7/21-26

7/21
Studio Visit があるため諸々準備。夕方より寮のコミュニケーション担当のCが来訪。実は最近歯を折った仲間なのだが、今やっていること、考えること、これからどうしようかと思ってるかなどを話し、何人かのレジデントを紹介してもらう。何か質問ないかっていうから歯はどうなった?って言ったらもう一本悪くしたとのこと。
Studio Visit が終わって晴れてタスクから解放。夜はいつもの友人らでセーヌ川飲み。スペインのジョークを聞いたら超下ネタだった。ちなみに先日聞いたフランスのも超下ネタ。

7/22
仕事、発表準備など。夜、ジョン・ヒューストン『イグアナの夜』をiTunesで見る。前者はヒューストンのロマンチシズムと中途半端さがうまく機能したように思える。ダミ声のエヴァ・ガードナーも悪くない。近所の店にはラム・ココなんて売っておらず、しょうがなくコロナ飲みながらもう一本『王になろうとした男』を見る。なんつうか、衣装、美術、撮影のシャープさからして画面が全くヒューストンっぽくないのだが、でも撮影監督は『白鯨』と一緒らしく、この違いはなんなのだと疑問に思わされる。原住民を嬉々として殺しまくるモラルの問題以外は悪くない。

7/23
午前中、フラ語。いつもの友人たちが来週月曜に出て行ってしまうため、お別れパーティーとして寮のモンマルトル別館でBBQやるよ、と言われていたのだが、夜だろうと思ってると16時に呼び出しがかかる。そんな昼から飲んでいいのか俺、と思いながらひょこひょこ出かけて行き、うっかり飲む。チリの友人がホストのためBBQも本格的。いつも通り友人のPが泥酔し、こんなに面白く泥酔するやつも珍しいので笑えてしまうのだが、もう再起不能っぽいのでチリの友人宅に置いてくる。彼女もあきれている。初めてタクシーで帰ったが夜風が気持ち良かった。

7/24
隣人のドイツ人Mが「コンピューターと芸術について話さないかい」と言っていたので、夜スタジオにお邪魔してHTML+CSS講座(おい)、お互いの作品紹介と意見交換をする。まだまだ英語でうまく喋れませんわい。

7/25
夕方、フラ語で知り合ったオーストラリアの友人Aが帰国するので、フラ語のコアメンバーでお茶。オーストラリアとアイルランドの英語のやり取りにフランス訛りの英語が加わってもうほとんどわけがわからなかったが、昨今のスコセッシとウディ・アレンはあかん、という話とタランティーノってどうよ、みたいな話で盛り上がっていた。個人的にタラちゃんは『ジャッキー・ブラウン』と『デス・プルーフ』は良いと思うのだが、ヨーロッパの人々には映画をジャンクフードとして考えられない模様。

7/26
朝から日本の納品対応、昼からエレクトロニクス講座でのフランス報告 via Skype、夕方からシネマテーク・フランセーズにてウェルズ『黒い罠』、ヒッチコック『汚名』。あんな可愛いイングリッド・バーグマンを元ナチの家に潜入させて結婚までさせるなんてケイリー・グラント許せん!とか思ってしまったが素晴らしい二本でありました。ヒッチコックがフィルムで見られるなんて幸せ。でもバーグマンに毒まで飲ませるなんて残酷なことするなあ。『黒い罠』はディートリッヒが出てくると途端に画面がファスビンダーっぽくなる。ヘンリー・マンシーニの音楽が素晴らしい。

7/16-7/20 ナンシー、クロワ

7/16
風邪が治らないため Studio Visit を延期にしてもらう。借りてたプルーヴェの本を返すためにフラ語に顔を出したら「寝てていいのに」と言われる。「se coucher」を覚える。
寝てるわけにもいかず、友人に勧められた喉スプレーを買って、暑さと微熱に朦朧としながら終日作業。

