8/30 リヨン 印刷博物館

リヨン。約10日ぶりのフランス。遂にスイスを脱出し、念願のユーロ通貨圏。そこまで安くないはずの物価がとてつもなく安く感じられる(金のことばかり言っている)。リヨンは私にとって苦い記憶が払拭できない場所で、最初に来た時はブザンソンからアルケスナンに行こうとして電車を間違え、引き返すこともできずここまで来てしまったからなのだが、帰りの電車の切符を買おうとも長蛇の列で間に合わず(フランスを旅行した方ならわかっていただけるであろう)、それが終電であったため急遽宿を探して隣の声が丸聞こえの安宿で一泊せざるを得なかったのである。二度目はTさん夫妻と来たがそれはコルビュジエのラ・トゥーレット修道院を訪ねるためだったので街はほとんど見ることはできなかった。それ自体はもちろん苦い記憶ではないが、ラ・トゥーレット最寄駅への電車のチケットを買ったと思っていたところ掲示板を見ると「autocar」と書いてあり、電子辞書で調べると「バス」だということがわかり、慌てて3人で全力疾走した思い出があり、トラブルが付きまとう街である。それはそれとして今回はリヨン自体をしっかり味わいたい(色んな意味で)と思って来たのである。

前回から7、8年経ち、その間に大学同期の友人がフランス人と結婚しここに定住していたので連絡を取り、美術館やレストランなど教えてもらった。まずはベルクール広場からメルシエ通りへと歩き、観光する前からリヨン風サラダとアンドゥイェット(臓物ソーセージ)を食べ、それからようやくリヨンに来た主たる目的である印刷博物館(Musée de l’Imprimerie de Lyon)へ。フランスでパリに続く第二の印刷の街だったリヨンで、ルネサンス期の市役所(Hôtel de Ville)の建物の中に収容されている。いつも思うがパリは印刷の街だったにもかかわらずまともな印刷博物館が無い。Arts et Métiers の博物館に印刷機や活字が雑に置いてあるだけだ。あきらかな欠落だと思う。それはさておき、ここは古今東西の木版印刷と木活字から始まる。バーゼルが記述全体の歴史から始まったのに対して、もう少し実際的で印刷に絞った話になっている。また、リヨンもバーゼルと同じく、書物だけでなくトランプやタロットの主要な生産地だったらしく、それが展示されているのが印象的だが、日中韓の印刷史も抑えていることに目を見張る。北尾政美の『魚貝略画式』(1830)、光悦本の『伊勢物語』(1608)、BnFが所蔵しているという現存最古の金属活字本の白雲和尚『直指心体要節』(Jikji, 1377)のファクシミリ等々。そこにマニュスクリプト、インキュナビュラが入ってきて、ローマン体の成立やイタリック体の試み、パリとリヨンにおける印刷物、多色刷りを含めた印刷の発展、諸科学や地図探検への貢献、フルニエ、ディド、ペイニョ、カッサンドル、マクシミリアン・ヴォクス(ヴォス?)等々フランス印刷史の chef-d’oeuvres。書誌を書き上げたらきりが無いのでやめておくが、調べ始めたらいつまででもここにいられるラインナップ。おそらく空間の関係で簡素な説明にとどまっていて、それが残念といえば残念であるが、いちいち説明していったら終わらないだろうし、説明することができたら相当なデザイン史家だろう。

印刷博物館を見終わったらすでに夕方で(ディズニーランドだから仕方がないのだが)、今日はもう美術館関係は諦め、フルヴィエールの丘に登る。19世紀に建てられた比較的新しいノートルダム大聖堂がそのてっぺんにあるのだが、これが今まで見たことのないタイプの壮麗で明るい聖堂だった。教会に行くたびにいつも建築史の本をちゃんと読んでおけばよかったと思う。沖に出てしまった船なのでもう岬には引き返せないのだが。

 

