8/22 リートベルグ美術館、クンストハレ

なんやかんや本日も出るのが遅くなり、昼前にリートベルグ美術館(Museum Rietberg)へ。ここは絹貿易で財を成したOtto Wesendonck(スイス亡命中のワーグナーに家を提供し、彼の若妻に恋に落ちたワーグナーが『トリスタンとイゾルデ』を書いたと言われている)の非ヨーロッパ圏の美術コレクションが元になっているところらしい。特別展のパプアニューギニアの美術のポスターが町中に貼られていたのだが、行ってみると「Welt in Farbe」という第一次大戦中の世界のカラー写真の展示が行われていた。フランスの銀行家アルベール・カーンが第一次大戦前後に世界中に派遣した写真家達の写真を展示していて、時期的に当然ながらコダクロームではなくてRGBのフィルターをかけて撮影されたカラー乾板、オートクロームなのだが、これが非現実的なほどに美しくて、ほとんど『ざくろの色』ばりの色彩、まさに「失われた世界」。上映されていたスライドショーには日本の風景もあり、我々の持たなかった写真による明治期のイメージを、外国人が撮影していたことによって書き換えられるという目眩がするような体験である。こんなに過去がみずみずしく見えるとは。ドキュメンタリーを見ていたらパリにミュゼがあるそうで、全く灯台下暗しである。仮面や壺そっちのけで小一時間魅入ってしまった。他に、状態の良い広重『名所江戸百景』『五十三次名所図会』『東海道五十三次』、北斎『さらやし記百物語』、中国南宋時代の壺・碗など素晴らしいコレクション。結構な量を見たしそろそろ終わりかと思っていたところに「Visible Storage」と名付けられたギャラリー兼倉庫に出くわし、じゃあ「Invisible Storage」はどんだけあるんだよ、と再び目眩。

その後クンストハレ(Kunsthalle)に向かう途中、いくつかの古本屋を見つけて入ってみる。既に昼過ぎでかなり空腹だったが古本屋を見れば吸い込まれてしまうのが悲しい性である。ハートフィールド、『芸術のイズム』、プライベートプレス等々。インゼル文庫の初期のものが安かったので思わず買う。

クンストハレはジャコメッティ、ホドラー、アルベルト・アンカーのコレクションが突出している。中でもホドラーの作品は初めて見るが、まるごと彼の作品に充てられた部屋があり、彼を知るにはとても良かった。他にもティエポロ、グァルディーニ、コロー、クールベ、ムンク、セガンティーニ等。モダニズムの展示はとてもささやか。アルプのコレクションとかないものかと思っていたが。外にはロダンの『地獄の門』。

夜、Mたちと再会し、普段はリサイクルマーケット(?)になっているという場所の何十周年かのイベントに行く。かなりご高齢のトリオによる廃品を使ったロックンロールのライブがあり(一人は亡くなってメンバーが変わったとか)、これがユーモアたっぷりで始終笑いっぱなし。スイスの人たちはクレイジーだ。帰り、日本人の中高年の人はこうやって夜踊りに行ったりしないよ、と言うと「じゃあ何やってるの。友達と飲みに行くの?」と言われ、「んー、あんまり夜外に出ないかな……。何やってるかといえばテレビ見てる……。」と答えたらオーマイガー、という表情をされた。

8/21 チューリヒ国立博物館

何やかんや11時ぐらいまで作業してしまい、ホテルを出たのは昼時。トラムで中央駅まで行き、チューリヒ国立博物館(Landesmuseum Zürich)へ。スイスでは有名だという『ウルスリのすず』という絵本を書いた画家・絵本作家アロイス・カリジェ(Alois Carigiet)の特別展。映画版『ウルスリ』の撮影風景を記録した白黒写真を見て、思うことあり。常設展はタペストリーを中心とした中世美術、服飾の歴史、スイスの銀行、インテリアデザイン、人文主義と宗教改革(エラスムス、ゲスナー、ヴェサリウス、セバスティアン・ミュンスター、クリストフ・フロシャウアー……)、それにハンス・エルニ(Hans Erni)のスイス国家博覧会のための巨大な壁画、等々。ここまで来ないとわからない地元ならではのものが沢山あってとても良かったが、中でも人となりは不明のKarl Mitzkatという人の巨大な旅の写真帖が素晴らしかった。全ページがデジタルアーカイブ化されていて、写真、切符、地図等をレイアウトした上に地名が大きくレタリングされているもの。
しかし今度新しく建てられる拡張部分の建築が酷くて、今さらリベスキンドにでもなりたいのですかと問いたくなるジグザグした外見で、現状の19世紀の旧館の展示什器も既に一部そうなってしまっており、ここにも現代建築の悪しきスペクタクル主義がふりかかっているのだと思うと辛くなる。展示の方法を色々工夫していて新しいメディアもうまく取り入れているのはとても好感が持てるのだけど。こういう機械は某F国には無いよなあ、あっても壊れるしなあ、と呟く。