7/17
朝起きたら割とよくなっていて、だからというわけではないがもともとの予定でナンシー行きのTGVに乗り込む。セール特割の一級席を買ったのに、売れ行きが悪かったからか車両が小さいのに交換されたようで、自分の番号の席がない。スタッフに聞くと「どこでもいいから座れ」と言われる。なんで一級車を予約したのにそわそわしながら乗らなきゃならんのか。
ナンシーに着いて、次から次にやってくる駅の物乞いの多さにおののくが、街に出てみればそこはまるでブリュッセルのようにアールヌーヴォーの街並みが続く。なんだろう、パリ以外の街に来た時のこの安心感……。本当にパリって異常なんだな。そんなことを思いながらナンシー美術館(Musée des Beaux-Arts de Nancy)の方面に歩くと突然ロココ調の貴族趣味の広場が現れる。ナンシー美術館にはジャン・プルーヴェのコレクションを見に行ったのだが、特別展でオルセー所蔵の自画像展がやっていたせいか、展示場は狭め。目新しいものはペリアンとの協働である Les Arcs の円形ホテルの模型。しかしジャン・プルーヴェのお父さんであるヴィクトル・プルーヴェの絵に思いがけず出会い、父親がナンシー派の芸術家だと知らなかった私には目から鱗が出る思いであった。
その後、ホテルに荷物を置くのに失敗したり(アパートホテルのため昼間はレセプション不在)、韓国の友人に電話したりしながら駅の東から西に移動してナンシー派美術館(Musée de l’École de Nancy)へ。途中ルイ・マジョレル邸を通ったが今日は訪問できなかった。ナンシー派美術館はとても小さい美術館だが、ガレ、マジョレル、ヴィクトル・プルーヴェらの作品があくまで空間全体を作り上げる総合芸術の一環として、作り上げられた部屋として展示されている。そのため美術館はいくつかの幾つかの部屋=生活空間に分割され、部屋から部屋に移動すると別の人の家に入り込んだかのようだ。私は父プルーヴェの絵に見惚れるばかりで、受付で図録の有無を聞くも、無いとのこと。ナンシー美術館にもジャン・プルーヴェの良本が無いし、絵葉書すら無いし、君たち商売根性無いのかね。
ホテルに戻ってチェックインしたが、部屋が灼熱のためシャワーを浴び、外へ。貸自転車で Porte de la Craffe(14世紀の城門) 近くまで行って、ビール飲んで帰って寝る。風邪引いてるのも忘れる暑さですっかりよくわからなくなって、ホテルにて12時間爆睡。

7/18
本当はメッスまで行きたいところだったが風邪っぴきだし遅起きのため諦める。Yelp で調べたレストランに行ってみたら観光客向けじゃないところのようで安くておいしかったのだが、何にでも時間がかかるフランスらしく早く出ることができなかったため、タクシーでプルーヴェ邸に行くことに。しかしタクシーも15分近く来ず(店員に「なんで?」と言ったら「怠け者なんだろ fainéant」と言われたが)、5分遅刻でプルーヴェ邸に到着。しかし「満員だから次の回の16時まで待て(現在14時40分)」と断られる。しかしそこは中心部から外れた高台にある住宅地で、見渡しても Google Maps で見ても周りに何もない。ぶらっとその辺りを一周するも何も発見できないので住宅へのアプローチで腰掛けて待つことに。同じく断られて帰ってきた人たちと話したら「次は16時半だって言われた」という人と「15時半だって言われた」という人がおり、私は16時だと言われたしパンフレットにもそう書いてあると言うと、彼らは「じゃあもう一回聞いてくる」と言って聞きに行った。すると「公式情報が間違っている。16時半だ。」と言われたらしく、「ああ、フランスではありえるわね。じゃあ我々は一回帰るわ」といってみんなわらわらと帰って行ってしまった。私は帰る手段もないので待つよ、と言って腰掛けて待っていると、16時前頃に別の人々がわらわらとやってきて、どうせ断られて引き返してくるんだろうと思って待っていたが一向に帰ってくる気配がない。不安になって行ってみると16時にツアーが始まった。もはやフランス人なんて誰も信じられない。しかしグループが2つに分けられ、後発組になった私はエントランスで30分説明を聞く羽目に。そうこうしているうちに帰って行ってしまった人たちも戻ってきて結果オーライ。全くこの「情報が間違ってる」「自分の言うことに責任を持たない」「言ったやつが悪いから組織の責任ではない」(ついでに「機械が動かない」)「時間通りに何もできない」の悪循環はなんとかしようと思わんのかね。
プルーヴェ邸は住人がいる為土曜日の2回しか訪問できず、内部は撮影不可。ペリアン作の本棚、コルビュジエ調のタイルがあしらわれた暖炉、1mごとにユニット化された建材、ナンシー美術館にあったのと同じ穿孔パネル壁。初めて訪れることのできたプルーヴェ建築にコルビュジエ、ペリアン、ジャンヌレとの比較を考えさせられながら帰路に着いた。

