2010年8月アーカイブ

これまで、見たものについて書くことが「消費」になりがちであった。そのためここのところ避けてきたのだが、最近見たものについて。

角田俊也さんの映像
光や色が「物」として立ち上がるかどうかの境目を行ったり来たりしているような映像。それでいて純粋に美しく、ちょっとした遊び心で始めているようなところに制作に結びつく刺激を受ける。確かにストローブ=ユイレの「セザンヌ」で語られていた形状学的な色彩論には、数値化されたCMYK/RGBや色彩モデルに慣れ過ぎている私には目を覚まさせるものがあったと記憶しているが、見たそばから印象以外のディテールを忘れてしまった。見直したい。Luke Fowler氏とLee Patterson氏のコラボレーション音響的映像(?)も音と映像がせめぎあって面白かった。

RGB(crack13)
超音波センサの中をダンサーが踊ることで音がうなる、という企画のはずがダンサーのドタキャン(すっぽかし)のために全く違うものに。しかしこの日のRGBの映像(音に反応してR、G、Bの波がプロジェクションされる)は凄いことになっていた。ワームホールに吸い込まれたかのような高速で原色的な縞模様から、まるで水彩のような淡いボケ味まで。パソコンを通さず純粋に回路のみであそこまで叙情的な光が出るとは思ってもみなかった。去年からなんとなく思っていた事だが、電子回路を使うならプログラミングを全く使わない方向でやりたい、という気持ちが確信に変わる。傍から見てると同じような分野に見えるが、かなり違うんだと思う。多分。

「ようこそ、アムステルダム国立美術館へ」
冒頭の解体現場のショットからまず驚く。こんなに周到に撮られているとは予想していなかった。次に、現場で働いている「裏方」さん達がひたすらカッコいい。精密さと激しさを同時に行う修復師のお姉さんたち。壁の装飾を見回りながら、壁を「コンコン」と叩いて回る装飾家のおばさん、「ここを管理できるのは俺しかいない」という管理人の男。所謂ひとつの萌え萌えである。益子の濱田庄司邸に行ったとき、建物の「息」を感じる事ができたが、この管理人が「建物が呼吸している」と言ったとき、それを思い出した。建物は何よりもまず、空気を包含する存在である事。そこには色々な匂いや温度が籠っており、呼吸する。

「何も、変えてはならない。」
100点でも60点でもない歌手の歌ができていく様を、思わぬ欠伸やリズム感の致命的なズレをひっくるめて監督と見つめていくような映画だった。何とも思っていなかった歌手にいつの間にか愛着が湧いてしまったから不思議。うまく言えないが、「今、ここで、現在、この映画を見ている他でもない自分」を意識させられた。他の人は関係ない。

『ストレンジ・フェイス』
ある日、広尾の図書館の新刊コーナーで見つけ、ふと読み始めてしまったため帰りに購入。自分としてはかなり速く読めた。途中、ひどくエロくってどうしようか困ったが、しかしその部分にこの小説の全ての肝があるような気がするし、なんか人生観変わってしまったような気がする。ラストは唖然。泡盛飲みたし。

「アリエッティ」
致命的なのは、解像度と音響だと思う。

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明日から愛媛から広島を通って山口まで行ってきます。
海と萩焼きとYCAMがテーマです。
あと、さえりんち。

