2008年12月アーカイブ

ひさびさにほぼカンテツで仕事に行ったら自分が何言ってるかよくわかんないけど面白くて良かったと思う今日この頃です。
というのもY研OBのOギさん含むメンツで非公式かつ部分的な忘年会をやったら、やはりなぜかY研の飲み会には微妙に体育会系の雰囲気があって、新橋でガブガブとビールを飲み、アニメだのYouTubeだのかなりディープな話をし(K山のせいだが)、極めつけに朝の4時からラーメンではなくモツ鍋を食う事になり、そこにも漂っている「ここで食わなかったら人間じゃない」的な暗黙の了解はバカバカしくて好きだけれど、そのおかげでプリン体とコラーゲンたっぷりのお腹で始発に乗って、学校で寝ようかと思ったら先約がいたみたいで、起こすのも悪いのでモスバーガーまで歩いて1時間座り寝。なんか最近飲み会の後1時間レベルで歩くことが多くて、なんかもう身体と環境の境界が曖昧に溶けてく感覚がやみつきになりつつある。
一昨日はOサムちゃん家でM-1を聞き流しながら実家から送ってきた自然薯をスリスリし、とろろごはん、まぐろ山かけ、椎茸のカサに自然薯詰めて揚げたやつ、などを作った。ばあちゃん家がある三重県一志町の特産品だそうな。知らんかった。

今日は最終日で激混みのアンドリュー・ワイエス展へ。寺さんのブログで知った「K20」のコレクションであるクレーとピカソの展示は、年明けに名古屋からブンカムラへ巡回するそうな。内容はさておき、こういう混雑した美術館で絵を見させられるのは大ッ嫌いなので、ポイントだけ見て回る。なんかあちこちでクリスマス街頭コンサートみたいなのをやってて辟易。

その後、ユーロスペースで「チェチェンへ アレクサンドラの旅」。ロストロポーヴィチの妻であったロシアのソプラノ歌手ガリーナ・ヴィシネフスカヤ(御年80)を実際のチェチェン最前線へと導き、ひたすら歩かせつつも、ソクーロフは再び、「チェチェン」とは一度も口にさせず、場所を匿名化し、状況を普遍化させる。いつものように、といってもいささかも刺激は衰えないが、あちこちでザワザワガチャガチャと鳴るフレーム外の環境音がただならぬ雰囲気を行き渡らせ、なんとも形容しがたい呟くような会話の「音声」と決して帰結することなく回避・逸脱する会話の「内容」が徐々に映画の体系を形作っていく。ガリーナと「マリカ」以外は実際の兵士やチェチェンの住民であるが、時折用いられる過剰なぐらいのクローズアップが異化作用というか、ひたすら「顔」を地域性・個別性を持った「顔」として捉える。戦場に舞い込んだ滑稽にさえ見える「祖母=ガリーナ」は、ふらふらふらふらと歩いたり立ち止まり、戦車に乗ってみたり空の銃をガチャンと撃ってみたり、兵士にピロシキをあげてみたり、敵国の市場に繰り出して睨まれてみたりしながら、徐々にそこにいる若者たち全ての「祖母」へと変容していく。列車から戦地へと降りる、空の銃を撃つ、戦車から降りる、市場で現地の人たちと視線と会話をやりとりする、文句を呟きながら行われるそれらひとつひとつの祖母の言動が丁寧にカット割りされ、なめらか、しかし過剰に語られていく。「太陽」はいただけなかったが、「牡牛座」以来のソクーロフはノってきてるのではないだろうか。しかし列車に乗って去っていく「祖母」を見送る「マリカ」が見つめる逆方向の視線は何を物語っているのか。


年末の目標は、太らないことです。
あ、今年は実家で紅白を見ながら奇行をしたりしないように気をつけないと.....。
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YESでなく NOでない 言葉をちょうだい
傷つけず 伝え合う 言葉はないかい
和の風土〜


いやしかし話を聞かない人というのは世の中に溢れているもので、みんながそれさえできれば世の中まるっと行く気がしますがね。自分を押し付ける前に話を聞けばさ。コミュニケーションブレイクダンスを踊るしかないね。

土曜はZ会改め「奈津子の酒」で、なんか足がつって起きてなんとか帰って、月曜にはO先生の最終講義と懇親会も終わり、個人的にはあと2回シフト入って1回のゼミと1回の英語に行ったら今年はほぼ終わり!と思いきや、実家での労働が残っておりますた。ろそろそ旅程も立てねばならんのですな。そういえばチケット貰ったアンドリュー・ワイエスも行かなきゃ。そういやゾエ・カサヴェテスの長編デビュー作もソクーロフの新作も見に行かなきゃ行けないし、修論直したり、名刺作ったり意外と色々あるな。

最近の悩みは、靴下だのセーターだのに立て続けに穴が空いていくことだ。
Orz!!!

