日記

1/20
渡仏関係の作業。銀行の手続き、翻訳の依頼、等。
帰ってニコラス・レイ『生まれながらの悪女 Born to be Bad』。いやまさにタイトルそのまんまの腐れビッチっぷりだったが、そんな彼女を改心させるでもなく、魅力いっぱいに性悪女として描ききっている。思うところ色々あり、見直したいと思う。

1/21
サイトの再編等含めて今後の計画。結局、決まったのは新しいドメイン名のみ。夜半、ロバート・オルドリッチ『キッスで殺せ Kiss Me Deadly』を見る。オルドリッチが批判する小説版のマイク・ハマーがどのぐらい暴力的でファシストかわからないが、シリーズ物の主人公としては女を取っ替え引っ替えするやら、被曝するやら無茶苦茶だ。しかし冒頭のタクシー拾いの3度の繰り返しからドライブシーンの撮影、ラストの大炎上までとにかく圧倒的な映画的演出に唖然とさせられる。オルドリッチ恐るべし。

1/22
両親にとって私の食事量は高校生の時のイメージで止まっているらしく、焼肉が大量に出てくる。1/3ぐらいでいいのだけど、ついついこちらも期待に応えてしまい、食べ過ぎてしまう。明朝始発で上京なのに夜中に起きてしまって結局朝までほとんど寝ずに起きていた。おかげでチューリング本が読み進む。

1/23
始発で上京してヘルプ出向。始終、焼肉の後遺症を引きずる。
伊勢丹に活版工房が特設されてて笑う。

1/24
イメージフォーラムにてアルノー・デプレシャン新作『ジミーとジョルジュ Jimmy P.』。幻覚と頭痛に悩むインディアンの古谷一行が三上博史にカウンセリングされる話……と喩えてしまうには忍びない。一部の人にしか伝わらないだろうが、途中からデル・トロがY写真のK山さんに見えてきて困った。
そのままはしごでアップリンクにてロウ・イエ監督『二重生活』。90分以内なのに30分ぐらい余分だと思った。車に轢かれる女子大生をスローモーションで映して口からぴゅーっと血が吐かれるところは笑うところだよね?

1/25
夜、エレクトロニクス制作講座。三端子レギュレータについての講義。ついていけるレベルの話でよかった。

1/29
名古屋に帰り、紙ものの入稿、データベース変換ジョブなど。

2/7
カメラマン打ち合わせ、義妹の誕生日ケーキ購入ミッションを終え、上京しそのまま大崎l-eで「information vs. segments」。絶対時間と相対時間の2つの異なる時間が同時進行していて、どちらにチャンネルを合わせて見るかが忙しいのだけれど、つられないように演奏するのも大変だったそうな。

2/8
大崎l-eにてプログラミング講座。紙テープと鉛筆、消しゴムでチューリングマシンを体験。ほんとに機械になった気持ちになる。それにしてもチューリングの天才ぶりに今更ながら感服する。あるいはゲーデルぐらいの評価をされても良いのではないか。

日記

1/12
世の中は成人式らしいが、そんなことは関係なく伏見ミリオン座にてリチャード・リンクレイター監督『6才のボクが大人になるまで。』。感想は既に書いたが、痴話喧嘩とかボーイズトークの類に頼り切るのではなくて、もう少し映画というものを信じていいのではないか、と思う。映画と人生は違う。
帰宅してニコラス・レイ監督『女の秘密』。この撮影、美術、脚本、90分以内。1カットごとに瞠目させられ、60年以上前に人類がここまで到達していることに呆然とする。ルビッチの分身のような存在であるメルヴィン・ダグラスがここでもプレイボーイ役にハマってみせる。発砲から始まるのに誰も死なずにハッピーエンド、という優しさが滲み出る作品だった。

1/13-14
パリ行きのビザ申込要領を読み込み、外資系の銀行の口座開設を申し込み、航空券と旅行保険を取ってたら丸2日も経ってしまった。外国人が1年間滞在するということは思ったより大変だということを痛感する。
夕方出かけようと思ったらテレビで『ミスティック・リバー』が始まってしまい、最初の数分だけ、と思いながら結局通しで見てしまった。この作品のイーストウッドは原作があるとはいえ冴えに冴えまくっている。最初の男児誘拐から最後の不気味な宙吊りに至るまで「完璧」とつぶやきたくなる手際の良さだ。思えばこの人は児童誘拐に何か個人的な思い入れでもあるのだろうか。初めて見たときよりも段々凄さがわかってくる陰惨な作品。密林にて思わず原作を購入。

