2008年9月アーカイブ

「お前は過去をふたたび生きるために旅しておるのか?」
「他処なる場所は陰画にして写し出す鏡でございます。旅人は自己のものとなし得なかった、また今後もなし得ることのない多くのものを発見することによって、おのれの所有するわずかなものを知るのでございます。」

気づいたら家のネットが止められてたので学校から。

「細かすぎて伝わらないモノマネ」やってるよと言われたので、久しぶりにテレビ線を繋いで、観た。久しぶりにテレビを観ると、面白いものと、テレビ側の「面白くなきゃだめ」という力学が働いて面白くないものも面白く思わさせられてたものとの違いがよくわかるが、そんなことはさておいていつも落合のマネをする素人の方がまた一工夫をした落合のマネをなさっていて、敬服した。博多華丸は流石にうまかったなあ。まあそんなん言うてますけど、不覚にもオグシオはかわいいと思ってしまった。その日は花の料理人で落合さん(料理人の方)がポルチーニの手打ちパスタを作るのを「ずるい」と思いながら見続け、最終的には安田美紗子がナレーションを務める「今一番会いたい人に会わせてあげる」的な番組まで観てしまった。若いハーフモデルが「ハーフという言い方は良くないです。でもまさにそうで、どちらでもないんです。でも、ダブルだと思えばお得でいいじゃないかと思うようになったんです。」と言ってたのが印象的だった。

久しぶりに読書祭りを敢行しているのだが、読むべき本をパスしてきたことを痛感した。「あんとき読んでりゃなあ」と何度か思う。というわけで、カルヴィーノ『見えない都市』を「漢字わかんねえ」と何度か意識が飛びながら、奇想都市の数々の描写と散りばめられたアフォリズムに敬服する。あとは、多木さんがニューヨーク近代美術館でやった「新宿」の分析と図化の試み。全く知らなかった。「都市リサーチ」を謳う者はとりあえずこれをひとつの金字塔であり超えるべき目標として捉えるべきではないか!異論など「『都市』認識のパラダイム」をここまで意識的に書き、実践した事例は他になかったのではないか。しかしこれ76年か.....。30年以上経ってるのね。猛省あるのみ。

松井氏と来年度カメレオン発表に向けて、勝見勝氏の研究をすることにした。ただ、人物研究と言ってしまうとしんどいので、60年代日本におけるユーロピアン/アメリカン・グラフィックデザインの受容、ということにしようと思う。

表題は、ブライアン・ウィルソンの新譜の「Lucky Old Sun」がどうしても「らきおさん〜」と聞こえて、不必要な親近感が湧いてしまうことの、公表。

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休日に(といってもEveryday Sundayだが)近所の小金井公園にある江戸東京たてもの園へ。小金井に越してきてから3年が経とうとしているが、何度となく小金井公園へ散歩に行けども、ここに入るのは何げに初めてである。理由は、開園時間にはそこの前を通ったためしがないからだが(散歩に行くのは大体早朝か深夜だ)。パートナーシップとやらでムサビの職員は無料で入れてくれるのだが、例の如く出発が遅かったため、半分も見切れず、結局次の日にもう一回行くこととなった。特別展で「建築博物館」という企画をやっていて、日本全国にある建築保存博物館や景観保護区の紹介をしている。愛知人としてはすぐに幼少期に行った明治村を想起するが、フランク・ロイド・ライトの帝国ホテル玄関の異様な雰囲気(当時はもちろん何がなんだか分かっていなかった)以外はほとんど記憶から消滅していることに気づく。インテ研の助手になった友人がやたらと愛知マニアで、「あそこは最高っすよー」と言っているので、次回帰省の際には豊田市美術館も含めて行ってみようと思う。それはそうと、たてもの園の話に戻れば、「いやあ、大田区も田園都市計画される前は村だったんだねえ。こんな農家があったんだ」とか「田園調布にはこんな夢みたいな瀟洒な家が建っていたんだねえ」とか「三井財閥さんの家は法外だねえ」とか、別に懐古趣味はないけれどベタに楽しみながら、回顧展以来気になっていた前川國男邸の構成と、堀口捨己設計の小出邸の非常な設え(応接間の照明や銀の壁紙、障子の意匠など)に惚ける。その他園内を合計4時間ほどかけて一巡したあとで、しかし、業の深い私は「まだ狭い。もっと観たい」と思ってしまった。建築を触覚によって経験することは、何にも増して贅沢な経験だと思った。