8/29 ベルン/パウル・クレー・センター

アルプスの後はベルンまで戻って宿泊していたが、夕方ジュネーブ経由でリヨンに行くまで半日だけベルン観光ができた。まずはパウル・クレー・センター(Zentrum Paul Klee)へ。ここもレンゾ・ピアノの設計。大胆な波型屋根の構造だが、展示空間は至って落ち着いている。かなり無難に(というのは褒め言葉である)美術館を設計する人だなと一瞬思ったが、そういえばポンピドゥー・センターを作った人でもあるのだった。

特別展は幸運にも『カンディンスキーとクレー』で、彼らの初期作品から晩年の作品までが時系列ごとにトピックを立てて並列的に置かれていため、ひとまわり上のカンディンスキーを見ながらいかにクレーが影響を受けて作品を作り、またそれを見てカンディンスキーが影響を受けたかということを想像しながら見ることができる。実際はカンディンスキーはクレーが芸術家としてブレイクスルーした時には既に巨匠感が漂っていたので、クレーがどうであろうと我が道を行ったのだろうが。写真は撮れなかったがこれがかなり良い展示で、あまりまとまって見ることのできる機会が少ないカンディンスキーの作品が包括的に見られることすら贅沢な上に(ミュンヘンのレンバッハハウス美術館 Städtische Galerie im Lenbachhaus und Kunstbau Munich との共同開催とのことで、10月にはそちらに巡回するらしい。)、彼と後輩クレーとの直接的な、あるいは作品上での交流がよく見える。中でもこの展覧会は彼らがアブストラクションを開発していったことには音楽との関わり、その構成要素との類推がキーファクターだったことに焦点を置いていた。それについては少し思うことがあるが、まだここで書くことはできない。また、展覧会の中で「abstract」と「non-objective」を使い分けていたが、一般的に日本ではひとえに「抽象」というが、その中に無意識的に abstract も non-objective も含まれていて、しかし「抽象」というべきものと「無対象」というべきものは大きく違うのではないかということだ。あまりに「抽象」「抽象」と言い過ぎでは、何も理解できない。美術批評にはきっと書かれていることだろうが。

地下ではコレクションから「ベルンにおけるクレー」。若い頃のクレーの絵が全くクレーらしくないというか、ビアズリーっぽい若描き、というか、少し驚きであった。

その後は電車の時間まで旧市街を歩き、川にぴょんぴょん飛び込んでは流されていく人たちを羨ましく見つめ、水着を買ってこなかったことを心から後悔しながら中央駅まで辿り着く。ジュネーヴまで行って、フランスへの乗り換えの切符が買えず戸惑うが、カウンターにて買えた。スイスに入る時もブレゲンツに行った時も何のパスポート・コントロールも税関検査もなかったのに、この駅にはフランス国鉄のゲートがあった。リヨンに住んでいるのかと尋ねられ、パリだと答えると、行ってよし、とのこと。何か意味あるのだろうか。フランス行きのホームに上がった途端、みんなタバコ吸ってるし、ホーム小汚いし、ガラが悪くなった感じがするのは気のせいですか。

ジュネーヴからリヨンへは直通だったが、その車窓のすばらしかったこと。ジュラの山の間をすり抜け、ローヌ川の上を滑るかのような距離で並走し、電車に乗っただけでこんな二度と見られないような風景が見られるとは。といいつつ車内ではジョン・ミリアス監督の『ビッグ・ウェンズデー』を観た。つまるところ、泳ぎたいのである。

 

