残酷なまでの孤独を凝視する

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アテネフランセの「日本最後の」ドライヤー特集。「奇跡」と「ゲアトルーズ」の二本立て。極度に抑制された役者の振る舞い、全白から全黒までの無限の段階を完全に掌握したパラノイアックなまでの美術と構成に画面を凝視することを強いられる。
愛し合う者以外は視線を交わらせることさえ許されず、全ての主要な登場人物が残酷なまでに孤独な(そして多くのソファが視線の非交錯を発生させる装置と化している)「ゲアトルーズ」の終盤、ここのところの私の精神的摩耗にシンクロするような張りつめた展開と、やむことなく強いられる画面の凝視に起因した視覚的な倒錯によっていつの間にか朦朧としてきて、ほとんど卒倒に近い状態で見続けたが、主人公ゲアトルーズの家を訪ねてきた長年の友人の男性が、彼女の家から立ち去ろうとするラストシーンに、いまだかつてみたことのない異様な白き宙吊り空間が登場し、しかもそこで反復される(映画内では非常に希少な)カットバックに戦慄し、今、まさにここで頬を涙がつたわない自分の感受性の弱さに愕然とする。狂喜乱舞して万歳する映画はそれなりにあるが、戦慄する映画とは(私的映画史上)そうそうない。もちろん「奇跡」も最高のハッピーエンド喜劇だった。やはりヨハネスの彷徨は「笑うところ」で良いと思う。

ここ最近の精神的摩耗は、人付き合いの疲れと研究の行き詰まりと鬱陶しい外圧によるものだが、やはり思考を進めることでしか私の憂鬱は解消されないようだ。ドライヤーが良い刺激となった。

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