あれ、高校野球終わったんですか.....知らなかった。

8月はムサビと家とのほぼ往復という多摩地区的生活を送っておりました。K川さんの壮行会をしたり、O村さんの新居に遊びに行ったり、子供が生まれる人がいたり、と周りは刻々と変化しているような気がします。昨日はとりあえず展覧会がオープンしたので、マンジョウエンに行った後、三鷹にできたコメダ珈琲で蜂蜜アイスコーヒーを一杯、という至福に預かる事ができました。チャーハン食い過ぎてお腹がいっぱいだったのでシロノワールが食えなかったのが残念ですが、やっぱりコメダは広いし、うまいし、素晴らしい。もっと増えればよいのに。
今日は東京で行き逃していた「ルーシー・リー展」を見に益子へ。ずっと益子に行ってみたかったのだが、意外と遠くてかなわなかったが、意を決してついに。下館から「SLもおか」というのが走っていて、運良く乗る事ができました。出発の汽笛に身震いし、窓を開けて夏風を感じていると、窓から大量の石炭カスが入ってきて慌てて窓を閉める。そういえばモノクロ映画で出発と同時に窓を閉めていたのはこのせいか、と納得する。益子はとてつもなく暑くて、かなり観光地だし、「手打ちそば」という名のブツブツ切れる蕎麦に久しぶりに出くわしたりもしたけど、若手の人たちが益子のハンドクラフトのコミュニティを作ろうとしたりしてるみたいですごく好感が持てた。都会はカネやら理論やらでがんじがらめだけど、こういうものがある限りは人間は生きていていいと思った。まあ当人には金は切実な問題としてあるだろうけど。これを「卑近だ」とか言う奴は死ねばよかろう。

とりあえず今日はこんなとこで。

新しいプロバイダ契約が済んで、ネットが繋がるには繋がったのだが、30分ぐらいやるとPPPoE接続が切れ、使えなくなる。最初はAirMacのベースステーションの設定ミスかと思って、有線で繋いでいたがこれは明らかにおかしい。とりあえずこの開発ラッシュが終わったら電話だ。

書くべきことも溜まっているのだがこのペースも心地よいため暫くは隠遁する。

とりあえず、23日から博物図譜展の第Ⅱ期オープンです。新機能搭載です。今カリカリ作ってます。

今朝、めちゃくちゃ面白い理想博物館が載っている本を読んだ。

違う。正確には夢で、だ。著は荒俣氏だった。
しかし残念ながら内容を覚えていない。
「キルヒャー」本や「理科系文学」本より面白く、ルドゥーやブレよりかっこよかった。
覚えていたら天才だったのだが、残念だ。

こないだのワインの件にせよ、時たま夢の中で現実を超えた凄いものを体験する。
昔、夢の中で作品を作って、それがかなりいい線行っていて、現実で作ろうと思ったがやめたな。
深層意識がもっと簡単に取り出せればいいのに、と思うのはあまりにも凡庸すぎるか。


ここのところ、よくライブに行く。多くは講座の鈴木監督のそれであるが、それ以外もある。音楽によって快楽を求めに行っているという感覚はなく(少なくともそれらに「音楽」というレッテルを貼っていいものかどうかもわからないし)、非常に刺激的で考えさせられるものが多くて純粋に面白いからだ。観客は多くない。しかしここで起こっていることは(わけがわからない時がほとんどであるが)私にとって重要なことだという直感だけがある。どう計算したって食っていけるアガリが出ていないのに(あるいはそれが故に)やりたいことを曲げない彼らの姿勢に身につまされる思いになる。それは自己満足ではなく、観客との問題意識の共有に近い。
そこでよく考えることがある。ここで行われていることは所謂「シーン」であるとか(手垢がつきすぎた言い方であるが)「文脈」とは距離を置いている、という感覚である。実際彼らがどう考えているかは知らないが、普段、私がいる場、所謂「アカデミック」と呼ばれる場は「文脈」に自分の研究をどう位置づけるか、ということ(だけ)が全てである。純粋に自分の興味だけで押し進めたものは「それは趣味でしょ」とバッサリ切られ、「これまでにやられたこと」と「新しいこと」を如何に明文化して定着するかが評価のポイントである(この「評価」という言葉もあまり好きではない)。作品発表の場である「シーン」、たとえば「デザイン」でも「アート」でも良いが、それもその場限りの「新しさ」ばかりが求められ、がんじがらめになっている(その「新しさ」も単に「最先端」と言ったような空しいものが多い)。もちろん、自分のやったこと、作った物は社会に置かれ、何かと関連づけられ、比較され、評価されるということを避けられない。それは社会に生きる中での大前提である。しかしもう少し落ち着いて、本当に自分が対象の中に見つけたもの、あるいは本当に興味があるものにじっくりと腰を据えて対峙する方が長い目で見れば必要なのではないか。一過性の「新しさ」や、気移りな「文脈」(、あるいは「商業性」)とは距離を置き、とりあえずやりたいことをやってみる、というのが最も重要なことではないかと思う。かといって深遠ぶることはそれと限りなく遠い。それは偽りのアンポップである。そういった(この表現はあまり好きではないが)実験的な作品/表現の発表の場所がアンダーグラウンドにあり、少ないといえどもそれを見つめる観客がいる、というのはこの上ない幸福な場所ではないだろうか。
いや、小難しいことを言いたい訳ではない。実際、小難しくもなんともない。どちらかと言えばわけがわからない、に近い。ただ、やっている方も多分わけがわからない。それは文脈から遠いからだ。しかしこれは面白い、という感覚だけはある。そしてなぜかそれは「アート」という文脈によくある思考放棄とは感じない。だって純粋に面白いのだから。それが何だったのか考えるのは後でよろしいのではないか。そんなことを思う。
大学を出て、就職して、自分のやっていたことをやらなくなってしまう人をたくさん見た。食っていけないからと言って作品制作をやめて仕事だけに従事してしまう人も多くいる。当然、企業の中で自分を活用することも必要だ。目の前にある仕事に対してプロフェッショナルとして最大の回答を出すことは当然である(もちろん自分もそうしている)。しかしそれで100%満足である、と思えない人間に対しては小さいながら発表の場があり、少ないながら寛容な観客がいることは大きな可能性である。
そんな場に出入りする中で、私の制作意欲も増すばかりである。