見終わると既に夕方なので、広場や教会、湖などを散策し、ギャラリーにてMと合流して湖畔の元スクワット倉庫街に出かける。そこで食事したり(とにかく高いので一番安いパスタ)昔Mがアトリエにしていた場所を教えてもらったりして、その後映画の野外上映を見に近くの駅までバスで移動。『学校への道』とかいうタイトルの、インド辺りのドキュメンタリー風短編で、映画自体はちょっとあれだったので早く終わってくれてよかったのだけど、駅前の広場にこれだけ多くの人が集まって夜映画を見るのは素晴らしいなあ、と思う。それにしても物価の高さが異常なのでどうやって暮らしているのか不思議だったので、Mに「もしマックで働いたら時給いくらぐらいなの?」と聞いたら「働いたことないからわからないけど、20〜25 CHF(2,600円〜3,200円)ぐらいじゃない?」と言われ、「でも他の国の人達は私たちがお金持ちだと思ってるけど、うちの家賃は30万円ぐらいで、医療費なんかも高いから副業しないと路上生活することになる。家賃は若い子とルームシェアしてなんとかなってるけど。」とのこと。どおりで物価が高いわけだ。つまりこの国で働いていない我々は、バイトしている学生より貧乏だということだ。

8/20 チューリヒへ

出発1時間前に仕事が終わり、パッキングは全て人任せにしてなんとかチューリヒ行き7時半の列車に乗り込む。車中では夜中の作業の覚醒状態が続いてあまり眠れず。バーゼルを過ぎると駅の風景は途端にフランスの流線形好み(なのかただユルいだけなのか)からカッチリとしたドイツ寄り(というべきかスイス的と言うべきか、私がスイスより先にドイツに来たことがあるというだけだが)のデザインとなり、書体はヘルベチカ系のグロテスク体一色、時計はMondaine、時刻表から何からちゃんとデザインされていて、ああ、そうだったよね、と安堵感に包まれる。

そうこうしているうちに出発から4時間経ち、チューリヒ駅に着いたが、「駅で」としか待ち合わせ場所を決めていなかった友人Mと無事にホームで落ち合うことができた。パリの寮でフランス語教室に最初に行った時から一緒だったが、3ヶ月後に先に帰ってしまった彼女は私にとって「スイスの母」であり、勝手に親近感を覚えていた。今回リヨン、マルセイユ方面への旅を考えていたところ彼女の展覧会がチューリヒであるとのことで、ちょうどよい機会だしスイスには足を踏み入れたことがなかったので今回やってきたのだった。駅のカフェで四方山話をし、中央駅からトラムでたった2、3駅の彼女のアトリエ兼住居まで案内してもらった。日本から妻が持ってきたお茶やら匂い袋やら折り紙やらをお土産に渡す。家にブロイヤーの「ワシリー・チェア」があったが、「買ったんだけど長時間座ると疲れるからあんまり座ってない」とのこと。しかし駅からトラムで数駅のアトリエを借りるなんて、家賃はどうなっているのか。

今日のオープニングのために準備があるMは買い出しに行くため、彼女と別れて我々はひとまずホテルに向かい、チェックインをする。トラム周りの券売機、路線図、電光掲示板、車両、社内モニタ、何から何までとにかく快適。しかし物価の高さだけは如何ともし難く、あらゆる物が2倍以上の物価である。着いてとりあえず食べた物は二大大手スーパー COOP のサンドイッチとマカロニサラダで、しかも金がないので二等分、であるが、このマカロニサラダが食べてるうちになんだかピリピリしてきて体が拒絶し始める。何が入っていたんだ。

少し時間があるので中央駅までトラムで行き、最も観光客の多いであろう道を歩き、キャバレー・ヴォルテール(中身はショップとバー?)でダダ・マップなるものを入手。その後大聖堂(Grossmünster)にてジャコメッティのステンドグラスおよび最近の芸術家が作ったステンドグラスを見て、Mの展示するギャラリーに向かう。パリで作った展示物+αで構成されていて、大方は見たことがあるものであったが、空間が違えば見え方も意味も全く違って、彼女の悪戯心が随所に仕掛けられた展示であった。まだこちらに来て1日だが、今あるものに少し手を加えて微笑ましいものにする軽やかな感覚がこの街にはあるような印象を受けた。

