洗濯が終わるまでの時間が空虚なので、ログ。
「白い馬/赤い風船」
「ホウ・シャオシェンのレッド・バルーン」
を立て続けに。
ポエジーだかロマンチシズムだか知らないが、「心の交流ですよ」といわんばかりに子供と馬を切り返しで見せるところなど、どうやっても食えない「白い馬」。馬は演技をがんばっていたが人間は馬に振り回されるばっかりで、「これが続くのはつらいなあ」と意気消沈していると、「赤い風船」はパリの町並みの助けも手伝ってか、幾分か見れる物になっていて、とりわけリマスターの色彩調整は最高に美しいが、風船を擬人化されるのはやっぱりダメだと呟かざるをえない。
そんなこんなで期待した「レッド・バルーン」は、もうファースト・カットから魔法にかかってしまう。風船の繰り方も抜群に巧いし、何しろ風船を擬人化などはせず、うまい表現が見つからないが座敷童や地蔵に近いものとして扱われている。「オマージュなどこれぐらいのイタダキでいいのだ」と言わんばかりの割り切り。後はもうただマーク・リー・ビンビンの繰るキャメラと共に、スクリーン上の肌理の変化にただ身を任せるしかない。ストーリーや辻褄などどうでもいい。いつ終わるかなどもどうでもいい。恍惚に浸っていると、「The Forgotten Times」と共に映るパリの町並みの俯瞰に感極まる。
既に洗濯は終わり、でかけて帰ってきたところだが、続き。
芝浦にて建築家・北山さんの講演。タワーに代表されるアイコニックな建築よりも、人間と人間の関係性を建築によって作っていくようなダイアグラミックな建築の方をやるべきで、それが高じてアイコニックになっていけばよいという話。久しぶりにデザイナーさんの話を聞いたけど、すごく刺激を受けた。少なくとも形式至上主義ではなく、利用者のことを考えてる時点で信用できる。個々のプロジェクトに関しては色々思うところがあるけど、とりわけ白石の小学校のプロジェクトで、「制度」で定められている1クラス40人を、本来集団として望ましい100人以上へと改善していくために建築的解決を行ったという話は、(氏が語られていたように)ノイラートが「建築家は未来の社会に対して責任を持たなければならない」とかなんとか言った話やらジードルンクの議論やらを思い出して、感銘を受ける。
ダグラス・サーク「翼に賭ける命」
父親が飛行機レースで墜落しそうになっている時に、レース場隣の遊園地で、乗っている飛行機の遊具から降りたくても遊戯中は降りられず泣き叫ぶ息子。不倫が善だとか悪だとかいった紋切り型の倫理観を超えた複雑な心情を表現しつつもいたってシンプルな脚本。アクシデントで飛行機が墜落し、主役の一人であるパイロットが死のうとも、むしろ重要なのはその後残された人々の生き方であるというポジティヴさ。ハリウッド50年代の完成された画面づくりとビシビシとした頽廃感。これしか観に行けなかった自分の鈍重さを悔やむ。
既にこれを書き始めてから三日は経っているが。
おさむさんちで実家から送ってきたという讃岐うどんのパーティー。サマーでスロウな良い夜でした。しかし最近枝豆ばっかりゆでてる気がする。
明日から研究室旅行で香港に行きます。
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