最近は頓挫中のプロジェクトの打開案を練りつつ、ベンヤミンを読んでいる次第。まあ、半分以上分からないけれども、アウラは物の側にあるもので、その凋落を嘆いているものだと勝手に誤解していたけれども、両方とも違ったことがわかる。ベンヤミンの賭けていた芸術の方向性に、今更ながら畏服するとともに、感情移入しがちな自分を戒め、「第二の技術」の芸術性の方へと向かうことはできるのかと夢想する。
しかし、『パサージュ論』を読んでいると、フーリエが気になって仕方がない。共同で生きることの効率性と個人の欲との折り合いは、永遠のテーマだ。資本主義社会であれ、同じだ。

ブライアン・ウィルソンの新譜が出てたのか。

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英語学校での僕とAゆみさん(30半ばぐらい?)との会話

A: 今年休日を取ってどこかに行こうと思ってますか?(例文)
僕: 最近浮上した計画なんですが、イタリアとスペインあたりに年末か年度末に行くかもしれません。

---この間、いくつかの例文的会話----

A: 日本の中で行ってみたいところはありますか?(例文)
僕: 奈良か鹿児島。ダニ・カラヴァンの作品を観に行きたいです。
A: ダニ・カラヴァン!?室生寺?私も行きたいんです。
僕: えっ!ほんとに?
A: ポル・ボウって知ってる?フランスとスペインの国境の近くの。私行ったことあるの。
僕: えっ!(絶句)ベンヤミンへのオマージュがあるとこでしょ?
A: 学生の時に初めて海外旅行に行ったとき、その頃はビルバオ(のグッゲンハイム)が出来たばかりの頃だったけど、絶対見たいと思ってポル・ボウに行ったの。すごい寂れてる街だけど、あの作品はすごかったよ。もちろんそのあとはビルバオに。パリの郊外にも(カラヴァン作品が)あるけど、あれはイベントでレーザーが出てるとき以外はだだっ広くてよくわかんなかったな。
僕: この間ダニ・カラヴァン展に行って、すごく面白いと思って、行きたいと思ってるんです。
A: えっ今やってるの!?もう終わっちゃった?
僕: まだ始まったばかりですよ。
A: ありがとう!絶対行く!どんな展示だった?

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いやはや、イサム・ノグチと言い、ダニ・カラヴァンと言い、彼らの環境彫刻はまことに素晴らしい仕事ですな。わたくしももう少し若かったら影響受けまくって転向しちゃいますよ。とは言え、久しぶりに映画以外で刺激を受ける物に巡り会って、活力が湧いたわけですが。あ、『コッポラの胡蝶の夢』は、あの『ゴッド・ファーザー』の、『地獄の黙示録』のコッポラが、この年齢にしてパーソナルな映画の方向に転向したという大英断をしたということの驚きに、これまた刺激を受けちゃいました。あと、ついに発売された『ダージリン急行』DVDに特典でついているメイキング映像が素晴らしく、たった5cm四方ぐらいのスペースに象のイラストを描くのに丸一日費やしたり、実際の電車を撮影用に大改造して壁を取っ払ったり廊下の天井からカメラを吊ってドリーできるようにしたり、食堂車のシーンに使う皿の一枚一枚にこれまた素晴らしい絵を描いていたり、「ここまでやる必要あるの?」と無粋に思っちゃうような細部があの画面の持つ訴求力に貢献しているのだと確認し、一応美術畑出身として嬉しく思う。

カラヴァン展には図録を読んでからもう一回行こう。

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