4/24-27 京都

4/24(日)
朝仕事を済ませて在来線で京都に向かう。
大徳寺に直行し、特別公開中の聚光院にて方丈庭園、狩野松栄・永徳の襖絵、利休好みの茶室を見る。庭園は永徳が下絵を描き利休が作庭したものと伝えられているそうだが、一面に杉苔が敷き詰められている中に石組、石橋、沙羅の木が配置されているのが独特。案内の方より、茶室の庭は心を清めるための道程であるが、それ以上にお点前の後、帰り際に躙り口から見られる景色が重要であるという話を聞く。
その後、大仙院の枯山水・方丈庭園、興臨院の玄関などを見ていると既に拝観可能な時間が過ぎる。北大路から鴨川の土手を歩いて河原町のホテルに行き、妻と合流する。

4/25(月)
9時から桂離宮の拝観。12年ぶり2度目だが、まったく信じられない場所。趣味のレベルの高さ、予算の莫大さ、それでいて華美にならない慎ましさ、考え抜かれた視線の設計。日本式の庭園に飢えていたがそれを遥か通り越してしまった。新緑が綺麗なことは言うまでもないがツツジの紅が緑の中に映え、春であっても紅葉のよう。歩きながらふざけてフランス語で「あんくろわいや〜ぶる(信じられない)」とか言っていたのだが、外国人参拝客の言葉を聞いていたらフランス語だった。そういえば今フランスはまたバカンス期間だった。宮内庁の方の案内は日本語だけなので彼らはオーディオガイドを渡されて、退屈そうに日本人が移動するのを待っていた。あれならむしろ耳を開放して自力で味わったほうが良いのでは。
次の予定まで時間があったので松尾大社に立ち寄る。来たことがあったか確かではなかったが、庭園を見て思い出す。商売じみていて嫌な神社だ。
昼食を食べて昼過ぎから仙洞御所の拝観。噺家でも目指していたのではないかという宮内庁の案内の方がとにかく喋り倒して説明してくれた。もとは小堀遠州の作庭だが京都御所全体が全焼しているため、池の岸の一部以外はほぼ面影は無いとのこと。
夜はセルビアで作家をしているHさん(一時帰国中)に会い、個性的な飲み屋で一杯。

4/26(火)
10時から修学院離宮の拝観。桂離宮と全く違ってここはまるで里山のよう。田畑あり、池あり、展望台あり、比叡山の斜面に開かれた農耕民族の理想郷か。
そのまま曼殊院に出て、何度目だか知れない八窓の茶室を案内してもらう。毎回説明の具合が違うのだが、今回はとても丁寧で良かった。外からは狭く見せ、中からは広く見せる。建物といい、庭の造りと言い、ここはやはり寺というより皇族の住まい。桂離宮に通ずるものを感じる。
昼食後、妻と別れて一乗寺から叡山電鉄に乗り、円通寺へ。借景が有名だというが、非常におとなしい、枯れた趣の庭園それ自体もとても良い。疲れていたのか小一時間居眠りしてしまった。
深泥池、北山通、植物園、北大通と歩いてからホテルに帰り、親子丼を食べて寝る。

4/27(水)
昼、芦屋川まで阪急で行き、Yさんと再会。昼食の後、F. W. ライト設計のヨドコウ迎賓館へ。大谷石を全面的に使った建物は中南米の遺跡のようで、意匠がある種の宗教的な建築様式の域まで高められている。山の斜面に建てられているがどの階から見ても1階ないし2階建てになるように作られているのがユニーク。
コンクリート打ちっ放しの喫茶店でしばらく喋ってからYさんと別れ、京都経由で名古屋に帰る。甥・姪に無茶苦茶にされて疲れて寝る。

4/14-23

4/14(木)
実家より東京に父・弟来る。午前中仕事の2人に代わって東京駅までエシレバターのケーキを買いに行けと言われ、なんでフランス帰りなのにそんなもん買いに行かなならんのじゃ、と思いつつ優しい私は自然に店へと足が向かったのだが、着いてみたら長蛇の列。しかもなんだこの人を馬鹿にしたような見た目は。バター舐めてればいいじゃないか、と拒否。
昼間、地下街の喫茶店で仕事を終わらせて送信し、日比谷・霞ヶ関近辺を散策する。日比谷公園に小さな日本庭園があり、洋行帰りにはこれでも十分な癒し。周辺にはかなり多様な植物が植えられていて、こういう公園は久しぶりだと感嘆する。
昼飯に排骨担々麺を食べ、重い胃を引きずりながら映画を探すがろくなものがやってないので八重洲ブックセンターで本を買いながら時間を潰す。我ながら暇の極み。夕方妻と合流。そのまま父らと合流して寿司を食う。

