「世界は視覚化されなければならない」というスローガンを叫ぶだけではもはや議論の的とはなり得ず、whatとhowが求められる段階へと移行した。それはともすると自分の中だけの問題かもしれないが、社会的に見ても潜在的にそうであるはずだ。ノイラートの「社会と経済」が選択したテーマのラインナップが当時最高であり今なお刺激的であることには変わりがないが、よくも考えれば78年も経った現在にはとてつもない数のデータが存在し、政府機関やデベロッパーにはもはや「欲しいデータがない」という状況の方が少ない状態に至っている(当時には人口や出生のデータがやはり多いためにそれらの図表が当然多くなってしまうのだと彼はどこかで漏らしていた)。統計好きのコルビュジエやノイラート、オトレが狂喜乱舞するかどうかはさておき、いくらなんでも三百枚を超えるようなアトラスを作ってもしょうがないので、そこにはストーリーやイデオロギーが動員される必要がある。残念ながら今の私にはそれを明確にはし得ない。モビリティや経済が空間を決定するのだと言ってみても、「ふーん」と言われてしまえばおしまいである。いや、個人の移動コストはどんどん下げていただきたいし、海外にももっと気軽に行かせていただきたいし、そいつが新しいフィジカル・ネットワーク社会を作るかもしれない。「世界をもっと近づけなければならない」というスローガンは20世紀の初頭も今も変わらないことなのだ。今のところ言いたいことはそれぐらいかもしれない。近代都市の高層化は止まらないし、大都市への集中も止まらないし、グローバル資本の投入も止まらない。しかしおそらくそれは全世界的な要請なのだから、付属する様々な問題もあるだろうし失われていく物も多かれど、それだけで「悪」とするような保守的な倫理観は捨てるべきだとも思う。というわけでアトラスの制作は進む。乞うご期待?
しかしこんなストイックな作業を人生にしたノイラートは、敢えて言えば、変態である。
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