最近見たもの
カラックス「ポーラX」
ヒッチコック「フレンジー」「サイコ」
デ・パルマ「ファム・ファタール」
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サザエさんのエンディングテーマってFUNKだ!
ってスライの「You Can Make It If You Try」を聞いてたら気付いてしまった今日の気分をみんなと共有したくて日記を書いているよ。思わず「All Together Now!」って小憎らしい黒人の子供の声で叫びたいよ。で、そんなサザエさんのエンディングテーマがメンバーの登場曲のSUPER BUTTER DOGの解散ライブDVDを見ながらここ2日は家で小躍りしているよ。こういう形で解散ライブを見るのって絶対間違っているし何の関与もしていない自分を恥ずかしく思うんだけどそれでもやっぱり神ライブだよ。FUNK YOU VERY MUCHだよほんとに。うん、なに、うん、なになに?ていうかサザエさんってうちのオカンみたいだよ。

sazae.jpg
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そう簡単に「コミュニケーション」だなんて言うべきじゃないと思う。
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BB1

やっとネットつながる。
今日は仕事後、ホゾ4人で「ブラタモリ」にあやかって「ブラブサイク」を実行に移す。
まずはプレゼンルームで「コヤニスカッツィ」を見る。なんか説教臭いんだか過剰偏重な世界を賛美してるんだかハイ/ロースピード撮影が楽しくなっちゃったんだかよくわかんなかったが、フィリップ・グラスの音楽で段々気持ちよくなってきちゃった。機械ももちろんだが、やっぱり映画は人間を撮るためにあるんだろうなあと思った。だってそこが一番面白いんだもの。原始の絵文字→宇宙ロケットの発射→自然の循環→自然を利用する人間と機械→輸送機械(飛行機、地下鉄、電車、自動車、高速道路、インターチェンジ.....)→居住機械(住宅)の廃墟とその破壊→人間の移動→生産機械と人間→輸送機械からの眺め→集積回路のイメージ→路上の人々→宇宙ロケットの墜落→原始の絵文字、みたいなふうにプロットは言葉化できるけど、それが明確な何かを意味しているわけでもなく。だいいち「コヤニス(調和を失った)カッツィ(世界)」というより「コヤニス・アメリカ」だろうに。ただ、執拗なまでに見せつけられるトランスポーテーションの視覚化は嫌というほど眼に焼き付いた。レッジョはドゥボールを読んでいたということで、次はドゥボールを見たい。
終了後、夕食を求めて国分寺を遊歩。南口から北口へぐるぐるぐるぐる迷い歩く。こんなことでもない限り国分寺を探索することなんかないから貴重な機会で、サークルの忘年会の場所を探し歩いた7、8年前とはかなり変わっていて驚き。なんとなく決め手に欠けて30分から1時間ぐらいはほっつき歩いていたが、最終的に本屋の下の豚串系飲み屋に決定。第一回としては上々であった。
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家のネットが止まっているので、更新が停滞しております。
お金を払ったけど、止まってる原因ではないのを払っちゃったみたいで、まだ止まってる。

oyo1posterA2.jpg


われらがオヨベ先生の最終講義が12/15の16:30からムサビで行われます。
卒業生の方々は、ぜひ。
ああだこうだやりながらポスターを作りました。

最近
ヴェンチューリ『ラスベガス』を読む。建築の部位の話になるとわからないから半分は理解していないのだが、前半のラスベガス分析の件はナルホド。グラフィックにはヴェンチューリはいなかったという欠如をどう引き受けるか。

ヒッチコック「めまい」をDVDの復元版で見直す。名作だとは思いながら、やっぱり「自分の肉欲を隠し通す術を身につけて」いない放埒なキム・ノヴァクにどうしてものめりこめない。どう考えてもバーバラ・ベル・ゲッデスに感情移入してしまう。
その直後にデ・パルマ「ブラック・ダリア」。過剰な「めまい」。映像の中の女性に見せられる主人公。スカーレット・ヨハンソンがノーブラっぽいのはキム・ノヴァクか。変な地震。ヒラリー・スワンクの母親がすんごく変。というか色々変。
カラックス「ポンヌフの恋人」をビデオで。フィルムとフィルムのつなぎ目で文字通りの火花が散る。彼は火も吹けるんだね。
あとは、ヒッチコック「マーニー」。力の感じられない失敗作かもしれないが、ティッピ・ヘドレンが会社で金庫破りをするシーンの演出や、ピストルを持って階段を上り下りする所などは流石だし、母親との会話がひたすら不気味。








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