7/19
寮をチェックアウト後、うちに荷物を預けて3週間のフランス旅行に行っていた階上の住人HとJが帰ってきたのでそれを引き渡し、夜Jのライブがあるとのことで観に行く。会場はバーの地下で、聴きたい人だけ聴きに行く仕組み(料金はお皿に5ユーロ置くだけ)。今日はジャズインプロといった風情だったがそれはそれとしてとてもよかった。いつも違う顔をみせるな彼は。ネズミが外から入ってくるバーの中で遅くまで喋り、今夜は寮の別の部屋に泊めてもらうというので一緒に帰ってきてお別れ。勝手に私の精神的な支柱にしていた2人がいなくなるのは自分の一部が喪失するかのようで、部屋で落ち込む。しょうがないので飲む。

7/20
早朝ベルシー駅に向かい、初めて乗るIDBusでリールへ。片道9ユーロ〜15ユーロの安さ。リールくんだりまでTGVなんか乗るのがバカバカしい。
リールに着いたらトラムに乗ってクロワ(Croix)のカヴロワ邸へ行く。ここは6月に新しく公開されたところで、ロベール・マレ=ステヴァンによる富豪向けの邸宅である。ナチの占領、スクワット(不法占拠)によりインテリアの85%が破壊されていたところをほとんど考古学の域の修復によってピカピカになって公開された。フランス語の先生の勧めによってやってきたのだが(彼女にとってコルビュジエはファシストで、プルーヴェとペリアンとマレ=ステヴァンは素晴らしい、という。後者3人の評価が不当に低いのは認める。)、地べたに張り付いたようなそのマッスはヨーゼフ・ホフマンのストックレー邸に類似し、内装は分離派とアール・デコの折衷、それにフランス式庭園が付いているといった風情で、良くも悪くもフランスっぽい。外光とその色に気遣うように作られた照明周りの窪みや内壁の色使いは受動的で素晴らしいと思う。建設当時言われていたようにヴィラというよりシャトー。だがブルジョワ趣味の現代ホテルのようになってしまっている内装は、オリジナルの忠実な復元と考えてよいのか、修復の限界なのか、ちょっと私には判断不能。それよりも興味深いのは地下空間で、当時のまま残されている機械類はこの家がとても機能的にできていたことを想起させられるし、面白いのは当時の建材がガラスケースに入れられて展示されていて、さながら考古学博物館の展示のようだ。ガレージで上映されていたドキュメンタリーを含め、修復されたものはあくまでオリジナルとは別物として考える必要があることを考えさせられる場所だった。なぜか餃子を食べて再び IDBus で帰宅。

7/13-7/15

7/13
終日作業。トリリンガルのウェブサイト、思いの外データ打ち込みがしんどい。

7/14
終日作業。
夜、といっても23時だが、革命記念日の花火を見に行く。ヴェリブ(貸自転車)でエッフェル塔まで行こうと誘ってくれた友人は、昼間に行った人の情報で既に諦めたとのことで、ごく少ない友人でテュイルリー近くの岸辺まで。ルーブルの中庭からの方がよく見えた。およそ30分で終了。

7/15
ずっとそんな気がしていた風邪が本格化する。夏風邪というべきか、なんというべきか。
しかし仕事と明日のスタジオ・ヴィジットがあるので寝てるわけにもいかず、終日作業。
金曜のナンシー行きまでに全て終わって風邪が治るかどうか。