徹夜で疲れていたので今日は早めに帰ることにして、ギャラリーをおいとまする。帰り道に古本屋を見つけて、帰るわけもなくぶらぶらしたが、ところ変われば本屋も変わるわけで、地方の地図やらドイツ語圏の文庫本やら(インゼルの他に地元の出版社多し)、金があったら買い占めたい。

帰り、スーパーに行くために降りたトラム駅で山の手に上がっていく登山(登坂?)鉄道を発見。山に囲まれた立地といい、海ではないが湖畔にある街といい、坂道だらけのところをトラムが通っているところといい、どこか長崎に似ている。

8/14-19

8/14
終日仕事。夜、名古屋のKさんと妻のジュラシック話を肴に飲む。全く役に立たないだろう我々の人生アドバイスをありがたく聞く彼女。次に会うときは修士を卒業して何かしらの人生をスタートしているであろう。どて煮を食べながらビールを飲めるといいなあ。

8/15
寝坊してマルシェに行くも、ほぼ閉まりかけで嗜好品しか買えず(チーズ、ヨーグルト、果物、ソーセージその他)。そのままアンファン・ルージュのマルシェまで行って野菜買いつつクスクス食べる。店員さんがモロッコ人の友人に似てて懐かしい。
夕方、今月で帰ってしまうフラ語のメンバーとお茶をすることになって(本当はピクニックだったけど寒くて中止)、近所のカフェまで行く。帰ってしまうのはフィンランドのアアルト財団のおじさんE(なんとルイ・カレ邸のカタログに寄稿していた)、同じくフィンランドの版画・彫刻家のおじさんHの2人。それに先生と友人B、アイルランドのG夫妻も加わる。Hさんが先生に渡していたユーモアたっぷりのドローイングのプレゼントが素敵だった。先日ここを発ったAがプレゼントとして置いていった先生の「Bon(良い)」と「Mauvais(悪い)」のリストの中で、「悪い」に入っているコルビュジエの建築や近所の有名カフェに行き、「また私は罪を犯してしまった」と報告するHさん。すごく大きな体なのに小さなメモ帳をいつも使っていたEさん。北欧に行った時に会えると良いな。
夜、フランス式庭園を理解することとモダニティについて考える。私にはあれがわからないし、わかる気がしない(ファンクショナルなものだとは知っている)。しかし自国だからかもしれないが枯山水の庭は外国人に通ずるものがあると思う(Bonsaï=盆栽は私にもわからない)。これについては書き出すと止まらないのでまた今度にする。

8/16
仕事。
こちらも向こうも旅行に行くので、名古屋のKさんとお別れ。あれから3ヶ月経ったのか。光陰の如し。

8/17
仕事。
夜、ドイツ人の友人Mに誘われて夕食会へ。ホームレスに対する価値観の違いがうまく説明できず、なんかファシストっぽくなってしまった。バスクから帰ってきた友人Pと再会できたのが嬉しくて、ついつい飲みすぎる。

8/18
フラ語、仕事。夜、同じ賞で来てるM夫妻と最後の晩餐。彼らは今月末で一年間の滞在が終わる。5ヶ月の短い付き合いだったが四方山話に花が咲き、ついつい飲みすぎる。帰ったら彼らの住む小豆島を尋ねられたらと思うが、彼らもまたどこかに移動するだろう。

8/19
仕事。翌日早朝から旅行なので終わらせようとするが最後まで手こずって、旅行一時間前にようやく終わる。仕事ばかりしているとTさんに「馬鹿か」と言われそうだが、日本から持ってきたこれだけは終わらせないといけないし3月まで生きていけないのでしょうがない。
夕方、仕事を中断してこれだけは行かなければいけないと思っていたマレ=ステヴァンス通りの建物(彫刻家のアトリエ)の夏季限定公開に夕方行ってみるが、タッチの差で閉まっていた。城のようなアパルトマン。彼に対する私の評価はまたしても先延ばしになってしまった。

8/8-13

8/8-8/9
終日仕事。夜中にUP。

8/10
クリュニー美術館再訪。企画展が終わって常設展に戻っていたが見たことのない陶器の展示などがあり毎度ながら新鮮。修復前のノートルダムの彫刻を見ながら国語の教科書に出てきたミロのヴィーナスの腕の話を思い出す。サン・ジェルマン・デ・プレ教会、近所のサン・ジェルヴェ教会など回って教会建築の歴史を学ぶ。