8/28 ミューレン

交通費が高いし諦めようと思ってたがスイスまで来といて山を見ずに帰っては男がすたる、というわけではないが「ユングフラウ」や「アイガー」と聞いては心穏やかではないし、妻の強い希望もあったので今日1日をアルプス見学に充てていた。スイストラベルパスを駆使し、風景に見とれたり驚いたりしながらバーゼル→ベルン→インターラーケンと移動してケーブルカーや登山電車を乗り継いでミューレンという名の集落まで行くここからはアイガー、メンヒ、ユングフラウヨッホの3峰がよく見え、眼前にあの『アイガー・サンクション』の(私の場合トレヴェニアンより以前にイーストウッドなのだが)、そして19世紀の地理学者が描いたアルプスの山々が、表象に負けず劣らんばかりの生々しさで聳え立っていることに、信じられないという気持ちを抑えずにはいられない。財布のことで頭が痛いが来ておいてよかった。

夜はベルンに戻り、ホテルにチェックイン。スイス最終夜なので財布に残ったスイスフランで贅沢しようとするが、結局1人1本ずつのケバブとカップラーメンしか買えなかった(しかし気持ち的には「わあ、なんて贅沢なんでしょう」といった体)。それでも一瞬で数千円が吹っ飛ぶ様はもうヤケになるしかないというか、一抹の清々しさすら覚える。

8/27 バーゼル 歴史博物館、動物園、自然史博物館

今日は一人で美術館周り。しかし朝から建築博物館にフラれ(数日前までチュミの展示がやっていたとのこと)、音楽博物館にフラれ(昼の14時からだそうで)、結局歴史博物館を観る。夏のスイスはどこもかしこも工事中だが(スイスに限った話ではないけど)、ここもそれに漏れず工事中。しかし展示物は充実していて、考古学的出土品から地図、タペストリー、コイン、科学的器具(解剖関係も)、トランプ、地・天球儀などそれぞれ魅力的なブツを通してバーゼルの都市形成と宗教改革その他の歴史的変遷がわかるように構成されており、かなり充実した博物館だったのだが、他にも使い方のわからない謎の展示物がたくさんあり、所変われば物も変わるのだということを実感できた。古代のバーゼルの都市を現在の都市とクロスオーバーさせ、ストリートビュー的に見せる装置が面白い。某F国ならこういうものはまず壊れている。

次に、動物園。これは2千円近くする入場料が無料になる(=パスの元が取れる!)、ということもあったがスイスで最古、ヨーロッパでもかなり古い部類に入るらしい歴史ある動物園で、ヨーロッパで動物園に入ったことがなかったし、ゲスナーの国の動物園には何かあるかもしれないというカンで入ってみた。おそらく建設当時の面影はほとんどない現代的な(日本で見るような)動物園だったが、見せ方の工夫がなされているからかカバやらバイソンやらフラミンゴやら熱帯の鳥やらかなりダイナミックに迫ってきて楽しめたし、ゲスナーの国のサイも見ることができ、不思議とありがたい気持ちになった(別にゲスナーは関係ないだろうがインドサイの繁殖に初めて成功したそう)。あと、動物園で猿を見るともう『猿の惑星』しか思い出せず、蜂起したいのだろうなと想像してしまう。

最後に、自然史博物館。ガイドブックにも書いていないような、歩いてたらたまたま見つけただけのところなのだが、もともと無料だからパスが切れた後に取っておいてあった。行ってみると割と小規模の、地元の人向けの博物館という印象を受けたが、生命のアーカイブ(Archiv des lebens)と名づけられたプロジェクトが進行中で(詳細は不明)、さらに新しい建物に変わるとのことなのでそのために展示が縮小されているようである。一室がその建築模型の展示に充てられていたのだが、あまりよろしくなさそうである。

夜、妻が帰還。無事に滞在許可証が取れたとのこと。

8/26 バーゼル大学薬学博物館、バイエラー財団、ヴィトラ・デザイン・ミュージアム

バーゼルの美術館巡り2日目。今日はバーゼル大学薬学博物館(Pharmazie-Historisches Museum)。天井から吊り下げられたワニ、カメ、象牙、ホルマリン漬けのタランチュラやらまじない・魔除けの類が集められたヴンダーカマー・チックな博物館。とにかく怪しい。錬金術士の実験室、薬局の再現など。近くに解剖博物館があってセット券で無料で入れるのだが、生々しいのがどうも苦手なことに気がついたので私はパスする。ちなみにこの建物はもともと浴場だったがバーゼルの印刷工ヨハン・アメルバッハ(Johann Amerbach)とヨハン・フローベン(Johann Froben)による印刷所があったとのこと。泉の音だけが響く静かな場所。