7/10-7/12

7/10
昼、ウェブサイトの作業。
夜、シネマテーク・フランセーズのオーソン・ウェルズ特集にて、晩年の『F for Fake / Vérités et Mensonges』を見にいく。ピカソやマティスの贋作画家 エルミア・デ・ホリー(Elmyr de Hory)、彼についての伝記を書いたクリフォード・アーヴィング(Clifford Irving)、アーヴィングが偽の伝記を書きウェルズが『市民ケーン』でモデルにしたハワード・ヒューズ、デ・ホリーが贋作を描いたピカソとウェルズの愛人オヤ・コダー、そして他ならぬ嘘の魔術師ウェルズ、という全員人を食ったような人たちによる、インタビュイーを捉えた映像と決して同じ画面に収まることのないインタビュアーの映像、「リアルな」映像と「フィクションな」映像が映画的編集テクニックによってひとつの確からしい映像となり、それが確からしくなった瞬間に嘘だとばらしてしまう宙吊りの世界(言うまでもなくこれは映画についての映画でもある)。その辺の現代美術を見に行くより面白いこのデ・ホリーというおじさん。マティスは数秒で大金を稼ぐんだ、ロックフェラーでもできないよ、とか言いながらマティスらしいドローイングを描きあげ、そのそばから「バイバイ、マティス」と言って暖炉で燃やしてしまう。このおじさんがピカソ風とかマティス風とかの絵を描いているのを見てると美術史なんか所詮はスタイルの問題でしかないのかと思わされてしまう。字幕付きで見直したいがDVD高いな……。

7/11
朝、なぜだか疲労が溜まっている体に鞭打ってマルシェ(マルシェかよ)。一週間分の食料を買い込む。
昼、グラン・パレのベラスケス展に会期終了間際の滑り込みで入る。パリに着いた頃からやってたのに、混んでるなあと思いながらいつの間にか忘却の彼方にあったのだ。勝手に『ラス・メニーナス』が見られると思い込んでた私はずっとそれを頭の片隅に置きながら見ていたため、あれ、ひょっとして無いのか、とがっくりきてしまったが(まあよく考えればそう簡単にプラド美術館から持ち出すわけがないだろうが)、これはこれで宮廷の肖像画家としての概要が見られて良かった。各地の美術館から借りた絵で参照関係を比較検証しているところが最近のヨーロッパのキュレーションの流儀なのだろうか。バルタサール・カルロスやマルガリータ・テレサの肖像画、『教皇インノケンティウス10世』、『鏡のヴィーナス』など。
夜、再びシネマテーク・フランセーズに行ってリチャード・フライシャー監督の『強迫/ロープ殺人事件 Compulsion / Le Génie du Mal』を見る。勝手に『絞殺魔』と勘違いしてて(最近多いな)全然猟奇殺人じゃないじゃないかと思ってた……。キメキメのショットの連続、突然狂人へと豹変する若者の顔、暴力的なドライブのオープニング・クレジット、緊張感の組み立てに冒頭から戦慄する。最後に突然オーソン・ウェルズが登場して全部持って行ってしまうオーソン・ウェルズ映画ではあるけど。
帰って夜中に大量のジェノベーゼペースト作る。うるさくてごめんなさい。

7/12
昼、三たびシネマテーク・フランセーズ。ジョン・ヒューストンによる『白鯨』の映画化。ヒューストンのロマンティシズムには割と同情的だけどこれはちょっと痛々しい。小説にあった「語り」の異常さが全く失われ、完全にコミック化してしまっている(もちろんコミックを馬鹿にしているわけではない。コミックとコミック化は全く違う)。ひどい天気の中たどり着くニュー・ベッドフォードのボロ宿屋で異教徒の銛打ちとベッドを共にするところから、完全にコミック。うまく撮れているとは思えない船、全く恐ろしくない鯨、狂気を感じない C-3PO みたいなエイハブ、これは『白鯨』ではない、これは全く別物なのだと自分に言い聞かせながら見たが全く乗れないまま白鯨との最終決戦へと至る。この時代に海上でのモンスター映画を撮った苦労は痛いほどよく伝わるし、モービィ・ディックを追うエイハブの執念のように『白鯨』の映画化に対するヒューストンの狂気は伝わってくるが、その狂気はあくまで妄執として、画面へと定着しないまま終わったように思える。メルヴィルのテクストを映画にするなら、相当な知的戦略を持って臨まないとエイハブのように海中に沈むことになるんだろうな。脚本のブラッドベリが全く生かされてないように思える(ヒューストンはエイハブを演じたかったんだ!と言う彼の動画が面白い。)。
夜、K原さんのお宅でアペロディナトワール(軽夕食会)にお呼ばれする。ワインもお食事も大変おいしくてつい飲み過ぎる。息子さんのK君(3歳)との銃撃戦で何度死んだことか。