4/15(金)
いまだ疲れが取れず、一日中体が重い。次の日のカイロの予約を入れる。

4/16(土)
朝からカイロへ行き、鍼を打ってもらう。体力が落ちてるのと同時に首に大分負担が来ていた模様。かなり楽になる。
六本木に移動して名古屋のY君の展示、大崎にて茶室のイベントに参加し、千葉に帰る。

4/17(日)
暴風雨の中、都立大学駅に住む学部の同期たちに会いに行く。総武線はじめ電車が遅延しており、さらに迷う。烏も風に飛ばされている。私のいない間に誰が結婚したとか、離婚したとか。滞在3時間で千葉にとんぼ返りしてスカイプでフラ語講座。夜は再び義母の手料理をいただく。

4/18(月)
半日かかって大事なフランス語のメールを打つ。ようやく書き上げて送信した直後に自動返信で「バカンス中だよーん」と来る。Merde。こないだもバカンスしてたじゃないか。
夕方、パリで出会った同じ大学のE夫妻と船橋の居酒屋で会う。禁酒を解いたE氏、既にひっかけてきたらしくものすごい勢いで喋り倒す。帰り、千鳥足で奥さんにつかまりながら電車に乗り込んでいった。楽しい一夜。

4/19(火)
朝、妻の実家を後にし、駅のパン屋で昼食を済ませた後、東京駅から高速バスにて名古屋に帰る。足柄SAはエヴァンゲリオンとタイアップしていたが、エヴァの商品価値っていまだにあるのだろうか。道中、杉浦日向子の江戸エッセイ読み終わる。

4/20(水)
書類書き、メール書き等 。夕方区役所に行くが、帰国日を確認するためのパスポートが必要と言われてすごすご引き返す。
夜、父親にワインバーに連れて行かれる。昔パリに住んでいてその後ワインの輸入会社に15年間勤めていたというマスター。値段は恐ろしく高いが味は良かった。その後なぜか蕎麦屋に入って二人で文句を垂れながらシメる。

4/21(木)
一日中雨。区役所にリベンジして、転入、国保、年金の手続きなど済ませる。

4/22(金)
病院巡り。保険証がまだ届かないため、2万円に及ぶ。

4/23(土)
渡仏中に東京で行われたサミュエル・フラー特集の雪辱を、地元の映画館にて果たす。ただし上映作品はかなり限られている。『ベートーヴェン通りの死んだ鳩』『チャイナ・ゲイト』『裸のキッス』の3本。
『ベートーヴェン〜』はケルン、ボン、Rolandseckを舞台に行われるハニートラップの国際的スパイ喜劇だが、まさに3月に旅行した場所で驚く。『チャイナ・ゲイト』は「すべての動物は食べ尽くされた…」というナレーションから中国系の顔立ちの子供が懐から犬の顔を出す、というオープニングで既にやられる。『裸のキッス』も素晴らしい。

4/7-13

4/7(木)
体調、少し改善す。作業などする。
夕方、両親とスーパー銭湯へ。その後大須の居酒屋で刺身、どてなどいただく。ただものではなさそうな着流しの紳士を見かける。

4/8(金)
夕方、姪と甥を保育園に迎えに行って、怪しいおじさんだと自己紹介する。その後、友人の展覧会から花見。寒くて数十分で撤収。居酒屋で軟骨の唐揚げなど堪能する。

4/9(土)
昼、高速バスに乗り東京へ。途中、サービスエリアでとうもろこしアイス、メンチカツをつまむ。未だ何でも物珍しき也。
東京に着き、大崎へと向かう。1年ぶりにいつもの不味いうどんを食べ、l-e へ。皆さん、変わらず、むしろパワーアップしており幸い。名古屋で買った岐阜の「朴葉もち」なる朴葉にくるまった道明寺粉の餡子餅に一同感嘆す。

4/10(日)
夕方、Skypeにてフラ語講座。お互いに慌てていたこともありあまりうまくいかず。フランスにいた頃は普段起こったことをフランス語にする習慣を頭の中で行っていて、それがまだ続いているのだが、どんどん日本語だけの思考になっていっており、このままいくと危ないと感じる。
夜は義母の手料理の餃子、菜の花、油揚げの煮浸しなどをいただく。至極美味也。

4/11(月)
妻と大学図書館へ出向き、H女史はじめお世話になっている方々にご挨拶した後、保守管理の仕事を夕方まで。時間感覚がなくなっていて気づけば夕方に。日本社会に復帰できる気がしない。
夜、吉祥寺にて友人に会う。