1/15
週末に迫ったプログラミング講座の内容が具体化しないことに焦りつつも競馬場に行く、という夢を見るが、一向にメインスタンドに辿り着かず、途中犬や犬人間(H. R. ギーガー風)だらけの道を通らなければならず断念するという悪夢だった。実家に帰ってからこのかた、夢の登場人物が旧友や名古屋在住の人たちが多く、先日はF岡女史の家をみんなで掃除する夢を見た。住んでいる場所によって意識の中にある人物の重み付けが推移するのだろう。妙な郷愁がある。
ビザのための動機書を書き始めるが全く進まない。大して文例も無い。どうしたものか。ひたすらメールを返していたら日が暮れた。

1/16-17
上京し、打ち合わせ、散髪などを済ませながら、終日プログラミング講座のことを考える。今年は自分のことで精一杯で卒制展に行けそうにない。講座とかぶっちゃったからしょうがない。

1/18
昼間、旧友の韓国女子2人と再会。
そのまま大崎のDAISOにて興奮しながら材料を買い込み、プログラミング講座へ。新シリーズ「プログラミング言語をつくろう」として、トランプ、サイコロ、ヒエログリフ、カラーモール、カラーチェーン、おはじき、ビニールひものどれかを使って計算可能な言語をつくる、という実験を行った。ここのところ、難解プログラミング言語やヒルベルトの「点、線、面を『テーブル、椅子、ビールコップ』と置き換えても幾何学が成立する」というような発言の意味をずっと考えているのだけど、とりあえず難しいことをすっとばして作ってもらった言語は、どれも最高だったなあ。次なる課題が見えた。思えばこの疑問はソシュールの言語記号学やノイラートの研究の頃からつながっているのだなあ。
どうでもいいが、DAISOって「ダイソー(→)」じゃなくて「ザ・ダイ(↑)ソー(↓)」なのね。

1/19
名古屋に戻る。移動中というのは考えを整理するのにちょうどいい。

6才のボクがなんとかかんとか

伏見にて『6才のボクが、大人になるまで。』。柳沢慎吾(父)と黒沢かずこカットのクリストフ・ヴァルツ(母)の間に生まれた染谷将太が、度重なる母の離婚・再婚を通じてスティーブ・ブシェミそっくりになるまでの物語。12年間に渡り同じキャストで撮影された割に大して何も起きない二時間半。時代は「SEKAI NO OWARI」対「NANIGE NAI NICHIJO」なのか。時代を象徴するヒット曲がちょいちょいフンイキ音楽として差し込まれて、耳を塞ぎたくなった。

日記 正月以降

1/5–1/7
上京し、某所にヘルプ出向。

1/9
午前、新宿で打ち合わせ。
夜、「イグノラムス・イグノラビムス ムジカ」@武蔵野美術大学 の打ち上げ兼新年会。下らないダジャレやモノマネの中で金言も沢山飛び出し、とても楽しかった。打ち上げというのはいいものだ。鈴木さんの「今の理系の論文には背後に『経済活動の役に立たなければいけない』という暗黙の要請がある」という話が心に残る。

1/10
夕方から名古屋に戻り、ふいごとEttのライブへ。道中、『ハウス・オブ・カード』の第1シーズンを見終える。特に感慨なし。
Ettさんのライブは初めて見るが、名古屋にもこんな素敵な音楽をやる人たちがいるのだということを教わった。古池さんを祝福する『愛の讃歌』にはちょっと笑ってしまったけど、歌そのものの力強さが伝わってくる。
そのあとは古池さんのバンド「ふいご」。気づけば知らないうちに私は中尾さんと関島さんのCDをそれなりに集めていたようなのだけど、演奏を聴くのは3度目ぐらい。チューバという楽器のメカニズムから低音っぷり、演奏を支える縁の下の力持ち感まで惚れ惚れしてしまうなあ。生まれ変わって楽器をやるならチューバをやりたい。l-eで見るのとはまた違う古池さんは、結婚されたからか40歳になられたからか、とても立派な「男」に見えた。演奏もとても素敵だったけど、個人的には古池さん初の鉄道ソング『海沿い列車(だっけ?)』とコンポステラの『結婚ポルカ』が素晴らしかった。
ライブ終了後、父より「豆腐買ってこい」というメールが来ており、どこのスーパーもやっていないためコンビニで買って帰る。

1/11
昨日のライブを引きずりながらコンポステラや栗コーダーカルテットの音源を聴き、終日、仕事のための検証実験を進める。夕方行ったコメダで着席早々水をこぼし、びしょ濡れに。超迷惑な客だ。

終始風邪気味の一週間だった。ようやく治りそう。