7/8-7/9

7/8
フライヤーデザインで関わった展示のヴェルニッサージュ(オープニング)へ。設営で既に大方の作品は見ていたのだけど、それ以外の作品もとても良かった。ただこういう場が苦手なので早々に部屋に戻る。

7/9
本を読んでは寝落ちし、起きて本を読んでは寝落ちすることの繰り返しで、急に冷え込んだせいか体調がよろしくない。大したことはしていないのに疲れが溜まっている。社交疲れ、外国語疲れが少し出ているのか。夕方まで部屋でゆっくり過ごす。素麺を食べるために麺つゆを初めて買ってみたが、大丈夫かな、これ。
夜、日が暮れたあとに日本人仲間でセーヌ川で飲むことにしたのだが、モロッコの友人達も飲んでいるとのことで参加する。マルセイユから来てた友人の友人に「ミヤザキをどう思う?」って言われたので「タカバタのほうが好きだよ」と言ったら「少年と少女が一緒に生活して最後原爆で死ぬ映画知ってる?」と言われ、うん、まあ、それタカバタ監督なんだけど、それだけだと誤解を生みそうなので別の映画も勧めておく。それからまたジミー大西のギャグを外国に広めてしまった。

7/6-7/7

7/6-7/7
月末より妻が来るため、1台しか同時接続できない寮付属の鈍足インターネットでは糞の役にも立たないため、先月より外部の会社との契約の手続きに奔走している。しかしインターネット会社Bの支店へと行ってみれば「ここはフランスだよ。フランスの銀行口座が必要なんだ。」と言われ、それでは作らんかとB銀行に行っては「あの寮とはパートナーシップを結んでるけどここじゃだめ。寮の最寄の支店に行って」と言われ、それでは最寄の支店へと行ってみればランデヴー(ここではなんでもかんでも「ランデヴー」だ)のアポを取るのに一週間かかり、待った挙句に「公共料金の領収書がないからダメ。あの寮とは縁を切った。」と言われる。寮の受付に聞いてみて「ここなら大丈夫」と言われたL銀行に行って再度一週間待った後に口座が作れたは良いが、カードができるまで十日かかり、いい加減にしろよと半目で十日をやり過ごしようやく手に入れることができたそれを持ちインターネット会社の支店に行ってみれば、契約だけはすんなりできたものの、帰って繋げてみてもどうしたってインターネットに繋がらない。同じ寮の友人Eの部屋に行って接続を見せてもらったがやり方に間違いはない模様。彼の場合はそもそも物理的に未開通だったため、状況が異なる(工事に来るのに1ヶ月かかったらしい)。そのため諦めて翌日再度支店へと乗り込む。開梱したネット用端末を再度詰め直して持って行ったところ「ここはフランスだよ。アクティベーションに最低4日かかるんだ。」と言われる。「昨日言わなかったじゃないか!」と言ったら「誰が言ったの?」「痩せた背の高い白人。今いないみたいだけど。」「だめだなそいつは。」みたいなことで我関せずといった風合い。昼間もフラ語でフランス愛国者によるオーセンティシティだけが全てみたいな発言を聞かされて腹が立っていたところにこれ。全くこの国はこのまま世界に遅れて没落すれば良いさ。