こんなことを書きたかったわけではない気がするが、とりあえずさて置く。
更新していないからといって、実家に帰ったとか、避暑地に居るとか、ベイエリアの高層ホテルでワインをくゆらせたり、オステンドのビーチで日光浴しているわけでは全くない。
またネットが止まったので、お金を払ったのだが4日経っても一向に復帰する気配がない。もうこちらには請求書がないのでこれ以上払う金はない、と思って電話してみると、「4月でプロバイダ契約が解除になった」という。これまでネットが止まったら請求書を探して払う、というパターンが多かったのだが、8月上旬まで問題なく使えていたのだからあまり気にしていなかった。督促めいた紙を見た覚えも無い(山のようにチラシと請求書が届くのだから、見落としている可能性も大である)。で、聞いてみると、もう一回新規契約してくれ、という。それはよいのだが、だとすると5月〜8月はタダで使えていた、ということなのか?んー、どっかにあったのか、督促状。ブラックリストに載ったら困るが、すんなり新規契約できるのだから違うのかも知れない。とにかく一週間ぐらい家でネットできない模様(gmailはiphoneから見れている)。で、これを書いているのも仕事先だからこれ以上は書けないのだが(まだ始業前、ということにしている。自分の中で。)、あと一週間ぐらいネット環境から外れそうだ。仕事でFTPしなきゃいけなくなったら何か手段を考えるけれど。
あー、ネットが使えないことについてこんなにつらつら書くつもりではなかったしそれ自体大したことではないのだから騒ぐ気もないのだけれど、もう時間もないので推敲する暇もないし、それではさようなら。
博物図譜展の特設HPがアップされました〜。
よろしくです。

博物図譜とデジタルアーカイブ 特設サイト

※第II期出品リスト、「フランス裝の楽しみ」などupしました。監修: 藤沢女史ですよ〜。
しかしどんどんマニアックになっていくな、この展覧会.....。まぁマニアしかいないからな。
マニアにならずんば虎児を得ず!

ハーブは無事に飼い主の元に戻って行きました。
「うちの子になってもいいのよ」と符牒のように言う「親戚のおばさん」と呼ばれる人たちの気持ちが少しわかります。
植木鉢が割れる事、1回。
バジルがコナジラミか何かにやられること、1回。
バジルに蛾のさなぎが取り付く事、2回。

受難でしたね。


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