移動してバイエラー財団(Foncation Beyeler)の美術館へ。建物はレンゾ・ピアノ設計のシンプルなホワイトキューブだが、照明は自然光中心でやわらかい。外壁は赤い斑岩とのこと。人工池は掃除中であった。企画展はオランダ出身で時事的な写真やイメージを元に絵を描くマルレーネ・デュマス(Marlene Dumas)の特集。初めて見るのだが、後で経歴見るまでアメリカ人だと思っていた。観る前はアルプとか展示しなさいよ、と思っていたが、空間の贅沢さも相まって良い展示だった。なんでフィル・スペクターを描いたんだ。他にもモンドリアンの初期の抽象作品、そのモンドリアンを訪問した直後のカルダーが描いたペインティングとモジュール、モネの睡蓮、ロダン、ピカソなどあったが、一番印象に残ったのはアンリ・ルソー『飢えたライオン(Le lion ayant faim se jette sur l’antilope)』。あまりにも現代的で時空が歪む思い。

そのままバスでドイツへの国境を越えてヴィトラ・デザイン・ミュージアムへ。バスが高い以外はコントロール無し。工場やミュージアムはあまり興味を引かない客寄せパンダ的な建築群で、中身もほとんどただのショールームで少しがっかりした。作ってるモノの良し悪しはわからないけれども、イームズ、プルーヴェの精神とこの建築やディスプレイのあり方は全く違うと思う。

帰りにドイツ国内で食料品を買い込み(安いから)、フランス滞在許可証の手続きのために1日だけパリに帰る妻を見送って、部屋でパスタを作って食べ、酔っ払って寝る。

8/25 バーゼル大聖堂、文化博物館、印刷博物館

朝、i でバーゼルのシティパス(対象施設の入場料が半額)を買う。この手のパスは買ったはいいが段々時間に追われるのが嫌になり、とにかく見たいものを見る方針に変えてしまうのが私の常だが、物価の高いスイスでそうは言っていられない。特に対象施設の一つであるクンストハレ(Kunsthalle)が工事中なので、よく考えたら沢山見ないと元が取れない。

まずはバーゼル大聖堂(Basler Münster。これは無料)。ロマネスクを思わせるような簡素なゴシック聖堂だが、赤い岩でできていて、これは地域特有の材質なのだろうか。地震で倒壊したため現在のものは再建とのこと。次に行ってみた文化博物館(Museum der Kurtulen)はとても変な博物館で、阿片をテーマとした博物品と現代美術のごちゃ混ぜの展示がやっていたが、なぜ今スイスで阿片なのか最後まで理解できなかった。他にクンストハレから避難しているクラナッハ、ホルバインなどが一部屋に押し込められている。部分的には面白いが全体的には雑。ポップなのかもしれないが。

バーゼルに寄った主たる目的の一つである印刷博物館(Basler Papiermühle)はさながら印刷ディズニーランドで、紙を手漉きをしているおじさん、水車の動力で紙の原料となる生地を砕き続けている機械、活字を母型から作り続けている職人のおじさんなどを見続けることが出来るし、体験もさせてもらえる。展示はまさにライティングスペースの歴史を文字(記号)、印刷、造本の各視点から辿ることができる。またここバーゼル特有の展示もあり、ウォーターマークの入れ方、19世紀まで主流だった古布や古縄からの製紙、主力製品の一つだったトランプ、さすがご当地のヘルベチカの紹介など、規模は小さいものの概論を抑えつつスペシャルな各論を突いてくる良い構成の博物館だった。誰かさんは大量に資料を買った模様。

