膨れっ面のように口中に水を貯えながらペットボトルで水を飲み、肉体的な枯渇感だけでなく精神的な枯渇感をも表象する、映画「長江哀歌」のチャオ・タオに夢中な私は、2日ぶりに家に帰ることができ、しかもいつもよりも早めに帰ることが出来ているこの貴重な数時間に、チャオ・タオとは似ても似つかぬ飲み方で酒を飲んでいるわけだが、いつも通りそんな冒頭は何の関係もなく最近のことを書き記せば、ここ数週間はノイラート展の追い込みで、図録の文章を書いたり、会場の図面や模型を作ったり、決して詳しくはなかった部分の解説を書いたり、単語が絞り込まれた特殊な英語の翻訳をああだこうだ悩んだり、はたまたその間隙に某所のホームページを作ったり、それが終わるや否や実際の展示作業に移り、超高解像度で写真乾板なるものをスキャンして大型出力をしたり、これから会場で流す映像とタッチパネル用のコンテンツを作らなければならなかったりと、五感フル稼働で普段出さない力をひねり出しているのだが、その中で思ったことを書き記すと、今書いたように「BASIC英語」なる限定的な単語数の英語を用いて書かれているノイラートの著書『国際図像言語』は、ノイラートが「アイソタイプ」と呼ばれる統計図表をシンボルと構成によって組み立てていく原理がまとめられているのだが、彼の考えの核心は、簡潔・明快なシンボルの形態と構成が簡潔・明快な教育的概念を伝えることができるというだけではなく、その教育資料の制作者そのものが、図像言語の余剰な形態、余剰な意味を切り捨てていく中で、自らの考え自体を簡潔・明快[clear-cut]にすることができる、あるいはする必要がある、ということではないだろうか。「アイソタイプ」図像は何よりも「教育的な」図像であり、無用な精密さや無用な關連情報を含むことで情報の伝達を妨げることは避けねばならず、あくまで明確な伝達内容を持っていなければならないのだ。であるから、自ら限定的な視覚的・言葉的語彙を用いることによって、自らの考えを意識的に明快にしなければならないということだろう。しかしもちろん、それをノイラートがその本に書いている訳ではなく、これはあくまで「ノイラートはこういうことに気づいていたのではないだろうか?」という推論にすぎない。しかしおそらく彼はそう言いたかったように見える。
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Akio Ota
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