8/11
フラ語。クリュニー、アレクサンドル邸の話など。
夕方、友人の紹介でフランスの女性Cに会いに行く。4か月前にコンタクトして、「忙しいからまた連絡する!」と言われてそのあと音沙汰なかったのだが、「フランス人は急かさないほうがいいよ」と別の友人に言われて、そのまま待ったら本当に突然「明日暇だから遊ばない?」との連絡が来た。行ったことがなかったのでチュミの設計で有名なラ・ヴィレット公園を彼女の犬と一緒に散歩することにした。
彼女の犬はなんと柴犬で、名前はベジータ。まさかパリで柴犬のベジータに会うとは思わなかったが、王子ではなくて王女だった。主に喋っていたのでよく見られなかったラ・ヴィレット公園だが、かの有名な「フォリー」(なんで有名なのかは忘れたが建築批評か何かを読んだのだと思う)は思ったより大きく、そして階段は封鎖されていた。知的な操作によって作られてるのはわかるがこういうことを建築でやるとどうも懐疑的にならざるを得ない。
近くに住んでいて昔ここの運河でガイドをやっていたLも参加して、セーヌ河だけじゃなく運河の脇でもやってたパリ・プラージュでビールとシャルキュトリー。Lの彼氏の日仏ハーフのIも合流。彼は数年前まで日本にいたが日仏の働き方の違いでストレスを感じ病気になり、自分が日本人ではないことを痛感したとのこと。フランス人には「みんなでひとつのものを作り上げていこう」という精神が全くないので残業したりノミニケーションしたりするのはあり得ないと言う。他の全ての仕事をやめてセビリヤに行きフラメンコをやるという彼から学ぶことは大きかった。

8/12
あくまで私の趣味ではないことを主張しておくが『ジュラシック・ワールド』を見にいく。思ったより酷くないが、少なからず出落ち映画である『ジュラシック・パーク』の4作目の続編である本作は恐竜がいることが自明となってしまっていてその迫力も恐怖もまったく画面に定着しておらず、これじゃ猛獣が動物園から脱走したのと変わらじゃないかという感じで、公園やメカのデザインもダサダサでいつの時代かまったくわからず、もうあと見るところはブライス・ダラス・ハワードを眺めることぐらいしかないのだけれど、「デブは死ぬ」の法則と日本人役のアジア系俳優の死にっぷりには笑わせてもらった。ラストショットを見て、やっぱり人間が動物の視点になって映画を撮ることなんぞ不可能だと確信した。

8/13
フラ語。『ジュラシック〜』の話をすると「スピルバーグにはニューロン3つしかないわ!」と言われる。「フォリー」の意味を建築家の人から聞くなど。
自炊疲れで冷蔵庫に何もないしミサワシュランオススメの南仏料理屋に食べに行く。混んでてなかなかオーダー取りに来ないのが難点だが、それはこの国ではどこでも一緒なので心を無にして待つ。初めて生ハムメロンのうまさに目覚めた。注文したワインがこなかったのでキャンセルすると、お詫びにメロン酒とアーモンド酒を出してくれたが、これが甘くて強くて味見だけで十分。次回は大人数で来てパスティスとムース・オ・ショコラに挑戦する。

8/2-8/7

8/2
バカンスに行ったドイツの友人Mが、弟が入れ替わりでやってきて部屋を使うとのことで鍵を預かっていたのだが、昼過ぎ頃連絡あり、弟Kがやってきた。昨日パリに着いていたのに兄貴と連絡がつかず、やむなくホステルに泊まったらしい。その名もPeace & Love Hostel。PeaceもLoveも無かったとのこと。兄貴、ちゃんと世話してやれよ。っていうかなんで俺がホストみたいになってるんだよ。まあいいけど。妻にも紹介がてら近所を散策する。自分の部屋のトイレを見て「フレンチ・トイレットじゃない!」って喜んでいたので、便座がないやつのことかと思っていたが、昨日入ったカフェのトイレが地面に穴が開いてるだけのやつだったらしく、それのことらしい。確かにあれは嫌だ。

8/3
夜、妻の歓迎パーティーをする予定で昼から食材を買いにあちこち動き回るがバカンスシーズン&月曜日で日本食材店が全くやっておらず、困る。結局K原さんのパーティーの時のメニューを真似してバンバンジーを作り、あとは妻が稲荷寿司を作る。なぜか一人だけドイツ人のKが参加することになったが、楽しんでくれたみたい。