夜、手紙を出すついでに散歩しようかと歩いていたら突然後ろから声をかけられる。見れば1個下の後輩ではないか。思わず握手する。5年前にこっちに来て、目と鼻の先に住んでいるらしい。全然知らなかった。セーヌ川で飲んでたらしく、やってることも一緒。今度飲もうと言って別れる。嫌なこともあれば良いこともある。嬉しい出会いだった。

7/3-7/5

7/3
暑い。他に言うことがないぐらい暑い。日中部屋にいられないので買い物に行き、ついでに植物求めてMadeleine寺院の花マルシェまで行ってみるが規模が小さいし欲しいものが売ってない。

7/4
午前中、いつものマルシェ。食材のついでに植物を買う。
本日も猛暑により各地を転々とするが、ついにBnF新館が空調が効いてることを発見する。唯一のいいところだ。
寮を去った友人Hにもらったブレンダーでタイカレーをペーストから作る。エビを捌いてる時に一番蕎麦屋の息子だということを感じる。蕎麦打てないので(多分)。

7/5
天気予報が変わって急に涼しくなる。ああいい気候だと思って仕事していると突然後ろのドアが開いて若い男性が入ってきた。びっくりしつつ「何?」と言ったら「扇風機もう一個いる?」と言われ、「タダならくれ」と言ったら「ちょっと待ってて」って言って出て行ったが帰ってこなかった。よく考えたら日曜日なのにスタッフが働いているなんて変だ。本当にスタッフだったのだろうか。
昼、手伝いでバスティーユのマルシェについて行く。質はピンキリだが安さで言えばこれまでで最安。歩いてこれるし乗り換えも考える。
昼過ぎからカフェにて粛々と仕事する。涼しいうちにやっちゃわないと暑い日は無理。夜はE夫妻と飲む。

7/1-7/2

7/1
最高気温40度也。パリにはほとんどまったくエアコンがない。歯医者のエアコン(ダイキン製)が最高だったが、治療はまだ2ヶ月はかかる模様。
夜、満月だったので狼男の話になり、10歳下の日本人女子に『怪物くん』の話をしたら「知らない」と言われ、画像検索をして見せたら「『パワーパフガールズ』に似てますね。どっちが真似したんですか?」と言われる。たちまちおつむが大噴火しそうだった。

7/2
本日も30度台後半也。頭がぼーっとして何もできないので涼しいところを探して図書館、スタバ等を歩き回るが安息の地は見つからず。うちの部屋は西陽が22時近くまで全力で差し込むので作業不可能。夕方、ビールを買うのにレジで15分ぐらい並ばされて(修学旅行生が1人1人ジュースを買っていたり、ひとり前のおじさんが6本入りのビールを買おうとしたが値段が値札と数サンチーム違う、とゴネたためにレジのおじさんが機械を前に四苦八苦し、隣のレジのお姉ちゃんが助けに来たり1本だけの商品を取りに行ったりしてワチャワチャしたため)、挙句何の謝罪もなくヘラヘラと「ボンジュー」って言われ、「ふざけんな!この後進国め!レジ打ちぐらい勉強しとけこの怠け者!だいたいレジもう一個空いてるだろ!だからお前らの国はこんなんなんだ!」と叫びそうになったが、この国では怒る方がバカなのでやめておいた。週に一回ぐらいはこういうことがあって、おまけに路上の立ちションの匂いなんか嗅いだ日にはもう何もする気になれないほど疲れる。もう一回大改造された方がいいぞ、お前ら。

6/13-6/30

6/15
朝一で歯医者に電話して夕方の予約を取り付ける。行ったはいいが合計で2時間ぐらい待たされて、亀裂の入った箇所を取り除いてセメント詰めておしまい。二週間後の元々の予約の日までそのまま片側で飯を食って暮らせと。絶望して麻酔に悩まされながら中華やけ食いして寝る。都合が悪くなると歯医者の日本語が下手になった気がするのが余計に腹立たしい。

6/16
朝から映像の打ち合わせした後、フラ語。ベルギーでチョコチップアイスで歯を折ったと言うと「アメリカだったらアイス屋を訴えれるわ」と言われる。そのまま別件の打ち合わせして、友人のための映像編集をする。
友人が3人もオープンスタジオする日で、手伝いも見て回るのも忙しい一日。夜はパーティーでガーディアンに怒られるまで続いた。

