てんやーわんやー

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なんやかんや言いながらもふたやま越える。
間に何やったかって言うと
・一人で生パスタを打ったけど、伸ばす段階で人手が足らずに半分ダメにした。
・ソーセージとブロッコリーのパスタを作ろうとしたけど、ソーセージの塩気が足りなかった。やっぱ武蔵境のソーセージ屋まで行かないとなあ。
・足立区花火大会に行った。やはりこれに勝るものは他に無いよ。足立区に税金払いたい。
・京都から帰省中のヨダを囲む会。ヨダは黒くて背景と同化していたのであまり話せず。また京都行きますよ〜。

今月の楽しみは金曜の焼肉食べ放題だけで、もはやこの響きだけでも懐かしいが、学部と修士の皆さんと戯れてきまーす。年々減っていく「打ち上げ」という機会を増やしたいものであります。

大友さんが「知的障害者」と呼ばれる人達とワークショップをした時の日記を読んでて思ったけど、人間をレッテルとかステータスとかジャンルで見るのって、「知的障害者」差別と何ら変わりないメカニズムではないか。別にフーコーがどうのこうのとか持ち出すまでもなくそんなこと小学生から考えてるけどさ、自分が「レッテル」で見られる程苦痛なことは無いよね。その点でボブ・ディランの発言には多いにシンパシーを感じる。まあ他人がどう思おうと勝手だけど。
でも僕が本当に誰かと一緒に何かをやりたい、って思う時って、自分とジャンルが同じとかそういう時じゃなくて、こいつどうしようもなくくだらないけど何か面白いから何かやってみたい、って感情が湧いた時とか、「大田さん、何かやりません?」と不意に言ってきてくれるようなヤツなんだよなあ。むしろそうじゃないともはややる気がしない。それでいいと思う。「大田さん、(6:4で)飲みません?」でも良いんだけど。だから印象論でしか実在の人間や歴史を捉えないなんて馬鹿げてるとしか言いようが無い。それが大戦中〜60年代だとしたら、今やるべきはそれに対してどこまでオルタナティヴを出せるかじゃない?

まあ、何はともあれ、「大田さん、何かやりません?」と言ってきてくれたサブゼミのメンバーには感謝(まだ一回あるけど)。たとえうまくいかなかったと思ってるんだとしても、それはあまり踏み込まれていない領域だったからで、安易に非・地雷原を歩いて(しかもえばって)いる奴らに比べたら、大いなる前進なのだ。満足なんてするのは甘いけど。




今日は一日、剣様でした。超名曲です。

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これ、昔、旭川出身の寺子屋の先生に食べさせられたんだけど、今日ダイエーで発見して感動というかとまどいというか、複雑感情を覚えた。まあわかるのはうちの親族しかいまいて。

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