8/4
寮の会計課(昼休み)、図書館(休み)、最寄の郵便局(休み)、別の郵便局、寮の会計課、調理道具系問屋、電化製品屋など回る。

8/5
昼間、近所にあるのに初めて行ったカルナヴァレ美術館にて「絵画で見るパリの歴史」的な展示を見る。写真が発明されるまでは絵が世界を記録していたことを思い出させてくれた。そして絵は写真より寿命が長いことも。数年前からおぼろげながら考えている制作のアイデアがだんだん具体化する。企画展のナポレオンとパリの展示は今度にお預け。
夜、先日のStudio Visitで紹介された日本人のSさんの部屋にお邪魔する。図らずも(?)武蔵美出身者が5人もいる会になる。ほぼ世間話で終始してしまったが楽しい会だった。知ってるだけで武蔵美の人がパリに10人近くいる。

8/6
フラ語教室。妻は初めて参加。授業後疲れたのでメトロに乗ってフォーを食べに行き、イタリア広場とムフタール通りを見ながら円形闘技場の遺跡(Les Arènes de Lutèce)へ。その後国立自然史博物館へ行って新古典主義臭のする大講堂(Amphithéâtre)やら温室やら見ていたら疲れてきてベンチで爆睡。暑すぎて植物園見る気にならず、退散する。
自炊疲れのため夜は近所のバスクバー。やる気が出る。

8/7
Free Center(携帯キャリアの店舗)に行くついでに同じ通りにあるエティエンヌ・ブレ(Étienne-Louis Boullée)のアレクサンドル邸(Hôtel Alexandre, 1763年建設)を見ることにしたが、Freeのすぐ隣、しかもなんとオフィスビルの中に保存されているという驚きの残し方だった。どおりでネット上の写真が全部同じアングルで手前にゲートのようなものが写ってるわけだ。中に入る手段はないものか。フランスには独特の「hôtel particulier」という建物のタイプがあるらしく、簡単に言えば使用人の部屋付きの都市邸宅といったところか。
帰りに行ったことのない日本食材店、Book-Off、HEMA(安いインテリア雑貨屋)などを通って帰る。初めて行った日本語本のBook-Offには誰が売ったのやら不思議になるような掘り出し物がたくさん。金井美恵子のエッセイと山下達郎、吉田美奈子のCDで締めて3ユーロ也。こちらに居ると日本のものが貴重に思える。

7/27-8/1 妻の到着とルイ・カレ邸

7/27
仕事。

7/28
仕事、買い物など。

7/29
妻到着のため朝からマルシェ、掃除、買い物などに奔走し、夕方CDG空港に向かう。人災的に乗り換えが酷いシャトレ=レ・アル駅ではなく比較的至便で途中ノートルダムを通ることのできるサン・ミシェル=ノートルダムの駅が工事で封鎖されており、足を伸ばしてクリュニーまで歩く羽目に。手荷物受取場が見える位置で待つが20時頃、無事に再会。ノートルダムなど紹介しながら帰宅。それにしてもフランスの建築の中で空港はかなり出来の良いところな気がする。全体像がつかめないのでデザインについてはおぼろげだが、機械がまともに動いているだけで少し感動する。

7/30
妻に近所の紹介がてらマレ地区〜レ・アル近辺を散策。夕方、歯医者。セラミックのクラウンの値段に愕然とする。チョコチップアイスさえ食べなければ……。もう笑うしかない。

7/31
午前中、K原さんと打ち合わせ。連絡手段もないため妻も連れて行って紹介する。ランチで一緒に行ったビストロで食べたRouget(ヒメジ)の焼いたのが美味しかった。帰りがけ、近くのパサージュ・ヴェルドー(Passage Verdeau)に連れて行ってもらう。ここは通りを挟んでパサージュ・ジュフロワ(Passage Jouffroy)、パサージュ・デ・パノラマ(Passage des Panoramas)とつながっていて、非常に長い連続した通りになっている。ジュール・ヴェルヌなど並ぶ古めかしい本屋のショーウィンドウを何気なく見ていたらエリゼ・ルクリュの『新世界地理 Nouvelle Géographie universelle』が並んでいる!オトレやゲデスとも直接/間接的に関係のあった人で、この人も19世紀後半の大偉人といった印象なのだが、生憎そこまでなかなか手が回らず掘り下げられなかったためまとまったモノグラフを読んでみたいところだった。そういえばこういうものもBnFで見られるのだよなあ。自分の想像力が貧困。
その後ギャルリー・コルベールにてInsel Verlagの本を買う。