ディズニーランドで時間を使ってしまったのでもう夕方。今日は美術館巡りは終わりにし、パスで無料の渡し舟に意味もなく乗って、ティンゲリー美術館まで散歩。ボッタ建築の外観だけ見て帰る。

8/24 バーゼルへ

今回の滞在で、本当ならチューリヒ芸術工科大学のアーカイブを訪ねようと思っていたのだが、2週間前にはコンタクトしなければならず、下調べの時間も取れなかったので諦める。他にも同大学のグラフィックギャラリーなどもあり、チューリヒで見られなかった物は多い。後ろ髪引かれなくはないが、とりあえず今回はスイス自体未知数であったし、特別な場所にも連れて行ってもらったのでこれでよかったのではないだろうか。

部屋をチェックアウトし、Mにお別れを言いに行こうと思うが電話がつながらない。昨日、孫と一緒にいるけどどこにいるかわからない、と言っていたのでひょっとして孫と一緒に寝てしまったのではないかと思い、他に手段もないのでとりあえずMの家の前まで行ってみるが、ドアコードがないと建物に入れないことを忘れていて、入れず。家の下でもう一度電話してみるがつながらず、あきらめてバーゼルに移動しようかと思ったらトラムの駅前で着信あり。買い物しにセントラルまで来てると言う。最後にお茶でも、ということになりセントラルで落ち合い、Mの孫のM君(Mの周りはみんなイニシャルがMで、しかも子音は全て一緒、という多分ある種の冗談なのだろうが、彼は子供向け麦芽飲料の名前である)と4人でお茶。スイスの子供達はテレビなんか見ずに遊んでいるそうで、健康的でよろしい。日本の子供達はパンの頭をしたヒーローが子供達に自分の顔をあげて弱ってしまうアニメを見てるんだよ、と教える。こっちで言うならツォップ(国民的パン)・マンみたいな感じだよ、と言うとなんだか興味を持ったような顔をしていた。将来は海賊になりたいとのことだが、湖しかないこの国では難しい夢である。

Mとお別れしてバーゼルに移動。言わずもがな、交通費は高い。バーゼルまでは小一時間で、喋っていたら着くような距離だが、車中隣の席のスイスのご婦人に日本語で話しかけられてびっくりする。なんでも旦那さんが日本人で数年間福島にいたそうで、今はバーゼル近郊の町に住んでいるそう。スイストラベルパスでアルプスに行くことを伝えると、ユングフラウヨッホは高いからミューレンにしたほうがいいですよ、私はよく散歩するんです、と穴場情報を教えてくれた。財布のことで頭が痛かった私にはとてもありがたい。ホテルの場所を聞かれたので伝えると、トラムの乗り場まで案内してくれた上になんとチケット代まで出してもらってしまい、「日本では親切な方々にお世話になったからそのお返し」と言ってくれて非常に恐縮する。すぐにトラムが来てしまったためお名前も聞かずにお別れしてしまったこと心残りだが、この場を借りて感謝したい。

中央駅から数駅のアパートホテルで再びコードを打ち込んでICチップ付きの電子キーを手にいれ、雨の降る中、部屋で作業などする。この旅最大の懸念事項だったWebの納品日だったため、20時近くまで格闘する。スイスのネットが快適で非常に助かった。夜はまたCOOPで買った野菜でサラダ。ケバブ屋の物価を見たところ観光地は駅の逆側なので少しは安そうである。ビッグマック指数ならぬケバブ指数で世界の経済は測れるのではないか。

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8/23 ザンクト・ガレン、ブレゲンツ

スイスに来たからにはピーター・ズントー(Peter Zumthor)の建築を一つぐらい見ておきたいと思い、チューリヒから比較的アクセスの良いブレゲンツ(少しだけスイスから出てオーストリアである)に行くことにしたのだが、その途中にザンクト・ガレン(Sankt Gallen)の修道院図書館に寄れるということで旅程を組んだ。

