3/23-29

3/23(水)
昼間、国立図書館新館貴重書室にてアルプ関連漁る。
夜、ケバブを買いに行く途中で知り合いに4人も会う。
夜中、延々と悪巧みを進める。

3/24(木)
朝、フラ語。今月でほとんどの人がいなくなってしまい、先生のBは寂しそうだった。悪巧みの成果を発表する。終了後、いなくなるメンバーで恒例のお茶。終始、犬の話になる。
インターネットの解約に東奔西走。フレンチビューロクラシー。
夜、残り物を煮て食べ、部屋の片付けをする。

3/25(金)
昼、運送会社の営業所に行って支払い。物は増やさないに限るが増やさないとできないこともあるのでしょうがなし。
夕方、国立図書館版画部門であれこれ見るがあまり面白い物は出てこない。書誌の検索結果ではあまりわからないのでローラー作戦的にやるしかない。
夜、荷造り、掃除、携帯解約の手紙書き(このご時世に手紙かよ)、などなど 。

3/26(土)
朝から国立図書館新館でラストスパートのように次から次へと見る。今日はなかなか良い展示カタログに出会う。最近のカタログはデータは揃っているのだが何か愛情というか情熱というか執念というべきものが足りない気がしていたのだけど、やはりそれは確かな気がする。単に観念的なものではなく。
夕方、家に帰って荷造り。そしてタクシーを捕まえてT家に荷物を置かせてもらいに行く。車窓から見るパリも悪くない。そのままご飯までご馳走になり、酔っ払って帰ってくる。何から何までお世話になっている。

3/27(日)
最後にやることといえば、いつも通りのことをやることしかなく、いつものマルシェに春の食材を眺めに行き、いつもの八百屋さんに挨拶。そこからモンマルトルに移動して散歩をした後はいつものカフェでコーヒーを飲む。
夕方、食材をみんなに引き取ってもらい、フラ語の先生の家に向かう。イサム・ノグチの話、フランス人嫌いの日本人の話、ユダヤの家庭の話、オーストラリアの話、サントル・ポンピドゥーの新しい現代美術の展示で、たったの2日間で作品が壊れた話など。

3/28(月)
掃除。
夜、寮の知り合いで軽く飲む。

3/29(火)
朝、フラ語。たったの4人の講座だったがそのぐらいが本当はベスト。ほぼ映画の話で終わる。
14時過ぎに部屋の検査が来る。ちゃんと掃除したため問題なくパス。夜の飛行機までまだ時間があるので、いつものカフェで初めて食事を食べる。サラダにバゲットを何かけか。これで十分だったのだ。
寮に戻り、鍵の返却とデポジットの返金をしてもらい、タクシーでシャルル・ド=ゴール空港へ。右岸からは 50 ユーロ一律になったのでありがたい。妻とターミナルが違うため、早々に別れて空港の果ての果てにあるコリアンエアーのターミナルへ行き、重量制限ギリギリで荷物を預けてさっさと搭乗口へ進み、ひどいコーヒーを飲みながらメールなどして2時間ほど過ごす。さすがに周りは韓国の人ばかりで、スタッフの人にはひたすら韓国語で話しかけられる。やはり似ているのか。
飛行機ではボビー・フィッシャーについての映画『完全なるチェックメイト』(邦題酷すぎ)と見逃していたゼメキスの綱渡り映画『ザ・ウォーク』。それにダニー・ボイルのスティーブ・ジョブズ映画を見始めたがモノマネが見てられなくなってやめる。他にもニコラス・レイとかブライアン・ヘルゲランドとかロッキー新作とかが入っていたが、全てスクリーンサイズにトリミングされていたので見る気をなくし、そのまま寝る。2時間ぐらいで起こされて、苦いサラダを食わされ、仁川に着く。

