2007年9月アーカイブ

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展覧会図録の内容を寺山先生よりオットー・ノイラート-ISOTYPE研究会メンバーに報告。いよいよ展示まで1ヶ月を切りました。

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展示模型の机、椅子、壁などを作っています。机や壁はスチレンボード7mm厚、椅子は針金でマルト・スタム(Mart Stam)のデルタ・ウニ(Delta Uni)を制作しました。


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展示場模型の壁やガラス面(模型ではアクリル板)を直しています。

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展示模型1/20スケールに人の模型も追加しました。※これは展示模型です。

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建築家であり放送大学客員教授である菊池誠さん(写真真ん中)を迎えて展示計画会議を行ないました。


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菊池さんの提案した内部壁面をアーチ型にする案は、ノイラートの提案した博物館の展示空間モデルを参考にしているとの事。なるほど、一同納得したのでした。

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武蔵野美術大学美術資料図書館1F展示会場の1/20スケールの模型と展示物を制作。
もちろん展示する本も1/20サイズで制作しました。

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9月25日[火]-10月21[日]の期間、武蔵野美術大学美術資料図書館において「世界の表象:オットー・ノイラートとその時代」展が開催されます。
展示が組み立てられていく様子や講演会の記録が随時UPされますので、是非ご覧下さい。

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9月25日〜10月21日まで、武蔵野美術大学美術資料図書館にて、「世界の表象: オットー・ノイラート展」が開催されます。現在も展示物をせっせこ作っている最中なので、あまり長々とご紹介できませんが、ここ一年の間、汗水たらして睡眠削ってやってきた成果がようやっと形になりました。寺山先生、伊原久裕先生、八束先生、菊池誠先生、図書館の方々、そして何よりもムサビの学生さんたちが常に予想を超える仕事をしてくれたおかげで、最高の展覧会になりそうです。内容は、空間を支配するノイラートの100枚のダイアグラム集『社会と経済(ゲゼルシャフトとヴィルトシャフト)』をはじめ、ノイラートの仕事の全貌を紹介します。さらにそればかりではなく、ノイラートの「アイソタイプ」のデザイナーであるゲルト・アルンツの芸術家・版画家としての仕事の紹介や、ノイラートの妻マリー・ノイラートが作り続けた科学啓蒙絵本を手作りの複製本によって紹介します。また、ノイラートのアイソタイプが世界のグラフィック・デザインに与えた影響を豊富な資料で示します。さらに、僕の修士からの研究対象でもあるポール・オトレの「ムンダネウム=世界都市」の図面をル・コルビュジエ財団、エシェル・アンの協力によって実物大で展示。そして最後にノイラートが招聘され、建築や都市計画とグラフィック・デザインが最接近した第四回CIAM(近代建築国際会議)において、展示されたファン・エーステレンの「アムステルダム分析図」や、それに関連するルドルフ・スタイガーの巨大な都市進化ダイアグラムなどをオランダ・スイスから借りて展示します。入場無料!図録500円!ぜひご高覧下さい!

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膨れっ面のように口中に水を貯えながらペットボトルで水を飲み、肉体的な枯渇感だけでなく精神的な枯渇感をも表象する、映画「長江哀歌」のチャオ・タオに夢中な私は、2日ぶりに家に帰ることができ、しかもいつもよりも早めに帰ることが出来ているこの貴重な数時間に、チャオ・タオとは似ても似つかぬ飲み方で酒を飲んでいるわけだが、いつも通りそんな冒頭は何の関係もなく最近のことを書き記せば、ここ数週間はノイラート展の追い込みで、図録の文章を書いたり、会場の図面や模型を作ったり、決して詳しくはなかった部分の解説を書いたり、単語が絞り込まれた特殊な英語の翻訳をああだこうだ悩んだり、はたまたその間隙に某所のホームページを作ったり、それが終わるや否や実際の展示作業に移り、超高解像度で写真乾板なるものをスキャンして大型出力をしたり、これから会場で流す映像とタッチパネル用のコンテンツを作らなければならなかったりと、五感フル稼働で普段出さない力をひねり出しているのだが、その中で思ったことを書き記すと、今書いたように「BASIC英語」なる限定的な単語数の英語を用いて書かれているノイラートの著書『国際図像言語』は、ノイラートが「アイソタイプ」と呼ばれる統計図表をシンボルと構成によって組み立てていく原理がまとめられているのだが、彼の考えの核心は、簡潔・明快なシンボルの形態と構成が簡潔・明快な教育的概念を伝えることができるというだけではなく、その教育資料の制作者そのものが、図像言語の余剰な形態、余剰な意味を切り捨てていく中で、自らの考え自体を簡潔・明快[clear-cut]にすることができる、あるいはする必要がある、ということではないだろうか。「アイソタイプ」図像は何よりも「教育的な」図像であり、無用な精密さや無用な關連情報を含むことで情報の伝達を妨げることは避けねばならず、あくまで明確な伝達内容を持っていなければならないのだ。であるから、自ら限定的な視覚的・言葉的語彙を用いることによって、自らの考えを意識的に明快にしなければならないということだろう。しかしもちろん、それをノイラートがその本に書いている訳ではなく、これはあくまで「ノイラートはこういうことに気づいていたのではないだろうか?」という推論にすぎない。しかしおそらく彼はそう言いたかったように見える。

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