しかし問題はまたしても物価。ここはスイス、鉄道運賃も馬鹿高いのである。ネットで見たときにはああ、普通の値段じゃん、と安心していたのだが、それは50%割引パス等を持っている人用のものだったらしく、実際は倍近い金額だった。しょうがないので我々は長距離移動日を3日間に定め、スイストラベルパスのフレキシータイプを買い、その切符の範囲内でなんとかすることにしたのだった。スイスにいると将来の身の危険を感じてゾワっとする。スイスに住んでると体感的には物価半分ぐらいだろうし、鉄道年間パスとか携帯電話の1年契約とか色々あるみたいだけど。
金のことばっかり言ってても始まらないので、朝からザンクト・ガレンに向かう。

ザンクト・ガレンについてみると、なんというか、専門的には言えないがグッとオーストリア・ドイツに近づいたような街並みになる。ウィーンに行ったのも10年前だから記憶は不確かだが、なんだか見覚えのある街並みだ。環状道路を横切って中心部に入ると、その真ん中に修道院がある。現存の修道院はバロック建築だがその歴史はかなり古く、7世紀初め頃まで遡るらしく、中世の本のコレクションにかけては世界有数のものだという。図書館内部は写真撮影禁止だが、いくつかのマニュスクリプトやインキュナビュラが展示用キャビネットに入っていて見ることができる。それに加えて部屋の一角に天球儀が置かれていて、これは約300年前にチューリヒの軍隊によって盗られた16世紀の天球儀らしいのだが、数年前に300年ぶりにここザンクトガレンに貸し出しされることとなり、その間に専門家を集めて分析し、精巧なコピーを製作したのだそうだ。当時の科学的知識の状況が随所から垣間見えて面白い。

ザンクト・ガレン滞在時間2時間ほどでブレゲンツに向かう。途中、国境近くの駅で乗り換えることになるが、ホームにあるオーストリア国鉄の自販機で難なく買えた。パスポート・コントロールも何もなし。しかも安い。着いてみればブレゲンツはボーデン湖の湖畔、言ってみれば河口湖のほとりの街のようだった。

ブレゲンツ美術館(Kunsthaus Bregenz)は前述のようにピーター・ズントー設計の建築で、コンクリートの巨大なキューブを半透明のガラスのスレート板が瓦のように包んでいる。内部の照明はおそらく外光100%ではなく(だとしたらかなり巧妙に内部に取り入れているが)、よくは見えなかったがディフューザーの役目も果たしている天井の曇りガラス板の向こうに人工照明も使われていると思うのだが、ほとんど色温度が外光に近く、やわらかい外光に包まれているような感覚を覚える。こけら落としがジェームズ・タレルだったのも頷ける。どのフロアもほとんど同じ空間で、打ちっ放しのコンクリート壁に額縁がかけてあるだけ。とてもシンプルだがとても贅沢な空間になっている。展示はアメリカのペインター、ジョーン・ミッチェル(Joan Mitchell)の回顧展。空間のせいもあり、とても良い展示だった。建物グニャグニャ曲げたりしなくていいんだよ。

ついでにとなりのフォーアアルベルク博物館(Vorarlberg museum)も見た。こちらは地域博物館なのだが、展示方法があまり良くなくて、展示品を新旧ごっちゃに展示するのは流行りなのかもしれないがやめてほしい。いくつかの展示品は興味深かったけど。特別展は、第一次大戦から第二次大戦直前までのオーストリアの芸術について。リホツキーのフランクフルター・キュッヘの模型が見られた。それにしても金のありそうな自治体だ。

1日だけのユーロ圏なので物価の安さに浮かれてビールやシュニッツェルなど食べる。日本の物価を考えれば決して安くはないのに、激安だと思ってしまうスイス・マジック。