3/17-22

3/17(木)
午前中、フラ語。
夕方、プラスティシャンのKさんちで人生相談&世間話。ありがたし。疑問が晴れる。先輩は強い。

3/18(金)
朝から国立図書館新館貴重書部門に行き、天文学的価値の貴重書を次から次へと出してもらって見る。鼻息も荒くプランタンの4ヶ国語聖書を素手でめくるダイナミズムに興奮するが、向かいの席で何気ない顔でマニュスクリプトを読んでるおばさん達を見て自分の小ささを思う。この国はただのお祭り好きの人が多い印象だが図書館に来ると青天井の知的レベルを思い知る。
夜中は延々と見たものの整理。

3/19(土)
朝から妻と国立図書館旧館の Arts du spectacle 部門に行き、予約しておいたクラナッハ・プレスの『ハムレット』を見る。超絶技巧すぎてもはや意味がわからない。夕方から版画部門にてマクシミリアン・ヴォス関係の資料やマレ=ステヴァンの本を見る。マレ=ステヴァンの本は驚くほど美しい。
夜、フラ語の先生の家でオムレット教室第二回。今回は前回と同じオゼイユに加え、ジャガイモ、パルミジャーノ、それにちょっと実験でワカメとケイパーのオムレットを作る(よく考えたらほぼ3人でオムレツ4枚平らげたのか)。材料もスペシャルなので、素材の味をしっかり味わえる。素材の味を知っている人間がいて、それを生産できる人間がいるという関係が失われてしまったら、フランスの一番良い部分がたちまち崩壊するだろう。

3/20(日)
国立図書館新館の開架部門にて諸々整理。
夜、日本人で話す。

3/21(月)
サン=ドニへ。昼飯どころを探して歩きまわると、周りはケバブやハラル系のお店ばかりであった。マルシェ裏にあるイスラム系の女性達がやっているお店を見つけ、女性がやっているのは珍しいと思い入ってみる。勧められるがままに Mhadjeb という方形に畳まれたクレープのようなものを食べる。こういうものも日本に帰ったらまず食べる機会はないだろう。
サン=ドニ大聖堂。内陣まわりは有料(8.5 €)で驚くが、歴代王家の横臥像が並べられ、クリプトも見られるので見るべき場所は無数にある。しかし人の墓はお金を払ってまで見に行くところではない。
聖堂前のカフェでオリエント風ミントティーを飲んで帰る。

3/22(火)
朝、フラ語。終わってから部屋の掃除に取り掛かる。1年分の水垢はなかなか落ちない。荷物発送の手続きなどする。
夜、T夫妻とスペイン料理屋で食事。

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3/12-16

3/12(土)
1日メールとインターネットで情報収集するだけで日が暮れる。1日やって、ダメな方法だけが明確になる。

3/13(日)
昼、日曜の人ごみでごった返すマルシェ・ダリーグルにてAとルーマニアのMに会い、お茶をしてお別れ。なんだか近いうちにまた会いそうな気がして、不思議と寂しくない。パリの寮を退去した時と同じぐらいの荷物を背負って帰って行った。ドイツの女性は強い。
昼過ぎからまたメールとインターネット。一体何をしているんだかわからなくなる。
夜、ベルヴィルで餃子。

3/14(月)
朝、サントル・ポンピドゥーの常設展を見る。ブランクーシ『終わりなき柱 La colonne sans fin』、マティス『室内、金魚鉢 Intérieur, bocal de poissons rouges』、アルプ『雲の羊飼い Berger des nuages』、ゾフィー・トイバーのコンポジション、デュフィの木版、リプシッツの石膏とブロンズの彫刻、ファントンゲルローのヴォリューム模型、マレヴィッチの『十字』、『Gota』、それに走る人物像、アルベルト・ジャコメッティの『pointe à l’œil』、マーク・ロスコ、ジョーン・ミッチェル、イヴ・クライン、ジャン・プルーヴェの椅子や建材の一部など。まったくモノはいいのだから建物さえもっと良ければ、と思うがフランスの美術好きの人たちはこれが我が国の国立近代美術館だということを相当我慢しているのだろう。ちょっと犯罪的な展示空間だ。特に部屋と部屋の間の謎の隙間空間や、大廊下の展示の仕方が酷い。
夏にばったり出くわした大学の後輩Mとようやく飲む。彼女はもう滞在6年目なので色々アドバイスを聞く。ダメだと思って諦めていたことが覆り、再び悩みの種に。滞在が長いと日本人に冷たい人が多いのだが、彼女はそのまま「普通の日本人」でいて、偉い。