6/17
友人のプロジェクターの返却に付き合ったり、初めて雑貨屋Merçiに行くなど。疲れているので景気付けにカレー作る。

6/18
夕方、映画館に行こうと思っていたら新しく来た日本人の友人に出くわしたので、ついでに日本食材屋を紹介する。「映画行くけど」と言ったらついてくると言うので一緒にオーソン・ウェルズの『上海から来た女(4Kデジタル修復版)』を鑑賞。終盤のたたみかけの凄まじさに、久々に戦慄する。言葉が半分しかわからなくても戦慄するというのが映画なのだ。それにしてもオーソン・ウェルズってここまでやりきる人だったのか。脱帽。
夜、寮のオーディトリウムにて友人のラッパーのコンサート。とても良いコンサートだったが疲れていたので打ち上げはパスして部屋にて爆睡。

6/19
朝からL銀行へ。日本人ハーフの人が対応してくれた。あちこちたらいまわしにあったがパートナーシップのおかげですんなり口座を開くことができた。こちらの銀行は日本の銀行の窓口らしきものは無きに等しくて、弁護士のように担当の店員が付くそう。いろいろ保険もついてるしデビットばかりかクレジット機能まで付いててありがたい。逆にそんなに簡単でいいのかしら。カードが来るまで10日来るのはフランスらしいけど。
夜、いつもの友達とたまには外食しようとバスクバーにて食事。その後うちで飲むが大して飲んでないのに泥酔する。

6/20
終日二日酔い。
夜がた、サヴォア邸で展示をしているK島さんと再会し、元生徒のTさん(でも私と同世代)とバスクバーにて2日連続で食事。昨日も来たな、とか言われながらピンチョスに舌鼓。グロッキーなので酒は控えていたが最終的にビール一杯飲んだら調子が戻った。

6/21
3ヶ月でできた沢山の友達が今月ここを去ってしまうため、センチメンタルになる。妻が来るまでの1ヶ月、やっていけるのか不安になったり。飲んでごまかす。

6/22
寮の日本人仲間とサヴォア邸に行き搬出作業を手伝う。搬出業者が搬入時に自分で置いていった物を「これは無理」とかゴネるので思わぬ時間がかかる。ずっとヘッドセットで電話しながら作業してるしトラックに詰める効率も悪いし、なんなんだこいつ状態。本当に業者の当たり外れが大きいなあ。
メイン作品の搬出が終わった後、アアルトのルイ・カレ邸(Maison Louis Carré)に寄贈する作品があって、タクシーでの納入に付き添ったが、イル・ド・フランスの田園地帯を横切りながらたどり着いたそこはサヴォア邸と好対照な住みやすそうな別荘建築だった。貸切でファッション撮影していたためほとんど見られず、妻が来たら改めて行くことにする。
夜はいつもの「気のおけない中華」にて打ち上げ。大変だったが楽しい一日だった。

6/23
フラ語、日本人居住者のピクニック、隣の部屋の友人Cのオープンスタジオ、階上の友人 H / J のポエトリー・リーディングのイベントなど忙しい一日。ひたすら精神的に参っていたが今月で寮を発ってしまう友人と話ができてとても嬉しかった。このおセンチな状態を打破するには外に出て人に会うしかなさそうだ。ドイツ系の人が読んでいた詩は後でスイスの友人Mに聞いてみたら「部屋の中を裸足で歩いていたら、足の裏や指の間からキノコが見つかったよ」みたいな話だったらしい。なんじゃそら。「日本の綺麗な部屋ではありえないわね」と言われる。