8/1
午前中、マルシェ。午後、妻が来た時のために取っておいたアアルト(アールト?アァルト?どれが一般的なのか)設計のルイ・カレ邸(Maison Louis Carré)を予約していたため向かう。ここはパリではなくイル・ド・フランスにあり、土日しか訪問することができない上、最寄駅から1日数本しかないバスで行くか(しかも日曜は全面運休)、タクシーで行くしかない。しかし最寄駅まで向かう肝心のRER(近郊鉄道)C線が毎年恒例、夏季大工事の「カストール計画(Castor=ビーバー)」のためパリ市内で一ヶ月規模の運休。メトロでJavel駅まで行ってそこからRERに乗り換えるしかない。マスコットキャラクターのビーバーの可愛さでごまかそうとしてるが、毎年そんなに工事しなきゃいけないこと自体おかしくないかと思いつつ、少し時間の余裕を持って向かう。
Javelに着いたはいいが、RERの本数も減らされているため乗れた電車が乗り継ぎバスの発車時間5分前に着くとのこと。しかしまあ5分あればなんとかなるだろうと心を落ち着けながらRERに揺られる。30分ほどすると時間通り最寄駅の Saint-Quentin-en-Yvelines 駅に着く。さてバス停はどこだと探すが、該当するバスの発車ホームが地図に記載されてない!とりあえず外に出てみるがまったくわからない!戻ってみるがやっぱり地図にない!嗚呼、フランス、さもありなんと思ってバスに乗ることを諦めてタクシーを探す。
タクシー乗り場に着くが(想像通り)タクシーは一台もいない。乗り場の構造物にアナーキーに貼り付けられていたタクシー会社のシールの番号に電話してみるが、もともと聞き取れないフランス語が電波が悪すぎて全く何言っているかわからない(こちらのタクシーはスマホと車内マイク?が連動していて、運転しながら顧客と電話する仕組みになっているのだが、携帯の電波によってノイズがひどかったりする。果たして携帯電波を使うことがいいのかどうか)。とりあえず駅にいてルイ・カレ邸に行きたいんだという主張だけして切る。20分待ってと言われたような気がするが確信なし。
大通りらしき方に出てみて流しのタクシーを探すが15分経ってもものの1台も通らない。諦めかけて駅の方に戻ると、なんとタクシーらしきものが止まっている。話してみるとOKとのことで、ようやくルイ・カレ邸に向かうことができた。
先日納品で行った時のようにど田舎を疾走するタクシー。「お前らバカンスで来たのか」と言われたが、ここはその目的で来る人が多いらしい。途中、「ジャン・モネ邸」と書いてある看板の前を通ったので「ジャン・モネって誰?」って聞いたら「画家だ」と言われた。絶対違うと思いつつタクシーに揺られるとルイ・カレ邸に着いた。
10分近く遅刻していたため、既にツアーは始まっており、かなり駆け足のガイドで「はい次の部屋、はい次の部屋」という感じであっという間に終わってしまった。その後は個人的に見て回ること叶わず。気も焦っていたので味わえなかった。プレイリー・スタイルのような長い庇、モダニスティックな水平屋根から脱却するような斜めの屋根に湾曲した天井、収納/開閉可能なブラインドや回転する鏡。
せっかく来たので周りに何かないかと思ったら目の前にさっきの「ジャン・モネ邸」が。なんだか宮崎某が好きそうな欧風茅葺屋根の家で、外観のシンプルな印象とは裏腹に中はかなり何がしたいのかよくわからないごった煮インテリア。で、「画家だ」と言われたジャン・モネさんは欧州統合の父と呼ばれる著名な政治家だったそう。帰りのタクシー(同じ運ちゃん)で「画家じゃなかったよ!」と言ったら「あ、画家はクロードか。ジャンもクロードも一緒だよ!」と言われた。っていうかあんた地元のタクシーじゃないのかい。
意外にも早く帰ることになったが、Javelのメトロが大混雑して駅に入れないぐらいだったので(ヴェルサイユからの客がみんなJavelで降ろされるため)貸自転車を借りて帰ることに。サスペンションが悪すぎて走りづらい。色々こだわりがあってうるさいと言われる私だが唯一自転車はなんだっていいのだけれど、さすがにこれで石畳はつらかった。