3/15(火)
朝、フラ語。悩み事が多いと聞き取れないようだ。
昼過ぎからまたメールとインターネット。夕方途方に暮れる。
夜、同じ大学の部屋の友人Kと女子美のOと飲む。なんでパリに来てセガサターンの話をしているのか。

3/16(水)
滞在日数が残り少なくなっても日常は同じように過ぎていく。今更何かを変えようと思っても無理なのだ。体力的にも限界だし。
昼頃、妻と国立図書館旧館版画・写真部門に行き、いろいろ閲覧申請するがマイクロフィルムだったり参照番号不明で見つからなかったりしてうまくいかず。しょうがないのでアルプ、グロッスなど閲覧する。眼福。そのあと初めて行った「Arts du spectacle」部門にて妻がクラナッハ・プレスを閲覧申請したら大事になってなんだか上の方まで電話が行き、土曜日また来ることに。それにしても天井画からシャンデリアまですごい閲覧室だった。閲覧している人たちが恐ろしく知的に見えるのは部屋のせいか、本当に知的なのか。
帰って保険用書類と格闘。悪夢。

3/8-11

3/8(火)
旅行帰りの割には意外と爽快に起き、リフレッシュした気持ちでフラ語講座へ。たまに旅行に行って帰ってくると割と聞き取れるようになっているのはなぜか。喋れなくてもしょうがないや、ぐらいの気持ちだからか?
手続き、方々へメールなどしていると1日が暮れる。
夕方、同じ大学から来ている人に話を聞く。

3/9(水)
方々へメール。
請負仕事を2件済ませる。

3/10(木)
午前中、フラ語。
昼、入ってみたらなぜか日本人の方がやっていたバスティーユ近くのサンドイッチ屋で昼食を食べていたらケルンのAからメッセージが入り、パリに到着して近くまで来ているとのこと。帰り道で八百屋を見ていると後ろから声をかけられた。こないだまでケルンで一緒だったのに、奇妙だ、いかれてる、と話す。うちに荷物を置いて彼女は髪を切りに出かけて行った。
夜、Aと合流して初めてのパレ・ド・トーキョーへ行き、アルゼンチンの友人Fのパフォーマンスを見る。全部で3時間ぐらいあるから抜けていいよ、と言っていたので途中で抜けて他の展示を見る。予想通り「あなたが思ってるほど面白くないし、あなたの人生にも興味ないよ」と言ってあげたい現代アートの作品ばかりで、その中でなぜか上映されていたラウル・ウォルシュの『Silver River』という映画の抜粋を何度も見て目の保養。しかし「あなたにウォルシュを抜粋上映する権利なんかないよ」とも言ってあげたい。美術館というよりはアーティスト気取りの人たちのパーティー会場のような。プラス・ディタリーでいつものラオス料理食べて帰る。