4/12(火)
朝から延々とだるく、夕方まで寝続ける。夜、阿佐ヶ谷にて友人に会う。日本人の求めているようなフランス像を提供できず、話が噛み合わず。

4/13(水)
朝から再び大学図書館へ行き、T先生と打ち合わせ。その後先生宅で飲み、お泊まりまですることに。茶室で寝るという貴重な体験をさせてもらう。

3/30-4/6

3/30(水)
現地時間15時頃仁川空港到着。恐ろしく商業的なこの空港。搭乗ゲートはターミナルの突端で、延々と続く商店街を通らされた。スイスのある空港はわざと買い物させるように設計されていると聞いたが、ここもそんな気がする。
仁川=名古屋便はボーッとしているうちに到着。チンピラみたいな見た目の名古屋人を観察しながら実家に帰る。標準語より先に名古屋弁が聞こえてくるのがなんとも言えない。煮豆と冷奴と胡瓜のぬか漬けなど食べて獺祭飲んで寝る。

3/31(木)
朝早く目覚め、ボーッとしたのち家族でモーニングを食べに喫茶店へ。エッグスラットなる謎の食べ物を流行らせようとしていた。当たりの柔らかい日本の珈琲を懐かしみながら飲むが、これも私には悪くない。3歳になった甥っ子がペラペラ喋るようになっており、ゆで卵を2つ平らげるのに感心す。
その後、清洲城へ花見に向かう。五条川の土手に無数の桜が咲いていて、明媚。財布に入っていたなけなしの日本円500円から200円を出して土手煮と串カツを買う。姪、残りの土手味噌をぺろぺろと舐める。その後フランス人がやっているパン屋に連れて行かれ、おにぎりパン、桜あんクロワッサンなど珍妙な日本化パンを興味深く観察する。夜は高級スーパーの刺身で宴。久しぶりに家族と会うからか、まだうまく話せず。

4/1(金)
したいわけでもなく早起きして、喫茶店で奴隷のように働く日本の接客サービスを観察しながらモーニングを食べ、埃っぽい衣類をクリーニングを出す。もはや無意識化されてわからないが汗の臭いもするのだろう。あちらでクリーニングを出す勇気がなかったためまるごと1年分である。銀行で下ろした日本円が直ぐに消え失せる。
昼頃SIMフリー携帯向けのキャリア(MVNO)に契約しに行くが、証明書類が必要だと突き返される。そういえば日本にはそういうものが要るのだった。日本は電話関連はかなり書類の重要さが残っている。家まで取りに帰り、免許証を携えて再訪すると、開通したら連絡するからまた来い、とのこと。時間は開通センターの混雑具合に依るため携帯屋を後にし、穴の空いたセーターをテレビに出たというかけはぎ屋に出し、喫茶店でデータ整理などする。夜に帰るが携帯開通は明日になるとの伝言あり。親父が市場で買った初鰹、美味也。

4/2(土)
朝MVNOから連絡があったため自転車漕いで取りに行き、喫茶店でSIMカード装填す。途中で買った漫画2冊を時間をかけて読み干す。1年いない間に色々出ていたが金もないので保留。しかし続刊が出ない某週刊誌の少年漫画も有り。

4/3(日)
早朝起きる。喫茶店でデータ整理など。夜、あまり気が進まないが焼肉に同行し、雨の中走って帰る羽目に。

4/4(月)
朝、割と通常の時間帯に起きるが猛烈なダルさで再び床に就く。昼過ぎ、パリで知り合ったO夫妻がうちの家族の店に食べに来たのでご一緒する。徒歩10分のところにあるギャラリーを運営しているそうで、うちの常連さんの兄弟がオーナーらしい。世の中は本当に狭い。
夕方、街の中心まで行き、財布を新調す。フランス渡航前に少し奮発して良いものを買ったがブリュッセルで盗まれたため、もはや何でも良しの心境なり。仮に欧州の友人がこの街に来たらどう思うか、何か見るべきものはあるのかと思いあぐねながら街を歩くが、ひどく商業的なこの街は彼らを幻滅させるのであろうという思いは払拭できず。特に私の家の最寄り駅の周辺なんぞは私ですら目を伏せたくなる俗悪さ。救いは徳川美術館だけ。あとは珍妙な食事ぐらいか。外国人観光客などいるのだろうか。

4/5(火)
夜中、体が熱くて起きる。暑くて寝てられない。どうやら単に時差ぼけなだけではないようだ。腹の調子も悪い。しょうがないので本など読んで過ごすが、朝になってもどこにも行く気になれず、そのうち床に就く。いつもすぐ寝られるからわからなかったが、寝たい時に寝れないというのはしんどい。小津の蓼科日誌、ボグダノビッチによるオーソン・ウェルズのインタビュー、杉浦日向子の文明開化ものなど並行して読む。何を読んでも没頭できず、読む姿勢さえ定まらないのだから読書というのは生来向いていないのだと思う。

4/6(水)
また夜中に起きる。風邪なのか、ひょっとして花粉症なのか。地に落ちているであろう免疫力に、突然日本の濃密な花粉が襲いかかっているのだから無理もない。昼間友人が蕎麦を食いにきたようだが、私は失礼して寝続ける。
夕方、少しましになってパソコンを開き、各方面にメールをしたり、ゾフィー・トイバーの年譜を訳し始めるなど。