簡単に理解できるわけではないし、逆に英語圏の人が他国にずかずか入っていけるという幻想を抱くのも御免被る(そう実感すること多々)。
それから、以前から抱いていた英国に対する疑問が確信に近いものに変わり、美術、デザイン史に関してもちょっと一から見直したほうがいいと思い始めた。これは言語の問題とも関係するが、例えばモリスの本ひとつとってみても、それを東洋人が判断するのはそう簡単な話ではない。想像以上に多くのことを学ばないと難しい。産業革命と資本主義に対する反作用としての中世復興・職人主義と言うと何かわかった気になるが、しかしモリスは英国人である。単にブツだけを見て綺麗だのなんだの言うのは簡単だが、それを容易に受け入れてはならない。
最後の夜、書体制作会社のM社に入ってバリバリやっている後輩のO君と彼の卒業以来数年ぶりに会う。最近移転したという事務所を案内してもらい、貴重なタイポグラフィーの資料や彼の使っているGlyphsという数年前発表された書体制作ソフト、それに変態的な自作のルービックキューブまで紹介してもらう。その後近所のパブに連れて行ってもらってお互いの近況を話しながら楽しく飲んだ。パリとロンドン、近いが遠い。また来たいがパスポートコントロールが異常に意地悪で億劫になる。