3/11(金)
昼、Aと合流してパリ郊外ムードンにあるアルプ財団へ。ムードン=ヴァル・フルーリー駅から坂道を登り、快晴のせいもあってまるで南仏のようなテオ・ファン・ドゥースブルグ邸を外から見る。ここはドゥースブルグが妻ネリーと自分の為に設計したが、完成前に死んでしまったため、最後のファサードの彩色は妻が完成させ、住んだという。北東向きにアトリエの窓が開かれ、南西向の通り側からには黄色いシャッターのガレージと1階の青い扉、黒い手すりのあるテラスしか見えない。月初めに一度開放しているようだが、気づいた頃にはタイミングを合わせることができず、今回の滞在では見ることが叶わなかった。
ネットでダウンロードできるムードンの地図にはアルプ財団の所在地は載っていない為、若干迷いつつ散歩を楽しみながら、財団に辿り着く。財団と言ってもアルプと妻ゾフィー・トイバー=アルプの住居とアトリエであり、中には二人の作品が飾られている。アプローチからは2階建てに見えるが車面に建てられているため実際は3階建て(もしくは2階+地階)。窓から庭越しに見えるのはアルプとトイバーそれぞれのアトリエ。2人別のアトリエを使っていたらしい。3人で「こんな家が持てたら」と話しながら見て回る。『へそ nombril』、『いたずらっ子(小悪魔) lutin』のブロンズ。トイバーの作品は少なめなのが残念だった。
そのままムードンの街を歩き、プルーヴェの住宅群に向かう。途中、道行く人たちが皆挨拶してくれるのに驚く。パリから少し出ただけでこの変わりよう。観光客は全くいないし、用事があればパリには出られるし、家族で住むには最高のところだろう。天文台近くの公園からはパリから数分とは信じられないぐらい最高の景色が見渡せる。
プルーヴェの住宅群は緊急時の住宅要請に応えるため提案された14のプロトタイプ(建築としての設計はAndré Sive)。結局提案は却下されたためここにプロトタイプだけが残ることとなったという。「Métropole」と「Coques」の2タイプ。多くは人が住んでいる。森に隣接する立地で、かなり気持ちの良い場所だ。建築を見に行くときいつも将来の家やアトリエを見る気持ちで見てしまうけど、そのチャンスははたして来るのだろうか。

3/4-7 ケルン

3/4(金)
朝、イタリア大使館前のイタリア系屋台でカプチーノとパニーニ(焼かないタイプ)を食べる。当然ながら英語通じず、つい発音しやすい物を頼んでしまう。街路にベルギーの地名がつけられた街区を通り、昨日教えてもらった König Books へ。芸術書専門の本屋で、日本で言う4階まであり、かなりニッチな本まで揃っている。フランスにこういう本屋がなかなか無いからか、我々の趣味がドイツびいきだからか、久しぶりの良い本屋に出会った喜びでそのままそこで2、3時間過ごしてしまう。もはや英語よりも次はドイツ語を学ぶべきではないかと思う。アルプ、ゾフィー・トイバー=アルプ、FHK Henrion、ケルンの建築家、それに『köln progressiv』と題されたアルンツとザイベルト、Hoerle(ホーレ?)についての展覧会図録など。しかしスイスの時も思ったが、モダニズムの牽引者たちがここまでスター扱いだとちょっと引く。まるで地域の名士のように扱われている。日本で数少ない資料や作品からまるで秘密結社に属した自分だけのもののように学んだ経験が邪魔しているのかもしれないが。それにしてもここはパラダイスであった。妻は「私はここで破産できる」と豪語していた。
近くのカフェで久しぶりのフィルター・コーヒーを飲んだ後、ペーター・ズントー設計のコロンバ美術館へ。レンガの外壁、石灰岩の床など素材へのこだわりは素晴らしいが、やはりあの空間に宗教美術をあくまで美術品として展示するのはちょっと辛い。現代美術と並べるから尚更それが際立つ。それを言っちゃあおしまいよ、かもしれないが。いかにクリュニーが恵まれた環境であるかがわかる。
ベタにカリーヴルストを食べて、MAKK と呼ばれる応用芸術美術館へ。ここが思いのほか良く、中世の家具・食器からビーダーマイヤー、ユーゲントシュティール、ウィーン分離派、それに現在に至るまでのデザイン作品が並べられている。しかし途中で時間切れで追い出されてしまう。もっとここに時間を割ければよかったが、どこも良かったので致し方無し。
ドムを見た後、本屋の前でAと合流してファラフェルを食べに行く。安い。美味い。

