金曜の夜間開館で上野のフェルメール展。
最初にフェルメールを見たのは高校生ぐらいだったかのときに、愛知県美術館にやってきた「恋文」で、もちろん驚きはしたけれども、フェルメール作品は35作品しか現存していないことを知らず、「なんだフェルメール展を謳ってる割にはレンブラントとか他の作家との抱き合わせじゃないか」なんてふざけたことを思った記憶がある。次に見たのは去年デン・ハーグのマウリッツハイス美術館で見た「真珠の耳飾りの少女」と「デルフトの眺望」だが、不思議とそれほど感動しなかった。「少女」は印刷物で見すぎたせいか、「思ったより青くないなあ」と率直に言えば思った。「デルフト」は僕が鈍いだけだろう。
それで、今回。壁紙の装飾と解説に対する疑問はさておき、7点ものフェルメールがまとめてみられる特権的状況はすばらしいし(「絵画芸術」が来なかったのは惜しい)、緻密な描写、布の超現実的な質感、フレーム効果はもちろん、遠近法というフィクション性を強調する流れで見れば、不自然なスケールの操作(イス、机、顔...etc)に目が行き、それが生み出すフィクション性は、まるで小津映画のようだった(このたとえはどうかと思うが...)。直後に展示されていた物を見ると、解像度の悪いjpg画像を見ているかのようだった。もちろん図録では全く再現されていない。
昨日は図書館で一日勝見さんの本を読みふけったが、以前私が「忌むべき時代」だと言ってしまった60年代は、勝見さんがいなければ、もっと鎖国化されていただろうことは間違いない。ただ、やはり盲目のIndustrialismは嫌いなのだが、戦後から高度経済成長にかけて、それが必要だったのは受け止めなければならない。
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