6/24
友人Hにお願いしていたテキスタイルの制作をするため、2人で工房のある学校まで歩きながら色々話をする。彼女と出会えたのは、僕がレセプションに何か注文しに行った時にたまたま隣にいた彼女が「あら、あなたうちの真下に住んでるわ。今日うちでみんなでご飯食べるからこない?」と言われた時であった。この3ヶ月は準備期間だと思っていていろいろな偶然の出会いを楽しんできたけど、あの時レセプションに行かなければこんなこともなかったに違いなく、偶然にしては特別な出会いであった。彼氏のJも面白い演奏をするドラマーで、世代も同じだし共通するところが多い。彼女も何か思いつくところがあったらしく、今度協力することになりそう。距離は離れるが長い付き合いになるといいなと願う。
大学にある工房に着いて、てっきりHが織ってくれるのを見ることになると思っていたのだけど、織機の使い方を教えてくれて、なんと自分で織ることができた。4時間で2枚別バージョンのものを織ることができて、とてもありがたい。彼女はそのまま自分の作品を仕上げて帰るとのことで、一人で歩いて帰る。
帰って疲弊した体に鞭打ち、寿司の仕込み。フランスまで来てマグロの漬けなんか作ってる私はなんなのだと思わなくもないが、中国製の甘いサーモンロールを寿司だと思われては黙っていられない。

6/25
朝から酢飯を炊いて、ついに開催されたフラ語ピクニックに向かう(何回延期されたことやら)。ブーローニュにあるオートゥイユ温室で、エッフェルに並ぶ19世紀の大建築家フォルミジェの拵えた機能的建築が素晴らしいが、真後ろにローラン・ギャロスのための施設が建つために景観が破壊されるとのこと。今日でお別れになる友人たちとの別れを惜しむ。
夜、残り物を日本人仲間で手巻きにして食べる。

6/26
旦那さんの転勤でこちらに来たAちゃんとお茶。
久しぶりに日本人女子の辛口コメントが聞けて懐かしい。

6/27
翌日の誕生日兼お別れパーティーのための仕込みで東奔西走する。フランスまで来てヘダイを捌いて昆布で〆ている私はなんなのだと思わなくもないが、Maki(巻き寿司)が通常の寿司だと思われては黙ってはいられない。「あのご飯の上に魚の切り身が載ってるのは何?寿司なの?」「え、あれ難しいの?どこが?巻くほうが難しいじゃない。」

6/28
夕方より誕生日兼お別れパーティー。別れの前の刹那的な瞬間を楽しむ。ここ数日、この寮全体の空気が狂っている。
作っていった手まり寿司も喜ばれて感激した女子に抱きつかれたりしたが(そんなに?)、出汁をとった後の乾燥椎茸を濃いめに煮染めたのが妙に受け、フランス人に「こんなうまいキノコ食ったことない」と言われる。モロッコ人も食べ続けていた。こちらでもマルシェでセップやジロールと並んで「シイタケ」が売ってたりするのだが、見た目からして全然違う。こんな生活の知恵的な土臭い料理が受けるとは、意外。これでいいなら次から寿司なんか作らないよ(笑)。

6/29
2日連続で約束をすっぽかしたイラク人に切れる。たいして仲良くもないのに仕事を頼んできたが、金がないというのでしょうがなくやってあげようと思ったのに。自分の部屋は既になく、部屋のために彼女を作っては渡り歩いているようなやつなので、関わり合いにならなくて良かったが。
今日で引っ越す会場の H / J にカーペット、ブレンダー、IHクッキングヒーター、棚などをもらう。何から何までありがたし。三週間後に少し会えるので再会が楽しみ。
夜、フラ語の先生の家におよばれしてベジタリアン・ディナーをいただく。先生の友人にマレ=ステヴァンス、プルーヴェ、ペリアンの資料を見せていただいて、貸してまでくれた。「わかってるわね。返さなかったらこうよ!」と首を掻っ切る仕草をされたけど。先日の授業で勃発した先生と生徒のブリジット・バルドー論争が再発し、ジョン・カサヴェテス=ジーナ・ローランズ論争に発展(いや、私は参加していませんが)。論議しても最後はお互いを認めて仲良くなるのがすごいと思う。
猛暑続きのおかげで帰ってダウン。エアコンつけようよ……。

6/30
フラ語。フランス人はニックネームで人を呼ばないって話になり、日本人は子供に数字をつけて呼ぶんだっていう話に。そういえば一郎、二郎、三郎っておかしな習慣だよな……。