3/5(土)
朝、Schnütgen Museum という教会の美術館を見に行く。建物自体はさほど美しくないが、宗教美術の展示品は非常に良かった。腐敗した人体を小箱に収めたメメント・モリ。後頭部が開けられるようになっていて、中に聖書の場面が彫り込まれている数珠状につながった頭蓋骨。切り取られた額から上の部分を右手に持つ聖ディオニュシウス。牛骨で作られた筆記道具箱。
ドムの真横に作られたローマ=ゲルマン人の博物館を見て、Aと合流。ケーキ屋で遅めの昼食をとって、川の反対側にあるAのアトリエを見せてもらうことに。行き際、戦後のケルンの住宅をいくつも見かけるが、押し並べて酷い。Aも言っていたが、どうしてこんなに酷い見た目になるのか。
トラムを降り、川沿いの散歩道を歩く。最近まで公園になっていたところが再開発の対象となり、いかにもな川沿い住宅が建てられていた。工場地帯の一角にある彼女のアトリエは、我々にとっては十分に広く、こういう天井が広くてアトリエとして使える建物は日本に少ないことを思うと非常に羨ましい。日本の住宅事情を話すと「だから日本からヨーロッパに来て美術をやる人が多いのね」と言っていたが、特に西ドイツは日本人が一際多いのだろう。どこか「日本人多すぎ」というニュアンスを含んでいたように思える。そもそも「美術」という概念を輸入した日本人が、西洋の概念にそのまま乗っかって美術をやることに対しては考えさせられるところが多い。彼女の家の近くに日本の図書館があり、ヒロシマ=ナガサキ公園や東洋美術館があったりすることは、やはり非常に奇妙である。帝国主義を模倣し西洋に追いつこうとした日本人は、もはや西洋と東洋の間で宙づりになったまま、奇妙な変異を遂げている。ヨーロッパにおいて西洋人の仲間に入れてもらいながら、アメリカ帝国主義の悪口を聞く権利も与えられる日本人。それは特権か、否か。
夜、連れて行ってもらったブラウハウスが満員で、代案として提案された「社会主義レストラン」。到着してみると、ギャルソン風のレーニン像がお出迎え。店内は真っ赤で壁にはレーニンの肖像やロシア・アヴァンギャルドのモチーフが随所に散りばめられている。もちろんメニューの名前も革命色一色で、一番笑ったのがサーブされた皿とナプキンとカトラリー。三角に折られた赤いナプキンが星型に重ねられ、そこに縦に三本、カトラリーが並べられている。肝心の食事(でかい餃子のプラムソース添え)は意外に美味く、3人で無心で頬張る。

3/6(日)
小雨降る中、朝からRolandseckという駅にあるアルプ美術館へ。今回のケルン行きの目的は、彼女がここのグループ展に参加しているからだ。ケルンから40分ほど南に下り、ライン河沿いにある小さな駅を降りるとそこはまるで山の辺。矢印通りにぐるっと回るとあっけないほどすぐに美術館にたどり着いた。なんでも旧駅舎を改装して美術館化し、さらに新しい建物を山の中腹に立てたらしい。アルプ財団はフランス(パリ)、ドイツ、スイスの3箇所にあるらしいが、こんなに金持ちだとは知らなかった。アルプといえば『ダダと構成主義』展のカタログで扱われているのを見たのが最初。こんなに偉大な芸術家として知られているとは。
しかしアルプのコレクションの常設展は今回見られず、「ダダ創世記」と題したダダの特別展がやっていたのだが、これがパラパラとした展示物の間をダイアグラム風味のグラフィックで埋めた代物で、いくつか本物が見られたのはいいものの、ちょっと残念な内容だった。でも今回はこれが目的ではないので良い。
「タツノオトシゴとトビウオ」と題された地下のグループ展。彼女の作品はユーモアに溢れ、際立っていた。
帰り、ボンで降り、ポム・ドナーと言うフリットにケバブを載せたものを食べながら、雪降る空を恨む。まあ私の仕業だからしょうがないのだが。それから  Arithmeum という名前の数学美術館へ。計算機械、コンピューターの歴史を実際に稼働するブツを触りながら体験できるという信じられないぐらい素晴らしい場所。美術館、というのは壁にモダニストのコンポジションやコンピューターを使った作品が飾られている為である。計算プロセスと計算結果を印字する機械。見惚れる。
ケルンに帰り、西駅近くの店でケルシュビール、ピルス、ヴァイツェンを飲む。うまい。帰りにケバブ屋に寄ると、とても丁寧な手つきで肉を切り、誇り高い仕草で提供してくれた。雑に機械で肉を削ぎ取り、適当に提供する他国のケバブ屋とは少し違った。

3/7(月)
最終日。することと言えば本屋である。朝からクラカウアーのホットドッグを食べて König Books に行き、欲しいものを買う。その後Aの仕事場である別の本屋に行く。隣に美大のある落ち着いた地域の本屋。美術書の店ではないので我々の帰る本はなかったが、トミー・ウンゲラーの本、デヴィッド・ボウイやロボットが表紙の「Du」という名のカルチャーマガジン、「Facebookはフランツ・カフカじゃない」という旨のトートバッグ。どこか彼女の選択眼を感じる。
彼女はヨガに行くとのことで、お茶をしてお別れ。しかし彼女は週末にパリに来る予定なので、全く寂しくはない。歩いて中央駅に向かい、最後のカリーヴルストとケルシュビールを飲み、タリスにて帰る。久しぶりのパリはへなちょこに見えた。

2/29-3/3

2/29(月)
昼、ルーヴル。主にウガリットを始めとした中近東の発掘品、それにエジプト部門を見る。ラス・シャムラの宝石鋳造の型、イランのシカの前半身2つを逆向きにつなげた像、ダンデラのゾディアック、それに無数の文字板や円筒印章。見ていたら具合が悪くなってきたのでギリシャ、ローマ、エトルスクのコレクションを軽く見て、帝政様式に改装された部屋とサモトラケのニケに出くわして帰る。
夕方、日本の友人のオープンスタジオにイギリスの友人のコンサート。後ろのフランス人の老夫婦がマナーが悪すぎ、全く楽しめず。自由を謳歌するにも程がある。
夜、寒気と吐き気がするため寝る。

3/1(火)
朝、微熱があり、フラ語に行くのを止められる。しょうがないのでモンティ・パイソンの『ライフ・オブ・ブライアン』を見る。昼過ぎ、日本からの友人を迎えに最寄駅前まで行く。なぜか、大した感慨もない。疲れているのか。
その後ノートルダムとサント=シャペル(の入り口)まで付き合い、帰って夕食を作っているうちに友人は時差ボケで寝てしまう。しょうがないのでイーストウッドの『ホワイトハンター・ブラックハート』を見る。イーストウッドのヒューストンものまねが辛い。

3/2(水)
昼、BnFに行く途中食事を取っていたら激しい俄雨となり、雷が鳴ったと思ったら雪に変わる。初雪である。すぐ止みそうだしヴェルサイユは遠いしなあと思ってボーッと見ていたが、フラ語の先生から「近くにいたらチュイルリーに行きなさい!」と言われ、傘も防水靴も無いまま小走りで向かう。しかし途中で雪は止んでしまい、残念だと思っていたら晴れ上がる。道は濡れていて空は快晴。一番美しい天気の一つだろう。何を撮っても絵になる。浮かれて写真を撮っていたら寮の友人に声をかけられ、近くのブティックでやっている女子美卒の子のライブペインティングのことを聞き、結果一緒に行く。
夜、ドイツの建築家の友人Aのオープンスタジオに行ってから日本からの友人と一緒に食事を取る。

3/3(木)
朝方、よろしくないメールと共に起きる。寝てるうちに友人は帰っていったようだ。そのままフラ語。授業後、先生と今後の相談。急いで支度をし、飛び乗るようにケルン行きのタリスへ乗り込む。データの打ち込みをしているうちにリエージュもアーヘンも通り過ぎ、ケルン中央駅へ着く。ホームで迎えてくれた友人Aと一緒にケルシュビールを飲み、彼女が貸してくれる家へ。東洋美術館とヒロシマ=ナガサキ公園の近くにある静かな住宅街へ。なんとバスタブがあり、4日間満喫することになる。